コンビニものがたり
"利便性"に富むコンビニ、そこへ出向くまでがとても"不便"なのです……。
コンビニエンスストア。略してコンビニ。現代日本において、コンビニに入店し、買い物をしたことがないという人は、ほとんどいないと言っていいのではないだろうか。
照明が煌々と灯ったあの小さな空間で、飲料、食料、嗜好品の類、書籍類、日用品等々、生活に必要なほとんどすべての物資が調達できてしまうコンビニ。恐るべしである。スーパーやドラッグストアと比較すれば、基本的に定価販売という価格的弱点を差し引いてもなお、その利便性たるや素晴らしいものがある。おでんや中華まんといった"季節商品"もコンビニ各店の違いを比べてみる(例えば、私はおでんはコンビニA推しだ、など)、といった楽しみ方ができてしまうし、通いつめた結果、店員と客という垣根を越えて、意中の店員さんと恋仲に発展する可能性もゼロではないわけで、コンビニって、素晴らしいと思う。そしてコンビニ最大の強みと言えば、地方の片田舎のこの地でさえ、二十四時間営業していることだ。スーパーやドラッグストア、書店が開店していない時間に食料と飲料、生活雑貨や書籍が欲しい、例えば交代制勤務の労働者にとっては、コンビニほどありがたい店舗はないと思う。
ここまで、コンビニの利便性について書いてきたが、筆者の地元である地方の片田舎に初めてコンビニXが出店した際、そのコンビニに行列が出来たのは懐かしい思い出である。当然ながら筆者もその行列の一員となったのは言うまでもないし、初め食べたコンビニおにぎり(中身は焼き肉であった)の美味しさたるや、今でも忘れることが出来ない。結果、学校帰りにそのコンビニXに通いつめて、夕飯とは別のおやつを毎日毎日食べ続けた結果、中学を卒業する頃にはその悪癖が祟って丸々と肥えてしまったのは忘れてしまいたい過去である。ダイエットはなかなかに辛いものだ。
さて、ここで一つ、筆者から皆さんに質問がある。皆さんの自宅から最寄りのコンビニまで"徒歩"で何分の時間を要するだろうか?
質問を投げっぱなしというのは失礼かと思うので、先に拙宅から最寄りのコンビニまでの徒歩換算時間を述べると、約四十分である。国道をまたがない歩道側にあるコンビニAまでがこれまでの"行きつけ"で、コンビニAまでは約五十分を要した。最近、国道をまたいだ反対車線側にコンビニBが出店してくれたおかげで、歩行者用信号が青に点灯するまでの待ち時間を差し引いてなお、それまでの徒歩約五十分から四十分に短縮させてくれたコンビニBの出店は本当に有難い。
さらに、二次的移動手段の自転車を使用すれば片道約二十分、二次的移動手段その二の自動車を使えば片道十分(信号待ちを除く)まで短縮できる。自動車というのは、この地では有難く、そして尊い存在だと思う。
よく耳にするであろう台詞「ちょっとコンビニまで行ってくる」これが通用しないのが地方の片田舎に居を構える者の悲しき現実なのである。「コンビニまで出掛けてきます」が正しいかもしれないこの現実は、正直とても辛い。
ここで、この地におけるコンビニ利用のちょっとしたポイントを挙げてみようと思う。例えば、誰かの家でいわゆる"宅飲み"を開催したとする。その会場がコンビニまで徒歩二十分圏内ならこれ幸いなのだが、最初に挙げたように、片道四十分、往復八十分もかかる拙宅で開催しようものなら、酒とつまみが切れたが最後、酔った足で往復八十分歩いて、躓くか転倒するかの何かしらの怪我を覚悟で買い出しに出掛けるのか、不満足の状態でお開きにするのか、第三者に電話やらメールをして使いっぱしりをお願いするか、どれを選択しても不満が残るか、迷惑をかけるか、怪我をするか、いずれにせよ悪い結果しか残らない。それを回避するために、高次脳機能を持った人間だもの、ちょっと多いかな?くらいに酒とつまみを買い出し"酒とつまみが足りないよ騒動"が起こらないよう先手を打つ。人間は学習する生き物である。しかし、ちょいとラーメンでしめたいな、その時の面子の誰かが放った言葉で悲劇は訪れた。結果、ラーメン代に家からラーメン屋までの往復のタクシー代を加算した非常に高価なラーメンを食すことになってしまった。その時の胃袋は満足しても、翌日待っていたのは後悔と減った財布の中身。非常に暗い気持ちで晴れた朝を迎えた。この悲惨な経験をして以来、我が家にはカップラーメンが常備されている。一杯三千円のラーメン騒動、この反省の結果である。
ここまで述べてきた片道四十分、往復八十分コンビニへの道。春先だったり、柔らかな風が吹く初夏だったり、何かとセンチメンタルになる秋口なら、田んぼ、畑、河川や変わりゆく山の色を眺めながらの散歩がてら、と徒歩で行けないこともないし、気分転換にもなるのだけれど、問題は冬季である。筆者が居を構えるこの地、冬季は豪雪地帯である。顔面が凍るかのごとく襲い掛かる横殴りの寒風と雪、膝まで届く積雪、凍結した路面。さながら雪中行軍をしてコンビニまで徒歩で向かったご近所さんの家人の話は聞かないし、負けず嫌いの筆者は、横殴りの暴風雪の際、おでんを食べたいがために一度挑戦したが"死"を間近に感じてしまって、あえなく自宅へと戻ったその足は、冷えに冷えて感覚がなくなっていた。よくよく考えてみれば、無事おでんを買って帰ったとして、おでんは冷え切っているのである。冬季の我が地のなんと悲惨なことか。考えただけで"残念無念"という単語が頭をよぎる。
そんな我が地でも"コンビニ勝者"とされる方々(筆者が羨んで勝手に命名しているのだけれど)がいる。それは、駅前の賃貸物件や持ち家が駅周辺だったり、この地において最も土地の拓けた県庁所在地に居を構えている方々だ。徒歩でそれなりの物資調達が可能で、交通アクセスも筆者のそれとは比較できないくらい有利な立地のそれらの方々の話を聞けば、コンビニまで徒歩十分だとか、十五分だと言う。正直、ものすごく羨ましい。私が仮に、万馬券を当ててみたり、宝くじで巨額のお金を手にしたとしたら、まず間違いなく県庁所在地某市か、駅前の賃貸物件に引っ越すだろう。これはちょっとした夢であり、野望である。
──それにしても暑い。汗が首筋を伝っている。ちょっと筆を置いて、扇風機の冷風で涼みながら麦茶で一服つけるとしよう。
この原稿を書いているのはおりしも梅雨が明けて、猛暑の真っただ中である。
──喉が渇いた。冷蔵庫を開けてみると麦茶が底をついている。こういう時に限ってなくなる飲料。無念である。
やむを得まい、ちょっと自転車に乗って、いや、自転車では暑すぎる。この暑さで出かけようものなら、水分補給用の麦茶を買う意味がなくなってしまう。ここは覚悟を決めて、筆者の苦手な自動車を運転して、コンビニまで"出かけて"来ようと思う。
(了)
「ちょっとコンビニ行ってくるわ」着の身着のままでコンビニへと出向くこと、それは私の夢なんです。