第5話 なんだか、やけにドキドキする。
「柚葉!いつまで寝てるの」
ドコンドコン!
母がドアを思い切りたたきながら、そう叫んだ。
ああ、うるさいなあ、もう。そんなにドアをたたくなよ。いつか壊れるよ。
「もう起きた~!」
そうベッドから起きてドアの外に叫んだ。母の階段を下りていく音が聞こえてきた。
ふわ~~とあくびをしながら一階に下りた。昨日はあれこれ考えちゃって、ろくすっぽ寝ていない。それに、今日の英語の小テストやばいかも。ほとんど、頭に入らなかった。
「おはよう、柚葉」
ダイニングでのんびりとした感じで、杏菜がトーストを食べている。
「あれ?朝練は?」
「今日、雨だからないよ」
雨か。レースのカーテンをめくって、窓の外を見た。かなり降ってるなあ。また、部活はないのか。じゃあ、また一緒に帰れないのかな。寂しいなあ。
「は~~あ」
ため息をつきながら、私もダイニングテーブルについた。
「どうしたの?柚葉」
「テニス部が休みなの、つまんないなあって思って」
「柚葉、テニス好きだもんね?」
そう杏菜が笑いながら言った。
ううん、正確には和真と一緒にテニスをするのが好きなの。
トーストにイチゴジャムを塗り、それをほおばりながら、昨日のラインのことを思い出していた。
好きな子、いないんだね、和真。ってことは、杏菜のことも、もうなんとも思っていないってことなんだよね?
トーストを食べ終わり、ヨーグルトを優雅に食べている杏菜を見ながら、そんなことを思った。
「柚葉、さっさと食べなさいよ。まだ、顔も洗ってないし、着替えもしていないでしょ!」
母が、キッチンからそうでかい声で言ってきた。
「わあってるよ」
トーストの残りを口の中に押し込み、オレンジジュースを飲む。口の中、イチゴとオレンジの味でミックスされる。飲み込むと、次にヨーグルトをバクバクっと流し込んだ。ブルーベリー入りヨーグルトだから、今度はブルーベリーの風味が口の中で広がる。
「ご馳走様」
そう言いながら、洗面所に駆け込む。
「やあ、おはよう、柚葉」
洗面所では、のんきに鼻歌を歌いながら、父が髭をそっていた。
「おはよう」
「雨だと部活がないから、杏菜もゆっくりだねえ」
「うん。でも、もう行く準備完璧みたいだったけど」
「杏菜は、ぎりぎりで用意することが出来ないからね。柚葉はいっつも、ぎりぎりだねえ」
ふんっだ。どうせね~~~。歯ブラシに歯磨き粉をぐにっと出しながら、口をとんがらせた。
「杏菜はお父さんに似たんだよ。お父さんも、慌てて何かをするってのが、どうもできないからね。柚葉はお母さん似だね。急いで何かをすることができるんだから」
「え~~~~。あんまり嬉しくないなあ。いつもバタバタしてて、うるさいお母さんになんか似たくない」
そう言ってから、歯ブラシを口に入れた。今度はミントの味が口に広がる。
「おとーはんと、おかーはんって、性格まったく違うのに、なんで結婚したほ?」
歯磨きをしながらそう聞くと、
「違っているからこそ、面白いんだよ。ないものを補えるしね」
と、髭剃りを洗いながら、父がそう言った。
「ふ~~ん」
私が口をゆすいでいる間、父は髭剃りを戸棚にしまい、ゆっくりと髪をとかし出した。
「ねえ、和真ってさあ、どっちかって言ったら、お父さんみたいにゆっくりしていないし、私に近い気もするんだよねえ」
「そうなのかい?」
「似ていると、あまり合わないのかなあ。杏菜みたいに、落ち着いている子のほうが、和真に合っているのかなあ」
「さあ、どうだろうね。似たもの夫婦っていうのもあるしね。お父さんから見ると、和真君と柚葉は、気が合っていそうだし、楽しそうだけどね、いっつも」
「ほんと?そう見える?」
「見えるよ。仲よさそうにしているじゃないか、いっつも」
最後の「いっつも」のところを、やけに強調しているのはなんで?
「いつも二人を見ていて、お父さん、妬けちゃうからなあ。ははは」
ああ、そういうことか。
お父さんは先に洗面所から出て行った。私は顔もぱぱっと洗って、髪も適当にとかした。
「柚葉、今日は一緒に学校に行こうか」
鞄を持って、杏菜が私にそう声をかけた。
「私、まだ着替えてないし、出れないよ。遅くなると悪いから、杏菜、先に行ってて」
そう杏菜に早口で言いながら、私は階段を駆け上った。
杏菜と一緒に行ったら、和真と二人だけで登校できなくなるじゃん。それは嫌。せめて、登校のときくらい、二人になりたい。
急いで着替えをして1階に下りた。無造作にお弁当を鞄に突っ込み、
「行ってきます」
と玄関から飛び出した。
「わ、雨、強いかも」
風もある。傘をさして、いつものように走り出すと、いきなり風に傘が取られ、傘がひっくり返った。
「ああ、もう!」
それを直しながら歩いてて、足元を見ていなかった。ボチャン!とでっかい水溜りに片足をつっこんでしまった。
「うっわ。最悪」
片足、靴も靴下もずぶぬれ…。いやになる。
雨がようしゃなく顔にまで降りかかる。傘も役に立っていないかもしれない。髪もぼさぼさのうえ、濡れちゃって、もしかすると今の私、相当ひどい格好しているかも。
そんなことを思って、和真に会うのに少しだけ気が引けた。こんな私見たら、ますます女扱いされないかも。和真にいつもみたいに追いついて、背中をバンってたたいて、一緒に電車に乗りたかったのに。
足取りが重くなり、和真に追いつくこともなく駅に着いた。そして、びしょびしょになったまま、改札を抜けると、
「わあ、どうしたの?柚葉」
という杏菜の声が聞こえた。
「え?」
「ずぶ濡れじゃん。傘、さしてこなかったのか?柚葉」
杏菜のとなりには、和真がいた。
「え?どうして?」
なんで二人でいるの?
「柚葉、髪、ぼっさぼさ」
そう言うと和真はブッとふき出した。
「足もどっかにつっこんだ?」
和真、そんなに笑わなくても。なんか、いつもなら言い返せるけど、今日は言い返せない。
「柚葉、これで拭いて」
可愛らしいハンドタオルを出して、杏菜が私の靴下や足を拭こうとした。
「いいよ、タオル汚れるから」
私はつい、その手を思い切り振り払ってしまった。
うわ。やった。それも、和真の前で。
「あ~~あ、そんな小さいタオルじゃ無理だよなあ」
和真はそう言うと、鞄の中からスポーツタオルを取り出して、私の髪をいきなりゴシゴシとふき出した。
うわわ。やばい。それだけでも、胸がバクバク。
「足は自分で拭けよ」
「…うん」
タオルを和真から受け取ると、それを見ていた杏菜が、
「なんだか、和真君のほうが柚葉のお兄さんみたいね」
と、寂しそうにそう言った。
「おにいさん?」
和真が杏菜を見ながらそう呟いた。
「和真…君?」
なんで?城野君って呼んでいたのに、なんでいきなり「和真君」なの?私はそっちが気になる。
「ほら、行くぞ。電車乗り遅れる」
「うん」
和真に腕を引っ張られ、私はホームに向かって歩き出した。
「和真君って、なんか、頼りがいがあるって言うか、同じ年なのにしっかりしてるよね」
杏菜~~?なんで、そういうこと言い出すかな。
もしかして、和真のことを狙ってる?なんてことないよねっ?
「俺?そうかな。頼りないやつだって、自分じゃ思うけど。な?」
和真が私を見てそう聞いてきた。
「え?そんなことないよ。部長としてもいつも私頼ってるし」
そう言うと、和真が、
「お前、真面目に答えるなよ」
と、そっぽ向いてしまった。
なんで?冗談で返さないといけなかったかな。
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まったく、髪、ぼさぼさだよ。それに、なんだか、今日の柚葉は子供みたいに幼く見える。でも、お兄さんはないだろ。なんだか、兄と妹としか見えないのかってがっかりした。
ああ、それにしても、なんなんだよ。部長としてもいつも頼ってるとか、真面目な顔をして言ってくるし。まじで、さっきにやけそうになった。やばいって。
何なんだ。今日の柚葉、やけにしおらしくないか?しゅんとしているけど、そんな柚葉も可愛くないか?
大人しい柚葉、そうそう見なかったからわかんなかったけど、こんな柚葉も可愛いじゃんか。
って、俺はもしかして、どんな柚葉も可愛く見えたりするのか?
「ゴホン。ああ~~~、今日、やけに蒸し暑いよな?」
そう言いながら、俺は手で顔を隠すように汗を拭いた。自分の顔が、赤くなっていそうで誤魔化した。
「今日も、部活ないよね?」
「うん、1日雨だって、天気予報で言ってたし」
そう言うと、ちょっと柚葉はさびしそうな顔をした。もしや、部活がないから大人しくなっているのか?
「部活ないとつまんない?」
「え?う、うん」
柚葉が困ったような顔をした。
電車はいつものように混んでいた。いつものように柚葉が電車に我先にと入っていくかと思ったら、
「先に中に入りなよ」
と杏菜に譲った。
「この時間、混んでるよね」
杏菜はなんとか、人と人の隙間を通り抜け、奥へと入っていったが、柚葉と俺はドアが閉まる寸前になんとかあいている隙間に入り、ドアが閉まった。
電車のカーブで、人が俺らのほうに押し寄せた。ギュウ…。ドアに手をつき、腕の力でなんとか俺とドアの間にいる柚葉の空間を保った。
やばい。俺のちょうど胸の辺りに柚葉がいる。微かに柚葉の髪からシャンプーの香りがして、ちょっと柚葉が動くと、髪が俺のあごにかかってくすぐったい。
俺の胸、ドキドキしてないか?それが、柚葉に聞こえちゃってないか?
俺の胸のあたりで、小さくなっている柚葉が、ギュウって抱きしめたくなるくらい可愛い。
超可愛い。
なんなんだ。今日の柚葉は。すげえ、女の子だ。思い切り守ってあげたくなるくらい、女の子している。
なんで、こんなに、可愛いんだ。って、そんなことを何だって朝から俺は、思っているんだ。
ぐぐぐっと顔がにやけるのも、柚葉を抱きしめたくなるのも、必死に抑えていた。
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どわ~~~~~~っ!
いつもなら、電車の人ごみの中に無理やり入り、和真から離れるのに、どうしても、杏菜に和真の近くに行ってほしくなくって、杏菜を奥へと追いやったから、私が和真のすぐそばにいることになっちゃったよ。
どうしよう。和真の息が私の髪にかかるくらい近い。
前、向けない。和真の胸に私ったら、すっぽり入っちゃってる。これじゃ、和真に抱きしめられているみたいだ。
心臓、半端ない。壊れそう。息苦しい。
和真がこんなに近くにいる。
髪、ボサボサで、まだ濡れているかもしれない。
今日の私、靴下も靴も濡れちゃってて、和真は呆れているかもしれない。
こんなに近くにいて、邪魔くさいって思っていたらどうしよう。
あ~~~。なんか、恥ずかしくて、何も話せないし、顔あげられないし、おかしくなりそうだ。
やっと降りる駅に着いた。こっち側のドアが開き、どっと人が降りようとした。
「危ない」
和真が私の背中に腕を回した。
うわ!きゃ~~~~~~~~。ドキドキドキ!
和真に背中を支えられながら電車を降りた。和真はすぐに私から離れ、
「杏菜は降りられた?」
と電車の中に目を向けた。
杏菜?呼び捨て?!
い、いや。ちゃん付けよりはいいかな。
ううん。やっぱり、嫌だ。
「すごい人~~。気持ち悪くなっちゃった」
杏菜がぐったりした顔で下りてきた。
「大丈夫か?」
和真が心配そうに杏菜に聞いた。
「う、うん。大丈夫よ」
杏菜がそう答え、和真ににっこりと微笑んだ。
ああ、なんだって杏菜は、微笑む笑顔がさまになるんだ。同じ顔のつくりでも、なんで杏菜のほうが女の子らしいんだろう。
「南郷マネージャー」
そこに野太い声が聞こえた。振り返ると、サッカー部の部長がいた。
「今の電車?混んでて大変だっただろう?」
「部長も今の電車ですか?」
杏菜はそう言うと、部長に微笑みかけた。
でも、杏菜の笑顔がなんだかいつもと違う。
「ああ、朝練ないと、いつもこの電車。朝練あったほうがいいよな。あの時間ならすいているもんな」
杏菜は、サッカー部の部長のとなりに行き、二人で話しながら歩き出した。
「行こう、柚葉」
「え?うん」
杏菜のほうを見ていたら、和真にそう言われ、私も和真と一緒にホームの階段を上った。
杏菜、サッカー部の部長と、前と変わらない感じで話してた。一瞬、笑顔が作り笑いに見えたけど、そのあとはいつもと変わらない杏菜だった。
だけど、サッカー部の部長が、他校の子と付き合っているのは知っているんだよね?
それ、辛くないのかな。ずっと好きだった人なのに。
どうなのかな。もう、部長のことはいいのかな。
学校に着き、
「じゃあな」
と和真は先に階段を上っていった。
あ、つれない。部活ないから、一緒に帰れるかわかんないのに。と、背中を見ながらやるせない気持ちになっていると、
「放課後、昇降口で待ってるからな。また、あの変な野郎が待ち伏せしてるかもしれないから、一緒に帰るぞ」
と、踊り場から振り返り、そう和真が叫んだ。
「う、うん!」
よかった。一緒に帰れる。ほんのちょっと、あの変な野郎に感謝かも。