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ホラーな奴ら   作者: 五雲亭 杉之丞
2/2

『桜の樹の下で…』



川沿いの土手を変速ギアの乏しいママチャリで滑走する男がいる。


水曜、土曜、日曜は場外馬券場へ。

それ以外はパチンコ屋へ、ほぼ毎日である。


会社を辞めてからこの1カ月ばかりそんな生活を送っている。


ただ往復するだけの単調極まりないこの道沿いに樹齢を重ねた見事な桜の樹があることも、

春の一時期、その満開の桜見たさに近所の人たちが集まっていることも、

男の視界においては全く感知するところではなかった。

しかし、先週の夕暮れ時。

その見慣れた退屈な景色が一変する出来事が起こった。


男は満開の桜の前で、ペダルをこぐのを止めた。

「桜、綺麗やね。」

どういう訳か彼の心に浮かぶはずもない言葉が、薄ら笑を浮かべる口もとから溢れ出た。

普段は開いているのか閉じているのか遠目ではハッキリ確認出来ないくらいの細くて小さな小さな眼がほんの数ミリ程度大きくなっていたのは、

その視線の先に若い女性を捕捉していたからである。


風に舞う幾つもの桜の花びらが女性の白く小さな顔を掠めて、長い髪の毛を伝ってみたり肩に留まってはさらりと落ちた。

白いワンピースの上に羽織ったニットのカーディガンがふわふわと揺れて、風圧で彼女の細身の肢体がときどき浮き出るのを、男は時間の許す限り見惚れていたいと心の底から強く願った。


「桜、綺麗やね。」

男のエロい視線に気づいているのか

いないのか、その女性は悪びれることもなく、笑顔で頷いた。

男の胸にたぎる期待はその時、確信へと変わったのであった。

「これは、イケる」と...


夕闇が差し迫る黄昏時、

その女性はほぼ毎日そこに立っていた。

男は女性を見つけると一目散に駆け寄ってパチンコの景品のお菓子やらペットボトルのお茶やらを差し出した。

彼女は不思議と、決してそれらに手を付けることはなかったが、男にとってはそんなことはどうでもよかった。

「僕は、飯塚哲男。ごはんの飯に貝塚の塚、哲学の哲に、男ね...まあ、哲学と言っても恋愛哲学ぐらいしかわからんのやけどね。」

どんな、しょーもない話でも彼女は笑顔でこっくりこっくり頷いてくれた。

「君…名前は?」

質問しても頷くだけで、殆ど答えは帰ってこなかったが、飯塚にとってはそんなこともどうでも良かった。

「ああ、わかった、じぶん日本人ちゃうねや。ハーフっぽいもんな、ごめんな日本語苦手なんやな。俺..僕、神戸と尼崎のハーフだから、日本語言うてもちょいちょい関西訛り入っちゃうし、聞き取りづらかったね、ごめんな。ちょいちょい英語混じりで話そうか、それともカダログ語?スペイン語も少しいけるで...」

彼女はこっくりこっくり頷いて、男が大声で笑うと一緒に微笑んだ。

「それにしても可愛いな、若いやろ。待って歳当てたるわ、じゅ〜...10歳、若すぎるな。にじゅ〜20歳、違う? つぎ、当てにいくで....」

東の方の空が薄っすら明るくなり、星々が姿を消す頃。

彼女はおもむろに立ち上がり、ちょこんと頭を下げた。

「なんや、もう行くんか。そうか、仕事あるもんな。あっ、俺もやった。ごめんごめん、ほなな。」


それでも彼女はいつも、飯塚を見送ってくれた。

「よう、できたコやな。スレてへん。けっこういい家のお嬢さんかもわからん。」

飯塚の脳裏に、昔松濤で見た白亜の豪華な邸宅の画が浮かんだ。

「実家金持ちやったらどーしょー、ゆくゆくは逆玉やんけ!」

プールサイドの丸いテーブルを挟んで2つのデッキチェアが並んでいて、小さめのビキニ姿の彼女と、赤い海パン一丁の飯塚が寝そべっている。

テーブルにはヤケに丸いグラスにストローは2本のブルーハワイ。

何故かプールサイドなのに赤いランボルギーニ・カウンタックが停まっている。


黒いタキシード姿の初老の召使いが現れ、携帯電話を差し出す。

「旦那様、ドバイから国際電話でございます。」


ピンク色の朝焼けの下。

川に架かる鉄橋の上を、始発の電車が横切って行く。

そんな景色を眺めながら、飯塚は自分の右頬を3発平手で打った。

「これは夢やない、現実や」


そこで便利屋の伊地知が口を挟んだ。

「カウンタックて古っ!...せめて、ディアブロとか、ガヤルドとか、」


「クルマなんか知るかアホんだら!浮かんだんやからしゃーないやないか!」


「プールサイドでブルーハワイって、昭和か」


「昭和バカにすんな!ええから黙って聞かんかい!」


「そのハリウッド級妄想のくだりが長いんすわ」


「ええやないか俺の脳じゃ、どんな妄想したかってお前に関係ないやろ、俺の脳に罪はないやないか....」


「わかりました。ハーフでそこまで妄想したんは先輩が凄いです、で、どーなったんすか?」


「そら...もう、男と女のすること言うたら決まってるやろがい」


「おっさん、急ぎすぎやろ」


「なんやねん、短くせー言うたり、長くせー言うたり、お前が聞きたい言うからやな...」


「ええから、聞いたるから早よ話せや!」


その日は、競馬も当たらず、パチンコも負けて満足な手土産もなく飯塚は例の桜の樹の下にいた。


やがて、どこからともなく彼女が現れて

飯塚の横に寄り添った。

飯塚はいつになく口数が少なかったが、彼女はいつもと同じように微笑を浮かべて優しい眼差しでこちらを見つめている。

飯塚は思った。

彼女さえいてくれたら、他になにもいらない。大きい家もカウンタックも、ブルーハワイも従順な召使いも....


彼はずっと心の中にあった言葉を声にしていた。

「俺の...俺のとこに来るか?」

彼女はただ飯塚の開いてるのか開いてないのか近目でもよくわからない細くて小さな小さな眼らしきものを見つめて、

細長い首を少し傾げて、またこっくりと

小さく頷いた。

「そうか、ならおいで。」


飯塚は彼女をママチャリの荷台に座らせ、家路急いだ。

「ハイレ、ハイレフロ、ハイレフロー、ハイレハイレフロ、ホッホー♪」

彼は夕闇の土手を上機嫌で歌いながらペダルを漕いだ。

ヒゲ面の謎の巨人が登場する昭和のCM

ソングを嘉門達夫バージョンも交えながら近所の迷惑も顧みず比較的大声で、繰り返し繰り返し歌い続けた。

ペダルも軽く、

心は躍った。


そうこうしているうちに、家の前までやって来ると、ハイレハイレ....は口笛に変わっていた。

「この先に、コンビニあるからなんか買い行こか、」

と飯塚が言うと彼女は初めて首を横に振った。

「なんか、何にもないねん。飲みもんも水道水とビールだけやで...ポテチとか買ってこよか?」

すると彼女はスタスタと玄関の前までまで行き、

何やら飯塚の方を向いて呟いた。

声は聞こえなかったが、彼には彼女が何と言っているのかすぐにわかった。


何て言ったんです?

うーんそうやな、上手く言われへんけど、

「アナタさえいれば、何もいらない。」って聞こえた。


「わいもや...」って答えたった。


「もう“わい”なっとるやんか、完ぺき格好つけた浪花のおっさんやんか」


「浪花ちゃうやろ!神戸と尼崎のハーフやって...」


「何度もスベってねんて、

ボケるにしても、県内でくくれてるし面倒いから先進んで」


「ほんでもって....」


玄関を上がる時、飯塚は初めて彼女が裸足だということに気づいた。

しかし、小ぶりな踵へ至るまでの、その直線にすらりと伸びた脹脛、太腿から白いワンピースに隠れた少し大きめの丸いお尻が暗がりにぼんやりと浮き上がって見えた。

彼はそういった諸々に眼を奪われるばかりだったので些細な違和感を感じている暇などなかったのだ。

彼女は勝手知ったるように灯りもつけずに二階へ続く階段までスルスルっと行ってしまった。

「そや、二階は使こてへんから、君の部屋にしたらええわ」


飯塚が階段を上り終える頃には、彼女は二階の部屋の中にいた。

カーディガンを床へ脱ぎ捨て、襖の開け放たれた押入れの前で座り込んでいた。


肩紐がよれて剥き出しになった彼女の肩に飯塚は貪りつくように取り憑き、彼女を背中から抱きしめた。

「私は昔、こんな押入れをベッドにしてました。姉が上で、私が下でした。」


彼女のか細い声が聞こえた。

が飯塚は彼女の服を脱がすことに躍起になって、あまり耳に入らない。

「中学の頃好きだった先輩の写真を貼ってた..いつでも夢の中でも逢えるように....」

「ほかの男の話はええやろ...」

「ちょうど、ほら見て、ここ...」

彼女は服をはぎ取られながら、押入れの下の段に入って行った。

「さらにそこいくか、暗くて狭いとこ好きか、僕も好き、ええよ。全然萌えるし...」


彼女は下着姿のまま、押入れの中で仰向けになった。

「ほら見て、まだあった。」

中板の裏側に色褪せた写真が貼ってあった。

「なんや、こんなとこに不動産屋ちゃんと確認しとんかいや」

飯塚は彼女の首筋と肩に顔を埋めながら、横目で彼女の指さす方を見た。


白く細い指に丹精に手入れされた爪がついている。

「可愛い指やな、この指もわいのや..」

写真には学校の制服らしきブレザーに身を包んだ一組の男女が写っていた。


男性の顔は写真の上から傷付けられ、表情を伺い知ることは出来ない。

隣でその男と腕を組むお下げ髪の少女は、まだあどけなさの残る表情で満面の笑みを浮かべている。

その笑顔はどことなく見覚えがあった。

「こ、これ君...」

「ずっと大好きだった。大好きだったのに...」

彼女の目から涙が溢れ出て耳を伝って、飯塚の瞼に落ちた。

「別れたんやね、」

「10年前、あの桜の樹の下で」

「そーなんや、でも今は、わいがおるがな...」

「ずっと側にいてくれる?」

「当たり前や、一緒に暮らしたらええねん。」

彼女は飯塚に抱きついた。


「私ね、」

「なんや、」

「先週まで病院入ってて、」

「病気か?」

「うん」

「もう、ええんか?」

「うん」

「辛かったな」

「うん」


「とまあ、そう言う話やな」

満足気な飯塚。


「ややや、違うでしょ話の方向性が...」


「まだ聞く?」


「途中でやめないで下さいよ」


何時間も過ぎたようにも思えたが、それはほんの何秒の沈黙に過ぎなかった。

飯塚が仕切り直そうと彼女の上に覆い被さると、あるものに目がいった。

彼女の手首に幾つも刻まれた傷跡が赤黒く滲んで浮き上がって見えた。

「私ね....」

「何も言わんでええ...」

彼女の首筋に近ずくと、長い髪の毛の隙間から、さっきまでは見えなかった傷跡が見えた。

髪の毛を除けると咽喉元にも同じような傷跡が鎖のように繋がってるのが見えた。

プーンと立ち上る血生臭さも、気のせいだと飯塚は心に言い聞かせて、

もう一度彼女の口元に顔を近づけると今度は腐った肉のような臭いがした。


「私ね、先週あの桜の木で首を吊ったの....」


「そうなんや....えっ⁈」彼は目を剥いた。だって

もう一度美しい彼女の顔をと

顔を覆う髪の毛を掻き分けると、


もう既に彼女の顔は膨れあがり苦悶の表情に変わっていた。

青黒く浮き上がった目元から赤い血の涙が流れ、目玉も一緒に流れ出てポロリと床のまで垂れ落ちた。

「く、苦しい....たすけ....」

彼女のか細い呻き声が、飯塚の頭の中でで響いた。


「うぎゃ......」


飯塚は中板や襖に頭や足や至るところを打ち付けながら、なんとか押入れを這って出たが、腰が抜けて立ち上がれない。そこに彼女の手が伸びる。

その腕には黒い血管が蛇のように浮き出て、もう白く美しかったそれではなかった。

押入れの暗闇の中から長く長く伸びてくる腕が、飯塚の足首を捉えた。

「あかん、あかんて、そういうのあかんねん!」

その腕を振り払い階段まで素早い匍匐前進で逃げ伸びたが、飯塚は勢い余って頭から真っ逆さまに転げ落ちていった。


「で、死んだ」


「死んどったらいま俺なんやねん」


「どないなったんすか?」


「何処をどう行ったんか、

気がついたら、嫁はんの家の前や」


「はいはい、あの、

別居中の...」


「夜の11時に玄関の前で、パンツ一丁で喚き散らしてたらしい。...覚えてへんねんけどな」


「都合のええ記憶ですね、警察呼ばれたでしょ」


「そーやねん、近所の人がな」


「当たり前や、俺かって呼ぶわ!」


「そこは嫁はんやから優しいで、

心配して救急車呼んでくれた、

頭からドボドボ血出てたさけ」


「当たり前や、心配せんでも呼ぶわ!

ほんで…二階のあの人は、まだ二階におるっちゅーことですね」


「....ま、そう言うことやね」


「それって、めっちゃ取り憑かれてますやん!」


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