ありきたりな転生(前)
俺の名は成原ゆずる、ごく普通の高校生……だったはずだ。しかし今、俺は現世と異世界の狭間にて『転生の女神』なるものと向かい合っている。
転生の女神なる女性は、非常にふくよかな胸部を持つ肉感的な肉体に、透けそうなほど薄い衣を纏っただけの大変美人なお姉さま系で、それだけでも気分的にぐっとくるものがあったのだが……俺はもっと大きな感動に打ち震えて感極まった声をあげた。
「すげえ、アニメで見たとおりだ!」
そもそも俺がここに来たのはトラックにはねられて現世での死を迎えたからであり、これは俺が好んで楽しんでいたコンテンツ――いわゆる異世界もの系の王道である。
しかも転生時に異世界の『転生をつかさどる女神』と顔合わせするというのも王道、ならば次なる王道はアレだろう。
――異世界に転生するにあたり、あなたが困らないだけの能力を与えましょう――
女神の言葉に、俺は咆哮した。
「キタコレーーーーーー!」
驚いたのは女神の方である、ぴょんと大きく飛びのいて、俺を警戒のまなざしで見たのだ。
「え……何が来たの?」
「これ、チート能力の付与ってやつっすよね! すげえ! まさに異世界転生って感じ!」
「あなた、異世界に転生したことがあるの?」
「いや、さすがにそれはないっすけど、アニメとか小説でよく見るパターンなんで」
「あに……め?」
「ああっ、異世界の女神様じゃわかんないコンテンツっすよね。そうっすね、この世界には芝居ってあります?」
「お芝居? それならあるけれど、それが異世界転生とどうつながるの?」
「アニメってのは、その芝居みたいなものですよ、まあ、舞台じゃなくて、テレビの中で演じられるって違いはありますけどね」
「て、てれ……?」
「あ~、そうか、テレビもわからないっすよね」
女神は、根が善人なのだろう、急にシュンとしおれて小さな声でつぶやいた。
「ごめんなさい、勉強不足で……」
俺はとびきりの笑顔で答えてやる。
「気にしないでいいっすよ、異文化交流にはよくある、文化の壁ってやつです」
俺の笑顔に安心したのか、女神もにっこり笑う。
「あなたは、ずいぶんと物知りなのね」
「そうでもないっすよ」
「いいえ、とても物知りだわ。異世界転生についても知識があるみたいだし」
「そっすかねえ」
「ともかく、わかっているなら話が早いわ。この世界を救ってほしいのよ」
「あ、そういうのはいやっす」
「ええええええええええええ!」
女神の絶叫があたりに響き渡り、俺はその耳障りな音を防ぐべく両耳を覆った。
ところが女神は、その俺の両手さえもこじ開ける勢いで身を乗り出す。
「なんで、なんで? あなた、神にも等しい力を手に入れることができるのよ?」
「あ~、そっすか」
「こっちの世界の住人から、勇者とか、英雄とか、もう、ありとあらゆる賞賛の言葉でたたえられるのよ?」
「あ~、なるほど?」
「なによ、何が気に入らないっていうのよ!」
「気にいらないっていうより……」
「いうより?」
「めんどくさい」
これが俺――成原ゆずるという男の基本性格である。ともかく、面倒なことはできれば避けて通りたいし、今までは人生の面倒ごとのあれやこれやをうまく回避して生きてきた。ここで縁もゆかりもない世界の住人のために何かと戦う人生を送るなんて、そんな面倒はまっぴらごめんである。
「なんとかして、元の世界に返してもらえませんかねえ」
俺が言うと、女神は心底申し訳なさそうにうなだれた。やはり相当な善人である。
「向こうの世界の肉体は、粉々だと思う」
「あ~、トラックにはねられましたもんねえ」
「帰ることはあきらめる方向で考えてくれないかしら?」
「じゃあですね、異世界の、な~んの変哲もない一般人に生まれ変わってスローライフとかは……」
「無理じゃないかなあ、すでに一般人とは違う奇跡の力を与えられちゃってるんだし」
「え、それってこれから委細面談の上決められたりするもんじゃないんっすか?」
「そんな、私の力じゃそこまでは……そういう能力って、元いた世界での特徴的能力を増幅させるだけだから、ここに来た時点ですでに決定してるのよ」
「じゃあ、あんたは何のためにいるんすか」
「えっと……どんな能力が与えられているかの説明と、この世界になじんでもらうための案内役?」
「つまり、チュートリアルですね」
「ちゅ、ちゅうと……?」
「ゲーム的に言えば導入部、アニメ的に言えば世界観説明っすかね」
「げ、げ、げーむ?」
「ああ、悩まなくっていいっす、俺は理解したんで」
「だけど、私、転生の女神だし……」
「そんなこと言われたって、俺、面倒なことをする気ないっすし……」
女神はほとほと困り果ててしまったみたいだ。眉間に深いしわを刻んで「う~ん」と考え込む。
俺の方は、どうにかして転生という面倒ごとを回避できないものか、そればかりを考えていた。
「もういっそ、死なしてくれてもいいっすよ?」
「そういうわけにいかないんだってば」
半べそになった女神は、弱々しく両手を差し出して俺に縋りつく。
「ねえ、街へ出てみない? ね、街へ出るだけ、それならいいでしょ?」
「あの~、女神のプライドとか威厳ってモノはないんすか」
「あるからこうしてお願いしてるんじゃないの! ね、街へ出るだけ……出るだけだから!」
「それ、『先っちょだけ、先っちょだけ』みたいな言い回しっすね」
「先っちょでも、根元でも何でもいいから、ともかく街に行こう、ね?」
「女神さま、これが下ネタだってわかってるっすか?」
「え、シモ……え? そうなの?」
女神さまは蒸気が上がりそうなほどに顔を真っ赤にして顔に手を当て、身をくねらせた。
「う~、シモネタ……」
純情そうなお姉さんである女神が恥じらう姿というのは可愛らしくて、俺は少し意地悪な気分になる。つまり、もう少しこのお姉さんをからかってみたいと。
「わっかりました、街、行ってみましょう」
「え、ホント?」
「でも面倒ごとはごめんですから、あくまでも見学っすよ」
「うん、うん、それでいいから、いこう!」
「やれやれ」
ひょいと歩きかけて、俺は、いまだにこの女神の名前すら知らないことに気づいた。
「そういえば女神さま、名前は?」
「え、おしえても、人間じゃ発音できないと思う」
「そういうところだけ人外じみてるんですね」
「あ、人間は私をあがめる時、ラプラスって呼ぶわ。あれが私の二つ名かしら」
「ラプラスっすか」
カワイイとはいいがたい響きだ。それでも俺はチャラ男よろしく指をぱちんと鳴らして、イカした感じで顔面を手のひらで覆った。
「やっべえっす、名前までかわいいとか、マジ女神っすね」
「え、そうかなあ」
「いや、これ、社交辞令ってやつなんで、そこまで本気にしないでください」
「ええっ、ええっ! な、なんだかあなたって、いままで転生させた人たちと少し違う……あっちの世界では何をしていた人なの?」
「学生っすよ」
その後で俺は、少しだけ考えて付け加えた。
「まあ、普通の学生よりちょっとだけ多く、アニメを見ていたですけどね」
「また出てきた、『アニメ』! ねえ、その『アニメ』って何なの!」
「そうっすね~、街で何かうまいもんでも食べさせてくれたら、ゆっくり話してあげるっすよ。何しろアニメの成り立ちと魅力なんて、そんな一口に語れるわけがないっすからね」
俺は自然に頬が緩むのを感じた。自分の趣味を存分に語っていい相手を見つけた時の、あの高揚感……。
「アニメの神髄を語るには、三日はかかるっすね」
「三日も!」
「それもぶっ通しでしゃべって三日っすね」
「あ、アニメって……なんだかすごいのね」
「それはまあ、あとにして、とりあえず街ってのに行こうっす。俺もこの世界にぜんぜん興味がないってわけじゃないので」
こうして俺たちは、街へと向かうことにしたのだった。




