第24話 光の矢
「天使だと?騙るな、殺戮者の同胞が…!」
アイディーとヘルキスを憎悪の対象として括った国王。
彼を守るため、数人の衛兵がせっせと駆け付け、壁となる。
一対、八、九、十。
人数だけならば、確かな差だ。
しかし、単身で敵地の中心に飛び込んできたアイディーには、舌をだらりと垂らし、下卑た笑みを溢す余裕があった。
「悪魔の仲間だ!さっさと捕まえて、コイツの首も飛ばしちまえ!」
「魔法の力を証明しろ!」
アイディーの舐め切った態度に、怒れる民草は更にヒートアップ。
その声に後押しされた衛兵は、杖を構えた。
彼らの手によって、戦いの幕が切って落とされようという、その時。
ズドンという爆音、そして、衝撃。
上空から降ってきた炎の球が、一列に隊を組んだ衛兵たちへ、襲いかかったのである。
ぶわっと砂煙が広がって、強風がそれを掃除する。
露わになったのは、薙ぐような爆風に吹き飛ばされた者や、体の大半を炎で溶かされた者。
無力化された魔法使いたちの、悲しい姿だった。
「そんな、嘘だろ?」
「陛下直属の魔法使いが…」
観衆たちは、先の五月蝿さが嘘のよう。
国家を背負う優秀な魔法使いたちがあっさりと葬られ、顔が青ざめてしまっている。
彼らに対する信頼の反動だ。
「クックック、天使だの悪魔だのはどうだっていいさ。…何方にせよ、貴方達豚よりは上位の存在ですから」
さも愉快そうなアイディーの上空から、影が。
逆光に目を凝らすと、赤い鱗の翼竜が、広い翼を雄々しくはためかせていた。
竜は着陸するや否や、甘える小動物の様に、頭部をアイディーの手に近付けて。
思惑通り優しく撫でて貰うと、グルグル、グルグル、喉を鳴らす。
鱗は固いし、尖っているし、触り心地は最悪だろう。
でも、飼い主の表情は、そんな風ではなかった。
「偉い偉い。でも、君ならもっと、豚共を殺せるよね?」
「ギャアアア!」
アイディーの細い指から期待を授かった竜は、目付きを変える。
観衆を睨み付けると、顎をパカっと開いて吠えた。
固まってしまっていた観衆は、パニック。
広場の外側に向かって、人の流れが出来上がる。
「あの小娘が、従えているとでも言うのか!?翼竜じゃぞ!」
「信じられないけど。きっとあの女も、愛されし者の転移者よ!」
常人が竜を手懐けられる訳がない。
産んだのが彼女だというならば話は別だが、残念ながら、人間が魔獣を孕む事など不可能。
あの女の特異魔法によって為せる芸当だと考えるのが、無難だ。
暫し驚愕していたヤヌンも、私も、人の波に逆らっている間に、腹が決まった。
彼が、年輪が細かく詰まった太い杖を構えれば、十個は若返って見える。
「小娘、避難が済むまで古代魔法は使うな!」
「分かってる!早く…どっか行きなさいよ」
苛々しながら、状況を確認する。
立ち向かう勇気のある者、あるいは自らの力を過信した者が、この場に残って翼竜と戦っていた。
爪に呆気なく切り裂かれてしまった魔法使いが、十数名。
もうすぐ、二十を超える。
しかし、誰一人として真面な奴が居ない、なんて事はない。
冷静な奴らは火力の差を理解し、人を逃がすための時間稼ぎに徹していた。
「魔法使いの誇りは、竜の炎にも屈しませんわ!」
その内の一人が、アリッサだった。
気合いの入った声と共に彼女が杖を振ると、国王に噛み付こうとしていた翼竜の側面に、氷柱が直撃。
固い鱗に阻まれてしまい、ダメージは肉まで届いていなかったが、気を引く事に成功しただけ、十分な成果だと言えよう。
「キロ!翼竜さんに魔法が効かないです!」
「ミロ!飼い主さんに眠ってもらうしか、ありません!」
その様子を見て標的を切り替えた、ミロとキロ。
彼女たちは初歩的な炎の魔法で、アイディーを直接狙った。
飼い主が躱し切れないと判断した竜は、広げた翼を盾に。
身代わりになった茅色の翼膜が微かに焦げ、煙を吐いた。
目の前でペットを傷付けられ、飼い主はご立腹。
唾が飛ぶくらいに、舌打ちする。
「チッ、動けるガキが居やがるな。…あの女、一体何処で油を売っているのです!」
「動けるのは、小童だけではないぞ」
翼のカーテンを挟んで、ヤヌンが若々しさをアピール。
今しがたまで横にいたはずの彼は、私を置き去りにして、アイディーのすぐ側まで迫っていた。
身体能力を、ちょっぴり上昇させる魔法。
転移者であるヤヌンに与えられた力は、たったそれだけ。
けれど、長い髭を靡かせながら風を切る姿は、ちょっとの外出で腰を痛めていた老人と、同一人物とは思えない。
「のこのこ殺されに来やがったか、ジジイ!」
反応に遅れたアイディーは、腰に下げていた黒い鞭へと手を伸ばす。
しかし、そのグリップが握られる前に、ヤヌンが強振した太い木の杖が、彼女のこめかみを捉えた。
魔法が来ると踏んでいたアイディーは、面食らってしまい、動きが鈍い。
転がりながら受け身を取ったところを、ヤヌンの杖に追撃され、その次も、そのまた次の一撃も、回避できなかった。
老人がぶん回した杖が、バキッ、バキッと、若者を苛め抜いていく。
体の傷はステナと同様、自動的に回復しているものの、ダメージが蓄積される速度が上。
肌の青痣が目立ってきた。
「そのしわしわな顔で、やる事は殴り合いかよ!」
「最近の若者は、鍛え方が足らんのう…ムッ!」
対処に困っていたアイディーに、大振りの一撃を叩き込まんとしていたヤヌンだったが、翼竜の爪が背後から迫っている事を察知し、すんでのところで身を捻る。
爪の先端はボロボロの衣服を掠りはしたが、肌には届かなかった。
決定打には至らないとはいえ、ペースを握っているのは、息一つ上げずにいるヤヌンの方。
となると、穏やかでないのは国王だ。
あれだけ毛嫌いしていた転移者に救われ、我慢ならないご様子である。
「また私は、貴様に助けられるのか。汚れた血を巡らせる、余所者の貴様に…!」
「ロートルは邪魔じゃ!文句を言わずに下がっておれ、小僧!」
遠慮のないヤヌンの指図を渋々受け入れた国王は、アリッサに連れられて、距離を取った。
すると、全体的に間合いが開いた隙を見逃さなかった翼竜は、顎を開き、その中にゆっくりと火の玉を膨張させていく。
私は、視野を左右に振って、確認。
逃げ遅れ、取り残された命は、もうない。
そうと分かれば、無防備に両膝を突き、祈るように杖を頼る。
「星よ、大地よ、木々よ、虫よ、命よ」
私が独り言のように唱えると、透明になって身を隠していた魔素がぽつぽつと現れて、集まってくる。
嫌じゃない。
羽音も何もないが、じんわり生命力を感じられる。
次第に深い所まで意識が落ちていき、そうなれば、空気の流れの変化すらも、手に取るように分かった。
自然を構築する一つ一つの命の脈動が、自らの心音と共鳴し、大地と共に在る心強さを得られれば、全能感。
魔法は、頂き物である。
耳にタコができるくらい、そう聞かされていたため、感謝の気持ちだって忘れていない。
「リリィ・ベイリー、詠唱なんてしてる場合じゃないわ!さっさと撃ちなさい!」
「いいからお主も離れろ!巻き添えになれば、ただじゃ済まんぞ!」
アリッサとヤヌンのやり取りが、実際よりも遠くの方で聞こえる。
大丈夫だ。
私は集中できている。
心の揺れがピタリと収まった瞬間、私の背には数千の魔素を材料とした、巨大な光の弓が形作られていく。
矢を包んだ雷が弾ける猛々しい音によって、意識の闇から目を覚ました私は、開いた瞳に標的を捉え、詠唱を締めた。
「聖なる光で雲翳を貫け、紫電一閃」
炎の玉が撃ち出される音と、雷の矢が放たれる音。
迫力だけならば、良い勝負だ。
しかし、丁寧に標準を定めて放たれた矢は、竜の炎をいとも容易く突き抜け、直線上に居た翼竜の胸部までをも、貫通。
追って、生じてしまった空気の割れ目を埋めるように、広場に強風が吹いた。
「ギャアアア」
胸に穴を空けた竜は首を持ち上げて悲鳴を上げると、その場に伏せ、微動だにしない。
お披露目となった古代魔法は、現代の魔法を何度も受け止めた鱗の鎧を一撃で突き破り、その心臓を射抜いて見せた。
現代の魔法では直面することのない破壊力に、ヤヌンと私以外の全員が、息を呑む。
奴だって、例外ではない。
「俺が育てた翼竜を、一撃だと…!?」
倒れた翼竜の肌に触れ、顔を強張らせるアイディー。
愛されし者の転移者に通用するかどうか、その一点が最も重要だった私にとって、彼女の驚愕は何よりのカタルシス。
ユータに捨てられた絶望の中でも前を向き、この魔法の可能性に賭けたのは、間違いではなかった。
手応えに、震える拳を握り締める。
「もう、足手纏いにはならない」
そう言って、意気込んだ途端、ぐらり。
魔力を一度に大きく失ったせいで、眩暈に見舞われてしまった。
しっかりしろ。
まだ、竜を操る本人が生きている。
上半身を起こすと、体には脱力感が残ったが、数回呼吸を整えさえすれば、平気。
漲る自信は力になり、重い体も不自由なく動かした。
「援護して!次は、飼い主を狙う!」
「それは困るわね。今はまだ、子猫ちゃんを殺される訳にはいかないの」
気炎を吐いて杖を構えた私の耳を、気味の悪い声が舐める。
次に、何かが肉を突き破る、生々しい音。
見ると、私に向けて振るわれた大鎌の刃を背中で受け止め、粘度の低い血液を吐き出すヤヌンの姿があった。
「あら…足腰が健康なのね、おじいちゃん」
知らぬ間に其処に居た紫髪の女は、ただ、ヤヌンの足の速さに驚いていた。
その口に手を添えて、上品に。
今の今までアイディーを圧倒していたヤヌンが、力無く鎌の刃に吊り下がる姿に、思考が追いついてくれない。
が、残された時間の少ない彼は、私が我に返るのを待ってはいられなかった。
だから簡潔に、望みは託された。
「後は任せる」
凍り付いた私とは対照的な、穏やかな表情で。
遺言を残したヤヌンの首が、弾け飛ぶ。
生首が落ちて地面を転がった数秒後、静寂を打ち破ったのは、狂ったような国王の叫びだった。
「悪魔め…悪魔めが!殺してやる!私が、この手で!」
「いけませんわ陛下!あの女に…あの化け物に、近づいてはなりません!」
力の差を肌で理解したアリッサは、冷や汗の滴る手で、国王を制止する。
見える範囲を丸ごと我が物にしてしまいそうな、強烈な存在感がそうさせた。
ここまでの恐怖を煽る存在が、他に居るものか。
忘れもしない。
あの日の無力を忘れた瞬間など、無い。
「ステナ…貴様ァ!」
ようやく喉が動いてくれた。
私は、直球の怒りを示す。
しかし、ステナはマイペース。
若人一人、相手にしない。
古代魔法を見せ付けたにも拘らず、未だ脅威として認識されないのは、不服だ。
不服だが、同時に安心している自分も居るのが、もっと腹立たしい。
「丁度良かったわ。コレをどう外そうか、困っていたのよね」
ヤヌンの亡骸を引きずって、処刑台まで歩み寄ったステナは、美しい右手を死体の傷口に突っ込んだ。
プレゼントを貰った子供のように中を弄ると、何かを掴んで、引っこ抜く。
手中に収まっていたのは、心臓だった。
人の尊厳を踏み躙っている自覚はない。
ぬらぬらと糸を引く心臓の周りを、彼女の指が細かく動き、感触を愉しんでいるのがその証拠である。
「食事の時間よ」
「…ウグッ!」
薄寒い笑みを湛えたステナは、まだ脈打っている心臓を、ヘルキスの口の中へと強引に押し込む。
それが丸呑みされたのを確認した彼女は、あろうことか。
藻掻き苦しむ大男に対し、鎌を幾度か振るい、息の根を止めてしまった。
身内であるはずの彼を、どうして。
バラバラに切断された様は、まるで大理石の彫刻。
四肢は拘束具と一緒に切り落とされて、胴体だけが解放されていた。
「…酷いです!」
「でも、仲間割れし始めましたよ!チャンスです!」
「いいえ…すぐに元通りよ」
ミロとキロの希望的観測を、私が否定する。
ステナも、アイディーも所持していた、回復能力。
それと同じ事象が、ヤヌンの心臓をエネルギーにして、ヘルキスの体にも起きようとしているのだ。
処刑台の上で胴だけになったヘルキスの体を、ステナが長い足で蹴り落とすと、切断された箇所が独りでに蠢き出す。
人間を辞めて得た力で、人の形に戻ろうとしている。
何という皮肉か。
「ヤヌンの命が、悪魔に利用されてしまった…」
それが転移者の心臓の力だと分かった国王は、絶望に俯く。
悲しむのは結構だが、ステナが戦闘に加わった以上、いよいよ彼を此処に居させる訳にはいかなくなった。
どれだけ優秀な魔法使いが揃っていたとしても、彼女の攻撃から他人を庇い切るのは、到底不可能だ。
ルーライトという国家を存続させる上で、彼は絶対に失ってはならない存在。
逃がすタイミングは、ここしか無かった。
「アリッサ、ミロ、キロ。ヘルキスが元に戻る前に、王様を連れて、できるだけ遠くに逃げて」
「何を言っていますの!私も残って戦いますわ!敵に背を向けて、ロメーヌ家の名誉を汚すなど…!」
「どれだけ汚してでも、最後まで背負い続けなさいよ!アンタの覚悟、その程度だったの!?」
提案に憤慨したアリッサは食い下がったが、私も負けじと突っぱねる。
国王を任せられる魔法使いは、もう彼女たちしか残っていない。
此処は折れてもらう他ないのだ。
一人娘の彼女が死ねば、正統な血はどうなる。
私には、その重大さが分からないが、彼女にとっては、何よりも失いたくないもののはず。
ヤヌンをも唸らせた才能の蕾を、こんな奴らに枯らされるのだって、不愉快。
ほら、どこからどう見たって、これが最善だ。
「…一緒に行きましょう、アリッサさん」
「ルーライトは、陛下を失ったら終わりです。逃げましょう…遠くへ」
まだ幼い子供であるミロとキロからも説得されてしまえば、勝ち目などなし。
悔しさと戦っていたアリッサだったが、瞳に冷静さを取り戻し、拳が解かれる。
その指で、私の胸ぐらを掴んだ。
「…貴女への謝罪、まだでしたわね。機会を作りなさい。…必ず!」
いつもの口調で、言いたい事を言い終えると、私から手を放したアリッサは、ミロとキロと一緒に国王を連れて、離れていく。
古代魔法が実在した時点で、校内での扱いなんてどうでもよかったのだが。
真面目な奴である。
私はステナがどう出るかを警戒していたが、結局、逃げるアリッサたちには見向きもしなかった。
猫の如く、気まぐれ。
その動向を予想するのは、至難の業だ。
これ以上介入して来ないならありがたいが、きっとそういう訳にもいかない。
落ち着いて一度周囲を確認すると、アイディーの姿がない。
他と比べれば力の落ちる彼女を、先に狙おうと考えていたのだが、ステナに注目が集まったのに便乗されてしまったようだ。
ならば、次は回復中のヘルキス。
そう考えた途端、心を読み取られたかのようにステナと視線が合致する。
びっくりして、杖を盾代わりに構えた時にはもう、事が済んでいた。
「懐かしい味だ。二年振りか…心臓を、喰ったのも」
遂に、ヘルキスが修復を終えた。
ゆらりと立ち上がり、丸太のような首がぼきぼきと鳴れば、準備万端。
如何せん、あの異常に発達した筋肉に見下ろされると、自らの存在が矮小に思えてしまう。
「視認した魔法使いを殺しながら、可能な限り、派手に暴れなさい。あなたに、唯一可能な仕事よ」
「ああ…分かっている」
何の文句も言わずにステナの命令を飲んだヘルキスは、広場の外へと歩き出したが、不動の表情の奥には、感情の歪みが見え隠れ。
牢での会話の際に抱いた、素直な瞳への印象が、尾を引いていた。
「それが本当に、あなたの望む事なの?」
私がヘルキスに問いかけると、彼は長い髪の揺れを止める。
本来、説得に対する応答など、確固たる信念を持つテロリストには不必要。
しかし彼は、一度だけ、言葉を交わした。
「…分からない。ただ、耐えられんのだ。この身体に走り続ける、究極の飢えには」
「待って、あなたはきっと…!」
「黙れ、魔法使い!」
私はヘルキスを呼び止めようとしたが、それまでは我関せずだったステナが、突然切りかかってきた。
昂った彼女の様子に戸惑いながらも、何とか杖で斬撃を往なして、次に備える。
大振りの鎌が、何度も、何度も。
非難を乗せた攻撃は、ストレス発散を兼ねていた。
「イライラするわ。あなたも、ユータだってそう。…何もかも分かったような目で、私たちを見るな!」
その速度は、訓練で受けたヤヌンの杖と、ほぼ同じ。
目で追い切るところまではいかないが、電撃で抵抗しながら、直撃だけは許さずに立ち回る。
古代魔法を撃つ隙の無い状況では、私からの決め手はなかったが、脱兎のごとく広場を駆けずり回って、諦めない。
希望もなしに、逃げ続けていたのではない。
ステナの口から彼の名前が出てからというもの、滾って滾って、仕方なかった。
ユータはまだ、近くにいる。
この戦場を生き残れば、きっとまた会える。
私の心持が乗り移ったのか、杖も頑丈。
酷く傷だらけになっても、折れずに耐えていた。




