第25話 逃げない理由
俺、ジャック・ウィリアムが生を受けるずっと前から、才無き者を拒み続けてきた、高い壁。
其処に突如開かれたトンネルから、とんでもない数の民衆が、中へと雪崩れ込んでいる。
不可侵の領域、中央区へと乗り込んで、盗みや乱暴三昧だ。
暴徒だけならまだしも、魔獣までそこら中をうろついているのが、不可解だ。
こんなもの、収拾がつかないではないか。
選ばれた存在のための楽園が、穢されていく。
その様子にちょっとの快感を覚えながらも、一緒になって騒ぐ気にはならなかった。
何故だか、理性が勝っていた。
「…コレを止めろってのは、流石に無理な話じゃない?」
「手遅れだな。どう見ても」
困惑したエイラに同意した俺は、雲へ上がっていく黒煙を目で追い、首を鳴らす。
現実逃避と、仕事前のストレッチを兼ねて。
酒場でユータに襲い掛かった不死身の女のせいで、すっかり酔いが冷めてしまった、俺とエイラとダン。
店主に追い出されて、今日は解散という空気になりかけたが、急遽ギルドで発行された、暴動の鎮圧の依頼を受けることとなり、火の手の上がる現場へとやってきたのだ。
ところが、中央の人間や国のために行動しようという者は少なく、傭兵の殆どはこの件から手を引いていた。
歴史的背景を考えれば、何ら不思議な事ではないが、どうしたものか。
金目当てにふらっとやってきた俺たちと他数名では、その場凌ぎにもならない。
「しかし、どうやってこんな穴を…碌な魔法が使えないコッチの人間が束になったとて、あの分厚い壁を破壊できるとは、思えませんが」
「何か嫌な感じだ。抗議活動を扇動してたのも、黒いフードの怪しい奴らだったし…」
ダンとエイラも、この状況を不審がっていた。
気持ちは同じだが、これ以上考え込んでいる時間は無いだろう。
刻一刻と死人が増えていくのを、黙って見ているようでは、男が廃るというものだ。
「…前金の分、幾つか命を拾っておくか」
話を終わらせた俺は、大剣の柄に手を掛け、徐々に加速。
そのまま壁の穴を走り抜け、通りすがった魔獣の首を、切り落とす。
取り残しは、後ろから追ってくるダンとエイラが担当するため、獲物の生死を確認する必要は無い。
兎に角、道を切り開くのが、先頭を走る俺の役割だった。
魔獣を狩りつつ壁の中を進んでいくと、看板の折れた広い公園が、視界に入った。
まだ、子供がいるかもしれない。
もしもの事が頭を過った俺は、進路を公園の方に変更した。
門を抜ければ、魔法使いの死体が散在しており、生を諦めて、ベンチの上で項垂れている者も。
地獄絵図というのは、こういった光景を言うのだろう。
「死にたくない…死にたくない…!」
何度も裏返った、間抜けな声。
見ると、噴水の横で蹲った中年の魔法使いが、角の生えた熊に襲われる寸前だった。
地面を蹴る。
何度目かの全速力に、脹脛が面倒臭がっていた。
こういう時のために、日々のトレーニングをサボらなかったのだ。
脳への拒否反応を、捻じ伏せろ。
「間に合えやァ!」
声に気合を。
勢い任せの、単純な大振りだ。
肉抜きされた大剣が筋肉と同調し、人間の倍はありそうな熊の首を、一発でぶった切る。
ゆっくりと地面に倒れた巨体が砂埃を立てたおかげで、余裕のない表情が隠れてくれたのも、運が良い。
何から何まで、上手くいった。
「何で…壁の外の奴らが、俺たちを…?」
喰われそうになっていた魔法使いが、カタカタと顎を震わせながら、問いかけてくる。
獣伐区の人間にどう思われているか、ちゃんと自覚はあるらしい。
壁の外に捨てられた日、尊敬する両親に二度と会えないという事実に絶望し、泣き腫らした事は忘れない。
ただ、憧れの剣を見つけられたのは、俺が壁の外に出たから。
誕生日を迎える度、壁の中で同い年の子供が祝われている妄想に、歯を食い縛った事は忘れない。
それでも、似たような境遇の、気の合う仲間と飲む酒の味は、乙な物だ。
不慣れな戦いに疲れて眠った夜、自らの不幸を呪い、呪い、呪った事は忘れない。
しかしどうだ。
俺は今、案外幸せと言えるのではなかろうか。
あれだけ根深かった魔法使いへの負の感情は、薄れかけていた。
とはいえ、何とも思っていないと誤解されるのは、癪。
こういう時は、生まれつきの目付きの悪さを活かせ。
「…仕事をしたまでだ」
「ヒィ!」
ドスを利かせてそう言うと、身震いした魔法使いは、慌てて逃げていく。
若い頃であれば、見殺しにしたのだろう。
そんな事を考えながら、ぼんやりと見送っていると、背中を指で突かれた。
「ねえ、ジャック。やっぱりおかしいよ、此処に居る魔獣」
エイラの心のざわつきが、顰めた眉に表れている。
何かがおかしいという事は、俺も気づいていた。
壁の中に放たれた魔獣たちは、例外なく、魔法使いだけを狙って襲っている。
暴徒化した傭兵や俺たちは、まるで眼中にないのだ。
別種の獣が、同じ秩序を共有するなんて、信じ難い。
しかし、現象は常識を裏切って、裏切って、今回もまた、裏切った。
「コイツら、調教されてるのか…?いや、まさかな」
「酒場でユータさんを襲った蘇る女性といい、壁の中の状況といい…人知を超えた力の気配がします。関わりたくないものですねえ」
ぼやいたダンが、咥えた煙草に火をつけた、その時だった。
王城の方向から、爆発。
いや、そう聞き間違えるような、轟音が鳴り響く。
仰天した俺たちの肩は平行に、ビクッと跳ねた。
「逃げて!」
悲鳴に近いトーンの、警告。
声の出どころは、家屋が倒れて巻き起こった白煙の奥。
杖を持った赤い短髪の少女だった。
それから少し間をおいて、後ろを追ってくる。
少女の二倍程上背のある、巨人と呼称すべき生命体が。
鎧の様な筋肉を纏った男が、右手の斧を一振りすれば、公園を彩る立派な木々が、綺麗に切り倒されていく。
いつの日か母親に聞かされた、神話に出てくる優しい大男も、あそこまでの剛腕を誇っていたか、定かではない。
「人知を超えた力ってのは、アレの事か?」
「…禁煙を考えた方が良さそうだ。コイツを咥えて人と話すと、碌なことが無い!」
汗が噴き出した頭を冷やすために俺がおどけると、ダンも冗談を投げ返し、弓を引く。
彼の指から解き放たれた矢はヒュンと鳴って、前を走る少女の頭上を通過。
目測の狂いなく、大男の胸へと突き刺さった。
突き刺さったはずだ。
大男は、痛みを感じるどころか、着弾に気付いてすらいない。
矢尻を鎖骨の下に埋めたまま、ベンチや街灯を薙ぎ倒し、少女との距離を縮めていく。
「こりゃあ禁煙なんてしなくとも、最後の一本になるかも知れませんねえ」
煙草を唇の力で上下に動かしたダンは、縁起でもないことを口にする。
が、あれは確かに、遭遇しただけでも腹を括るべき存在だ。
ベンチのついでに蹴り飛ばされた魔法使いの体が爆ぜた様に、怖気付いていたエイラも、このままではいけないと目を覚まし、俺の肩を揺らす。
「私たちも逃げよう…流石にアレは無理だって!」
理屈では、エイラの判断が正しい。
命を繋ぐには、そうするしかない。
俺に、野心という魔物が憑りついていなければ、そうしていただろう。
「逃げる…?そんなんじゃあ、剛剣に追いつけねえ!」
「何言ってるのよ!ちょっと、ジャック!」
エイラの声を無視し、武者震いする手に大剣を。
大物を仕留めて力を証明するのは、今日だ。
今日、あのトラウマを払拭するのだ。
翼竜との戦いでは辛酸を嘗めさせられたが、同じ弱点を持つ人間相手であれば、俺の剣でもやれるはず。
奇跡を起こして、英雄になる。
そんな考えで、頭が一杯だった。
「どうして逃げなかったの!?ヘルキスとやろうなんて、命の無駄使いよ!」
横を通り過ぎた赤毛の少女が足を止め、俺の無謀を非難した。
直後、水飛沫。
石造りの噴水が、巨人の素足に踏み壊されたのだ。
少女が叫んだ、ヘルキスという名前。
岩のような体に合点がいった俺は、濡れた唇をぺろり。
「王城で大暴れした英雄様が、女のケツ追っかけて…どういう風の吹き回しだ」
「魔力の無い人間の殺しは、命令されていない。死にたくなければ、消えろ」
「悪いがこっちはな…手前に興味津々なんだよ!」
長い髪の間で光る薄緑色の目は、武器を持った俺たち三人に、恐れるどころか警戒すらしない。
そんな態度をされては、劣等感が急激に沸騰してしまうではないか。
頭の上に静止させた大剣を、振り下ろす。
格好を付けない実直な剣は、俺の肉体から更なる力を引き出していた。
精神が一皮剝けた感覚さえ、あった。
刹那、隕石が頭上を横切ったのかと錯覚するような風圧と、カーンという快音。
両の腕と指が、ふわっとした。
「…は?」
困惑した俺の後ろで、重い金属が地面を転がる。
握っていたはずの、大剣だ。
ヘルキスが軽く振った斧の衝撃によって、遥か後方まで弾け飛んでしまったのだ。
競り合うことすら許されず、俺は丸腰となった。
「フン」
ヘルキスが短く息を吐く音が聞こえて、世界が回る。
筋肉と骨のみで形成された太い足に腹を蹴られ、俺は水切りの如く、何度も硬い土の上を跳ねた。
翼竜の尾にも引けを取らない威力を受け入れてから、数秒後。
やっと、摩擦と重力が大地へと引き留めてくれた。
その場で動けないでいると、武器を投げ捨てたエイラが、駆け寄ってきた。
大粒の涙で、ぐしゃぐしゃだ。
「ジャック…ジャック!まだ、きっと許してくれるよ。謝って、土下座して、見逃してもらおう。私も、一緒だから…一人で悔しい思い、させないから…!」
エイラに説得され、過去の記憶を反復する。
クソッタレな、弱虫の記憶を。
いつだって強大な敵に、国のルールに何もできず、敗北を受け入れる。
こんなにも無力で、惨めで、生きていられるか。
死んだ魚の様な目で被害者面をするだけの、幼き日の俺を見て、腹が立った。
俺は何を犠牲にしてでも、前に進みたい。
どれだけの困難に対しても、意志を曲げずに押し通す、剛剣のような強者になりたかった。
「型は綺麗だ。来世は、良い剣士になるだろう」
ヘルキスからの、賞賛。
実際には、死者への慰めだったのかも知れないが、俺は、勘ぐらずにそれを受け取った。
衝撃的だった。
死の瀬戸際で、長年の誤ちを自覚した。
俺は土壇場になる度、見様見真似の剛剣の動きを忘れて、親から教わった、極々一般的な剣術を使ってしまう。
本能に選ばれたのは、凡人の剣だったのだ。
しかし、自由奔放に戦う天才に憧れた俺は、未練がましく、物真似を続けていた。
偽物の剣では、何も斬れないというのに。
視界が薄暗くなってきた。
後退するダンと、赤髪の少女の背中が見える。
呼吸が安定しないのは、ヘルキスに蹴られた内臓が、潰れてしまっているのが原因だろう。
限界は、とうに超えていた。
自らの剣を拾って支えにしなければ、立ち上がれなかった。
「剛剣なら、ガキを見捨てて、逃げたりしねえ」
意地を吐いた俺は、背骨と並行に大剣を構える。
厳しい親に、べそをかきながら習ったのが、懐かしい。
練習したのは遠い昔だが、親に褒められようと打ち込んでいた俺の体に、魂に、染みついていた。
剛剣への憧れは、無駄だったのだろうか。
そんな筈はない。
根性だけで最後まで戦い抜き、戦士として堂々と死ねるのは、彼女の強情な性格を模範として生きてきたお陰だ。
「借り物の魂か。されど、それも魂」
ヘルキスの斧に、夕日の光が反射して輝く。
戦う前には、興味が無いときっぱり言われてしまったが、先に終わらせてくれることに、理由があると信じたい。
すぐに斧は振り下ろされ、体が再び宙に浮いた。
浮いたとは言っても、突き飛ばされた程度である。
どうにか意識を保つと、霞む視界の中に、真っ赤な液体が映った。
「確かに俺は、どんな化け物からも逃げねえ。だがな、ガキの頃に百回逃げた先の、今だ」
美しく風に靡いた、赤い長髪。
憧れの姿が、そこに在る。
「剛剣、なのか…!?」
「お姉ちゃん!」
悲痛な叫びによって、俺の発言は掻き消される。
少女と剛剣。
二人を交互に見ると、赤い髪、そしてオレンジ色の瞳が、良く似ていた。
「久しぶりだな、エリーゼ。お姉ちゃんが来たからには、もう安心だ」
「でも、お姉ちゃん…その腕じゃ…!」
再会の喜びに浸れていない少女、エリーゼ。
彼女の強い不安が、尻餅を突いた俺にも感染する。
おっかなびっくり、目の前に零れる血液の行方を辿っていくと、出どころは剛剣の左腕。
いや、正確には、左腕があるはずの場所だ。
「死を覚悟した戦士を庇うとは…理解できん」
「五月蠅えよ。妹の恩人だ」
頭を抱えたヘルキスの斧も、べったりと赤い。
俺の無謀の顛末を、物語っていた。
負傷した本人が騒がないせいで、夢なら覚めてくれと、現実逃避してしまう。
激しい動悸に襲われながら、視線を彷徨わせる。
そして、とうとう見つけてしまった。
地面に落ちて動かない、彼女の腕を。
「ああ…あああああ!」
憧れの戦士の片腕を奪った罪を理解した拍子に、腹の奥から逆流してきた嘆きが、一斉に体外へと溢れ出た。
自分の命以外の代償など、ろくに覚悟していなかった俺は、絶望。
狂ったように両手で側頭部を掻き毟り、その痛みで、これが現実なのだと知って、また絶望する。
そうやって、苦しみの渦の中で藻搔いていた俺の胸ぐらを、誰かが掴んだ。
剛剣の、力強い腕だった。
殴り殺してくれるのかとぬか喜びしたが、違う。
彼女には、俺を殴るための腕が余っていない。
「コレ、貰うぞ」
そうとだけ言った剛剣は、俺の上着を強引に破いて、包帯代わりに。
左腕の根元を、歯と片腕を使って、器用に縛る。
応急処置は、すぐに完了。
彼女はギラついた顔で振り返ると、背負った大剣を、躊躇なく引き抜いた。
「お前の図体と比べりゃあ、俺も女らしくて嬉しいぜ。まあ、すぐにそのたっぱ、半分になっちまうがな」
「片腕を失くして、よくその調子で居られるものだな、女。真っ二つになるのは、貴様の方だ」
瞬間、爆発したように剛剣の体が躍動し、それに連動して叩き付けられた大剣は、斧と衝突して火花を上げる。
筋肉のバネと、奇襲によるアドバンテージを存分に活かすことで、圧倒的に映っていたヘルキスと、互角に渡り合っていた。
「姑息な…!」
「甘えたこと言ってんじゃ…ねえぞ!」
勇ましい声を皮切りに、激しい連撃がヘルキスを襲う。
最初はただ、気の向くままに大剣を振っているのかと思っていたが、そうではない。
人体の構造上守らざるを得ない静脈と靭帯を、的確に狙っていた。
対処に追われたヘルキスは、えいと斧を強振。
距離を離しに掛かったが、猫の様な身のこなしで躱されてしまい、いつまで経っても密着状態が解決できない。
「オラオラオラ!片腕の女も殺せねえのか、筋肉ゴリラ!」
「クッ…手負い相手に手段を選べないとは、情けない。…思ったよりも、鈍っていたらしい!」
奥歯を噛んだヘルキスは、斧を短く持ち直す。
そうすることによって、速度を増した鉄の刃が、剛剣の体を掠めた。
布で縛られた左肩を狙った、なりふり構わぬ一撃だ。
後退を余儀なくされた彼女は、ふうと大きく息を吐き、そしてまた、笑みを浮かべる。
「やっと殺し合う気になったかよ、卑怯者」
「ここまでの戦士に出会ったのは、初めてだ。貴様を殺せば、この飢えも収まるだろうか」
距離を取った二人は、お互いに歯を光らせる。
積み重なった敗走と勝利が、自らの力が果てしなく通用するという自負に繋がり、それを根拠に、勝利を疑わない。
だから、剛剣は逃げない。
彼女が見せてくれている心の力は、俺の蛮勇とは、根本的に異なるもの。
奇跡的な勝利を祈って戦う俺の剣で、奇跡は起きない。
死闘に散りばめられた技術に気がつく度、彼女たちが如何に遠い存在なのか、思い知らされる。
辛かろうが、関係ない。
この常軌を逸した戦いを、目に焼き付けておかなければ。
弱い俺を、脱却するために。




