7 〈Day.4~5〉狩りの夜
「それで? これが件《くだん》のシャドウか?」
「はい。撮影はこちら側が低くなる位置からの撮影だったので、そのようなアングルになっています」
成生《なるき》が上屋《かみや》の依頼を初めてこなした日の翌日。成生は伊勢島《いせしま》に伴わ
れてKビルディングを訪れていた。目的は上屋の依頼の後に撮影したシャドウについての報告である。
二人の前では鑑がデスク用のイスにふんぞり返って伊勢島から受け取った報告書に目を通していた。
時刻は午後六時。五月の西日が差し込んでいて、鑑の事務室内は少し熱がこもり気味で暑さを感じるはずなのだが、例によって鑑の顔には何の感情も浮かんでない。
表情筋が備わっているか疑わざるを得ないほどの無表情ぶりに成生は感服してしまう。
「ふむ。なかなかのサイズだな。良い額になるんじゃないか?」
「そうですね」
今、鑑がその手に持っている報告書には珍妙奇天烈《ちんみょうきてれつ》な色合いをした写真が添付されていた。まず、空と思わしき部分が緑色になっており、そして、ビルと思われる直方体状の物体は青。そして何より目を引くのは、紫色でヒトの形をとる巨大な影だ。ビルを覆わんばかりのスケールで、一目で異常なサイズと分かる。もっとも、それが一種の写真だと判別できるのは、『組織』の人間くらいのものであるが。
「ただ、薫子さん、なんか、当然のようにやっつけられる前提で言ってますけど、これ、結構リスキーですからね」
「なんだ、伊勢島? オマエらしくないな。あの軽薄さはどこに行った? いつもなら『余裕ですぜ』とか言うだろう?」
「今回の対象は『大型』に分類される個体の中でもかなり大きな方です。加えて、他の『大型』と同様に大量の取り巻き。まぁ、『組織』《そちら》から一定の支給品があれば話は別ですけど。今回はナルキもいることですし。――あ、そっか。あるんですね? 何か。何を渡して貰えるんです? 流石にこの化け物に標準装備で突っ込め、なんていうほど、鬼畜じゃないでしょ?」
「知らん。自分でなんとかしろ」
「そんなぁ……」
「――と言いたいところだが、今回はこれを使わせてやる」
鑑はデスクの引き出しの中から小さなプラスチックの黒いケースを取り出した。
「お? なんすか、なんすかこれ?」
鑑の指が、チョイチョイと動かされる。
「開けてみろ」
中に入っていたのはタバコのような棒状の物が三本。
「なんだこれ?」
成生が怪訝そうな顔をする。
「そうか。ナルキは見るの初めてだったな。これは刻印処理《こくいんしょり》を施した矢じりだよ。ホラ、オレ、弓使うだろ? そん時に矢の先端に付けるんだ」
「へ~」
「コレ、いくらくらいのものですか?」
「一本一万円の代物だ。ランクは貯蔵許容量、回路効率、共にBプラスだ。まぁ、三発あれば不足するということはなかろうが。ただし、使った分の金額は後々天引きしておく」
「そんなぁ……くれるんじゃないんですか?」
「甘いこと言うな。この不況のご時世、何でもかんでも貰えるわけない。むしろ何でもかんでも金がかかるんだ」
伊勢島が不満を垂れるが、鑑はまともに取り合わない。
「他に不足は無いか? 無いな? 無いだろう?」
「なんか『ある』って言っても取り合ってもらえない雰囲気ですねぇ。まぁ、俺はないですけど」
「あのぉ……やっぱりこの仕事下りる、ってことはできませんよねぇ?」
成生が申し訳なさそうに左手を上げながら言った。
「ん? 怖気づいたか? 心配するな。お前の今回の役割は伊勢島のサポートだ。メインで戦うことはない。それに、そろそろ大型の狩り方を学んでおけ。権限階級《コード》が最底辺でも、今のうちから覚えておいて損は無い」
「えぇ、でもオレ、やったことないですし……」
「最初は皆、『やったことない』だろう? 大丈夫だ。ホントにリスクが高いわけじゃない。そのために伊勢島《コイツ》にあんな高価なモンを渡してやったことだし。それに成功すれば金もかなりの額が期待できるぞ?」
これまで、何回か鑑から大型シャドウ討伐の話を持ってこられたことはあったが、その全てを断ってきた成生としては少し気が重く感じられた。
「ホントにリスクは少ないんですか?」
「ああ。それにこう言った仕事は個人でなく集団で行うのが普通だぞ。お前が出なかったら、この仕事を断れない立場の伊勢島は別に人員を探さなくちゃならない。あー、でも、そうだな。この仕事は早く片づけなきゃいけないモノだから最悪、コイツ一人で取り掛からなきゃいけないかもしれないな」
「!? ……マジすか!」
伊勢島がいかにも『そんなこと言われるとは思わなかった』といった様子になる。
「勘弁して下さい! ってゆーか、ブラック過ぎる! 断固業務改善を求めます!」
「だそうだ。佐藤」
一通り伊勢島の嘆きを聞き終え、鑑はここぞとばかりに成生の方に顔を向けた。その口角が僅かに吊り上がっているのは気のせいではないだろう。
――いつも無表情なくせに、こんな時だけ……
「もちろん、一人でコトに当たれば死亡率はグッと上がる。もし、伊勢島が死ぬ、もしくは死なないまでも大ケガをしたら、お前のせい、と言えなくもないかもしれんぞ?」
言いながら成生にその顔を近づけていく鑑。
もはや恐喝のレベルである。
成生が顔を引きつらせつつ、白旗を上げた。
「……分かりました。あー、もう。分かりましたよ。同行すればいいんでしょ。サポートなんですよね。ローリスクなんですよね。ハイハイ、もう行ってやりますよ」
――チックッショォォォォォォォ!
「分かればよろしい。やり方の指示は伊勢島、オマエが後でやっておけ」
「……」
何も言わなくなった成生を余所に鑑はさらに話を進める。
「しかし、確かに(大型を相手にするのは)今回が初めての佐藤だけがサポート、というのも少々心もとないか。よし上屋も連れていけ。連絡は私がつけておく」
「了解しました」
「では、他に何か付け足すことはあるか?」
「いえ、特には」
成生は何か言いたそうな顔をしているが、伊勢島はそ知らぬ顔をする。
「では以上だ。上屋から連絡を受け次第、三日以内に仕事を終わらせておけ」
「はぁ。オレ、なんでこんな『組織』に関わってんだろ……」
Kビルディングから出て、取りあえず今日は帰ろう、ということになり、その帰り道。成生の溜息が虚空に消える。
「そりゃあ……」
「ああ、分かってる。分かってる。一ヶ月半前のアレだろ? あのこと思い出したくないから、その話題パスで」
「ハイハイ。オマエ、ホントその話題嫌いなのな」
「誰にでも触れられたくないコトってあるだろ」
「わかったよ。でもしょうがないだろ。俺たちは『組織』働くことでシャドウから身を守る手段を提供してもらえるんだから。社会の中で超少数派の俺たちが警察も感知できない危険から身を守れるんだから、有り難く思わなきゃだぜ」
「オマエって妙なところで殊勝だよな」
「そうか?」
そんな他愛のない会話をしながら、その日は二人ともそれぞれの家路についた。
翌日、伊勢島から連絡を受けた成生は、大学の講義をすべて受け終えてから、学内の食堂に向かった。食堂に着くと、まだ午後五時という中途半端な時間なこともあってか、人の数はそこまで多くなく容易に伊勢島を見つけ出すことができた。上屋も一緒である。
「はい、来たよ……」
「なんだよ、元気ねぇなぁ」
暗めの成生とは対照的に伊勢島が屈託のない笑顔を浮かべる。
「いや、まぁ、これから、まだ初めての大型退治に行くのかと思うと、そりゃ気も重くなるさ」
「そっか。ナルキは今日が初めてなんだ」
「その口ぶりは今日が初めてじゃないって感じだな。シンク?」
「ん? そうだね。まぁ、初めてではないかな。 と言っても三回ほど参加したことがあるだけだけど。しかもそのいずれもサポートだったな」
「そーか。なんか大変なんだな。『代行者』と比べて『体質者』は戦闘では不便なこともあるだろうに」
『体質者』と『代行者』の間には大きな違いがいくつかあるがその一つが、『代行者』のみが自らの手に持っている道具に『エネルギー』を付与させてシャドウの存在に物理的に干渉させることが出来る、という点である。
これは『体質者』には出来ず、元より刻印処理を施した道具じゃなければ『エネルギー』を付与することが出来ないのだ。そのため、一般に『体質者』は『代行者』の下位互換と言われる。
しかし、伊勢島は首を軽く横に振る。
「大変でもなかったかな。重要な部分は全部伊勢島君がやってくれるから」
「そのためのコレだ」
伊勢島が鑑からもらったあの黒いケースを自慢げに見せびらかす。
「コイツは弓矢の矢じりでな。『活性化状態』でしか扱えないけど、これに『エネルギー』を充填した状態でシャドウに当てれば、その『エネルギー』が爆発を起こしてシャドウの生態組織を吹き飛ばすんだ。このサイズなら一発で六割くらい吹き飛ばせる。六割って言ったらシャドウがその生命の維持が困難になる限界点《マージナルライン》と言われているな」
『活性化状態』とは、運用する『エネルギー』の量を一時的に通常時の約三倍ほどに強化した状態のことだ。『体質者』も『代行者』も使えるが、それを維持できる時間は個人によってまちまちである。例えば『代行者』としての適性が低い成生はこの状態を最大五分ほどしか維持できない。逆に、適性の高い伊勢島は十五分は維持できる。
「なるほど。じゃあ、ユウヤがあのシャドウを弓矢でやっちゃってくれるってわけだな?」
「そういうこと。だから、オマエたち近接型の役割は『エネルギー』充填中の俺の護衛と『エネルギー』の回収だけだ。シャドウと戦う必要はない」
「おお。だから、あまりリスクは無いって言ってたのか」
ここまで言って成生はアッという表情になる。
「でも、オマエが射ち漏らしたらどうなるんだ?」
「ん? ……そりゃあ、その時はオマエの出番だな」
「……」
思わずと言った感じで苦虫を噛み潰したような顔をした成生に上屋がフォローを入れる。
「まぁまぁ。僕が同行した時は二回とも外すことは無かったし、今回も大丈夫だよ」
成生が猜疑心の抜けきらない声を出す。
「え~……、そんなもん?」
「そんなもん。そんなもん。大丈夫」
しかし、昨日、成生は鑑に了承の意を表している。何を言っても選択権は無いのは明白だった。
結局、その日に任務を済ませよう、と言うことになった。
「大きいねぇ」
上屋の嘆息が風に乗って夜空に消える。
「早く帰りたい……」
成生もそれに同調するようにため息をつく。
成生、伊勢島、上屋の三人は倉木と白瀬を送り届けてから件のシャドウ討伐に来ていた。時刻は九時。現在、大型が陣取っているGLビルディングから約百メートル離れた廃ビルの屋上に立っている。
「んで? オマエはアレをここから狙い撃つわけだ」
「……そういうことになるな」
伊勢島がやや遅れて言葉を返した。
アレ、と言った先には人型でビルの屋上から上半身だけ出したような体になっている黒い化け物。頭部と思わしきところに赤い点が二つ、目のように並んでいてそれがまた何とも不気味だ。その大きさは高さだけで十メートルはありそうだ。上半身(?)だけなのに。
その化け物は基本、その場に鎮座しているだけだが、時々、地面から何かを掴んでそれを口と思わしき部位に運んでいる。おそらく、小型シャドウを捕食しているのだろう。
「てか、さっきから何やってんの?」
そう。先ほどから、伊勢島は大型シャドウに背を向けて、地べたに座り込み、持参した鞄から何やら道具を取り出していじっている。
「……ん 、弓の組み立てと確認。一万円の矢を飛ばすんだからもし外したらコトだろ? 鑑さんに何されるか分かんないぜ……っと」
伊勢島は確認作業を終えたようでようやく立ち上がった。左手には全長約2メートルの弓が握られている。しかし、それには普通のものと違い所々にギミックのようなものが付いている。
伊勢島の弓は持ち運びが簡単に出来るように組み立て式になっているのだ。所々のギミックはそれらの機構のジョイントである。
「準備完了だ。それじゃ、各自に配置についてくれ」
そう言って、伊勢島は成生と上屋に通信機を渡した。耳にはめて使うカナル型のものだ。
このような成生や上屋があまり経験のないことに取り組む時に伊勢島の存在はとても頼もしい。中学生の頃から『組織』に関わってることだけあって、仕事も二人をリードしてくれる。
「上屋はここに残ってオレの護衛。成生はGLビルディングに向かってくれ。あ、コレ、ビルの鍵。なくしてくんなよ」
成生の手に二、三の鍵が付いたリングが乗せられる。それを確認して、
「おけ。じゃ、行ってくる」
成生は階段を下りて行った。
今回のような大型シャドウを討伐する場合、安全を期すために攻撃手段はシャドウの攻撃が届く範囲の外から行うことになっている。そのため今回の主な攻撃手は弓を主に使う伊勢島となる。
しかし近接型たる成生や上屋たちは遊んでて良いわけでもない。彼らにもこなさなければならない役割が二つある。第一に攻撃手の護衛だ。攻撃手段として使われる矢の矢じりは刻印処理をされており、その効果を発揮させるにはそこに『エネルギー』を充填させなければならない。その際に『エネルギー』の流れを感知されることになる。例えるなら暗闇の中で懐中電灯をつけるようなもので大変目立つのだ。そのため他のシャドウから狙われる危険性があるため、護衛が必要になるのだ。
第二に『エネルギー』の回収係である。これは文字通りの役割が主である。『エネルギー』はシャドウが死んでから三十秒ほどしか回収する時間が無い。それ以上時間が経つと消えてしまうのだ。
しかし、『エネルギー』回収係にはもう一つ役割がある。それが、射ち漏らしの処理である。要するに一応の保険で、もし遠距離からの攻撃で対象を討伐できなかった場合はこの役割を担う人間がその尻拭いをすることになっている。
この二つの中では後者の役割がシビアであるため、比較的戦闘向きの『代行者』である成生が回収係をすることになった。
「ハァ……ハァ……」
GLビルディング内。成生は渡された鍵を使ってビルに入り、屋上へつながる階段を上っていた。ビルは七階立てであり、エレベーターは停止しているので使わないようにと事前に注意を受けている。ビル内には既に人影は皆無で、静寂の中で成生が階段を蹴る音が妙に大きく不気味に響く。GLビルディングは中にれっきとした企業が入って業務を行っているビルだが、今日はその社員も全員退社するよう鑑が手配を済ませていたようだった。今、成生が持っている鍵も借りてきたものだ。
シャドウだとか『エネルギー』だとかと関わりのない会社の人にどう説明したのかは不明だが、何らかパイプがあるのだろう、と成生は走りながら考える。
成生が四階から五階へつながる階段に差し掛かった時。
「うあぁぁぁぁぁぁ――出たぁぁぁぁぁぁ」
成生の向こうの踊り場の暗闇に浮かぶ二つの赤い点。そして微かに見える人型を取った黒い輪郭。シャドウである。流石に大型シャドウが根城にしているだけあって小型の子分ともいえるシャドウがうろうろしているようだった。
まるで、その手のアトラクションに慣れていない人間がオバケ屋敷でするようなリアクションをとる成生。実は成生は比較的怖がりな人間である。彼はこれまで二十年間人生を送ってきたが。その全てにおいて、ホラー映画やそれに類似する描写のあるものは徹底的に避けてきた。ホラー要素の入ったアクション映画すらまともに見られない。小学五年生まで夜に一人でトイレに行けなかった、というのはトップシークレットだ。
今更ながら、『エネルギー』回収係を引き受けたことを後悔する。昼間に説明を聞いたときはこんなに不気味な空間に潜り込まされれるなんて想像していなかったのだ。
半ば混乱状態で右手に短刀を模した木刀を構えてシャドウに突っ込んでいく。
「もう嫌だぁぁぁぁ」
一閃
「ハァ……ハァ……」
抵抗する間もなく首と同が切り離され、そのままシャドウは消えていった。
――なんでこんな嫌な役回りをオレが……次回は絶対この役割引き受けねぇぞ。
恐る恐る次の階に歩を進める。
いた。
シャドウの目と思われる赤い点がいくつか爛々と揺れているのが見て取れる。
「……」
一瞬帰ろうかどうか迷った挙句、成生は背中の鞄から渋々二本目の木刀を取り出すことにした。
成生がGLビルディングに潜入していた時。
唐突に伊勢島が呟いた。
「あ、言い忘れてた」
「何を?」
腕に防具をはめて準備を終えた上屋が訊き返す。
「いやな、アイツに目的地に行く途中、ビル内は電気もつけちゃダメだし、誰もいなくて不気味だから心の準備をしておくように言うのを忘れたな、と思って」
「ナルキって怖がりなの?」
「そうそう。この前、三週間くらい前かな。たまたま休みが取れた時な、俺、見てみたいホラー映画があってさ。んでアイツを誘ったのよ。そしたら『オレ、ホラー無理だから』って断られちゃって。まぁ、コッチが別の映画に妥協して一緒に見に行ったけど」
「なるほど」
「電話口で絶対ダメ、みたいな雰囲気だったな」
しれっと呟く伊勢島と、いかにも他人ごとのように適当に相槌を打つ上屋。二人は知らない。その時、成生は恐怖のあまり半分涙目でシャドウと対峙していたことを。
「あの様子じゃ、しばらく口訊いてもらえなくなるかもなぁ」
「そんなに怖いの?」
「怖いね。ホラー映画が大丈夫な俺でも進んで引き受けたいとは思わないね。だって微かな明かりしかなくて、ほぼ暗闇の中でぼっち状態だぞ?足音も無駄に響くし」
「ああ、それは怖いかも」
イマイチ実感が乏しい声を出す上屋。メインで戦わないとは言え、作戦前で少し緊張して伊勢島の話に思考が回らないのだ。
「ま、メンバー的に回収係はアイツしかできないから、どの道ではあったけどね」
伊勢島の言葉を最後に会話はそれ以上続かなかった。
GLビル内。
七階のフロアの最後の一匹のシャドウを斬り倒して成生はその場で膝に手をついた。
「ハァ……ハァ……。っだぁ、疲れた」
不気味な空間で恐慌に駆られながら行動しているため普段以上に疲れを感じる。しかし、あとはもう屋上への階段を上り、屋上への扉の前に待機するだけである。
――アイツら今頃、のうのうと待機してんだろうな……。
いささかの愚痴を心中で零しつつ最後の階段を上っていく。
通信機をオンにして短く呟く。
「配置についた。いつでも始めてくれ」
『配置についた。いつでも始めてくれ』
通信機を通して成生のいささか震えた声が伊勢島の耳に届いた。
――アイツ、リアルお化け屋敷にうんざりしてるみたいだな。
心中で苦笑しつつ通信機の向こうに返事をする。
「了解。じゃあ、準備の整い次第、目標に攻撃をかける。大体二分後だ」
『了解』
「聞いての通りだ、上屋。今から『エネルギー』の充填をするからその間しっかり守ってくれよ」
「わかった」
上屋が頷くのを確認してから伊勢島は鞄のポケットから大事そうに小さな黒いケースを取り出し、中からあの一万円の矢じりを抜き出した。それをこれまた鞄から取り出した矢の先端に取り付ける。
「じゃあ、これから結構シャドウが湧いてくるけど、まぁ、一分から二分保たせるだけでいい。その間に充填を済ませる」
「了解」
伊勢島が目を閉じて精神統一をするように深呼吸をしてから、
「始める」
いつになく慎重な面持ちと動作でゆっくりと弓に矢をつがえ、その姿勢のまま静止する。
彼の袖から出て見える腕の一筋の血管が淡く青白い光を放ち始めた。それに伴って何もないはずの地面に黒い影が生じ、そこからシャドウが這い出てくる。伊勢島・上屋の前に二体、後ろに三体、計五体。やはり、それらは人型を取っている。大きさはさほどでもない。身長が一七〇後半の上屋よりすこし小さい程度だ。
予定通り上屋がシャドウに攻撃を加えていく。
まず一体目のもとに駆け寄り、相手に反応する隙も与えずその首筋に右拳を送り込む。
「フン」
上屋の拳は正確にシャドウの首を打ち抜き、首と胴が離れたシャドウはそのままその場に崩れ落ちた。
その様子を上屋は皆まで見ることなく、体を回転させて勢いを乗せた蹴りをすぐ右側にいたシャドウに放つ。その蹴りもまたシャドウの首を両断した。
小型シャドウの弱点は首であり、首と胴が切り離されるとその行動を停止し灰ようになって消えていく。
今度は後ろの三体が右、左、真後ろから伊勢島に向かって走ってきた。
それに負けないスピードで上屋も反転して伊勢島の脇をすり抜けシャドウを迎え撃つ。
まず、真ん中の一体にパンチを三発。怯ませて左からきた蹴りを屈んで回避し、そのまま伸び上がるようにして、左のシャドウに右足で蹴りを放つ。その足は正確に首の側面にヒットし、頭部が宙を舞う。
着地し、今度は力任せに踏み込んで左手刀を一閃。真ん中も霧消。
直後、右のシャドウが拳を放ってきた。そのままさらに踏み込んで上屋も突きを放ち、拳を互いに突き合わせる。
「……ッ……」
シャドウの腕から何やらヒビが入るような音。さらにその腕が不自然な方向に湾曲する。『体質者』としての『エネルギー』運用によって底上げされた上屋の筋力がシャドウのパワーを圧倒したのだ。
怯んで大きな隙が生まれたシャドウの首が鷲掴みにされ、そのままギリギリと力が加えられていく。
そして
上屋の下腕全体が一瞬、淡く青白い光を放ったかと思うと、その手はシャドウの首を握り潰していた。
僅か十秒足らずの攻防。
しかし、その間にも新たにシャドウが伊勢島に引き付けられて湧き出してくる。上屋もシャドウ出現の速度に負けず修羅の如く敵を狩っていく。
その間も伊勢島は戦う上屋を横目に眉一つ動かすことなく黙々と矢に『エネルギー』を充填していく。それに伴って、矢じりも光を放ち、しかも光の強さが増していく。
「……上屋、ナルキ」
伊勢島が普段は絶対に見せない真剣な顔で呼びかける。
返事が返ってこないが聞こえていることは分かっているので、構わず続ける。
「そろそろだ。上屋は射線に注意、ナルキは着弾時に注意」
「……」
「……五秒後に撃つ」
上屋が伊勢島の前方を避けて立ち回るようになる。
「五……四……三……」
対象の大型シャドウに大きな変化は無い。
「二……一……」
矢じりが一際強い光を放った。
「ゼロ」
一瞬で廃ビルとKLCビルディングの屋上が輝く光の線で結ばれる。
そして次の瞬間。
雷光のような強い光が夜空を照らしたかと思うと対象の身体の成分が一気に霧散した。
伊勢島の放った矢の速度や着弾時の強い光はもちろん一般的な弓矢のそれではない。『代行者』としての『エネルギー』の運用によるものである。
「どうだナルキ?」
『わかんねぇ。シャドウの成分が舞ってて視界ゼロだ』
伊勢島が多量の『エネルギー』の運用を止めたのでシャドウの襲撃が打ち止めになり、上屋が伊勢島のもとに歩み寄って来る。
「見えないね。……ナルキ大丈夫かな」
「……」
やがて向こうのビルの屋上で黒い霧のようになっていたシャドウの身体の破片が消え、視界が良好になる。
しかしそこで見えたのは予想外の光景だった。
なんと、対象の大型シャドウは頭部を欠損し、右半身のほとんどを失っていたが、残っていた左腕が残った身体を支えて今尚そこに居座り続けている。明らかに全体の六割以上を欠損しているが、消滅していない。いや、のみならずジワジワと再生さえしているのがよく見ると分かる。
「どうなってんだ?」
「……」
伊勢島が急いで二本目の矢じりを矢に取り付け次弾の用意をしつつ、成生に話しかける。
「ナルキ、聞こえるか?」
『どうした?』
「頼みがある。あの射ち損ねたヤツのトドメをたのまれてくれ」
『えぇぇ……』
明らかに嫌そうな声を出すナルキ。
しかし伊勢島は畳みかける。
「頼む。対象はまだ辛うじて動いてるとはいえ、再生に集中しててこちらに気を回せないみたいだ。今オマエが行けば赤子の手を捻るように簡単に決着が着く」
『まぁ……そういう風にも見えるけど……でも、そっちに矢じりはあと二本ある 』
「それより、なによりッ!」
成生に耳に痛いことを言われる前に途中でそのセリフをぶった切る。
「前にも言われた通り、これは使えばその分だけオレの給料から天引きされるの。俺、一人暮らしでお金が必要なの。だから、頼むッ。なんなら、分け前少しナルキに融通するから」
『……ハァ。あー、もう分かったよ。その言葉忘れんなよ』
成生との会話を終えると、上屋が通信が終わったのを察して聞いてくる。
「なんて?」
「アイツが始末してくれるってさ」
とは言っても伊勢島は弓を構えたまま下さない。一応の保険である。
「大丈夫なの?」
「まぁ、敵もあんな様子だし、問題ないだろ……お、出てきたぞ」
伊勢島の視線の先には大型シャドウが居座るビルの屋上の下につながっているドアが開き、そこから成生が姿を現したところだった。
その両の手から青白い炎のようなものが出現する。その様子は二つの不格好な松明を持っているようであった。
「活性化状態?」
首を傾げる上屋に伊勢島が答える。
「そうだな。あの短い木刀を使ってるな。アレは刻印処理も何もしていない本当にただの木刀だから、あんなふうに『エネルギー』が垂れ流しになるんだ」
『代行者』は『エネルギー』を道具に付与することによってそれらを硬質化、及び、シャドウのボディへの干渉ができる状態にすることが出来る。さらにそれは、『エネルギー』の付与対象に『刻印処理』という特殊な細工を施すことによって、さらに付与できる『エネルギー』量を多くしたり、より効率的な効果を上げることが出来るようになるのだ。伊勢島の使った矢じりはその最たるものである。
「ふぅん。上等なの買えばいいのに」
「それな。でも、アイツも一人暮らしで懐事情が厳しいんだろ」
そうこうしているうちに未だに悶えているシャドウに向かって成生が走り出した。
青白い炎が鮮やかに軌跡を作り出していく。
突然、その軌跡が弾かれたように山なりの線を描き出した。成生が『エネルギー』によって強化された脚力を以ってジャンプしたのだ。
そして、あの十メートルはあろうかという黒い偉容よりも高くに達した瞬間、そこから複雑でありながらも美しい線を描いて炎が急降下していく。それと同時にシャドウの巨大な体躯がバラバラに切り裂かれていく。
成生が着地すると、青白い炎は消え、さらにビルの屋上から黒い巨大な影も消え、代わりに、先ほどまで化け物の身体を成していた粒子がパラパラと舞い落ちていく。
すべてを見届けて伊勢島がヒュウっと小さく口笛を吹いた。
「流石。やっぱり剣の本気は派手でシビれるねぇ」
直後、通信機から成生の声。
『終わったよ』
「あぁ。撤収しよう」
一仕事終えた後だからだろうか。伊勢島の声はいつもより弾んでいた。
なんだかどんどんスピードが落ちていく気が……