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第19話 決別

「「着きました!」」


 ミロとキロの案内の元、俺とリリィは魔法学校の試験会場へとやってきた。

 既に実技試験が始まっているらしく、広場に土煙が巻き上がったり、不合格になった参加者が発狂していたりと賑やかだ。

 側では二十人かそこらの参加者が、緊張した面持ちで自分の番を待っている。


「思ったよりも人数が少ないな」


「入学試験は毎日行われていますから」


 入学前だというのに、随分この学校に詳しいキロ。

 事前に周辺知識まで入っているとは、見上げた真面目さである。

 試験が免除された自分たちに関係がない事まで、よく覚えていられるものだ。


 会場を囲うように配置された背もたれのないベンチに座っているのは、俺と似た様な年齢の青年から、十個は年上に見える女性まで、老若男女の魔法使い。

 身内を含めてどいつもこいつもローブを着ているせいで、軽装の俺だけが浮いてしまっているのが小恥ずかしい。


「試験を受けるのは無料(ただ)じゃないですが、手持ちは大丈夫ですか?」


「問題は無いが、流石に受験料が高過ぎないか?」


「緊張感を持たせる狙いもあるのでしょう。でも、入学した時点で人生の勝組が確定ですから、悪くない投資です!」


 職員は、順番待ちをしている参加者に声を掛け、平等に金貨一枚を預かっていく。

 ミロは悪くない投資だと言うが、見ている限り合格者は一人も現れない。

 獣伐区の成人女性が、十日間文字通り命懸けで働いてやっと稼げる額を、二分程度の試験で回収できるのだから、学校が毎日試験に取り組む訳である。

 壁の外と中での収入格差によって、金貨の価値が全く違うなら、話は別だが。


「では、私たちは扉の中で待ってます!」


「ちゃんと受かって下さいね!」


 此方に手を振ったミロとキロが職員に挨拶をすると、すぐに学生証が手渡された。

 それを首に掛け、学校の入口までの階段を小走りで上った彼女たちは、仰々しい鍵の付いた半透明の扉を通され、そこから試験の様子を見下ろす。

 どうやら、招待されているという話は嘘ではなかったらしく、二人は呆気なくリリィの先輩に。


「彼処から試験を眺めるのは、気分が良さそうだ」


「その為には、合格しないとね」


 苦笑いした俺に対し、リリィは険しい表情で会場を睨む。

 行われている試験の内容は、二メートル程の高さの石壁に魔法を撃つだけの、言わば的当てである。

 自由に魔法を五回撃って、全部の壁を破壊すれば合格。


「…クソがッ!」


 また一人、大金をふいにして唾を吐いたが、それでも現状、壁を二枚壊した彼が最高記録。

 どの魔法使いも、ものを言わない壁を狙うという、感情を込め辛いシチュエーションに苦しんでいた。


「全然割れないわね。根性が足りないのよ、根性が」


「…出力に意識を持っていかれ過ぎだ。狙いがアバウトすぎる」


 リリィは根性論を唱えたが、それには同意できない。

 気合い云々の話より先に、壁の厚さが箇所によって違う事の方が重要。

 威力不足への不安に気を取られてしまった彼らは、冷静に状況を分析できていないのだ。

 平穏な壁の中というぬるま湯に浸かって生きてきた、受験者たちの胆力の乏しさが、テストによって露わにされていた。

 敷かれたレールの上で勉強漬けにされてきた学生が、社会に出ようとした途端、個性を求められるような、教育の噛み合いの悪さを感じる。


「私は別に、力を意識するのが悪い事だとは思わないけど」


 指先に小さな炎を作り出して暇を潰していた俺の横で、そう言ったリリィが杖を持って立ち上がる。

 遂に俺たちの順番だ。


 リリィは他の受験者の視線をもろに浴びても、自信満々に勝気な笑みを浮かべていた。

 命のやり取りという、脂っこい実践経験が、精神を限りなく安定させる。


 構えた杖が魔力に反応して微かに輝き出すと、空中に形成されたのは、岩石。

 初めは小さかったそれがゆっくりと、確実に膨張していく姿に、今から何が起ころうとしているのか、その場にいた全員が、なんとなく察する。

 一分近くかかって成長した大岩は、崩れそうになりながらも、どうにか空中に留まっていた。


「全力を込めるなら、これぐらいやれって話よ!」


 杖を振り下ろしたリリィの叫びに同調するように、杖の先端に取り付けられた魔石からは目が眩む程眩く輝き、それを合図に落下した岩は、三枚の壁を一遍に粉砕。

 残った二枚の壁も、追って放たれた電撃があっさりと破壊した。

 

 メンタリティも、実力も、他の追随を許さない。

 遠巻きに見ていた他の受験者たち全員を呆然とさせた。

 

「す、凄すぎます!」


「て、天才です!」


 高みの見物を決め込むミロとキロは、リリィの暴力的な魔法にはしゃいでいる。

 成る程、明確な実力差に驚いて動けなくなってしまった観衆と比べ、彼女たちは肝が据わっているではないか。


 横では職員がせっせと試験会場を復元していたが、何より粉々になった岩の掃除が大変そうで、申し訳ない気持ちになる。

 これからこのじゃじゃ馬の手綱を握るのはあなた方であり、社会を育む大人たちだ。


「どう考えてもやり過ぎだ」


「良いじゃない。ルールを違反している訳でもなし」


 最後の義務として俺がリリィを窘めていると、椅子の上でふんぞり返っていた試験官が、汗だくで駆け寄ってきた。


「ご、合格だ。本校と国への忠誠を誓いなさい。結界門の通過を許可する」


「何を偉そうに。もう私は誰にも媚びないわ」


 職員の言い振りに対する不満を隠そうともしないリリィは、差し出された学生証を奪い取り、俺が投げた鞄も器用にキャッチ。

 

 高くまで繋がる階段をゆっくりと上り切り、魔法の扉を通過すると、彼女はミロとキロに飛び付かれ、大事な杖を落としてしまっている。

 あの二人のような、温かい友達が側にいてくれさえすれば、もう何も心配は無い。




 ◇




「次、お前だ!」


 試験官に呼ばれた優太が、復元された壁の前方へと移動する。

 彼が腕を上げて構えれば、強者の匂いに周囲の注目が吸い寄せられていき、その場は独特な雰囲気に包まれた。

 石の壁を壊す程度、転移者の特殊な力を武器とする優太にとっては造作もない事であり、彼の魔法に対する周囲の反応を心待ちにしていたリリィの口元は、緩みきって間抜けだ。


 長い静寂。

 ぐっと集中して何度か浅い呼吸を続ける内に、誰もが違和感を覚えた。


「おい、お前!早く撃たないか!」


 依然動きのない優太を、試験官が急かす。

 怒声が聞こえてから数秒後、遠くを見ていた彼は意を決したように一度だけ瞬きをし、言った。


「調子が悪いな。出ねえや、魔法」


「…え?」


 リリィの喉から、呟き。

 何が起こっているのか理解できない彼女は、石像の様に固まってしまった。

 ただ、決して時間が止まった訳ではない。


「魔法が出せないだと!?何故そんな無能が壁の中に居るんだ!早くこいつをつまみ出せ!」


 命令を受け、すぐに二人の職員が優太を左右から囲んだ。


 窮地に立たされたのにも拘らず、彼は平然としている。

 半透明の扉の向こうに居るリリィたちに、助けを求める素振りもない。


 ぼんやりと霞みがかっていたリリィの脳であっても、ここまで見え透いたヒントがあれば、目の前で繰り広げられているのが茶番である事は分かった。


「嘘よ!彼は私よりも強い魔法を使えるわ!ユータは嘘を吐いているの!」


 急に狂ったように叫び出したリリィに怯えたミロとキロの肌の上を、冷たいものが流れた。

 大好きな子供を脅かすなどらしくない行為だったが、今の彼女に周りの目を気にしている余裕などない。


「待って、行かないで!私はこんな所に居たい訳じゃない!ユータの側に居たいの!」


 腹の底から発された悲痛な叫びは、試験会場まで届いているはず。

 しかし、どれだけリリィが五月蝿かろうと、肝心の優太だけは視線をくれない。

 彼は二人の間の繋がりを、拒絶していた。


「開けて、扉を開けてよ!」


 説得を諦め、実力行使に移ったリリィ。 

 だが、この結界門と呼ばれる魔法の扉には鍵がかかっており、どれだけ押しても、抉じ開けようとしても無意味。

 すぐにそれを悟った彼女は倒れていた杖を掴むと、扉から距離を取り、大量の魔素を引き寄せた。

 巻き添えを恐れたミロとキロ、また扉の向こうの職員も、慌ててその場から逃げだす。

 

 刹那、頭上を賑わしたのは、ありったけの魔法。

 炎、電撃、氷と、異なる魔法が目まぐるしく発動する姿には、怒りに飲まれ荒ぶった絵描きのキャンパスと同様、激しさと美しさが共存している。

 

 そんな必死の努力も虚しく、頑丈な扉はびくともしない。

 決定付けられた選択に、感情の入る余地がない事を示しているかのように、やはりびくともしなかった。


 壁と魔法が衝突する度に鳴り響いていた凄まじい音は、時間が経つに連れ、音と音との間隔が開いていき、そしてとうとう鳴り止んだ。


「私を捨てないで…」


 警備員に連れられた優太の背中は、もう見えない。

 縋るように伸ばした手の行く先を失ったリリィは、周囲の目など気にする事無く、幼い子供の様に泣きじゃくった。


 崩れ落ちたリリィに駆け寄った、ミロとキロ。

 二人は何か声を掛けていたが、残念ながらリリィの脳は、五歳児の扱うパレットの様に混濁してしまっていた。

 

 大人が子供の様で、恥ずかしい光景だ。




 ◇




 約束の時間を迎え、境界街の中にポツンと立った時計台の鐘が鳴る。

 ゴウン、ゴウンと急かすように鳴っていた。

 

「来ねえな」


 ベンチに腰掛けたジェシカが、呟いた。

 

 背もたれに体重をかけて後ろまで首を上げれば、逆様の時計。

 秒針が一周し、長針がカチっと動く。

 それが繰り返されるのを眺め、周囲を何度か見渡し、また時計を眺める。


 暫くすると、曇り空から雨が降ってきた。

 街から人の姿が消えていってもベンチから動かないジェシカは、身体が冷たくなっていくのも、そのせいで止まらなくなった体の震えも、受け入れていた。

 

 また、鐘は鳴る。

 ゴウン、ゴウンと。


 空の色が深く落ち込んできた頃、ようやくジェシカは重い腰を上げた。

 彼女は首に下げたペンダントトップを握ると、一度は力を入れ千切り取ろうとしたが、思い止まって拳を解く。


「…クソッ」


 自らの中にある様々な弱さに苛立ち、水溜まりを踏み付けたジェシカの足を、跳ね上がった雫が冷やかした。




 ◇



 

 此処は愛されし者のアジトの下層。

 とある一室。


 俺は口の中や喉に残る気色の悪さを洗い流すため、嘔気の止まらない体に長らく水を浴びせていた。

 生きたミミズを飲み込むような、あの感触。

 何回味わっても、虫唾が走ってしまう。


 荒れた呼吸を何とか整えた俺が視線を上げると、鏡に映っていたのは、惨めを晒す目付きの悪い男。

 その奥に、黒いローブの青年が顔を出した。

 俺が仕方なく飼ってやっている、奴隷だ。


「バルカン様、気持ちが悪いのであれば、我慢なさらないで下さい。私がすぐに片付けます」


「黙ってろ、クソ奴隷」


 キッと睨みつけて脅せば、異なる色を浮かべた奇怪な両の瞳が、黙って閉じる。

 普段から強く当たり続けても尚、懲りずに歩み寄ろうとしてくるコイツの態度は、極めて不快だ。

 

 そうだ、丁度良い。

 際限なく積み重なる鬱憤を暴力で解消してしまおうと思い付いた俺は、濡れた足音を立て、無防備な奴隷へと迫った。

 

 ふらふらと、時間をかけて数歩。

 これだけ分かりやすく行動しても、逃げようともしない奴隷の様子が更に気に喰わない。

 振り上げた左腕に、ギュっと力を込めた。


「うっ…!」


 しかし、奴隷に手を上げようとした俺の身体は、またも強烈な吐き気に襲われ、逆流した胃液が床を汚した。

 大量に飲み込んだ、誰のものかも分からない心臓が、腹の中で暴れている。

 どれが自分の鼓動なのか判別ができなくなってしまう程に、多重の心音が俺の足りない脳を激しく揺らした。


 我慢の防壁を越えて漏れ出した涙に視界が歪み、そしてホワイトアウトする。

 己を己として認識できない不安に発狂しかけたその時、俺の背中を(さす)る手が、本物の心臓がある場所を的確に撫でた。


「あなたは此処にいます」


 手に触れられた場所だけが、自分の肉体なのだと、自分の細胞なのだと理解できる。

 そこから波紋の様に安心感が広がっていき、徐々に四肢の制御が戻ってきた。

 

 この世界に来る前から俺の心を蝕んでいた孤独が、一時だけ何処かへ消え失せ、目の奥には仄かな熱。

 そんな不思議な感覚のせいで、蕩けた表情を曝け出している恥に気付けたのは、少しばかり時が経ってからの事だった。


「…ッ離れろ!奴隷の匂いが移るだろうが!」


 突然俺に突き飛ばされた奴隷は、痛みや悲しみといった当たり前の感情を放棄して、優しく表情を緩めている。

 どんな暴言をコイツに吐いても、思ったような反応が返ってきた試しがない。


「へらへらしやがって、気持ちわりィ。クソ奴隷、会議までに掃除しておけ」


「はい」


 湿った床を蹴るように歩く俺とは対照的に、命令された奴隷は幸福感を巻き散らしながら、返事をした。




 ◇




 時間より早く会議室に着き、用意されていた円卓にドカンと座った俺は、警備に当たる構成員をサングラス越しに一瞥。

 食われるとでも思ったのか、小さい悲鳴を上げた男は自らの職務を放棄し、部屋の外へと逃げていく。


「…あんなのが居た所で使い物になるのかァ?」


 テーブルを蹴り、独り言。

 すると、背後から求めていない返事が。


「使い物にならないのはお前も一緒だろ?半端野郎。…やんちゃなのは良いですが、テーブルを壊さないで下さいね」


「半端はどっちだ、アイディー。気持ちわりい喋り方で話しかけてくるんじゃねえ」


 現れた金髪の女、アイディーは、清楚さの象徴のような紺色のシスター服を纏っているが、その耳にはゾッとする程巨大なトンネルピアスが。

 あべこべなのはその身なりだけではなく、口を開く度表情も口調も別人のように豹変する、中身も同じ。

 所謂、多重人格者だ。


「負け犬がよく吠えるって話は本当らしいな?転移者のガキにボコられて逃げ帰ってきた、バルカン君。…お体の具合はよろしいのですか?」


「…クソが」


 ピアスの開いた舌に好き勝手煽られるのも気に食わないが、直後に丁寧な口調で心配されるのはもっと癪に障る。

 同じ人間とは思えないような性格の温度差に、風邪を引きそうだ。

 

 ただ、言い合いを続けたところで、失態を犯した人間に勝ち目などない。

 であれば、敗北を受け入れてしまった方が幾分か増し。


「こいつ、何も言えなくなってるよ!負け犬どころか、牙が抜けて子猫ちゃんか!?」


「床に唾を飛ばすな小娘」


 スイッチが入ったアイディーの下品な罵声を、やけに落ち着いた声が上書きする。

 革靴の音に目をやると、小柄なアイディーの背後に、華麗な装飾に彩られた赤いコートを羽織った男。


「お、怒るなよ。雑魚の躾をしてただけさ。…ごきげんよう、グレイド」


「私が怒る?勘違いをするな。貴様の振る舞いを正しただけだ」


 強制的に大人しくなったアイディーは淑やかに挨拶すると、席に着く。

 

 グレイドの声には周りを見下したような威圧感があり、その上から冷徹な印象を付け足すのは、腰に下げた細身の刀と、黒い髪の隙間から覗く赤い瞳。

 偉そうな男が貴族らしい服を着ているのだから、これ程お似合いな事も無い。


「あの化け物はまたサボりかよ?」


「いつも通り何処かでフラついてんだろ。三人しか集まらねえのに、態々会議をする意味あんのか?」


 アイディーの問いに、俺は肩を竦めて見せる。

 いけしゃあしゃあと勝手な事を言ったものの、今回の会議が行われる理由など、当人である俺が一番分かっていた。


「間違いなくあるだろう…今回に限ってはな。賢者様の崇高な目的を支えるための幹部に、無能の存在は許されない」


 惚けた俺を冷静に断じたグレイド。

 凍り付くような瞳が罪人を見据えれば、それに伴い、室内の緊張感が一気に張り詰めた。


 彼の言う無能とは、勿論俺の事。

 子供に敗北し、転移者の心臓を浪費した俺の責任を問うための、会議が始まったのである。


「バルカン様は無能などではない!発言を撤回しろ!」


 口を挟む間もなく、奴隷が即座に抗議した。

 気の大きい俺ですら返事を躊躇う程の厳しい空気だったが、奴隷はそれを憚ることなく主張に一生懸命。


 その目が気に食わなかったのか、机を叩いたアイディーは否定の意を示す。


「負け猫の飼い犬は黙ってな!…未だに心臓をいくつか飲み込んだ程度で拒否反応を起こすような弱者を、いつまでも幹部の座に置いておく訳にはいかないのです!」


「何より、有象無象に敗北するなど言語道断。そうは思わないか?バルカン」


 状況は至って不利。

 賢者を崇拝している二人に、明確な失態を知られたのだから、こうなるのは自明の理だ。

 金払いの良い仕事からも降ろされ、積み上げてきた権力も失ってしまう。

 それどころか、何をされるか分かったものではない。

 

 とはいえ、本心ではこの集団、この立場への執着は薄れていた。

 賢者からの褒美で不老不死になり、幸せな生活を無限に送るという野望があったが、この誰もが描くような理想にも、最近は魅力を感じない。


 思えば、この世界に来てから約二十年も一匹狼だったのだ。

 大勢で群れるのが、不向きだっただけの事。


「…有象無象ねえ。グレイドよお。あのガキの炎は、手前の魔法よりよっぽど熱かったぜ」


 俺らしい姿を思い浮かべた瞬間、油の上を滑るように挑発が喉から溢れ出す。

 それが引き金となり、対面に座ったグレイドの方から、細く枝分かれした硬い殺気が突き刺さった。

 今度こそは無様に吞み込まれないよう、俺も不細工な笑みを浮かべて応戦。

 対等である事をアピールし、自らを出来る限り大きく見せた。


 こうなってしまえば、俺だけでも逃げ切れるよう、どうにかして機を生み出すしかない。

 永遠の命はもう要らないが、こんな時化た場所で鼻の伸びた鉄仮面に殺されるなんて、真平御免である。


 「喰らっとけ、クソ野郎が!」


 先手必勝。

 ズレたサングラスをかけ直した俺は重力を操作し、会議室の天井の一部を破壊した。

 狙い通り、大量の瓦礫が標的の脳天へ。

 

 対してグレイドは、目にも止まらぬ居合切りから、流れるように数撃。

 局所的に降り注いだ、コンクリートのゲリラ豪雨すらも、いとも簡単に斬り刻んでしまった。

 砂埃の奥に立つ、何事もなかったかのような影の手元には、抜き身となった刀が怪しく光っている。


「弱過ぎる貴様の罪は重い。しかし、更に劣った分際で我々に楯突いた貴様の犬が、最も罪深い」


 面倒な言い回しをしたグレイドは、刀を振った風圧で周囲の埃を払うと、一直線に奴隷の方へ駆け出した。

 増長した貴族様は、凡人に口出しされた事が何より一番気に食わなかったらしい。

 

 俺にしては幸運。

 願ったり叶ったりだ。

 奴が奴隷を手にかけている隙に、天井を闇雲に破壊してしまえば、煙に紛れて逃げ切れる。

 

 好機に口元を緩ませた俺がふと確認した、自らの斜め後方。

 大嫌いな奴隷が、自らの役割を受け入れるかのように、瞼を閉じて安らかに微笑んでいた。

 

 時が止まったような気がした、コンマ一秒間の迷い。

 歯車が狂い出す、耳障りな音がした。


「…血迷ったか、バルカン!」


「おいおいおい、一体何をやってんだ、俺は…!」


 赤い瞳を見開くグレイドの、腕から伸びた刃毀一つない刀が、俺の肺を貫いた。

 いや、実際には、俺が貫かれに行ったのだ。

 馬鹿な事に、理性が下した指示に逆らった体が、勝手に動いてしまっていた。

 この、臭くて臭くて仕方がない、奴隷を守るために。


「バルカン様、どうして…!」


「黙って失せろ!シャッツ!」


 薄汚い奴隷、シャッツが発した意味のない質問を、叫びで制す。

 名付けて以来呼ぶ事のなかった彼の名前が口から洩れる程に、俺は死を間近に感じ、焦っていた。


 刀身を握り締める俺の蠅のような鬱陶しさに辟易したグレイドは、いよいよ黒い魔素を集合させる。

 じわじわと形を変えた暗黒は、熱を放っていた。


「貴様程度の存在に力を使う事になるとは、何たる屈辱」


 グレイドが歪んだ顔で不満を語ると、嘆くように揺れた紫色の炎が俺を焼いた。


 とっさに盾にした腕を中心に、火傷、火傷、火傷。

 しかし、先の言葉通り、力を使うことが本意では無いのか、十秒足らずで炎は収まり、スライムの様に溶けた腕も、みるみるうちに再生する。


「温いぜグレイドォ!クソガキの青い炎と比べれば、こんなもんサウナだサウナ!高慢ちきなだけで、大したことねえなァ!」


「その言葉、地獄で後悔させてやる…!」


 怒りに震えたグレイドの赤いコートが、汚れた魔素で真っ黒に。

 まだまだ余力を残す彼の攻撃は、暫く止みそうになかった。


 後ろで涙を堪えるシャッツに此処から逃げ出す気配は一切無く、寧ろ足に根が張ってしまっている。

 無意味な忠誠心だけが、知らぬ間に育っていたようだ。


「地獄にまでは付き纏うなよ」


 罰を受けるのは俺だけで良い。

 シャッツと向こうで再会しないよう念じ、言い残した俺は、サングラスに隠れて目を瞑った。

 

 しかし、大蛇に睨まれた様な恐怖が、唐突に俺の背筋を撫で、覚悟も何もかも粉々にする。

 閉じたはずの瞳も、体を駆け巡る電流によって開け放たれた。


「猛犬ちゃん…さっきの話、私にも聞かせてくれないかしら」

 

 一方的に場を支配してしまう、色気たっぷりな女の声。

 会議室の全員が、突如として現れた異質な気配に息を飲んだ。


 此処まで圧倒的な力を持つ人間は、賢者の他に、唯一人。

 毒をはらんだ花のように咲く紫色の髪が、硬直する矮小な存在を嗤い、ゆらゆらと揺れている。

 

 会話が可能だったのは、遠巻きに観戦していたおかげで、たまたま恐怖の暴風域の外側に居たアイディーだけ。

 だから彼女は責任を取って、女の名を声に出す。

 合わせた両手で身の安全を神に祈りながら、恐る恐る。


「ステナ…!貴方が此処に来るなんて、今日は雨でも降るのでしょうか?」


 珍しく会議に姿を見せたステナに、汗びっしょりのアイディーが震える声でそう言った。


 残念ながら、アイディーが選んだ、雨がどうのこうのという冗談は的外れ。

 何故なら、この女が嵐そのものだからである。

 船上に居る俺たちは、気分屋な大雨と暴風に襲われており、運が悪ければ死ぬ。

 今の状況を例えるなら、そんなところだろう。


「随分な言われようね。私が来るのがそんなにご不満?」


「そ、そんな訳無いじゃないですか!」


 あれだけ悪態を吐いていたアイディーの裏人格ですらも、自ずと敬語。

 この会議室のルールがステナになった事を示している。

 ルール、神、呼び方は何でも良いが、彼女とそれ以外で、間違いなく二分していた。


 中でも、一番腑抜けた顔をしていたのはこの俺だ。

 此処がこの大陸で最も危険な場所だと、全神経が警報を鳴らし、体の至る所から粘度の高いじっとりとした液体が噴き出していた。

 ステナの毒牙が狙っていたのが俺でなければ、こんな恥は掻かなかったのだが。


「猛犬ちゃんに話を聞きたいの。あなた達は外してくれる?」


「そんな、この雑魚は殺させて下さいよ!…取り返しの付かない失態を犯した上、ふざけた態度を取る愚か者を、許してはおけません!」


 二つの人格が器用に入れ替わり、どうにかステナの我儘に食い下がろうとする。

 しかし、アイディーが飛ばした唾が床を汚す頃には、俺の側に居たはずの悪魔が、シスター服の奥で翼を広げていた。

 

 もう既に、幹部全員がとぐろの中。

 空気全体が所有物にされてしまったせいで、誰も彼女の動きを目で追い切る事ができていない。

 

「何も()()()()()()()()()って言ってるわけじゃないのよ?子猫ちゃん」


 一定のトーンの声の中に、死の香水を忍ばせたステナは、細い指で獲物の頬を撫でた。


 赤黒いネイルが顔の上でゆっくりと線を描くと、心がポキっと圧し折れてしまったアイディー。

 彼女は長いスカートを巻き込んで、へたり込んでしまった。


 そのやり取りを見ていたグレイドが、諦めたように鼻から少量の息を吐けば、俺の体に定着しかけていた刀が、ようやく引き抜かれる。

 ひゅんと音を立てて振り払った血液は床へ、刃の輝きは鞘へ。


「二度と私の前に姿を見せるな。拾った命を捨てたくなければな」


 いつもの調子に戻ったグレイドは、徐に会議室を後にした。

 革靴の音で我に返ったアイディーも、表情だけで俺を煽ってから、逃げるように消えていく。


 そうして、部屋には三人だけが残された。

 いや、一人と二匹の方が正確か。


「猛犬ちゃん。あなた、青い炎を使う転移者を見たのね?」


 命運を分けるであろう問いに、再度汗が浮かぶ。

 上手く切り抜けたいところではあったが、どう答えるのが正解か分からなかった俺は、ありのままを言って、ステナの判断を待つ以外にない。


「…ああ、そうだ。壁から南に少し離れた町のバーで、ユータとかいうガキを見た」


「ユータがそんなに近くに来ているのね!この前教えたでしょ?一番のお気に入りなの。早く約束のデートをしなきゃ!」


 相当嬉しかったのか、ステナは体をくねらせ、早口に。

 おかげで俺の中で破裂しそうだった心臓が、ほんの少しだけ落ち着いた。

 

「そりゃ良かったな。悪いが、これ以上知ってる事は無い。俺たちも消えさせて貰うぜ」

 

 動ける内に動かなければ。

 そう判断した俺が、気に障らないよう挨拶をしてから扉の方へと歩き出すと、シャッツが遅れて後ろを追いかける。

 早足になってしまいそうになるのをどうにか抑え、感情の匂いを誤魔化しつつ、俺がステナの横を通りすがろうとした、その時だった。


「そういえば、あなた達はユータを()()()()なのかしら?」


 俺たちはステナの冷めた声に、肩をがっちりと掴まれていた。


 真実を口にはできない。

 俺はこの化け物のお気に入りを、手に掛けようとしたのだから。


 絶対に表情に出してはならない。

 絶対に表情を見てはいけない。

 

 何度も己にそう言い聞かせ、声が上擦らないよう声帯をコントロールした俺は、聞き返す。


「…どういう意味だ?」


「分からないの?バーに居ただけのあなたが何故青い炎の威力を知ってるのか、聞いてるの」


「俺が店員に絡んでいたら、魔法で割って入られたんだ。炎の色を見てお前の話を思い出したから、すぐに手を引いた。…何か問題でもあるかよ?」


 一世一代の大噓だ。

 嘘という木は、事実の森に隠せば目立たないという知恵があった。

 

 早く返事を聞いて楽になりたかったが、それまでが永遠に感じ、息が詰まって仕様がない。

 そんな俺の苦しみなど露知らず、ステナは思案する素振りをして、俺を限界まで苦しめてから、やっと微笑んだ。


「そう、それならいいの!猛犬ちゃんも、いつか惚気話を聞いて頂戴ね?」


 ステナの言葉に安堵のため息を吐きかけた俺は、それをどうにか引き留め、呑み込む。

 最大の危機を乗り越えたのだ。

 下らない失敗で命を失って堪るものか。


 返事をせず数歩歩き、扉に触れる。

 遂にこの監獄から脱出できる喜びに震えた俺の耳に、至近距離の甘ったるい声。


「機嫌が良いから、一度の嘘は見逃してあげる。また何処かで会いましょう」


 鳥肌を立てた俺とシャッツは咄嗟に振り返ったが、そこにはボロボロになった会議室があるだけ。

 薔薇の香りを残して、綺麗さっぱり消えている。

 

 上位の生命体の恐ろしさに啞然としていた俺は、ふとアイディーが崩れ落ちた場所に、水溜まりを見つけてしまった。

 自分よりもビビリな人間がいた証拠のお陰で、やっと気を持ち直すことができた俺は、余裕ぶるための冗談を。


「…危うく俺も漏らしかけたぜ」


「大丈夫です。私がすぐに片付けて、着替えもお手伝いいたします」


 つまらない冗談を重ねたシャッツの頬を抓り、俺は部屋を後にした。

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