準備
「ああ、デロベカタツムリって言ってな……おい、顔寄せんな」
「こうしないと内緒話出来ないじゃないですか」
「お前さっきニンニク炒めヌードル食ったせいで口くせえんだよ。踏んだり蹴ったりだな俺。せめて口閉じてろ。俺が一方的に耳打ちする」
「んむ」
「よし、久々に素直だな。マジで久々だな。昔はお前がそんな奴だって思ってなかったよ」
「リヤドロさんにたばかられる内にひねくれたんですよォホォ~~~ウ……」
「ぐえっ、わざわざ吐息混じりに喋るなっ、うわくっせえ!オエッ!うっぷ!」
「んむ」
「お前後で歯磨けよちゃんと…あー返事しなくていい!こっちも見るな!向こう向いて口閉じてろ!マジでな」
唇をつぐんで口を閉じ、リヤドロの方を向いたハーシーの耳に恐る恐る顔を寄せると、リヤドロは『デロベカタツムリ』について小さな声で語り始めた。
「いいか、デロベカタツムリってのはな、ルクロンの等級を青緑まで強引に上げることが出来るんだ」
「んーふー?」
「そのルクロンだ。アーティファクトの材料になるあの綺麗な石。あれの不純物を除去するのは散々、三百年以上試行錯誤して不可能って結論が出たが……」
「んんんむん……」
「そう、唯一除去する手段がそのデロベカタツムリだ」
「んむ?」
「なんでも、俺らの目には見えないほどちっちゃい捕食器官を持ってて、そいつがルクロンの表面に空いてる、これまた見えないほどちっちゃい穴に入り込んで……それが不純物まで届くとじわじわ食ってくれるんだと」
「んんー」
「つまりそいつさえいれば時間はかかるが一級品のアーティファクトが作り放題。九百年前、最初に発見されてその生態がわかってから魔法使いも鍛冶屋も商人も血眼で探し続けてるよ。今ある魔法系のギルドなんざ結成直後から探してるぐらいだ」
「んんんぐんんんんんぃんんんんんんんん?」
「あ、もう話していいぞ。俺から—————」
「ぶっはぁ!!」
「顔を離してからで頼むって今言おうとしたのっ!に、オエエエエエエッ!!クッッッッッッセエエエエエ!!!!!」
「お待たせしました!肉焼き飯でお待ちのお客様は?」
「あ、店員さん。俺のです」
「俺の注文だよ!!まだ食い足りねえのか!オエッ!」
「リヤドロさんもそんなゲーゲー言ってるのによくメシ食おうと思えますね」
かたや喧しくえずいて何かを吐きそうになっているのをこらえているようにしか見えない男。かたやすまし顔で自分の手元に置くように指示する男。悩んだ末、ウェイトレスはテーブルの真ん中に焼き飯を置いてその場を立ち去った。
「お前っ、マジで奢れよ今回!エ゛オ゛ォッ!」
「正直そのえずいてる声を聞いて覚える不快感の方がニンニクの臭いの不快感より強いと思ってるんですけど」
「ガアアアアアアアアアッ!!!ホゴハッ!ンヌッ!!」
「リヤドロさんさすがに言わせてください。めっちゃうるさい」
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その後、両名はリヤドロの提案により二日の“準備期間”を設けることを決め、その場で解散した。集合場所はイヌンタロス公国。そのトーニコ地区のストリヴァージュ。二人が籍を置く“冒険ギルド”が支部を構える、空よりも青いと称される海を一望できる街だ。
街の至るところには澄んだ水が絶え間なく流れ続ける、浅くて小さい水飲み場のような水路が複雑に巡っており、街を眺める角度によってはギリシャのサントリーニ島にエッシャーが手を加えたような印象を感じるかもしれない。
そのストリヴァージュの街の片隅、冒険ギルドイヌンタロス支部内にあるガラガラの立ち飲み酒場にて、ハーシーは刻限の四時間前には既に到着し、既に二時間リヤドロを待っていた。
「早く来てくれたりしないかなあ………………」
立ち飲み酒場だというのに、遠慮なく床に座り込んで何かの本のページをつまむようにめくりながら暇を潰すのもそろそろ限界らしく、パタン!と大げさな音を立てて本を閉じた。自分以外誰もいない酒場にはよく響く音だった。ハーシーは、閉じた本を背中に背負った大きなカバンにしまうと、目の前にありながらも本に目を通していたせいで見向きもしなかった大きな掲示板に視線を移した。冒険ギルドへの依頼書がいっぱいに貼り付けられている。ハーシーはその中の一つとして受注するつもりは無かった。ただ目を通しているだけ。どれも難易度が高く、時間のかかるものばかりだからだ。自由を愛する冒険者にとって、義務による束縛などいらないし、仕事で向かう場所を決めるなど以ての外であった。
たとえば希少な植物の採取依頼の場合、たまたま冒険の途中でその植物を拾うことがあり、さらにたまたま受けてもいない依頼書の内容が頭の片隅に残っていたら“まあ助けてやるか”程度に気まぐれを起こして初めて依頼を受注し、そして即座に品物を渡して依頼を達成する。冒険ギルドに依頼しても、それが叶うパターンはこれか、構成員が小遣いを稼ぎたいときぐらいしかない。それでも依頼が山ほど来るのは、『絶対無理』な依頼でも、『たまに』達成されるからに他ならないのだ。なんせ構成員が全員世界中に散らばっている。珍しいものの一つや二つ。年に何度かは見つけようというものだ。今回のハーシーのように。
「あの人いっつも軽装だからこういうとき準備に手間取るんだよなー」
背負ったままのカバンにもたれ、ぽつりとぼやいた。確かにリヤドロは冒険者としては目立つぐらいに身軽で、ポケットのやたら多いウエストポーチだけを基本装備とし、たまに少し大きめの麻で出来たショルダーバッグを提げている程度だ。
反対に、ハーシーは極端なぐらい“物持ち”であった。背中に背負ったカバンは長身の彼が背負っていてもなお大きいとわかるほどで、中には鉈やロープ、替えの靴や鍋、火打石、水筒、油、干し肉やチーズなどの保存食、エトセトラエトセトラ……他にも、彼はカバン以外の場所にさまざまな道具をしまっている。
地べたに座ろうとすればハーシーの尻よりカバンの方が先に地面に触れるほど大きいカバン。地面に置いてもたれかかっても倒れないほどに重いカバン。それだけ色々詰まっているので、ハーシーは盗まれたら笑いごとじゃない。と考えなるべくカバンを身から離さないように心がけている。
……が、正直に言って盗むにはあまりにも重すぎるので、まず盗まれる心配はない。
このように、普段から大量の荷物と共に世界中を駆け回っている彼はリヤドロのような軽装で冒険する輩が信じられないし、理解も出来なかった。普段から万全に準備をしておけばこういうときスムーズに動けるのに。と内心リヤドロを侮蔑していた。
「大体、二日もかけて何を準備するつもりなんだか……」
女の化粧でももっと短いよ。と内心で付け足した。実際はハーシーが四時間も早く到着したせいで暇をしているわけだが……
ハーシーが身勝手な独り事をつぶやいた瞬間、それを聞きつけたかのような勢いで掲示板横のドアが開かれた。リヤドロが到着したらしい。二日かけて準備をしていただけのことはあり、その背中にはハーシーのものほどではないが大きく、ずっしりとしたカバンが背負われている。
「うーっす!元気かお前ら!って、誰もいねえのかよ………えっ?ハーシーお前もう来てたの?」
「どうも。三時間前から来てましたよ」
「は?今が待ち合わせの一時間前だから、四時間前から待ってたのか?マジかよ………」
リヤドロは後ろ手でドアを閉めながらうげっ。とあり得ない物を見るような目でハーシーを見た。当のハーシーは不服そうだ。
「俺からすればこの二日間ずっと待ち時間みたいなもんですよ。何をそんな準備する必要があったんですか」
「わかりきったこと言ってんなあ。これに決まってんだろ」
リヤドロはよっこらしょ。とカバンを下ろし、かぶせを開いた。