悪女の心得その2
いついかなる場合にも胸を張りなさい(女は常に輝いていなくては)
ワルツのリズムに乗ってステップを踏む。
イチ、ニィ、サン。イチ、ニィ、サン。
クラス中に私の美しさを振りまいてみせて、さぞや皆様の気分も上がったことでしょう、そうでしょうそうでしょう。
実は私、あまりダンスも得意ではなかったのだけれど、この美貌なら堂々としているだけでやけに上手く見えるという法則を発見しましたの。
皆様も率先してマネされるとよろしくてよ。さぁ堂々と!
多少とちった足さばきでも、最後の礼をことさら丁寧にすれば、先生もニコニコで褒めてくださってよ。
「素敵ですよレディ・マリア。とても立派でした」
「ありがとうございます、先生」
「でも、途中間違ったところは練習しなおしてくださいね」
あれっ……
ダンスは得意ではなかったの。
淑女ですから踊れるのだけれど、実際に踊る機会なんてないものだし、あったとしても私と踊ってくれる相手なんていなかった。
私、マリア・カタンベリーは、実はマリア・カタンベリーではない。
どうやら川で溺れたらしいマリア・カタンベリー嬢が引き上げられた時、嬢のどうにも話の通じない様子に、周りは記憶喪失だと診断してしまった。
間違いではないんでしょう、私はマリア・カタンベリーという人を知らないのですから。
水の中から助けられた時、私はカタンベリー嬢になっていたのです。いや、説明が難しいわ。何と言えばいいのかしら。私は、私とは違う人になっていたのです。
「二十一世紀のヤーパンなら『異世界転生』って言えばすんなり話が通じるのにねぇ」という声を、臨死体験中に聞いた気がしなくもないですが、もう意味がわかりませんわ。ヤーパンてあれかしら。極東の未開地かしら。確かその辺だったわ。
ともかく、一度死に掛けた私は目が覚めてみると、カタンベリー嬢になっていたのです。
ふわふわの金髪で華奢な体。ふっくらとした腕と整った顔。
元の私とは違う若さ。そして女らしい愛らしさ。
ええ、元はね、痩せて骨ばって、背は高すぎるしそうそう美しいと表される顔ではなかったの。
というか、元の世界は灰色で薄暗くて、こんな絵本に出てくるようなキラキラした世界でもなかった。
知らない世界の私は公爵にまでなっていた。公爵て。
えっ、勝ち組? 勝ち組ではございませんこと? どう転んでも金にも困りゃしませんわ。ランカスター公とも口を利ける身分ではありませんか。この世界にはおられませんけれど。
最強の美貌と最高の権力を手に入れた私は、もうラッキーなんてものではございませんわ、夢のようですわ、人生開けましたわ、死んで……いや、死にかけてよかったわ。
もうあんな陰気な世界とはおさらば。カタンベリーでもなんでもなって差し上げますわ。
ここのカタンベリーお嬢様は、名前だけは私の生前と同じマリアという女性でしたので、呼ばれる分には違和感ございません。あ、でもこの世界、神が違うらしくて聖母マリアの名が通用しないのです。そのあたり、全然違う世界に来てしまった感じがあってちょっと薄気味悪かったのですが……まあすぐ慣れますわ……どうせ、違う人生になってしまったのですから。
ここはどこ、私は誰、の状態から始まったものの、ヘイシリーのおかげで不自由なく過ごせていますし、どうせなら何不自由ない二度目の青春を力いっぱい謳歌するまでですわー!
授業が終わると、賑やかなお喋りが始まります。
「ああ、なかなかうまく踊れないわ」
「次のパーティまでになんとかしたいのに」
金とヒマを持て余しているらしい貴族たちはよくパーティを開いてダンスを踊るんですって。まるでベルサイユですわね。なんていい世界なのかしら。
「リッチモンド公の主催でしょう? 気合いれないと」
「誰に見られるかわからないものね」
「見初められるか、でしょう?」
あらいやだ、ときゃあきゃあ歓声もあがる、そうですわね、どこかのハンサムとどんなロマンスに発展するかわかりませんからね。期待もしてしまうでしょう。
といっても、この学院ではもう婚約者が決まっている方も多いのですけど。
そしてなぜか、流行りなんだとかで、婚約破棄とやらもしょっちゅう行われているんですけれど。新しい貴族の遊びかしら。
でも、お相手のいない年頃の女としては、そりゃあ命題ですわね。
「あーあ、次も壁の花かなぁ」
溜息をもらすクラスメイトの隣にいた私は、迷いなくスックと立ち上がりました。そして何かを察知したヘイシリーが一歩前に出ます。よろしくて?
「いついかなる場合にも胸を張りなさい!」
花びらパアッ! ……よし、今日も決まりましたわ。
「まずは自信を持つのです。それが美しさの秘訣ですわ。正しくても自信のないステップだと、それだけで間違っているように見られてしまいますわ。逆も然りですからね」
「ああ、だからマリア様はいつも堂々としておいでですのね」
さも感心したというように述べられた追従の声でしたが、ふっと周りは静まりました。
……ですわよね。その反応で合ってますわよね。
私のダンスって間違いだらけだもんねーワカルーって言われましたわね!?
「なんですってー!」
私が正当なる怒りで瞬間的に沸騰したとたん、みんなして顔を伏せやがりますわ。ええい誰ですの、正直に名乗り出なさいっ!
「そ、その、マリア様はいつもお美しくてらっしゃるから……」
「そうそう、普段からの立ち居振る舞いがですわよ、ね?」
「そりゃあもう、ご立派な様子でいらっしゃいますので……」
オホホ、と笑って誤魔化すモードだ。ええいことなかれ主義め。
「マリア嬢」
と、このピリピリした空気を読まず、あちらからやってくる男性が一人。
「あらベンジャミン様」
「あ、じゃあ私どもはこれで……」
いいチャンスだとばかり、みんな言い訳しながらそそくさと去って行く。……まあいいわ。呼ばれた私は手を上げてヘイシリーに聞きます。
「ヘイシリー、こちらはどなたかしら」
「はい、ロード・ベンジャミン・リッチモンド様です。リッチモンド公爵家のご子息、お嬢様の婚約者様でございます」
顔を見るなり即座にヘイシリーを呼ぶ私にも動じずに、彼は控えめに微笑み続けてくれている。
とても心の広いお方のようですわね。それに、向かい合ってよく見れば、美女の私につりあった美男。ふむ。悪くないですわ。ちょっと線が細すぎる感じはあるけれど。
相手がわかったので、私もうやうやしくお辞儀いたします。
「ごきげんよろしゅう、ベンジャミン様」
「うん、マリア嬢も体調はいいのかな。……来週のパーティには来てくれるよね」
そういえばパーティはリッチモンド公爵との話をしていた。彼のお屋敷で開催ですのね。
「はい、喜んで」
「マリア嬢のことだからきっと、素晴らしい装いだと思うけれど」
「もちろん、そうですわね」
まあ私のことだから何を着ても似合うんでしょうけど。
そんな当たり前のことをわざわざ口にしてまで何が言いたいのか、ベンジャミン様はなんとなくソワソワとした様子。
「うん、だったらその。つけてくると思うんだけどさ……ブローチ」
と、胸の前で人差し指と親指で丸を作ってみせる。
「ブローチ?」
「このあいだ、僕がマリア嬢にプレゼントしたものだけど」
不安そうに覗き込むベンジャミン様の目を見て、察するものがありました。
「ああ! あれですわね!」
「そうそう、それ」
反応を示せば、あからさまにホッとした様子を見せてきます。何でしょう。
「よかった、それを持ってきて欲しいんだ。頼む。明日にでも」
「明日? パーティにつけてくるのではなく?」
「ごめん、あれは素敵なものだからドレスも合わせようとしているだろうけど、その……一度、返してくれないか。悪い」
はぁ。
何ですまぁ人にあげたものを取り返そうなんて、随分としみったれた話ですわ! ……と、いつもの私ならキレ返すところですけれど。
相手も身分のある方ですし、何より婚約者だ。ここで揉め事はよろしくないですわね。
それに、困ったところを助ければ好意も爆上がるでしょうし。感謝してくれてもよろしいですわよ。
「わかりました……アレですわよね、ブローチ……」
「そう、ダイヤの」
「ダイヤのね。丸い……」
「四角い……」
「ああ、四角いダイヤのアレですね、はいはい……わかりましたわ」
私が承知すると、ベンジャミン様は来た時と違ってすっかり気持ちの晴れた顔で「お願いするよ」と念を押し、あっさりと去っていかれました。
さて、こうしちゃいられない。
「ヘイシリー!」
「はいお嬢様」
「それっていったい、どんなブローチなの? 私、覚えてないんだけど」
だいたい、婚約者の顔も覚えていなかったのに、そんなイベントがあったなんて知らないわ。
だけどヘイシリーも、ここで頭を下げてみせた。
「すみませんお嬢様。私はお嬢様が事故にあわれて記憶を無くされたここ数日、ずっと一緒におりましたが。その前は四六時中張り付いていたわけではございませんので、存じ上げないのでございます」
なんですって。
自分の部屋に帰って宝石箱をあさる。
ブローチは、そこそこある。だけど色石ばかりで、ダイヤは見つからない。
「まあひとつありますけど……ちっちゃいですわ。ハート型だし」
ベンジャミン様のあのゼスチャーから、わりと大ぶりなモノだと思いましたけど。どうなんでしょうか、実際。
見たこともないものを探すのなんて無茶ですわ。手持ちの中には、それらしいものはないし。ダイヤで四角いデザインのブローチ。
「どういうことですの。どうしたものですの。ヘイシリー!」
「メイドらも、該当の品物は見てないとのことですが」
「職務怠慢だわっ! ちゃんと管理してないからこんなことになるんでしょっ! アナタたちの責任ですからねっ!」
呼び出したメイドたちは探しながら首を竦めている。まったく! 仕事なんだから私の世話は完璧にしてほしいわっ!
「そうなのですが、お嬢様」
ヘイシリーが髭と首をひねりながら意見します。
「先ほども申し上げましたとおり、事故の後なら私が見ておりますので知っているのですから、貰ったというならその前でございます。そして、お嬢様はベンジャミン様からのプレゼントがあることを私どもには伝えておられませんでした。それは、どこで貰ったものでございましょう……学院での出来事ならば、ご学友のどちら様かがごらんになっておられるかもしれません」
それもそうね。
明日にも持っていくと言ったけれど、形もわからないんなら仕方がないですわ。
まずは情報収集から参りましょう。
「ああ、それなら見ましたわ」
情報は、あっさりすぎるほどあっさり見つかりました。というか、みんなが知っていましたわ、どういうこと……
「ベンジャミン様からのいただきものですわよね?」
「だって、お教室でお渡ししてましたしね。みんな見てましたわ」
「『マリア嬢、僕の気持ちをこの宝石に託して君にささげよう』なんて」
「素敵よねぇ。私も言われてみたいわ」
なんなんですかしらこの学院。色恋沙汰はみんなの前で大声で、とかいう決まりでもあるのかしら。
絵心のある人に頼んでイラストにしてもらいましたところ、スクエアカットでリボンのついたデザインということがわかりました。やはり大きいですわ。しかもダイヤでしょう?
これは相当、値の張るものだと思われます。ああ、どうして見当たらないんだろう、もったいない。
「たしかこんな感じだったと思いますけど」
イラストを眺める私に描いた人はそう言ってくれた。
私が記憶喪失なことは知れ渡っているので、みなさん親切ですわ。でもツッコまれることもある。
「でも、どうなさいましたの? 現物を見れば……えっ、まさか……お手元にない、とか」
「そんな。まさか。ですわ。あるわよ。ただその、私の宝石箱にはアクセサリーがあふれているので。どれが貰い物だったか、定かではなくなっただけですわ。これですわね。ありますとも」
いや無かった。無かったわこんなの初見だわ。昨日見た中には無かったわ、少なくとも。
ヤバい。もしかしてピンチじゃないかしら。これ、弁償となったらおいくらかしら。
「でも……」
話を聞いていた一人が、考え考え言った。
「あれって、マリア様が事故にあった日じゃありませんでした? そりゃあ記憶も曖昧になりますわよ」
事故。
マリア・カタンベリー嬢が記憶を無くした忌まわしき事故とやらは、学院の裏を流れる川に足を滑らせて落ちた、らしいのです。まー、助かって良かったですわね。
しかし、そうだとしたら……でも、まさか。
「あーら、オホホ。そうなのねーぇっとじゃあ、ありがとう、ごめんあそばせ」
嫌な予感しかしない私は礼もそこそこにお教室を抜け出しました。
なのに、一人になりたい私について教室を飛び出してくる、空気を読まない人物が一人おります。
「マリア様!」
健康そうな栗色の髪をした女生徒。ええと。
「ヘイシリー?」
「モニカ・リシンスク嬢、家の爵位は子爵でございます」
だそうで。
やってきたモニカ嬢はおずおずという感じで私を見上げてきます。小柄なのよね。
「あの、マリア様……もしかして、ですけれど、ブローチ、無くされたのでは……」
「ま! 失礼な! なんの言いがかりです!」
子爵ごときが私の失態を探ろうなど。無礼ですわ。
「だって、ブローチを貰った後に事故に会われたわけで、家にお帰りになってなかったのならそのまま持っていた可能性が高くて」
ぎくっ。
「川に落ちたのならもしかして、その時に手放してしまったのかもしれないと思って……」
ぎくぎくっ。
「マリア様……もしかして、困っておいでですか? 川辺を探してみませんか? なんだったら、私もお手伝いいたしますが」
やっぱりそうですわよね、そうだと思うんですけどそうはプライドが許さなくてよ。私が大切な……婚約者から貰った宝石を無くしただなんて知れたら困るのです。
「言いがかりだって言ってるでしょう! 私は何も知らな――帰りますわ」
「えっ」
「帰りますわ、ヘイシリー、馬車を回して! 何かこう、頭痛が痛いから帰りますわ、早引きいたしますわー!」
くるりと踵を返した私のあとをヘイシリーが追ってくる。そしてその向こうに、ベンジャミン様の姿が見えたのだ……今日は私、体調不良で帰りますの、また明日にしてください!
こうなったらもう、夜中にでもこっそり探しに行くしかないですわ。
「ヘイシリー、準備はできて?」
「はいお嬢様」
召使を十人ばかりならべてヘイシリーは返事をします。手にはそれぞれザルを持って、これまるで金浚いですわね。
「ほっかむりもさせて頂戴、うちの者だとバレないように探すのよ」
「はいお嬢様」
そこにメイドが顔を出してきました。
「あのう、お嬢様にお会いしたいという方がお見えですが」
まぁ誰かしらこんな時間に。
玄関まで出向いてみれば、あら。昼間の。モニカ嬢、でしたわね。
「マリア様あの、これを……」
と、そっと差し出してきたのは、これは……例のイラストそっくりのブローチではございませんの!?
「どうしてこれが!」
思わず叫びましたが、ほどなくわかりました。
手渡されたブローチが濡れています。というかモニカ嬢まで。頭からぐっしょり。
「あなた、まさか……」
「探してきちゃいました。橋の、少し先のカーブ地点に沈んでましたよ」
「ほっかむりで……」
「えっ?」
ゴールドラッシュの真似事してきたのかと思うと笑えるわ。どんな格好だったのか、見てみたいとこだった。いや、それより。
「わざわざこんなことして……いったい何のつもりなの?」
人の弱みにつけこんで、ゆすりたかりでも始めようというのか。いい度胸ですわね、子爵程度の分際で。
鼻息荒くした私にモニカ嬢は少し恐れをなしたようです。
「な、何のと言われても……マリア様がお困りでしょうと思って」
「正直におっしゃい。本当にそれだけですの? わざわざ川にまで浸かって」
モニカ嬢、ちょっと黙った後にお願いのポーズをしてきた。やっとしゃべる気になったらしい。
「では、マリア様。実は私、リッチモンド公のパーティに行ってみたいんですの。私の身分だと、なかなか行けるものでもありません、どうかマリア様のお力で、手引きをお願いできませんでしょうか」
ははぁん。なるほど。
確かに参加できないのでしたら壁の花以前の問題ですわ。上のクラスの仲間入りをするにはツテが要りますものね。なりふり構わないその姿勢、嫌いじゃないですわよ。
「……わかりましたわ」
こちらとしても、ピンチが切り抜けられるのならめっけものですから。ここは手を組みましょう。
「そのままじゃ風邪をひきましてよ。着替えておいでなさい。お湯も使わせてあげますから。ヘイシリー! 着替えを用意なさい! ……そしてこのことは、くれぐれも内密にね」
わかっているという風にうなずいて、こっそり笑うモニカ嬢は指を口に当てた。
パーティは花盛り、どれも食べ盛りですわね。
ハレの日、当日。
リッチモンド公主催のパーティですから、そりゃどちら様もよろしいご身分の方ばかりでしてよ。とてもゴージャス、目の保養。
そしてクラスメイトも多くおられますわね。あちらに見えるのはモニカ嬢。私と目が合うと共犯者の馴れ馴れしさでウインクなど見せてきます。最新モードのドレスなど……お召しですわ……なんか小生意気ですわね。
ロマンスもあちこちで見受けられます。どっちを向いてもカップルカップル。本当みなさまお盛んなこと。
「マリア様のところはどうなんですの。そろそろ、ベンジャミン様と正式に結婚の発表があってもいい頃だと思いますけど」
そうですわねー私もそう思いますわ。
「もしかして、今日にでも?」
「これだけ大掛かりな催しですしね。もしかしたら……」
「あら素敵ぃ」
「将来安泰ですわね!」
そうでしょうそうでしょう、私もそう思いますわー。
そこに、ベンジャミン様がこっそりとやってきました。
「あの、マリア嬢、ちょっとお話があるんだ」
いよいよですわね、大丈夫、わかってますわ。
私は得意げに胸を張りました。
「ええ、どうぞ」
「ここじゃなんだから、あっちの部屋で……」
「あら、私は構わなくってよ」
そうですわよ、大事なことですから、みんなの前でも、ねえ、待っていたんですし。
周りの同級生も援護射撃を見せてくれます。ワクワクとこちらに注目。
ベンジャミン様の後ろに、リッチモンド夫人、つまりベンジャミン様のお母上様まで姿を現しました。舞台は整いましてよ。さあ早く。
ベンジャミン様はみんなの期待を一身に受けてその場から動けなくなった様子。そのくせぐずぐずもじもじするのですから、見てられませんわね。ほらがんばって。
やがて彼は言った。小声でボソボソと。
「マリア・カタンベリー嬢……すまない、君との婚約は破棄させてくれないか」
ハァん!?