磨りガラス
義母は毎朝「今日は天気悪そうね」と悲嘆いたしておりました。
磨りガラス越しに見れば、どんな世界も朝は曇り空でございます。
「お勝手のガラスを変えたからですよ」と説明し窓を開けてみると、毎度とても不思議そうな顔をしておりました。
分かっていても、北向台所の磨りガラスでは、どうしても天気が悪く見えてしまいます。
そんな会話が、今日も一日が始まったと知らせてくれているようで、私はまんざらでもありませんでした。
しかし主人は、毎日繰り広げられるそんな会話に辟易しておりまして、義母に「何度言えば分かる」「まだボケるな」と厳しく当たっておりました。
それでも義母は、笑って受け流しておりました。
義母が亡くなった翌朝の事です。
珍しく早朝、台所まで牛乳を取りに来た主人が「なんだ、雨でも降りそうな天気だな」と申しました。
まさか義母が亡くなっても、変わらず同じ言葉が聞けるとは思わず、つい振り返って主人を見つめてしまいました。
その時の主人の「しまった」と言いたげなあの顔と言ったら、今でも手に取るように思い出せます。
いつも通り「お勝手のガラスを変えたからですよ」と言いながら窓を開けると、その日に限り、予報に反して小雨が降っておりました。
変わらぬ日常と言うのは、意外に脆く失くしてから気づくものなのですね。