第21話 継承
十名程の魔法使いが、校門の前へと集まっていた。
私を含めた全員が、社会見学に参加する予定の生徒である。
時代遅れな技術を研究している変人として、度々馬鹿にされていた私を、ベンチの前に徒党を組んだ数名が、ひそひそと笑う。
此処がどれだけ権威ある学校であろうと、コミュニティに属さない人間の扱いは、村の学校と似たようなものだ。
弱者を玩具にし、自らの優位性を噛み締めて安心しようとする、人の心の醜いこと醜いこと。
そんな雑魚も、集合時間までの暇潰しには、丁度良い。
顎をくいと持ち上げて、臨戦態勢を取った私が近付いていくと、不穏な空気を感じた集団は蜘蛛の子を散らした。
こうして突っかかっても、悪態一つ吐かずに逃げてしまうのだから、つまらない。
それでも、腰掛けていた一人の女だけは、喧嘩腰の私にビビらず、その場に残った。
品格のある、美しい居姿で。
「…なんか文句でもある?縦ロール」
「あら…私、貴女の事なんて気にした事すらありませんわ。自意識過剰ではなくて?」
ガンを飛ばした私に対し、女はやけに丁寧な口調で、余計な一言。
ロールヘアの金髪がトレードマークの彼女は、常に取り巻きを従えているため、校内でも目立っていた。
赤いローブに、ひらひらとした装飾がこれでもかと散りばめられており、高貴なご身分であるという自己紹介を、身形だけで済ませている。
こういうタイプの女は、膨れ上がったプライドが、スイッチ。
「へえ。そうやって逃げちゃうんだ?金持ちなだけで、度胸は大した事ないのね」
「…何ですって?」
私がへらへらと煽れば、女のこめかみに血管が。
お互い、低い声で唸りながら、数秒間睨み合う。
決着がつかずにいると、聞いてもいないのに、彼女は名乗った。
「私は気高きロメーヌ家の一人娘、アリッサ・デ・ロメーヌよ!この私に喧嘩を売るなんて、貴女は何処の生まれだと言うのかしら?」
「親は居ないし、家も…。あ、一応、師匠って事になってたんだっけ。となると…リリィ・ベイリーよ!」
自慢気に自らの胸に手を添えたアリッサに釣られて、歯向かう私の声にも張りがあったが、入国する際の設定を忘れかけていたため、中身はしどろもどろ。
ファミリーネームなど、心底どうでも良い。
そう思っていたが、しかし。
この場で私の名前に興味がないのは、どうやら、私だけ。
アリッサや、遠巻きに眺めていた生徒たちの顔が、サーっと青ざめていく。
「…ベイリー?ベイリーってもしかして、あの、ガルダ・ベイリーの娘!?いや、彼女はまだ、三十歳位だったはず」
「ただの養子よ。それでも大切なお義母さんで、私の師匠だけどね」
師匠の名が、学生にも知れ渡っているとは。
この感じだと、一部、悪名としてだろう。
中身がどうであれ、態度のデカい奴が恐れをなす様は、愉快、痛快。
世界一尊敬する魔法使いの影響力に、私も鼻が高かった。
まあ、師匠としては、不本意かも知れないが。
「フ、フン!時代遅れの魔法に囚われているなんて、それこそ、我楽多の魔術師ですわ!お義母様同様、周りに迷惑をかけないよう、気を付けることね!」
迎えの馬車が来た事に気付いたアリッサは、捨て台詞を吐いて行ってしまった。
師匠の名が出ても、ただ怯えるだけで終わらないあたり、彼女の気の強さは相当のもの。
逆に、私から離れたと分かるや否やアリッサに纏わり付く、名もなき魔法使いたちには、何の魅力も感じられない。
真っ赤な服のデザインが花弁のように見えるせいで、取り巻きたちが羽虫みたいだ。
あんな奴ら、いっそ突き放してしまった方が、気持ちが良いだろうに。
強い光に集ってくる、習性に忠実な蛾を払うのも、それはそれで大変だと、理解はするが。
ぼんやりとアリッサ軍団を眺めていると、コンと杖の音がした。
後ろで、ぜえぜえと息を吐くヤヌン。
杖のない方の手は、腰を抑えている。
「アンタもついてくるのね。意外」
学内で発行される身分証があれば、誰もが授業に参加できるとはいえ、まさか、ヤヌンが外にまで付き合うとは、考えてもみなかった。
この、枯れかけの樹木の様に老いぼれた体で、遠出か。
今日は、死人が出そうだ。
ほら、日光の下を此処まで歩いてきただけで、彼の足腰はぴくぴくと悲鳴を上げている。
馬車まで辿り着けるかだって、怪しい。
「…儂、図書館から出るのは、コレが最後かも知れん」
「次は、棺桶に入る時ね」
◇
「相変わらず、重っ苦しい建物じゃのう。ポップな感じにできんのか!ポップな感じに!」
十分程で下ろされた場所は、この国で一番罪の重い囚人たちが収容された、監獄だった。
隣で騒ぐヤヌンの無茶な要求に賛同するつもりはないが、窓の無い黒塗りの建物は、それこそ棺桶の様な見てくれだ。
警備員について、分厚い鉄の扉の中へ。
次の扉の前までいって、足を止めた。
黒一色の壁に四方から見守られながら、施設の構造や安全性の説明を受けた後、此処で働く看守の有難い話を、じっくりと聞く。
「ルーライトに仇をなす者には、徹底的に拷問!その行いを、後悔させなければならない!此処に収容される極悪人の、何もかもを否定することは、他の犯罪の抑止に繋がる!」
生徒全員が、一言一句聞き逃すまいと耳をかっぽじっている。
言うまでもなく、私を除いて。
国のために働くことは、ルーライトの民にとって余程誉な事なのだろう。
アリッサたちの尊敬の眼差しは、結局、最後の最後まで光り輝いていた。
下らない演説が終われば、いよいよ牢屋の見学。
鍵の掛かった二重の扉の奥は、左右に牢が並んだ、一本道だ。
鬱屈とした牢の中では、枷を嵌められた囚人たちが、傷だらけになって蹲っていた。
しかし、客人の姿を捉えた途端、餌を目の前に吊るされた獣の如く、鉄格子を掴んで叫び出す。
「此処から出してくれえ!」
「女、女がいるぞ!」
殆どの生徒は重罪を犯した囚人の汚れた目を怖がって可愛らしい悲鳴を上げていたが、アリッサだけは毅然とした態度で、つかつかと通路を歩いていく。
やはり彼女、他の生徒とは器が違う。
「あの娘、中々見どころがあるのう。きっと、この国を背負う魔法使いになる」
「でも、いじめっ子よ?」
「国と家、そして、己。全てに強い自信と、誇りがある。若いのだ、それが空回ることもあるじゃろうて。あと言っておくが、お主も十分、儂をいじめておるからな」
自らの行いを顧みた私は、お叱りに反論ができなかった。
図書館に帰ったら、老体の肩でも揉んでやるとしよう。
私がバツの悪さに目をそらしていると、ヤヌンが続ける。
冗談めいた先ほどまでとは、何か違った様子の、ヤヌンが。
「小娘、お主も平気なようじゃな」
「…そうね」
一般的には恐ろしいとされている場所に足を踏み入れても、私の身体に変化は無かった。
言われるまで何とも思っていなかったが、真横で檻が揺れ唾が飛んできても、囚人と目を合わせても、無問題。
別次元の恐怖を経験していたというのも要因だが、一番の理由は、別にある。
「だって、彼らの方が、酷く怯えているんだもの」
私は、根拠のない理由を述べた。
ヤヌンも食い下がらず、沈黙。
そんな訳がない、なんて言われても仕方がないと思っていたのだが、肯定も否定もされなかった。
けたたましい叫びを全身に浴びながら歩き続けると、牢に挟まれた道が尽きる。
代わりに正面、一際巨大な牢が、私たちを出迎えた。
空気が、一層冷えた。
そんな風に錯覚させられた原因は、ラスボスの登場。
年老いたヤヌンも例外なく、全員の表情から余裕が消えていた。
磔にされていたのは、女二人分の背丈を持つ、筋肉隆々の大男。
伸びきった薄緑色の長髪が胸まで垂れ、各関節の拘束具に取り付けられた赤い魔石が、輝いて、呼吸している。
「あれから、二年。この男を、忘れた者などいないだろう。転移者によって構成される、宗教団体の幹部。陛下直属の魔法使いを五人、更に大量の誇り高き兵を殺した、史上最悪の犯罪者…ヘルキス・レオンハート!」
大男、ヘルキスへの個人的な憎悪を、看守は隠そうともしない。
生徒たちも彼に同調し、暗く湿った牢の中を睨み付けていた。
此処に来るまでの、なんて事のない囚人たちに恐怖していたのに、大人の側で一人を囲めば、正気を保っている。
集団の力は、それくらい大きいということか。
「…さて、君。彼の刑罰は知っているかね」
「二年の拷問と、斬首ですわ」
「その通りだ。首が落ちるまでの期間、極限の拷問によってこの大罪人の心を砕き、英雄たちの恨みを、晴らさねばならない!」
当然だとでも言うように、左右にぶら下がる重そうなロールヘアを揺らしたアリッサと、憤りを撒き散らす看守。
その熱量に影響され、皆がヒートアップしていく中、私は、晒されたヘルキスの上半身を見ていた。
そこには、拷問の履歴が山の様。
数センチ間隔に皮膚が削れ、大小様々な傷跡が残されていた。
そんな痛々しい姿であっても、拘束具の間で脈打つ太い腕には、途轍もない生命力が顕在している。
「この国の未来を担う君たちには、特別に…奴への報復を許そう。あの魔石に、こうして魔力を流せば…」
「グオオオオ!」
看守が指をパチンと鳴らした瞬間、怪獣のような遠い叫びが、監獄全体に響き渡る。
反射的に背けた目を何とか開くと、ヘルキスを縛る拘束具から、白く目に映る程の電流が流れていた。
暫くして悲鳴が止めば、看守は平然とうら若き青少年たちに促す。
肉体ごと心を壊すための、拷問を。
「我が国への忠誠を見せろ。君からだ」
「はい」
電流に弾けた筋肉が、拘束具に締め上げられる。
看守に指差された男子生徒が、躊躇なく魔力を込めたのだ。
心が別の頑丈な素材で作られているのか、絶叫に耳を塞いだのは、私一人。
ルーライト王国において、ヘルキス・レオンハートは、絶対悪そのものとして扱われていた。
こんな仕打ちを毎日受けているだなんて、想像するだけで気が狂ってしまいそうだ。
地獄の苦しみをやっとのことで耐え切った末に気絶したように眠り、夢から覚めればまた地獄。
そんな生活に置かれれば、目を閉じることすらも怖くなり、今すぐにでも殺して欲しいと考えるようになる。
私なら、人間なら、自然とそうなる。
海岸に打ち上げられた魚の様に、体を痙攣させるヘルキス。
彼は、どうだろう。
彼だって、人間だ。
こんなにも過酷な罰を、人間が人間に対して与える事が、許されるのだろうか。
苦悩する私を置いて、生徒たちが次々、魔力を込める。
大男の肉体は連続する電流に焼け焦げ、煙が上がっていた。
「次は君だ。アリッサ・デ・ロメーヌ」
看守に呼ばれ、アリッサの順番が回ってきた。
彼女も同じく、ヘルキスに痛みを与えるために、意識を魔石へ集中させる。
大罪人ヘルキスは、人間の域を凌駕した、危険な存在。
やった事を鑑みれば、ルーライトの民の恨みだって、当然だとも。
だが同時に、彼も親の腹から生まれた命。
非人道的な扱いを、無抵抗に受け続ける姿は、見ていられない。
「可哀そう」
「…何?」
無意識に口から漏れた言葉を、看守は聞き逃さなかった。
彼がそれを咎めようとしているのは明らかだったが、私はそれを無視し、アリッサの目の前に両手を広げて、立ちはだかる。
「アリッサ、アンタは気高き貴族様なんでしょ?あんなボロボロな奴まで虐めて、恥ずかしくないわけ!?」
「か、壁の外に居た人間に、何が分かると言うのかしら!この屑は同志を、国の誇りを傷付けた、極悪人ですわ!」
突然の介入にアリッサの瞳は揺らいだが、すぐに持ち直して、キッパリと反論する。
如雨露に貯まった高貴な血を注がれ、深く根付いた愛国心が、彼女の主張を確固たるものにしていた。
たとえそこに、一定の正しさがあったとして。
怒りの連鎖に負ける訳にはいかない。
もし、誰より優しいユータがこの光景を見ていたら、きっと黙っていないはずだから。
そんな確信に背中を押され、心が奮い立つ。
「それでも!どう見たって可哀そうじゃない!この男をどれだけ泣かせたって、殺された人たちは蘇らない。何の解決にもならないわ!」
「おい、いい加減に…!」
妨害を止めないでいると、看守の堪忍袋の緒が切れた。
しかし彼の制止は、牢が振動するガシャンという音に、掻き消される。
その絶大なエネルギーは、閉じ切った監獄を吹き抜ける、突風に。
皆の髪が後方へぶわっと靡けば、この場で最強の生物が誰なのか、誰もが思い出した。
鉄柵を挟んだ目の前に、磔にされていたはずのヘルキス。
彼は、内に収めていた驚異的な膂力で、拘束具と壁を繋ぐ鎖を引き千切ってしまったのだ。
「ひ、ヒィ!そんな、そんな馬鹿な!」
ヘルキスが口呼吸する音に震えあがった看守は、腰を抜かしたまま縮こまり、まるで別人の様。
あの偉そうな態度が根っからのものではなく、安全圏にいる時のみにひけらかす、仮初の姿だったとは。
動けなくなってしまっているのは、彼だけではない。
両手で掴んだ太い鉄柵をポキっと折ってしまいそうな、ヘルキスの迫力に気圧され、全員が固唾を飲んでいた。
だが、月を掲げる狼の如く、研ぎ澄まされた瞳の奥を探ると、殺気どころか敵意すら見当たらないのが不思議だ。
代わりにあるのは、純粋な疑問。
「女…俺が、可哀そうだと、そう言ったのか。戦うために生まれた、この俺を」
「ええ、そうよ。痛かったでしょ。でも、私の魔法じゃ、あなたの傷を癒してあげられない。ごめんね」
虐げられながら、死のスケジュールを待ち続ける、ヘルキスの心に寄り添いたくて、何倍も太い腕に付いた傷の側を、そっと触る。
黙り込んだ彼は、黄蘗色の瞳で一直線に、私を捉え続けた。
果たして、この程度の慰めに、意味があるのか。
いや、誰に無意味だと言われようと、私は私の正しさを信じ、行動するべきだ。
「おい、さっきの音は何だ!」
「…奴の鎖が切れているじゃないか!急いで取り押さえろ!」
「ググ…グゥ…」
音を聞いて駆け付けた数名の看守が、急いで魔石に魔力を込め、電流に藻掻くヘルキスを、床へと抑えつけた。
固い混凝土に伏せても尚、彼の視線は外れない。
唸り声を漏らすだけで言葉は発さなかったが、何か思うことがあるのは、明らかだった。
「君たち、速やかに外へ出たまえ!」
我々部外者は看守に誘導され、来た道を駆ける。
数メートル離れるだけで、ヘルキスの牢は闇に呑まれてしまった。
あの印象的な眼光が、此方に付きまとっているような、そんな気がする。
だから私は、何度も、何度も、暗黒を振り返った。
◇
図書館の地下に、場所を戻し。
私は、椅子の上で足を組み、むくれる。
死刑囚の拷問などという、趣味の悪いものを見せられたせいで、すこぶる気分が悪かった。
まずは、ヤヌンを問い質すところからだ。
「で、なんで私、あんな胸糞悪いお出かけに、付き合わされたわけ?」
「…小娘よ、ガルダは元気か?」
質問に、意外な質問が返ってくる。
回答を急かすより、付き合った方が良さそうだ。
「師匠と、知り合いなの?」
「ガルダは強い子じゃった。悲しい事故も起こしたが、それでも前に進もうとする、折れない意志があった。転移者の大先輩である儂が、力の扱いを手解きしてやったのは、もう、何年前の事か」
「転移者…その上、師匠の師匠だったなんて…」
「儂も立場があったから、公に、という訳にはいかなかったがのう。心無い者たちから我楽多などと呼ばれ蔑まれていたが、実力は本物。魔法使いの最高位に至る転移者なんてのは、後にも先にも、ガルダ一人じゃ」
過去を語るヤヌンの太く丸い眉の下、老いた瞳が、にわかに遠くを見た。
それは、子や孫を想うような、優しい目。
おばあちゃんが私を撫でる時も、同じ目をしていた。
ノスタルジックな気持ちになりかけた私だったが、思い出に浸る時間は、終わりのようだ。
パチッと瞬きしたらもう、ヤヌンの表情が引き締まっている。
「…ヘルキス・レオンハート。王城へと攻め入った奴の狙いは、ガルダだった。しかし、その時にはもう、ガルダはダラクへ旅立っておったのじゃ。奴は居もしないガルダを探して暴れ続け、沢山の兵士を殺めてしまった」
「となると、やっぱり彼も、愛されし者…」
「愛されし者?なんじゃ、それは」
「転移者の差別を無くすため、だとか言って、転移者を誘って回っている怪しい集団よ。師匠は、ダラクでその一員に襲われた。常軌を逸した強さだったわ。…転移者の心臓を食って、蘇る程の回復力を手に入れた、化け物だった」
ヘルキスの存在感と、記憶の中のステナが重なる。
愛されし者の幹部には、あのような強さを持つ者が、他にも居るのだろうか。
その高みには、賢者という、未知の存在。
目的がはっきりしない以上、彼が、彼らが単純な悪党かどうかは判別しかねるが、ステナやヘルキスが人を殺めた以上、危険視せざるを得ない。
「心臓を食ったじゃと…!?して、そ奴はガルダが仕留めたのか」
「いえ、逃げられたわ。実力はガルダさんと同じか、それ以上かも知れない」
「あのガルダをも…!次の脅威は、禁忌を犯した人か。嘆かわしい。嘆かわしい事よ」
「あの化け物たちと戦う力が必要なの!大切な人が、奴らの巣に一人で向かおうとしてる。…絶対に彼を死なせたくない!」
自らと同じ、転移者の愚行に心を痛め、目を閉じ首を横に振ったヤヌンに、私は畳みかける。
ひた隠しにされている、古代の知識を強請る。
何となく、これでヤヌンの説得は済んだと、私はそう思っていた。
孫弟子にあたると発覚し、関係性だって十分。
しかし、返ってきたのは、押しに負けた故のため息ではなく、骨を刺すような眼差しだった。
「小娘…この本の中身は確かに、お主が欲していた、劇薬じゃ。当然、強い薬には副作用が伴う。歴史の責任という、副作用がのう」
「歴史の、責任…?」
急に、何を言い出すのか。
冗談の様なスケールの言葉選びについていけず、私は混乱していたが、ヤヌンは、冷静になるのを待ってはくれない。
間髪入れず、あの読めない本が、差し出された。
「開いてみなさい」
言われるままに、蛍光灯の無機質な光を吸った分厚い本を開く。
すると、今までとは異なる姿が、そこにあった。
読める。
文章が、文章として理解できる。
認識できなかったはずの情報が、正しい形でページの上に並んでいた。
乱暴に触れればすぐに破けてしまいそうな、太古の革の間に、ぎゅっと詰まっていた。
「読めるようになってる…!?」
「…魔法で認識を阻害していたのじゃよ。先代から、そいつの管理を任された、儂が」
驚く私に答え合わせをしたヤヌンは、音を殺した息を、一度だけ。
彼は彼で、腹を括ったのだ。
「その魔導書に記されておるのは…本来の魔法の使い方じゃ」
「…変な言い方。世の中に出回っている魔法が、紛い物だとでも?」
「詠唱というのは、この大陸の意思と契約を結ぶための、言わば、契約書じゃ。そんな神聖な過程を、あろうことか億劫に感じた人々は、詠唱を少しずつ簡略化…有史までには、完全に省略してしまった。契約が曖昧になった事によって、かつての破壊的な威力は無くなったが、何より、速度が優先じゃった」
「隙を突かれたり、当たらない方が問題って考えた結果の進化…そう、師匠が言ってたわ」
「人類が繫栄した結果、敵は魔獣ではなく、同じ人間になった証じゃ。太古の人々は利益を求めて徒党を組むようになり、国が生まれた。そうやって膨らんでいった欲望が、戦争を繰り返し、バラバラであった国も、今や五つ。いよいよこれを、一つにしようとする欲張りが現れるのだって、時間の問題よ」
「もしかして、古代魔法の力を隠していたのって…」
この本が細工されていた理由を理解した私の指が、カタカタと震え出す。
巨竜を一発で殺すような破壊力の魔法が、人間の海を叩き割る光景を想像すれば、その恐怖は、足の指先まで広がった。
格好悪くいる若者にも、ヤヌンは容赦なし。
個人的な動機ばかりを主張していた、若者の浅はかさに止めを刺すように、持ち上げた杖を、床へ突き付ける。
私はその音にすら、肩がビクンと跳ね上がる始末。
「そうじゃ。戦争を一方的に終わらせるための、殺戮兵器になり兼ねん。こうなる未来が予見されていたからこそ、この魔導書は代々、管理者によって隠されてきた。古代魔法が阿呆の手に渡れば、大陸の力関係が崩壊し、戦場は混沌と化す」
語るヤヌンの形相に歴史の影を見れば、窓から覗く豊かな植物や、小鳥の囀りが、次第に尊く感じられる。
様々な命の脈動が、五臓六腑に響いてくる。
神秘的な現実の中、眩暈に襲われてしまい、頭を抑えた。
命を一纏めに奪うような武器に伴う責任を、この頼りない両足で、支えられるだろうか。
私はただ、ユータの側に居たかっただけ。
そこまでの覚悟など、持ち合わせているはずがない。
「強大な力を持つ者は、慈愛の心を持ち、正しい判断のできる人間でなければならんのじゃ。大地からの借り物で、無用な血を流してはならん。先人たちが紡いできた神聖な力を汚すことなど、断じて、許されん」
この説教は、ヤヌンが生きてきた数十年だけで培われたものではない。
熟練の魔法使いによって代々継承されてきた、恒常的な平和への祈りなのだ。
それを念押しするように、彼が今までに見せなかった険しい表情をするせいで、呼吸を失敗してしまい、苦しい。
何層にも積み重なった重圧に負け、自室から出た当初の誓いを、見失いかける。
叩けば折れそうな私の肩を、最後の最後に、しわしわの手が支えた。
「…だから、時代遅れの我楽多を欲したのが、底抜けに優しいお主で良かった。どうか、平和を守るための魔法を…背負ってくれるか?リリィ・ベイリー」
歪みかけた世界が、形を取り戻す。
弱弱しい老人の手の平から、確かな愛を受け取って目を覚ました私は、何より大事なものを、思い出した。
ヤヌンに評価された私の優しさは貰い物だったが、この世界で一番、温かいもの。
これさえあれば、人としての道を見失う心配など、ない。
ならばこの魔法、私に相応しいではないか。
もしそうでないなら、相応しい魔法使いに、なってやろうではないか。
「誓うわ。世界を守るために。…この優しさを、無くしたりしないから」
手の届く全てを想い、怒り、泣くことができる彼を、禁忌を犯した化け物たちの牙から守り、共に歩き続けたい。
そんな若い目的を成し遂げるために望んだのは、歴史の舵取りを担う魔法使いという、大層な役割だった。
重大な責任が背中にのし掛かったが、同時にそれは、可能性を与える翼。
真に戦う理由を手に入れたことで、他人頼りで空虚だった人生が、初めて意味のあるものになる、そんな予感がした。
◇
洞窟の中を走る涼やかな空気が、頬を撫でて煽る。
足音と水滴の落ちる音に、一定間隔で鼓膜を揺らされるのが、どうにも鬱陶しい。
ほんの数日前であれば、日光を浴びずに育まれた地面の特殊な感触に、心が躍っていたのだろうか。
「おい、死にたがり!本当に死にたくなかったら、索敵に集中しろ!魔獣に殺されてえのか!」
視線を落としていたことに気付かれ、前を歩く大柄な青年に、怒鳴られてしまった。
仕方ない。
周囲の様子が窺える程度に顔を上げると、ツーブロックに刈り上げた短髪の下に、俺への嫌悪感。
「この世の終わりみてえな顔しやがって。お前を見てると、空気が不味くなる」
「止めなよジャック。即席で組んだ相手に絡むもんじゃないよ」
「そうですよ。依頼に付き合ってくれた彼には、感謝しなければ」
片手剣を持った三つ編みの女と、麻のシルクハットを被った弓使いの男が、機嫌を損ねた青年を二人掛かりで宥める。
見ず知らずの俺を庇ってくれる人の好さは伝わったが、何を言われたって、気にはならない。
実際、鏡を見れば、世界一辛気臭い奴と、顔を合わせるに決まってる。
そもそも、俺たちは即席の仕事相手。
明日以降会う事のない、赤の他人同然の関係。
俺はもう、他人との関わりなんて要らないし、それでいい。
「ごめんな。コイツ、他人と組むことが無いから、礼儀を知らないんだ。私はエイラ。で、こっちのへらへらした帽子はダン。ずっと怒ってるのが、ジャックだ」
「分かった」
一言で返事を済ますと、エイラとダンが口をぽかんと開け、立ち止まった。
それすらも無視をしようとした俺が、目線を斜め下に戻した瞬間、抉るように、胸ぐらを掴まれる。
「コッチが名乗ったんだ、お前も名乗れよ」
「…優太」
「なあ、ユータ。確かにこの依頼は、四人以上でないと受注できなかった。ヘマして帰ってこなかった、他のパーティーのせいでな。だが、俺たちの実力なら、間違いなく三人で狩れる相手だ」
そこまで言うと、ジャックは持ち上げていた俺の体を湿った地面に投げ捨て、くるり。
振り返った彼の背負う大剣が、視界の中の水溜まりに反射して、その姿を映している。
重量を抑える事が目的である円形の肉抜きは、まるで、満月。
「死人の目をした奴を、信用なんかできねえ。何もせず、黙って見てろ」
「…ちょっと、ジャック!」
唾を吐き捨てたジャックが、前を往く。
エイラは彼の振る舞いに呆れながらも、その背中を追いかけていった。
この世界に来る以前は、理不尽な仕打ちを受けた時、じいちゃんとの記憶を思い出して、心を守っていた。
それなのに今は、自ら突き放した仲間の顔が未練がましく頭を過り、寂しさが再燃する。
胸の中をざわめく感情の煩わしさに、嫌気が差す。
立ち上がらず、ただ水溜まりを眺めている俺の前に、ふらりと差し出された手。
指の皮が硬くなった、戦う手だ。
「ウチの暴れん坊が申し訳ない。気が強くて、困っちゃいますよ」
冗談めかしてそう言ったのは、痩せた弓使い、ダン。
こんなにも腑抜けた人間にすら気を遣ってくれるなんて、優しい大人である。
余計な、お世話だ。
差し伸べられた手を無視して自力で立ち上がった俺は、ジャックとエイラが向かった方へ。
靴の中に水が染み込み不快だったが、下を向いて歩く度徐々に慣れていき、すぐに、どうでも良くなった。
◇
延々と雑談を繰り広げる三人の後ろについて、暗い洞窟を数分進んだ頃。
一行は、威嚇の波に突き当たった。
「グルルルル…!」
久々に視界を確保すると、青い毛を生やした狼の群れが道を塞いでおり、黙って通れる雰囲気ではない。
もう我々は奴等の目に、食肉として映っていた。
狩人が判断まで時間を要したのは、数や地形を把握するため。
それが済めば、ダンが弓の用意を始め、ジャックの声が天井に反射する。
「小物だ。さっさと終わらせるぞ!」
大剣と、ジャック。
その物騒なフォルムに敵意を嗅ぎ取った狼は、先手を打って飛びついてきた。
狼の口元から剝き出しになった鋭利な牙は、人間の剣とは違う。
タイミングに規律なく、自由に振りかざされる。
そんな攻撃にも見事に反応したジャックは、一匹目を大剣の刃で弾き返し、続く二匹目も、返す刀で叩き切った。
「次だ次!死にたい奴からかかってこい!」
「目立つ馬鹿がいると、楽で良いわね」
「エイラさんも頭の中身は大して…いや、この話は止めておきましょう」
暴れるジャックを囮にして、憎まれ口を叩いたエイラとダンが、的確に狼を狩っていく。
会話無しに役割が分担されたにも拘らず、合理性に感動すら覚えてしまうような、見事なコンビネーションだ。
いつの間にか俺も、彼らの戦いから目を離せなくなっていた。
いや実際は、彼ら、ではなく、彼一人。
仲の良さだのチームワークだの、そんなものとは全く別の理由で、である。
「ジェシカ…!?」
思わず呟いた、友の名。
ジャックの剣が描く軌道が、ジェシカの戦い方に酷似していたせいで、思わず口を突いてしまったのだ。
得物を荒々しく振り回す、アドリブ優先の動きは、正に彼女のそれだった。
此処に居るはずがない友の幻影に、喉が絞まる。
咄嗟に手を伸ばすと、それは無情にも消え失せ、仕事を放棄した俺一人だけが後方に取り残されている、惨めな現実に引き戻された。
「…クソッ」
あの日から、ずっとそうだ。
二人との関わりを自ら拒絶しておいて、心の深い所では、未だにその姿を追っている。
自分の女々しさに苛立ち、転がっていた小石を蹴ると、数回跳ねて、水溜まりに沈んだ。
澄んでいた水面が、茶色く濁る。
暫く経っても、元の美しさを取り戻す事は、無かった。




