第2話 その顔が見ていたくて
「おはよう、杏菜」
「おはよう、柚葉」
杏菜は朝が早い。サッカー部の朝練があるからだけど、もともと朝型だ。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい、杏菜ちゃん」
母が玄関先でそう言うと、ダイニングに戻ってきて、
「さっさと食べなさいよ、柚葉」
と低い声でうなるように言った。
何、この差は…。
「まだ、時間あるもん」
「また、髪もぼさぼさのまま行くんじゃないの?あんたも女の子なんだから、もう少し気にしたらどうなのよ」
「学校着いたら、ポニーテールにしてくれるの」
「タマちゃんが?」
「そうだよ。私よりうまいんだから、いつも頼んでいるの」
「本当に、なんだって双子なのにこんなに違うのかしらねえ」
は~~~、とため息を思い切りつきながら、母は洗濯物を干しに庭に出て行った。
「おはよう、柚葉」
父が新聞を持ってトイレから出てきた。
「また、新聞持ってトイレ?お母さんに怒られるよ~」
「お母さんは?」
「庭」
「柚葉、お母さんには内緒な?」
「うん」
父はにこにこしながら新聞を畳んでソファに置くと、顔を洗いに洗面所に行った。私はトーストをオレンジジュースで流し込み、父のとなりに立って歯を磨きだした。
「テニスはどうだい?柚葉」
「うん、頑張ってる。なかなか部長って立場に慣れないけどね」
「でも、和真君がいるから大丈夫だろう」
「まあね、ああ見えて和真も頼りになるし~~」
「ははは」
父と私は仲がいい。父は多分、杏菜より私のほうが話しやすいみたいだし、共通の話題もある。
たとえば、テニス。父も高校時代、テニス部だったらしい。伊達公子のファンだったと言っていた。
それから、ゲーム。今は時間もなくてしないけど、小学生の頃はよく父とゲームで対戦してた。夜遅くまでやって、母によく怒られたっけなあ。
「お父さん、またソファに新聞置きっぱなし!ちゃんと片付けてよ」
「ああ、はいはい」
父が洗面所からそう答えた。母はまだぶつくさ言っている。
「柚葉、杏菜はどうかな。彼氏とかできたのかなあ」
「杏菜にはいないよ。サッカー部の部長が好きみたいだけど、引退したら告白でもするのかな~」
「え?そ、そうなのかい」
「杏菜に彼氏が出来たら、お父さん嫌なの?」
「嫌ってわけじゃ。相手が真面目ないい青年だったら、全然いいんだけどねえ。和真君みたいな」
「お父さん、和真のこと気に入ってるよね。なんで?テニスしているから?」
「それもあるけど、中学の頃から、柚葉を帰りに送ってくれたりして、いい青年じゃないか」
「…ん~~~、そうかもね」
「ははは。柚葉も和真君が好きなくせに~~」
「ちょっ!それ、絶対にお母さんにも杏菜にも内緒だからね」
「はいはい」
父は嬉しそうに今度は髭をそりだした。
私はその横で顔を洗い、適当に髪をとかし、洗面所を出た。母から小言を言われる前に、さっさと階段をのぼり自分の部屋に入ると、制服に着替えた。
「さて、行くか」
よく忘れるからと、お弁当は玄関に用意してある。それを無造作に鞄の中に入れ、
「行ってきます」
と、母に見送られる前に家を出た。
そして、駆け足で坂道を下り、ちんたら歩いている和真を見つける。
「か~~ずま!おはよ!」
バンッと背中をたたく。和真が痛そうな顔をして振り返り、
「毎度、背中をたたくな」
と怒った顔を見せる。
「えへ」
「えへ、じゃないよ。っていうかさ、髪、ぼさぼさだぞ」
つん。和真が私の跳ねた髪先を軽く引っ張った。
ドキ。髪、引っ張られただけでも、本当はドキってしちゃう。
「学校着いたら、タマちゃんにやってもらうからいいの」
「学校までの道のりはどうするんだよ」
私の髪から指を離し、呆れた顔をして和真が聞いてきた。
「え~~~、別に~~~。かっこいい人がいるわけでもないし、どうでもいいじゃん」
「はあ?ここにいるだろ、ここにイケメンが」
「え~~~?どこどこ?どこにいるの」
キョロキョロと周りをわざと見回していると、和真が私の両頬を手で押さえ、
「ここだって」
と、自分の顔のほうにグリンと無理やり私の顔を向けた。
うわわ。やばい。顔、赤くなっているかも。
「ったく。17歳にもなって、少しは色気づけよ」
「まだ16だも~~ん。あ、そうだ。来月誕生日だから、なんかちょうだいね」
バシンと和真の手を振り払いながら、和真から少し離れた。
「肉まん一個な?」
「え~~~、それだけ?」
一歩和真より前に出て、振り返りながらわざとふてくされてみる。
「お前だって、俺の誕生日、カレーまん1個だったろ?」
和真がまた私に追いつき、おでこをつっついてきた。
ドキ。
「いいじゃん。大好きでしょ?カレーまん」
また、和真から一歩前に出てそう言うと、
「せめてピザまんもつけろよな」
と、今度は髪をくしゃってしてきた。
ドキッ!
「せこい」
その手を怒っている振りをして振り払う。
「どっちが!」
こつんと頭をこつかれた。
ドキ。
ああ、もう、あんまりドキドキさせんな。あほ和真。絶対に私が和真に触られるたびにドキってしているの、わかってないよね。
でも、ドキドキしつつ、おでこや頭をつっつかれるのも、髪をくしゃってしてくるのも、嬉しいんだけど。
ドキドキしているのを見破られないようにしながら、駅に着いた。同じ学校の子もいて、何人かに「おはよう」と挨拶をする。みんな、「柚葉、おはよう」と、私を杏菜と見分けている。
「そりゃそうだろ。杏菜ちゃんはお前みたいに、髪、ぼさぼさだったことがないないもんな」
また、ちゃん付けかよ。
「へ~~~。よく、和真は杏菜を見ているんだね」
と、自分で言って、焦る。うわ。変なこと言った。墓穴掘った。
「となりのクラスだから、廊下ですれ違うこともあるしな」
あれ?なんか、いつもの涼しい顔で答えたぞ。
「ふ、ふ~~~ん」
和真とは、今はクラスが離れてて、階も違うから学校で会うことはあまりない。部活のときと、朝と帰りだけだ。だから、クラスでは和真はどんな感じなのかとか、女子とは話すのかとか、杏菜と話す機会もあるのかとか、そういうのをまったく知らない。
電車は混んでいる。和真とくっつくのも恥ずかしいから、いつも先に入って、人混みに紛れ込み、和真とは距離を置く。そして、電車から降りてから、また和真のとなりに行く。
ほんと言えば、和真の胸の辺りにひっついて、混んでいる電車の中で守ってもらいたい。なんて思っているんだけど、そんなの、付き合ってもいないんだからできるわけもなく…。
冗談言ったり、からかいあったりしているうちに、いつも学校に着く。そして、昇降口で上履きに履き替え、
「じゃ、放課後な」
と和真は先に階段をのぼっていく。
「また、テニス部でね」
背中を見ていると、和真が遠くに行っちゃいそうで、大声でそう背中に言うと、
「おう!」
と、和真は振り返り、私を見て笑った。
ああ。なんか切なくなってくる。違うクラスに行く和真。放課後まで会えない和真。そんな数時間がとっても寂しくなっちゃう。
なんて、絶対に口に出して言えないんだけどさ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ぶ…。くくく。
教室の机につき、笑いがなんでだかこみ上げた。あいつの髪、今日もぼさぼさだったよなあ。
「何、にやけてんの、きもいよ、城野」
「うっせえ、ポチ」
「思い出し笑い~~?やだね~~~。女子の前ではクールに気取ってるくせに、実はむっつりなんだから」
「むっつりじゃねえ」
「どうせ、いとしの女子キャプテンでも思い出していたんじゃないの?」
「いとしの?」
「そう。いとしの柚葉ちゃ~~ん」
目の前でポチが両手を合わせ、バチバチと瞬きして見せた。きもい。
「へ~~~。お前も、早くタマちゃんに思いが届くといいな?」
「うるせえ、お前に言われたくないわっ!お前こそ、万年片思い男の癖に」
「お前もだろ!草食ポチ!犬の癖に肉食じゃないなんてな!」
「なんだと?!」
「はいはい、うるさいからやめてね、そこ~~~」
クラスの女子に言われ、俺らは黙り込んだ。
こいつは、実に腹の立つ男だ。とポチを睨んだが、ポチは窓から外を眺め、
「あれれ。体育だ」
とガラス窓に顔をくっつけた。
「え?」
「タマちゃん、体育だ」
ってことは、柚葉もか。
俺は席から立ち上がり、窓の外を見た。グランドで柚葉がタマと笑いながら歩いている。
「あいつ、何選択したのかな。なんか、張り切っているみたいだけど」
俺の教室は2階だから、グランドがよく見える。
「声かけてみたら?」
「お前がしろよ」
そう言うと、本当にポチは窓を開け、でっかい声で、
「タマ~~~!南郷~~~!」
と叫んでしまった。
「あ!ポチ!」
笑顔でこっちを向いたのは柚葉だ。俺のことにも気がつき、
「和真~~~~!ちゃんと勉強しろよ~~~」
と言ってきた。
「お前こそ、張り切りすぎて怪我すんなよ!」
そう叫び返すと、柚葉は大きな口を開けて笑い、
「イエ~~~イ」
とわけのわかんないポーズを作った。
ああ、髪、ポニーテールだ。タマにやってもらったんだな。やっぱ、ポニーテールのほうが可愛いよな。元気印の柚葉にぴったりだ。
「和真君」
ポンと俺の肩に手を乗せ、
「そんな熱い視線で見なさんなって」
と、にやけた声でポチが言った。
「……。うっせえ」
そうからかわれたのに、俺はまだ柚葉を見ていた。多分、ポチはタマを見ているんだろう。となりで静かにグランドを見ている。
あ~~~あ。なんだってああも、体操着が似合っちゃうんだか。あいつはけして運動神経がいいわけじゃないのに、体動かすのが好きだよな。いっつも元気で、青空とか太陽が似合ってる。そんで、あの飾りっけのまったくない笑顔…。
俺は、あの笑顔が見たくて、ずっとあいつと同じテニス部にいる。で、あのくったくのない笑顔を壊したくなくて、今の関係を続けている。
「タマにコクんないの?ポチ」
「まだ、告白はいいや~~」
「俺も…」
「俺ら、まじ軟弱男子かもな」
「ああ。だろうな」
呟くようにそう言いながら、先生が来るまで俺らはグランドを見ていた。
放課後、待ちに待った放課後だ。俺はポチと一目散に教室を出て、テニス部の部室に向かうべく、廊下を歩き出した。
と、ちょうどその時、
「マネージャー!南郷マネージャー!」
となりの教室に向かって、廊下から3年の男子が声をかけた。そして南郷杏菜が、教室の中から現れた。
その3年男子は頬を赤くさせた。いや、そいつだけじゃなく、廊下にいた他の男子もいっせいに杏菜を見た。俺も、なんとなく杏菜を見てみると、杏菜は首をかしげ、きちんと足を揃えて立ち、可愛らしく先輩を見上げながら、話を聞いていた。
すげえ。顔、瓜二つなのに、なんだってあんなにも立ち振る舞いが違うんだ。まず、柚葉だったら、仁王立ちに近い。下手すりゃ、手も腰に当てるか、腕組したりしている。
あと、首をかしげるなんてしぐさ、見たことがない。ああ、首こったかも。と、首をぐるぐる回している姿なら、ゲームをした後に見たことはあるが。
ブ…。くくく。
「また、思い出し笑い~~?」
部室で着替えをしながら笑っていると、となりでポチが呆れながら聞いてきた。
「だって、柚葉って、思い出すだけでも笑えるって言うか」
「それ、好きだからでしょ?だから、しょっちゅう思い出してるんだよ」
「あ~~~、なるほどね」
そう言われたら、そうかもなあ。しょっちゅう、柚葉のこと思っていることは確かだ。
「お前、あせんない?」
「何が~~?」
「南郷って、やっぱさあ、可愛いじゃん」
「え?」
「顔。杏菜ちゃんと同じで、可愛い顔してるって、俺も思うよ」
「……」
「杏菜ちゃんは、なんていうの?高嶺の花的な存在じゃない?女の子として完璧って感じあるし」
「完璧?」
「そう。でも、南郷だったら、いけるかな、とか、同じ顔だから、双子の片割れでもいいかな…的な考えの男がもし、南郷に交際申し込んだりしないかってあせんない?」
「もし、そんなやつがいても、柚葉は相手にしないだろ」
「なんで、そう言い切れる?」
「まず、あいつは恋とかどうでもいいみたいだし」
「だから、なんでそう言い切れる?」
「一緒にいるからわかるんだよっ」
「へ~~~。たいした自信だね。俺はそんな自信ないけどね」
「タマ?何、タマって誰かいるの?好きなやつとか」
「わかんない。タマも男っていうか、恋愛沙汰興味なさそうに見えるから。でも、わかんないじゃん。いつ、どうなるかなんて」
そこに、他の部の連中が来て、俺らは黙り込んだ。
着替えが済み、テニスコートに行くと、後輩たちと笑っている柚葉がいた。その顔は中学生の頃と何も変わらない。私、テニスしか興味ないんです。みたいな、のほほんとした顔だ。
あんな顔で、恋とか絶対語りそうにない。あいつが恋バナとか、するわけがないだろう。っていうのは、俺の勝手な思い込みか?
もし、あいつが恋をするとしたら、どんなやつだよ。
だいいち、俺が今はあいつの一番近くにいるんだ。部活していたって、行き帰りだって、他の男が近づく隙だって見せないようガードもしているっていうのに。
柚葉の周りを見た。テニス部の連中は、まったくと言っていいほど柚葉に興味を示さない。どっちかって言えば、グランドの端にいる、南郷杏菜を見て、
「サッカー部の連中、いいよなあ」
とため息をついているくらいだ。
すっと柚葉のそばにいく。
「あ、和真。練習始める?」
「ああ。始めるとするか」
にっこりととなりで笑う柚葉。そして、元気に大声で部員を集める。
おい。頼むから、俺の知らない間に、変なやつに惚れたりするなよな。惚れるなら、俺にしろよな。なんて、そんなことを空しく思い、今日も柚葉の笑顔に胸の奥を鷲掴みされていた。