私と先輩
少し気鬱気味になっていた私を励まそうという気遣いなんだろう。それでも先輩と遊びにいくのは楽しみで。
ユサ先輩は仕事で参加できないからと言って軽食をバスケットに詰めて押しつけてきた。
色っぽいウィンク付きで「楽しんでらっしゃい」と。
足早に移動する先輩より遅れめな私の手をとって先輩は街中をスタスタ歩く。
手袋越しでぬくもりは伝わらないけれどはなれないように強めに掴まれた軽い痛みにドキドキする。
「歩くの疲れたら言えよー。ユサのヤツはうるせーけど、お前はなかなか言いださねぇからな」
「ユサ先輩が言ってますからねぇ」
私だって不満があれば黙っている方ではないのだけど、先輩の印象ではどれほど我慢しているように見えているんだろうかと思ってしまう。
「まぁな。ユサはお前を逃したくねぇって言ってるけどさ、お前は今に不満はないのか? 俺らは確かに強引だったからな」
後半少しトーンを落として告げられた言葉に私はつい足をとめた。
不満?
考えたこともなかった。不安はあっても明確な不満はなかったのだ。
「コラ、往来では立ち止まんなよ。歩かねぇと抱き上げっぞ」
それは嬉し恥ずかしでやめて欲しいので足を動かす。
「不安はあっても不満は思いついてませんでした」
「俺に事務押し付けられてたのも不満じゃなかったみたいじゃねぇか」
舌打ちの音。先輩の視線はちらとも私を向かずただ前に進む。先輩の横顔でも見たいと思えば少し足を速めなくてはいけないだろう。きっと私の顔はニヤついているからダメだけど。
「あー、実は先輩気にしてたんですか?」
「っばっ、んなもん気にしてっかよ!」
揶揄うように問えば、勢いよく言葉が返ってきた。
「それは良かったです。私は頼られてるようで嬉しかったですよ」
振り向くことなく歩く先輩の歩調が少し速くなり、掴まれてる手の痛みが強くなる。
他意なんてない意味のない行動で早くしろと安全確保だけなんだろうと思う。それでも私には嬉しくて心が弾む。少しぎゅっと握り返す。
「ところで先輩、どこに行こうとしてるんですか?」
目的地をまだ私は知らない。
「決めてねぇ」
「はい?」
「だから、決めてねぇよ」
「じゃあ、どこでお弁当食べるんですか?」
「じゃあってなんだよ。その辺?」
聞かなかった私も悪いが決めぬまま決まってるように歩く先輩も先輩だ。何が悪いんだって感じで頭を捻る先輩を意識から追い出して携帯でランチピクニック近隣で検索をかける。
「植物公園とか動物園はどーです?」
「んなとこ行って遊べんのかよ?」
「とりあえずお弁当食べれますよ」
つまらなさそうな反応の先輩を今度は私が引っ張って行動する。それはちょっと新鮮だった。
先輩が私を見失なうとは思えないのに繋いだままの手が嬉しい。
どちらかと言えば夜間部の仕事以外はデキナイ先輩。予定と行動手段を組んでるのはユサ先輩で。そのできる仕事の時とデキナイ無能さを晒してる時の自由さが私にはとても眩しくて、補える自分が少しだけ好きになる。
つまらないかもしれないと思った動物園で檻に入った動物や魔獣を見ながらその生態や習性・狩り方を私に解説してくれる先輩のテンションはコースを進むごとに上がっていってとても楽しそうだった。
私はそんな先輩を見てるのがすごく好きで、しあわせだなぁって、このまま時間がループすればいいのにと考えていた。
そう、私は憧れたフィティカ先輩にいつの間にか惚れ込んでいたんだと思う。
私は私がとても好きではない。
小柄で貧弱。あまり他人の機微をうかがうことも得意ではない。幼い頃は幾度も生死の境を迷う病弱ぶりで両親を疲弊させた。弟が生まれてしばらくして両親がその育てやすさに喜んでいた。たぶん私を疎んだ訳ではなく、私がそれだけ苦労させただけだったんだとは思う。実家を出た今でも週に一度はメールが届く。私の体調を気遣い、弟の成長を喜ぶメールが。
私が病弱だった理由は魔力総量が多いせいだと魔法学の先生に教えられるまで魔力が高い自覚もなかった。
先生は楽しげに魔力操作と自分の知る魔法を教えてくれた。必要魔力が多いので自分は使えない魔法ばかりを。私は、褒められてできることがあることが嬉しかった。一度だけ、使う機会があった。魔法を。
先生が『今だ』と言った瞬間を覚えている。
先生が、『成功だ。完成した』と笑っていたのを覚えている。そのまま、先生の首は胴体からズレていった。白くも見えた刃物の残像。
私の魔法は使えないものだ。体から魔力がでていく爽快感は魔石への魔力封入とは桁違い。すべての感覚からモヤが払われたような視界で感覚で先生の笑顔を見ていた。
私の魔法は使ってはいけないものだ。
「おーい。開けるぞ」
暗闇に細い光の線がひろがっていく。
「せんぱい?」
どこか掠れ気味になった声に違和感を感じながらドアに立つ影に声をかける。
「うなされてたみたいだが大丈夫か?」
「夢見が悪かったみたいです」
平気そうな声を出したいのに失敗している気がする。失敗しかできない気がする。
残像のように残る先生の落ちていく笑顔。
「ホットミルク、飲むか?」
先輩がのっそり入ってきてマグカップが差し出される。
「夜の異性の部屋に入ってくるもんじゃないですよ。先輩」
詰るように言った私にぬるいマグカップを押し付けて悪戯っ子ぽく笑う。
「っは! 悪夢に怯えるガキが異性なんて生意気なもんになれっかよ。うら、飲め」
明らかな飲みさしのホットミルクに口をつける。
「ガキじゃありませんから」
わしゃわしゃと髪がかき混ぜられる。
「ああ、もう。飲んでるんですから揺らさないでくださいっ」
ぬくもりに怖気が止まらないほどに嬉しくてこわい。
こんな自覚いらなかった。
フィティカ先輩が好きだ。