第3話 野球辞めちまえ
それは父親の祐一から言われた突然の言葉だった。
母の真美と祐輝は突然すぎて唖然としている。
祐一は祐輝の顔すら見ずに言い放った。
何も言えずに黙り込む祐輝を助ける様に真美が尋ねた。
「え、どうしてよ? やっと祐輝も頑張ろうとしてるのに・・・」
「全然努力もしねえで遊んでばっかりだからもう辞めちまえ。」
「努力って・・・まだ始めたばかりじゃない。 楽しくなかったら頑張るわけないでしょ。」
「知らねえ。 辞めちまえ。」
祐輝は自分の部屋に戻っていった。
両親の言い合いが聞こえる。
部屋には2歳年下の妹の千尋がもう眠っていた。
祐輝は両親の言い合いが少しでも聞こえない様にテレビをつけた。
何の気もなしにチャンネルを回していると祐輝は興味深い番組に出会った。
「父親の武田信虎を駿河へ追放して家中に新体制を気づいた後の武田信玄は・・・」
小学校1年生にして祐輝が釘付けになった番組はアニメやドラマではなかった。
祐輝は番組を最後まで見ていた。
まるで取り憑かれでもしたかの様に。
祐輝はその時思った。
「別に父親と仲良くできる親子ばかりじゃないんだ・・・父さんがいると野球が楽しくない・・・」
いつも腕を組んで黙って見ているだけ。
家に帰れば突然辞めろと言われる。
そもそも祐輝は野球なんてやりたくもなかった。
無理矢理、始める事になった野球を楽しくするために一輝と頑張り始めた矢先の出来事だった。
祐輝の中で父親に対する思いが変わり始めた。
そして次の日。
祐輝は小学校の授業を終えると1人で家に向かっていた。
学校と家までは遠く30分ほど歩いて家に帰る。
歩き疲れて近くの広い公園に寄り道した。
「はーい一輝もう一度。」
「へーい!!」
「あー惜しいもう一度!」
低い声の男性と聞き慣れた一輝の声が聞こえた。
祐輝は公園の中を覗いた。
すると一輝が男性と野球の練習をしていた。
一輝は祐輝に気がついて走ってきた。
「今帰り?」
「そう。」
「そっかあ。 俺は家が近いから父ちゃんと練習してる! 祐輝もやってく?」
すると一輝の父親が近寄って来た。
色黒の肌に屈強な肉体。
堂々とした姿勢だが優しく微笑んでいる。
「一輝の友達かい? どうだ? ちょっと練習していくか?」
「い、いいんですか?」
「もちろんだ。 一輝と一緒にタイガースのレギュラーになるんだよ。」
一輝の父親は祐輝を練習に加えた。
するとバットを持ってきて祐輝に渡すと一輝の父はピッチャーとなって祐輝に軽くボールを投げた。
バットでボールを打つのは初めてだったが先輩のプレーや練習で素振りだけはやっていたので振り方はわかっている。
問題はボールに当たるかどうかだった。
「行くよー。」
「はい!」
投げられたボールを祐輝は力一杯振り抜いた。
快音と共にボールは外野を守る一輝の頭上を越えて公園の端まで飛んでいった。
一輝の父親は驚いた表情で祐輝を見ている。
ボールを取りに走った一輝は戻って来ては興奮している。
「凄いじゃないか!」
「祐輝すげええ!!!」
「当たった・・・」
「祐輝君はバッターだな。 一輝。 お前はタイガースのエースになって祐輝に援護してもらえ! これは2人ともレギュラーになれるぞ。」
祐輝は初めて楽しいと感じた。
野球の楽しさを教えてもらったのは自分の父ではなく親友の父からだった。
家に帰った祐輝は母親の真美にだけ今日の事を話した。
真美は嬉しそうに微笑んで祐輝を讃えた。
それから祐輝は学校の帰りに一輝が練習していると参加する様になった。
練習が終わり家に帰ると必ず真美には話した。
しかし祐一が仕事から帰ると祐輝は部屋に戻り眠った。
徐々に親子の中は壊れ始めていた。
それは同時に夫婦の中も壊れていた。
「祐輝が楽しいって言ってくれるのが一番だよ。 頑張りなさいね。」
真美は優しく見守った。
それとは異なり、祐一は未だに祐輝に野球を辞めろと言っている。
理解しがたい父の奇行に祐輝はただ耐えていた。
そんなある日。
祐一はタイガースのユニフォームを持って現れた。
「俺もコーチになったぞ。」
祐輝は返す言葉が見つからなかった。