第23話 ラブラブデート
一日の流れは、単調だ。
安い宿で起き、依頼を受け、魔獣を狩り、飯を食って眠る。
此処、境界街では、食事も寝床も質が悪いが、旅の資金が溜まるまでは、仕方がない。
この生活をもう一ヶ月も繰り返しているのだから、埃っぽい部屋には慣れたものだ。
今日も今日とて、金を稼ぐ。
宿を出た俺は、筋をぐっと伸ばし、深呼吸。
ルーティンを消化した俺とは異なり、街に流れる空気は、普段とかけ離れていた。
「…やけに人が少ないな」
獣伐区随一の人口を誇る境界街。
朝日が覗けば早急に、人が、金が忙しなく動き出す。
しかしこの日に限っては、壁から離れた長閑な村にも劣るくらい、人口密度がスカスカだったのだ。
俺は、首を傾げながら扉を開く。
頭上の看板には、ギルド、とだけ。
求人情報を傭兵に提供するための、広い建物だ。
中に入ると、いつもはカウンターで笑顔を振り撒いている受付嬢が、掲示板の前で掃除をしていた。
傭兵の騒々しさが欠けているせいで、モップで床を擦る音が、静かに響いている。
「我楽多、おはよう!」
俺に気付いた金髪の受付嬢は、掃除の手を止めて、元気な挨拶をくれた。
休みを設けず、毎日のように通っていれば、すっかり顔見知りである。
我楽多という通り名が定着してしまったのは、ジャックたちと共に翼竜を討伐した際の、打ち上げが発端。
酔っ払った俺が、ガルダさんの養子だと口走ったせいだ。
竜の炎から人命を守るためとはいえ、特異魔法を人前で使った、あの日から。
不本意ながら、俺が転移者である事は周知されたが、境界街の人たちは、変わらずに接してくれた。
獣伐区において、転移者への差別感情が薄まっているというジェシカの話は、事実だったらしい。
我楽多という名も、蔑視から来ている訳ではなく、親しみを込めて呼ばれている。
俺の勘違いでなければ、ではあるが。
「なあ、なんかあるのか?今日」
「なんかってそりゃ、公開処刑でしょ。もしかして、知らないの?」
「ああ、そういや、そんな事も言ってたっけか。でも、処刑は壁の中で、だろ?見に行ける訳でもあるまいし」
「それはそうだけど、壁の近くで抗議活動をしたり、家の中や教会で祈ったり…色んな形で英雄に敬意を捧げているのよ。悲しい日になるわ」
「成る程、殊勝なこって」
訴えかけるような説明のされ方をした俺は、逸らした目を壁の方へ。
受付嬢は、美談にしようとしているけれども、毛嫌いしている相手の命を奪えば英雄とは、何とも短絡的な話ではないか。
皆、口先では戦争を否定するのに、実際のところは都合の良い殺しだけ容認しているのだから、呆れてしまう。
「そういう事だから、職員も傭兵も皆居ないし、悪いけど仕事はあげられないわ」
「…また来るよ」
ありがちな偽善に腹を立て、一国民の考え方に文句を付けたところで、何の意味もない。
気を取り直した俺は、背中を向けたまま受付嬢に手を振って、ギルドを後にした。
さて、思わぬ形の休日だ。
済ませておきたい用事でもないかと、頭の中のメモ帳をパラパラと捲ったが、何も思い当たらない。
目的を失って天を仰いだ俺は、ぼそり。
「…飲みにでも、行くか」
行きつけの酒場へ、足を運ぶ。
この歳にして、休日にやることが酒飲みなのは、自分でもどうかと思うが、この大陸は酒の規制が薄く、若い客が泥酔している姿だって、珍しくはない。
そんな都合の良い文化にばかり順応してしまうのは、人間の構造上の欠陥であり、俺個人には何の責任もないと、主張したい。
午前中にも拘わらず、酒場の前には営業中の札。
幸運に感謝しつつ、扉をギイッと押し開けた俺は、見渡す。
二階が吹き抜けになっており、開放感が嬉しいこの酒場。
今日に限っては殆ど客がいなかったが、一番奥のテーブルだけ、賑やかだ。
「げ。噂をしたせいで、本当に来ちまったじゃねえか」
便器の中にゲジゲジを見つけた時のような声。
失礼の犯人は、背もたれに寄りかかったまま、首だけこっちに向けた、ジャックだった。
当然、エイラとダンも一緒。
俺に気づくと、各々、言いたい事を言う。
「あれ、ユータだ!一緒に飲もうよ!というか…飲めー!」
「良かった、助けてくださいユータさん!エイラさんに、強い酒を無限に飲まされて…死ぬ…」
俺のマントに縋り付いて助けを求めるダンは、真っ赤になって苦しんでおり、一方、エイラはというと、至福の表情。
ダンだって、下戸という訳ではないのだが、酒癖の悪いエイラが飲ませ過ぎたのだろう。
一人で、ちょっと良い酒でもと思っていたのだが、残念無念。
コイツらと、特にエイラと飲む場合、味が分からなくなるまでアルコールを浴びる事になる。
「ああ、もっと慎重に店を選ぶんだった…。お前ら、抗議活動だのお祈りだのは、いいのかよ」
「そう言わないれよ。丁度、この人が探してたのよ、ユータの事。アンタのファンなんだって!モテモテだねえ!」
まだ素面なのに重たい頭を抱える俺の肩に、呂律の怪しいエイラが組みかかってきた。
指差されていたのは、麦わら帽子で表情を隠し、足を揃えて座る女性。
純白のワンピースに紫色の長髪が垂れる姿は美しいが、輪郭がハッキリ見えるくらい、酒場の風景から浮いてしまっている。
休日に、知らない奴と酒なんて嫌だ。
俺は逃げ出そうと心を決めたが、下がろうにも、踵がエイラの足裏でブロックされており、腕は脇でがっちりと固定されている。
一昔前のセールスマンか。
「美女に恥かかせると、後が怖いよ。一杯だけでも良いから、ほら!店員さん、お酒十杯追加でー!」
「はぁ…ども」
エイラの出鱈目な注文に健康な肝臓を諦めた俺は、軽く会釈をしながら、ワンピースの女性の対面に腰を下ろす。
すると、彼女は大人っぽい微笑みを零した。
五寸釘の様な細長い指を、リップに艶めく口元に添えて。
「他人行儀な挨拶は止めて欲しいわ。私のこと、何度も殺してくれたじゃない?」
胸焼けがしそうな甘ったるい声に、鳥肌が立つ。
血液の流れがドクドクと速まる中、掘り起こされた記憶は、悲惨、恐怖、そして無力。
ごった返した負の感情が雪崩を起こしそうになった俺は、まどろっこしい言い回しを選ばずに、問い掛けた。
「此処に何しに来やがった…ステナ!」
「会いたかったわ、ユータ。約束の、デートをしましょう?」
麦わら帽子の広いツバに生まれた深い闇から、誘われる。
貧民街ダラクにて、ケニーたちの命を奪った極悪人ステナが、そこに居た。
訳の分からないことを、のたまっていた。
やはり、会話が真面に成立するような相手ではない。
挨拶程度のやり取りだったが、そう割り切るには十分。
俺は、全力でテーブルを蹴り上げて、飲みかけの酒と料理をぶちまける。
「おい!急に何を…」
「そうよ。汚れちゃうでしょ?ワンピース」
まだ酒に口を付けていない俺の奇行に、最初は腹を立てたジャック。
しかし、不満気なステナに遮られて以降、文句はなかった。
何故なら、皆の意識から外れた零・五秒の間に俺の背後を取ったステナが、その長い爪で頚動脈をなぞっているのを、目撃したからだ。
いとも簡単に接触を許してしまうとは、相変わらずの実力差。
だが、俺は彼女がこういう性格であると、知っていた。
だからこそ、高々と舞い上がり放物線を描いたワインが、真後ろに落ちるよう、コントロールしたのである。
時間差で降ってきた赤い液体で、真っ白なワンピースが台無しに。
同時に、ハイヒールのつま先から俺の足元までを、アルコール製の導火線が繋いだ。
「クリーニング代すら惜しいくらい、貧乏なもんでね…証拠、隠滅!」
青い炎が、床に零れたワインを伝って、ステナを追いかける。
彼女は咄嗟に反応し、後方への回避を試みたが、酒を啜る度に加速する炎を凌駕する事は、叶わなかった。
「がああ!燃える…燃えちゃう…!」
ステナの叫びが、店内に響く。
彼女は火達磨になっているというのに、ワンピースの燃えかすを掴もうと躍起になっていたが、布も皮膚も、真っ黒に崩れ去ってしまった。
あいつはどうせ、ピチピチの姿に若返る。
しかし、店は壊れていく一方で、弁償してもし切れない。
ギルドで働いてコツコツ溜めた旅の資金、失って堪るものか。
「よし、支払いは頼んだ」
「「「………は?」」」
呆然とするジャックたちを置き去りに、一目散。
俺は酒場から逃げだした。
料理にはまだ手を付けていないため、きっと食い逃げではない。
青い炎が床を燃やさず消えた事を考えれば、割れた食器と床に落とした料理の代金くらい。
ジャックの財布で、事足りるだろう。
そろばんを叩きながら走っていると、後ろでドカン。
酒場の扉が、バズーカのように吹っ飛んでいく。
「あのかわいい服、今日のデートのために買ったのよ?一度も褒めずに燃やすなんて酷いわ」
何処に隠していたのか、お馴染みの鎌を引き摺って。
ぶわっと広がった砂煙の中から現れた、ステナ。
まだ焦げ残っていた皮膚も、時計を巻き戻すように回復していき、最終的な被害は、彼女が着ていたワンピースのみ。
異常に肌面積の広い服を着て、いつも通りの出で立ちになっていた。
本人は苦情を言って不満気だが、そっちの方がいいじゃないか。
一目でイカれていると分かる。
コイツのような、人食いの化け物とデートだなんて、ありえない話だ。
「気味の悪い事、言ってんじゃねえ!」
拒絶を炎で表現する。
大丈夫、威力もスピードも申し分ない。
そう思ったが、相手が悪かった。
ホップアップした炎は、ステナを通過。
首を曲げるだけの、最小限の動きで躱されてしまったのだ。
「でも良いの。あなたの炎、とっても情熱的だったから…あの時よりも、もっと!」
自らの肌に触れたステナは、焼かれる痛みを想起し、恍惚としている。
気持ち悪い。
化け物の異常性癖なんて、知りたくなかった。
あの様子だと、軽いダメージでは無意味。
作戦を立てるためにも、今はとにかく逃げねば。
震える両足を平手で叩いて気合を入れた俺は、視界の隅に映った、細い路地へと駆け込んだ。
「逃がさないわよ、ユータ!」
「クソッ…マジで何しに来たんだよコイツ!」
背中を追いかけては来るものの、何故かステナの目には、あの血が凍るような殺意がない。
怖いのは怖いが、遊んでいる風にも見える。
いや、捕まったら心臓を食べられてしまうのだから、やっぱり怖い。
道の狭さと障害物の多さに助けられ、暫くは一定の距離を保っていた。
しかし、二回目に曲がった先は、無情にも高い壁。
土地勘が無い中で路地に入ったのは、悪手だった。
足を止めて舌打ちをした背後から、勝利を確信したハイヒールが、コツコツ、コツコツ。
俺はゆっくりと、青ざめた顔で振り返る。
「なあ、俺なんか食っても、美味しくないぞ…?」
「謙遜しないで。嗚呼、すぐにでも食べてしまいたいわ」
顔を赤く染めたステナは、その熱を抑え込むように手のひらを頰に。
禁断の果実を手にしたイブも、こんな蕩けた顔をしていたのだろうか。
此処で捕まれば、健気に脈打っているこの心臓が、コイツの腹を満たすための餌となってしまう。
細胞を千切って捥ぎ取られた心臓が、他の命の中へ埋もれていく感覚を想像しただけで、全身の毛穴からどろりと汗が噴き出した。
「畜生、くたばってたまるかァ!」
最後の抵抗は、全身全霊の炎による荒波。
この恐怖を一刻も早く洗い流したいというありのままの感情が反映された、不恰好な魔法だった。
俺の視界は一面の青に覆われたが、その中に、一筋の赤が。
その正体は、紅蓮の輝きを得た大鎌による一撃。
炎の海は、真っ二つに割れてしまった。
彼女をイブに見立てていたが、実際のところはモーセだったらしい。
そんな、どうでもいいことを考えながら、俺は意識を失った。
◇
俺を出迎えるは、澄み渡る青い空。
大海原を映した鏡の様な景色に、志半ばで死を迎えた悲しみが、洗われていく。
後頭部を支える柔らかさにも、底なしの安心感があった。
天国を埋め尽くす雲の感触が、これ程までとは。
「死んだんだな、俺」
「おはよう。急に倒れるから、心配しちゃったわ」
ステナの声が聞こえる。
もしかして、あの世まで追いかけてきたのだろうか。
そんな馬鹿な話があって溜まるか。
ぼんやりとしていた頭が冴え、視界が広がる。
石の建物がずらっと並ぶ壮観に、此処が屋上である事をようやく理解した。
次に、頭を支えている物体が何なのかを確認するため、視界をごろりと動かすと、逆光のステナとご対面。
雲だと思っていたそれは、シルクのようにキメ細かい太腿。
俺は、膝枕をされていたのだ。
「な、な、何してんだお前!」
「そんなに驚かなくたって良いじゃない。デートって、こういう事もするのでしょう?」
頬を緩ませたステナの言葉を、最初は質の悪い冗談だと決め付けたが、バイオレットの瞳は此方を優しく見据えている。
とうとう、どうするべきか分からなくなってしまった俺は、一旦、大きく息を吐く。
そうしてから、ステナへと向かい直した。
「…一から説明してくれ。お前が言ってるデートって、一体何の事だ」
「『次に会ったらデートしましょう』って伝えておいてと、我楽多の魔術師に頼んだはずよ?もしかして、聞いていないのかしら」
ステナは自らの唇に人差し指を立てて、きょとんとしている。
その仕草は、見た目よりも随分と幼い。
はて、そんな言伝は聞かされていないが、不思議でもない。
ダラクでの戦いの直後、デートをしたい、などと言われて、言葉通りに受け止める方がどうかしている。
子の敵としてステナを認識しているガルダさんなら、尚更だ。
「笑わせんな…ガルダさんから大切なものを奪ったお前と、何を話せって言うんだよ!少し考えれば、分かるだろうが!」
墓石の前で聞かされた、心の底からの嘆きを思い出した俺は、怒りを抑えきれなくなっていた。
想いを叩き付けるように唾を飛ばすと、ステナは首を傾る。
コテッと、子犬みたいに。
「ソレとコレと、何の関係があるのかしら?私では、あなたとデート出来ないの?」
開いた口が、塞がらなかった。
不安そうに表情を曇らせるステナは、敢えてしらばっくれているのではない。
ガルダさんの子供たちの死と、デートという行為が関連付く理由が、本当に理解できていないのである。
思えば、子供たちを殺した時も、そうだった。
ステナにとっての正解は、世の中にとっての正解ではない。
彼女は、世界に置いて行かれていた。
そう腹に落ちた途端、不安気なステナの姿が小さく、孤独に映る。
迷子になった子供の様、または、屋敷の中で独りぼっちだった、俺の様。
「お前…ずっと一人で、寂しくないのか?」
「寂しい?言っている意味が分からない。分からないけれど…」
言い淀んで視線を逸らしたステナの長い髪が、悪戯な風に揺れる。
やがてその動きが落ち着くと、彼女は、苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。
「分かられている感じが、癪に障るわ」
俺は、どうするべきか、困ってしまった。
目の前の敵が、哀れで哀れで、仕様がなくなっていた。
コイツは、心理的には温もりを欲しながら、その本能か何かで、殺しによる快楽を求めている。
知能の育ちは悪く、理性も乏しい。
その上、自己理解が進んでおらず、歯痒さで今にも癇癪を起してしまいそうだ。
こんな危うい存在に、誰が寄り添ってくれる。
怨嗟の灯が消えた訳ではないが、ステナがこのまま地獄に落ちてしまうのは、悲しい。
甘ったれた偽善者である俺が、そう思わずにはいられなかった。
「真似事なら、ちっとは付き合ってやる」
「え…真似事?」
「デートだよ、デート!経験がないから期待はするなよ。あと、高い物を買うのも無理だからな」
デートという単語への小恥ずかしさに、腕を組んで視線を逸らした俺が、ある程度の制限の中で望みを聞く。
すると、ステナは即答した。
「あなたの名前が知りたいわ」
「…優太だ。何度も呼んでただろ」
「そうじゃない。普通は持っているんでしょ?私が持っていない名前を。…あなたの全てを知りたいの」
切なそうに指を組んだステナは、自らの語彙の中で、どうにか意図を伝えようと頑張っている。
解析に、少々の無言。
俺は、ようやく思い当たる節に辿り着いた。
「龍宮寺だよ。龍宮寺、優太。ムカつく親父から継いだ名前だ」
俺にとっては価値が無いどころか、むしろ鬱陶しい家名。
だが、確かに俺は、それを持っている。
当然にあるはずのものを当然に所持している俺が、ステナの孤独を理解する事など、できないのかも知れない。
やりきれなさに苛まれた俺が、ステナの方を覗き見ると、彼女は目を見開いたまま、石の如く。
瞳には驚きだけではなく、微かに喜びも混在していた。
興奮の火が、点じていた。
ステナは俺の腕を取り、顔をじっと見つめ、遂にはすんすんと臭いまで嗅ぎ出した。
俺の戸惑いなど、お構いなしに。
「同じ、茶色い目…。匂いは違う、けど、きっと間違いない。やっぱりあなた、特別だったのね…!」
「何を突然…」
「私たちと一緒に来るべきだわ、ユータ。きっとあの方も、待ち望んでいる」
「一人で勝手に盛り上がんな!」
不気味さを嫌った俺は、ステナの肩を突き放した。
すると、彼女はその勢いに逆らわず、屋根の縁までいって、後ろに倒れていく。
落下死するような生命体ではない。
そう知ってはいても、反射的に手が伸びた。
「壁の中で、デートの続きをしましょう。待っているわ」
一方的に会話を締めたステナは、自由落下。
俺が屋根の下を覗いた時には既に、その姿はなかった。
彼女の発言はずっと支離滅裂だったが、何故か最後の一言に、胸騒ぎが止まらなくなる。
どうせ、碌なことにならない。
そんな嫌な予感の直後、何の前触れもなく発生した紫色の爆発が、ルーライトを二分する分厚い壁を襲った。
濃い煙が風に散ると、そこには、ぽっかりと大穴。
歴史のターニングポイントに立たされ、呆気に取られている内に、境界街を喧噪が包み込んでいく。
「…リリィ!」
広がる爆煙に不安を煽られ、思わず友の名を呟く。
英雄の公開処刑に湧き、静まる国で、何かが動き出していた。
◇
「凄い人じゃのう、小娘」
「全く、何が楽しいんだか。ああ…さっさと帰りたい」
ヤヌンと私、リリィ・ベイリーは、公開処刑が予定されている王城の前で、人波に揉まれていた。
案の定、広場はごった返しており、壁の中の人間が、全員集合しているのではないかと思ってしまうくらい。
歴史の転換点を焼き付けておけと言われ、半ば強引に連れられてきたが、不快で不快で仕方がないのは、その場に立ち込める、じめっとした期待感。
人の死に涎を垂らすような、腐った人間に囲まれているせいで、気が滅入る。
「陛下!」
どたばたと足音を立てた衛兵が、出番を待機するルーライト国王の足下へと駆け寄ってきた。
皆、何もない場所で躓きかけたのを見るに、かなり焦っているようだ。
元々厳しい眉を更に引き締めた国王は、重い腰を上げ、壇上へ上がる。
おかしい。
予定よりも、三十分は早い。
間違いなく、何らかのイレギュラーが発生している。
不穏な空気が民衆に伝播するような事はなかったが、私とヤヌンだけは、一緒になってピりついていた。
「死刑囚、ヘルキス・レオンハートの斬首刑を執行する」
国王の宣言で、ボルテージは最高潮に。
もっと厳かなものだと想像していた公開処刑の場は、祭りに近い様相を呈していた。
観衆の中心では、拷問用の魔石が付いた枷を四肢に嵌めたままのヘルキスが、断頭台にがっちりと固定されて。
その後ろ首を、横長の刃が見下ろしていた。
あれが落下して命を散らせば、紙吹雪でも舞い上がりそうな雰囲気だ。
「他人の死に様を酒の肴にしようだなんて、最低。私もその内の一人に数えられてると思うと、更に癪だわ」
「転移者という悪魔の存在を、私は、ルーライト王国は否定する。意思を統一すべき時が来たのだ!」
ああ、無力。
壇上に鎮座している、金管楽器の様な形をした巨大な拡声器によって、大音量に膨れ上がった国王の言葉が、私の呟きを掻き消していく。
肖像画で見るばかりで、初めて実際の国王を目の当たりにしたが、威厳に満ちた振る舞いも、夜の海に沈むような低い声も、肩書きにピッタリ。
装いだって、油絵に負けていない。
特に、右手の杖と頭上の王冠には、贅の限りが尽くされている。
「相変わらずコテコテした身形じゃな。老体にあの王冠。さぞ重かろう」
まるで遠い昔を憂いているかのように、遠くを見たヤヌンが、言う。
身分制度のてっぺんに位置するあの男と、接点でもあるのだろうか。
仮にそうだったとして、不思議ではない。
普段は自分勝手で間抜けなこの老人、転移者でありながら、魔法への造詣が誰より深い。
彼の協力が無ければ、古代魔法を学ぶ苦労は、三倍増しだった。
今となっては、大師匠というよりも、二人目の師匠である。
「魔法の敵を、殺せ!」
「テロリストの生首を晒せ!」
遂に、フード付きのローブを纏った処刑人が断頭台にやってくると、観衆の声が、また一段と荒々しくなる。
最後に罵れるだけ罵ってやろうと、喉を枯らしていた。
そんな地獄絵図は、広場に降りてきた国王が腕を上げた瞬間、一気に静寂へと切り替わる。
「最後に言いたい事はあるか」
「…もう、戦わなくて済むのか」
国王の許可の元、脱力したヘルキスが呟いたのは、安堵。
もうすぐギロチンの餌食となり、その様を大衆に晒されるというに、悔いや怒り、恐れを抱くどころか、幸せを嚙み締めているかのようだ。
こんな最期をすんなりと受け入れてしまうなんて、彼の人生は、どれだけ過酷なものだったのか。
ヘルキスの物語にスポットライトを当てて、心を痛める私とは違って、無関心な国王は、掲げた手を振り下ろし、執行の合図とする。
魂の解放、救済の時に、私は祈った。
しかし、呼吸が遅れるような緊張からいつまで経っても、永遠の休息は訪れない。
注目が集まる処刑人の手は、何故か、断頭台のロープを放置。
あろうことか、ヘルキスの頭を、ガシっと鷲掴みにした。
「甘えた事言ってんじゃねえよ、殺し以外脳の無い、戦闘兵器が!…賢者様が、貴方の力を必要としているのですから、まだその時ではありません」
「…その声、アイディーか!」
高原のような緑色をした、ヘルキスの瞳。
その中で眠っていた獣が、処刑人の激しい叱責によって、叩き起こされた。
黒いフードの中から現れた金髪の女性、アイディー。
正反対の言葉遣いに合わせて、表情まで別人のように変化させる彼女が、ただの公務員だとは、到底思えない。
真ん丸なトンネルを耳朶にこさえた、余りにも相応しくない姿と大胆な行いに、観衆も、ざわつき出した。
「貴様、何者だ!処刑人はどうした!」
「何者、そうだね…差別主義者共を地獄へ送りに来た、天使だよ」
国王の命を受けたアイディーは、自己紹介。
もう一方の質問への答えは、彼女のローブのポケットから取り出された、二つの眼球だった。




