4 前世の記憶
月夜の影が優しく揺らめくなか、セイラはゆっくりとラビナのほうに顔を向けた。
セイラの顔には僅かに水滴の後が残っている。
瞳は暗くて見えないが、目元は赤く腫れており微かに震えた声がラビナの名を紡ぐ。
それはいつも聞いているアルトの音で、いつもなら思いもよらない弱々しい響きだった。
沈黙が訪れる。
ややあって、セイラは目元を拭い、強引にいつもの凛とした声に戻そうとした。
「こんなところで何をしているのかしら」
今、何時だと思ってるの?と非難を込めた目線でラビナを見る。しかし、それもいつものような厳しさはなく、ただただ儚げに見つめるだけである。
そんなセイラに対し、ラビナは柄にもなく動揺していた。
何しろラビナは生まれてからこのかたセイラの泣いている姿を見たことがなかったのだ。
常に冷静で頼りがいのある姉が何故――、と考え今までの好奇心はどこへやら、ラビナもまた自信なさげに問う。
「どうしたの?」
気遣った言い回しもなく、率直で、簡潔。
しかし心配していることは十分に伝わったようで。セイラは困った顔をし、それからふっと相好を崩して彼女の隣をポンポンと軽く叩いた。
「少しだけ昔話を聞いてもらおうかしら」
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前世、って信じる?
セイラはこう、少しおどけたように話し始めた。
「私には前世の記憶があるの。それも少し不思議な記憶。私は女子高生――17歳の時に自動車っていう馬車みたいな乗り物に引かれて死んだの。そこまでは普通なんだけど、二年前、その記憶が戻ったときに少し気になることがあったの」
そこで一拍おき、セイラは一言一言言葉を選ぶよに話していく。
セイラの前世には『乙女ゲーム』という物語を体験するものがあった。
その物語の種類は豊富で、恋愛小説で味わうような幸せをもたらす、女の子の夢を詰め込んだ一品。
その中でもセイラはとある物語に嵌まっていた。
それは光の魔法が使える庶民の、彼女だけの王子様を探す、深く、甘い恋の物語。
きっかけはある日、教会の前で女の子が馬車に引かれ、怪我をしてしまうという事故から始まった。
そこに偶然通りかかった彼女が自らの魔法で癒したところを貴族に見られ、魔法学校に連れていかれてしまう。
魔法を使えるものは全員行かなければならない学校だが、魔法を使える殆んどの者は貴族であり、庶民の入学なんてこの数十年なかったのだ。
彼女がその存在を知らずに通っていなかったとしても無理はない。
しかし、その貴族にしてみれば、彼女を放置しておくこともできなかった。
何しろたいした詠唱もせずに少女の痛々しい足を治して見せたのだ。王宮の魔道師でもそんなに短文で、疲労も見せずに部位欠損を治せるものはいない。
もしかしたら聖女の再来か?と危惧し、孤児の彼女を引き取った。
そうしていきなり学園に放り込まれた彼女は、王子様や魅力的な貴族たちと恋に落ち、様々な困難や障害に立ち向かっていく。
それはとても過酷で、辛くて。
何度も逃げ出しそうになりながらも健気に立ち向かっていく姿にはプレイヤーすらも息をのみ、ハラハラと行く先を見守った。
その『困難や障害』の最たる例が『悪役令嬢』。
彼女達は主人公の行く先々に現れ、時に陰口を叩き、時にドレスをビリビリにし、時には階段から突き落として主人公を崖っぷちに落とす。
口癖は『あら、汚らわしい庶民ね。』である。
何度立ち向かってもしつこく邪魔をしていく悪役令嬢は、いずれ聖女として能力を発揮する主人公に糾弾され、地の底へと墜ちていく。
悪どいことをされ続けようやく倒すことが出来たときの爽快感はえもいわれぬもので、誰もがよっしゃ!と声をあげたほどだ。
何故その物語が、気になったかというと。
この世界の人物が、ラビナ・ユートリアが、セイラ・ユートリアが。
余りにもその『乙女ゲーム』の『悪役令嬢』に似すぎているからである。
どのくらい、と問われれば、瞳の色から肌の白さ、髪の色や、嘘をつくときにさりげなく髪を弄ぶ仕草も、そっくりそのまま『物語』だ。
そして―――現実逃避しないのならば―――この国、フラネス王国の風土も、王子の名前はもちろん性格も(といってもまだ数回しか会ったことがないが)、全てがあの物語に似ていた。ーーいや、それは語弊があるかもしれない。正確に言えば、その物語そのものだった。
ブックマークありがとうございます。これからもどんどん更新していくので是非是非見てくださいませ。