第20話 置き去りにされた魔法
ただ、明かりの点いていない部屋で、ベッドの上から床を眺めるだけの日々。
足下に落ちている埃は日に日に増え、光の差し込む時間になると、目立つくらいにはなってきた。
もうあれから三日、いや四日は経っただろうか。
幸い寮は個室だったため、引き籠っているだけで、世の中が私を置き去りにしてくれる。
それでも時折胸がきゅっと痛むせいで、思考を完全に放棄することは許されなかったが。
私の何がダメだったのか、今でもはっきりとは分からない。
ただ、ステナとの戦いで力不足は感じていた。
そこにおよそ私よりも能力のあるジェシカが現れ、ユータは彼女に首飾りを与えた。
彼女が選ばれて、私が選ばれなかった。
その可能性が頭を過ぎるだけで、心臓が捻れて張り裂けそうになってしまう。
「ついてこいって言ったじゃない…」
誰にも届かないよう小さく嘆くと、その声に応えるかのように、部屋の扉が叩かれる。
帰れ。
さっさと、帰って。
到底、人と話す気にはならなかった私が、無視を決め込んでいると、扉の向こうからか細い声が。
「「リリィさーん…」」
重なる声。
私を呼んだのは、ミロとキロだった。
まあ、入学したばかりの私を知る人間は、彼女たちだけなのだから、当たり前と言えば当たり前。
顔を、見せたくない。
対応すべきか、それともやはり、居留守を貫き通そうか。
迷いはしたが、あの日、二人にかけた迷惑を思い出した私は、重い足を引きずって、玄関へと向かった。
幼い二人の貴重な学びの時間を、無駄使いさせてはいけない。
一言謝って、突っ返そう。
極端に自らを卑下していた私は、他人の時間の使い道に文句を付ける傲慢さに気付かぬまま、鍵を回した。
まつ毛の端から端くらいの薄幅で、扉を開く。
向こう側で良い子にしていた四つの瞳と、目が合った。
「…あ、あっ…」
言葉自体は用意していたはずなのだが、腑抜けた体から、声が上手く出てくれない。
パクパクと口の筋肉だけが動き、掠れた音が虚しく消えるだけだ。
会話すら満足にできない無力感に苛々し、視界が滲む。
いよいよ廃人と化し、猶更ユータの相手に相応しくなくなった自業自得が悲しくて、涙は止まらない。
顔もぐしゃぐしゃで、他人に見せられる姿ではなかったのに、待ちくたびれた扉が、強引に持っていかれてしまった。
舞い込む、久方ぶりの外光。
目を眩ませたその隙に、ミロとキロが、私の胸へと飛びついてきた。
鬱屈とした空気を、吹き飛ばしそうな勢いで。
「「リリィさーん!」」
豪快に押し倒された私は、ドタっと床に寝転んだ。
この部屋の天井、白かったのか。
今更そんな事を知った、私の胸の上。
パジャマを濡らす涙が、温かい。
突然の事態に驚きはしたものの、それでも、こんな私のために本気で泣いてくれる二人が愛おしく、ぶつけた背中の痛みなんて、どうでもいい。
取り戻したのが、血流か、心の熱かは分からなかったが、お陰でやっと、喉が言うことを聞いた。
「…ごめんね。心配、かけちゃったね」
「ごめんなさい。キロが一緒に学校に行きたいって、我が儘言ったせいで…」
「ミロもこんなことになるなんて思ってなくて…ごめんなさい」
私がミロとキロの涙を指先で拭うと、彼女たちは何が悲しいのか、もっと泣いた。
確かに魔法学校の試験は、私との旅を終わらせたいユータにとって、都合が良かっただろう。
しかし、この機会がなければ、別のやり方で縁を切られただけで、結果は同じ。
彼は、その場の気分で、あんな真似をするような人ではない。
「二人のせいじゃ無いわ。私が、弱かったの」
「弱かった…?リリィさんは、とっても強いですよ?」
「試験の壁だって、いっぱい壊してました!」
落ち着いてきたミロとキロは、目尻に透明な雫を浮かべ、首を傾げている。
上手く気を遣えない、子供ならではの素直さが、その賞賛に信憑性を持たせており、皮肉を疑わずに受け取れるのが、嬉しい。
それでも、物差しが違えば、結論は変わるもの。
ユータの強さを知っている私からすれば、足りないことだらけだ。
「いいえ。ユータは私なんかより、とっても強いの。…良ければ、話を聞いてくれる?」
「「聞きたいです!」」
私は、ユータについて、ミロとキロに話した。
出会いや教会での出来事、彼の強さと優しさ、これまでの旅路やその目的など、ユータに関する記憶を、洗いざらい。
過去を振り返りながら浮かべた笑顔は、満開とはいかなかったが、無理に笑っていた訳でもない。
たわいのない挨拶や口喧嘩ですらも、幸せな記憶として残っているのが可笑しくて、自然と、溢れていた。
話し終わる頃には、あれ程までに重かった胸が、大分軽くなっていた。
丁寧に自らの内面と向き合ったお陰で、大切な気持ちを思い出せたから、かも知れない。
やっぱり私は、ユータが好きだ。
◇
その、翌早朝。
狭い浴室で水を浴びると、久々の冷たさに脳が驚いて、普段よりもはっきりと目が覚める。
何か、生まれ変わったような、全能感。
さあ、久しぶりに部屋の外へ。
これ以上、心配をかけてはいられない。
青いローブに袖を通した私は、靴をひっかけて、扉を押す。
廊下には、眠たそうに欠伸するミロとキロ。
約束通り、私が部屋から出てくるのを、信じて待っていてくれた。
「おはよう。眠そうね?」
「「おはようございまふ」」
もう見慣れた、色違いのとんがり帽子と挨拶を交わし、私は食堂へ。
お目目パッチリの私と違い、とことん朝が弱いミロとキロは、後ろでふらふら、ふらふら。
メトロノームの様な二人を置いていかないよう、歩幅に気を付けて、ゆっくりと進む。
そうやって、贅沢に時間を掛けてようやく、かぐわしい匂いの集合地点に足を踏み入れる。
清潔感のある、白を基調としたデザインが眩しい。
魔法学校の食堂は、天井の広い空間だった。
部屋自体は好印象。
だが、似たような恰好をした大勢の生徒が、パンパンに詰まっている光景は、別。
「…なんだか、蟻の巣みたいで気持ち悪いわね」
「「アリさんは、気持ち悪くありません!」」
間違い探しのような風景を目の当たりにして、げんなりしてしまった私の呟きに、いつの間にか意識をはっきりとさせたミロとキロが、頬を膨らませている。
虫すらも擁護するとは、本当に優しい子たちである。
まあ私も、蟻そのものを侮辱したつもりでは、ないのだが。
食堂のメニューは、どれだけ頼んでも無料。
どれもチープには見えない、手の掛かった料理なのにも拘らず、だ。
天国のような待遇に頬を緩ませた私は、野菜を中心に注文し、大量の皿が乗ったお盆を手に入れた。
先にテーブルに座った、ミロとキロの二人。
彼女たちの前に並んだ料理は、私の五分の一程度しか、ない。
「…ダイエットでもしてるの?そんなんじゃ、大きくなれないわ」
「ハッ…!?もしかしてミロが小さいのは、ご飯が少ないせいだったんですか…!?」
「ハッ…!?それならキロも頑張って、いっぱい食べなきゃいけません…!」
衝撃を受け、自らの胸に手を当てたミロとキロは、一心不乱に料理を食べ始めた。
私も倣って、フォークを取る。
「いただきます」
昨日二人が持ってきてくれた軽食を除けば、数日間水しか摂取していなかったため、最初に取った皿の上のサラダは、味わう間もなく消滅した。
決して過剰な表現ではなく、事実、消滅したのである。
「「リリィさんのサラダが、消えました…!」」
「消えたわね」
ミロとキロは目を丸くしていたが、此処は、国立魔法学校。
サラダが消えることくらい、珍しい事ではない。
とは言え、このままでは、折角の朝食が一瞬で無に帰してしまう。
もっと、よく噛んで食べねば。
味蕾に意識を集めながら鶏肉を頬張ると、芳醇なソースの香りと、上品な味付けが口の中に広がった。
最初は涙が出そうだったが、その皿を食べ終える頃には、健康面を度外視した、脳がチカチカするような酒場の味付けも、恋しく感じてしまう。
高級な料理と、そうでない料理。
その何方にも、違った良さがあるのだと学んだ。
「「もう食べれません」」
私が全ての皿を平らげた頃、一度目のおかわりを完食したミロとキロは、無理をし過ぎたのか、テーブルから動けなくなってしまった。
仲良く目を回している姿も、可愛らしい。
こうやって目の保養をするのも悪くないが、授業の時間割にも、目を通しておかねば。
数日間サボり通したせいで、まだ、どの授業を取るかも決めていないのだから。
この学校、必修科目などは特に無く、実施されている授業に、自由に参加できるシステムとなっている。
そのため、怠けようと思えば幾らでも寝て過ごしていられる訳だが、日中の出席率は、九十五パーセント超。
試験に受かった者も、招待された者も、志は高い。
ぼんやりと日程表を眺めていると、目を外していた隙に左右に回ってきたミロとキロが、時間割を纏めた紙を、覗き込んできた。
「ミロたちは今、水魔法の応用を勉強してますよ!水さえあれば人間生きていけますし、植物も育ちますから!」
「リリィさんは、どの授業を受けに行くんですか?」
「暫く授業には出ないつもりなの。…調べたい事があって」
昨晩、私は決断した。
心を入れ替え、学生らしい目標を新たに見つけたのではない。
初恋を諦めないと、そう決めたのだ。
ユータは、私についてこいと言った。
祖母を失った悲しみに付け込まれ罪を犯した私を、救い出してくれた彼の力になる事は、今でも間違いなく、私の生き甲斐だ。
ただ彼の側を歩くには、現状、力不足。
その点、この学校には古今東西の魔術書が集まっているため、新たな力を身に付けるのに、打って付けの場所である。
此処でしか手に入らない知識に、僅かな可能性を望んでいた。
財布は渡された鞄に入っているため、ユータがこの辺りから離れるのにも、時間が必要。
壁から脱出さえできれば、すぐに追い付ける。
再会するまでに強くなっていれば、きっと彼だって考え直すはずだ。
「ごちそうさま。そろそろ行くわね」
「行ってらっしゃいませ!」
「夜ご飯も、一緒しましょう!」
ミロとキロの明るい笑顔に、手を振って別れる。
心の殻を叩き割ってくれた二人に、心の中でもう一度感謝してから、私は目的地へ向かった。
◇
大魔法使い、ガルダ・ベイリーの家の隅で、埃を被っていた本。
これは、年季の入った魔導書に頻出する、グランシア大陸の古代文字の読み方が、書かれたものだ。
暇つぶしに拝借したこの一冊が、私の光明だった。
『昔の人は、一々長ったらしい呪文を詠唱して、魔法を使っていたの。そこから歴史が進むにつれ、魔法は高速化、対人戦に適応したわ』
『へえ。古代の魔法なんて、ロマンですね、ロマン!』
『そうね。けれど、紙一重の殺し合いの中で、何秒も無防備ではいられない。…だから、使い道無し。時代遅れよ』
最高峰の魔法使いである師匠は、そう言っていたが、どうにも私は気になっていた。
家や教会で学んだ神話の内容と、現代魔法の間にあるギャップが、である。
神話では、原初の魔法使いが、神から授かった魔法によって、いとも簡単に竜を倒したと、そう言われている。
様々な宗教の聖書に似たような記述があるため、零から生まれたおとぎ話ではない。
いや、断言はできないが、そんな気がしている。
実際のところは、最高位の魔法使いであっても、竜を殺すとなれば数人掛。
一発で仕留める魔法など、見たことも、聞いたこともない。
私は、このちっぽけな違和感を、深掘りすることにした。
もし本当にそんな力が実在するのであれば、ステナのような強敵に対抗するための、切り札になり得る。
「いざ実践するとなると、緊張するわね…。ちゃんと解読できると良いけど」
別棟になっている図書館の前で、不安と感慨深さを一遍に抱く。
旅の道中はやる事が無かったため、暇潰しに古代文字を学んでいたのだが、まさか早速活きる事になるとは、想像していなかった。
酔ったジェシカの騒ぎ声が、宿の壁越しに聞こえる度イライラしたものだが、そのストレスから目を逸らすために積み重ねた知識を、解放するときが来たのだ。
私は、一度深呼吸をしてから、重い扉に触れた。
「…壮観」
最初に私の目に飛び込んできたのは、中央に置かれた立派な木製の机。
それを囲むように配置された背の高い本棚一杯に、色とりどりの書物が詰まっていた。
図書館の中に足を踏み入れると、紙やインクなどの混じったノスタルジーな匂いが充満しており、目を閉じていても、此処がそういう場所だと理解できるくらい。
メドエストの書庫にも感動したものだが、その比ではない広さ、そして優雅さ。
三階建てに、だだっ広い床面積。
管理するだけでも、とてつもない金が掛かっているに、違いない。
只今授業中につき、人影は殆どなかった。
近くに座っていた司書も、暇そうに足をぶらつかせていたため、気兼ねなく、質問できる。
「あの、此処で一番古い魔導書を探しているんですけど」
「珍しい事を聞くね。古代文字の書物は、地下の奥の方に保存されてるよ。どれが一番古い魔導書なのかは、分からないけど。ほら、誰も読めないから」
「ありがとうございます」
礼を言って、ぺこりと頭を下げた私は、視界の端に見えていた階段を降りる。
最初は心を躍らせながら、コンクリートの硬い足音を楽しんでいたが、途中から、雰囲気の違いが目に付くように。
なんだか、薄暗い。
失望とまでは言わないが、不安に近い感情をやんわりと抱いた私を待っていたのは、地上階とは違い、蛍光色の弱い灯りに照らされた、閉塞感のある壁、灰色。
手が行き届いておらず、テーブルを指で触れば、予想通り分厚く埃が。
進化した今を生きる魔法使いたちにとって、古代の情報の需要がどれだけ乏しいかが、表れていた。
後ろで手を組み、地下をぶらついて回っていると、階の一番奥にある金属製の棚に、古代文字で書かれた書物が、乱雑に放置されているのを見つけた。
傷だらけ、埃やカビで汚れているものばかり。
「これは気合が要るわよ、リリィ」
予想を大きく飛び越えた惨状に、気後れしている暇はない。
口をへの字に結んで気合を入れた私は、ぎゅっと腕を捲くる。
古本の山との長い戦いが、幕を開けたのだった。
◇
それからの期間、生活の大部分が、古代文字の解読に費やされた。
料理本など、魔法に関係ない物だと分かれば後回しにし、魔導書や神話に関する本だけをピックアップして、読み解いていく。
ただ、記述された魔法を幾ら試しても、現代のものより明確に強力な魔法は、見つからない、見つからない、見つからない。
授業にも出ず、たまに校庭に現れては謎の呪文を唱える私を、生徒たちは変人扱い。
しかし、どれだけ馬鹿にされようと、食事時になればミロとキロがかわいいため、メンタルは好調だった。
最初は、一冊読むのにも結構な時間がかかっていた解読も、次第に上達していく。
熱心に取り組み、三週間が経った頃には、地下室にある古代文字の書物全てに、目を通し終わっていた。
たった一冊、題の無い本を除いて。
「やっぱり、この本だけ解読できない…?」
革表紙の分厚い本に向かう私は、長く頬杖を突いていた。
他の本と、文字の形は一緒。
文法に差異も無い。
それなのに何故か、文章の中身が認識できないのだ。
理解しようとすると、頭の中に靄がかかったように、情報の輪郭がぼやけてしまう。
不自然なのは、文字だけではない。
何故かこの一冊だけは異様に状態が良く、表紙から中身まで、丁寧に手入れされていた。
比較的新しい物だと思い後回しにしていたのだが、開いてみれば、読めない本だった訳である。
「おや、こんな所に生徒が居るとは珍しいのう」
「ほわっ!?」
間抜けな声を出してしまった。
三週間貸し切りだった地下室で、背後から急に声を掛けられたのだ、こうもなる。
振り返れば、真っ白な髭をたんまり蓄えた、仙人の様な老人。
背筋を悪くして、くるくると捻じれた木の杖に頼っている。
私は、あの杖を突く音にすら、気が付かなかったのか。
「驚き過ぎじゃ、小娘。そんなにのめり込んで、何を読んでおったんじゃ?」
「え、ええと、この本なんですけど…」
「どれ、儂に見せてみい」
本を老人の方へ寄せると、彼は細めた目を古い紙に近付けた。
如何にもな風貌には、森羅万象について理解していそうな雰囲気があり、何か手掛かりが得られるのではないかと、期待せずにはいられない。
「ふむふむ…なるほど…」
「なんて書いてあるんですか!?」
納得したような反応をした老人に、前のめりになりなって、問い掛ける。
すると老人は、これ以上ない程真剣な面持ちで、言った。
「老眼で、文字が見えん」
◇
「儂はこの図書館で一番偉い、ヤヌン様だぞ!老人をいじめちゃ、いけないんだぞ!」
髭を引っ張って制裁を加える私に、短い手をぶんぶん振って抵抗する、ヤヌンと名乗ったこの老人は、図書館の最高責任者であると、主張した。
言葉遣いにも所作にも威厳がなく、真実であるかは疑わしい。
そもそも初対面の私に対し、無駄に期待させるような事をした時点で、信用は地に落ちていた。
「こっちは必死なの。おちょくってんじゃないわよ!」
「…むう。小粋な老いぼれジョークが理解できんとは…これだから最近の若者は」
叱りつけた私が髭から手を離すと、ヤヌンは杖を持っていない方の手で、髭の根元を擦る。
あの立派な髭のせいで勘違いしていたが、話してみれば、壁を感じさせない老人だ。
痛みが和らいだのか、ようやく髭から手を離したヤヌン。
ふうと一息吐いた彼の方から、薄墨色の物寂しい眼差しが、私を試す。
「…小娘、何故じゃ。何故、古代魔法など学ぼうとしておる。この地下室を見れば、分かるじゃろう。今や、詠唱付きの魔法など時代遅れ。お主の貴重な時間と、脳の容量を貪るだけじゃ」
「そうかも知れないわね。誰もが見放した力。けれど、誰一人として、深く理解できていないわ。この可能性を捨てる気には、なれない」
「…あれだけ集中できるお主じゃ。王道を行っても、高みを目指せるのではないかのう?」
「私には、時間が無いの。急がば回れじゃ、間に合わない。今世中にあの化け物たちと渡り合うには、劇薬を飲み下す以外、ないのよ」
瞳に固い意志を宿し、再び勝負。
ちょっとの間、黙ったまま、互いの想いをぶつけ合わせる。
数秒か、十数秒か、遂に折れたのは、ヤヌン。
瞳を閉じ、そっぽを向く。
彼は彼で、何か決意したかのように、杖を持つ手を握り直していた。
「小娘。その古臭い力、どうしても必要というのならば…明日の社会見学。アレに参加するといい」
「…は?なんで急に、そんな話になるのよ?ちゃんと説明してよ!おい!髭ジジイ!」
語気を荒げた私はヤヌンを引き留めたが、取り合ってはくれない。
コツン、コツンと床を鳴らして、部屋を出て行ってしまった。
その内おさらばする予定である私が、この国の社会見学などに参加したところで、何が得られるというのか。
浮かんだ疑問符は、拭えない。
しかし、問題の解決方法が思い浮かばない私に、ヤヌンの勧めを拒否する選択肢など、残されていなかった。




