6 〈Day.3〉憂鬱な帰り道
「めェェェん!」
バシーン、と打突の音が道場に木霊した。
私は一連の面打ちの動きを終えると、受け手、所謂スパーリング相手の白瀬に向き直って、竹刀を構え直した。世に言う『残心』というやつだ。
私はA大学剣道部の稽古に参加している。今は、基本的な打突の練習の時間だった。
静寂。心地よい緊張感。鼻を突く汗の臭い。
「めェェェん!」
剣道にかれこれ十年以上携わってきた私には、それらがよく馴染む。ここが私の居場所だ、なんてことさえ思えてくる。小学生の頃はあまり好きじゃなかったっけ、なんて心のなかで苦笑する。
「めェェェん!」
でも、時々、思うことがある。今の私から剣道が無くなったら、私はどうなるのだろう?と。
いやいやあり得ない。
でも、無くなったら?
毎日、していた稽古をしなくなり、遊び倒してしまうだろうか? それともバイトをする?
分からない。
私にとって剣道は最早、日常、生活の一部だった。それが無くなるということは、私にとっては、日常の崩壊を意味する。
日常が壊されたら、どうなるんだろう?
あぁ、段々このことを考えることがナンセンスに思えてきた。
いつものように、私はここで、考えることを止めた。
「いや~、今日も先輩の打突は冴えてましたね」
「アハハ……それほどでも~」
「おかげで痛かったです。どう責任取ってくれるんですか?ふざけんなよ!」
「え、なに……今、私、責められてたの?」
稽古が終わって、着替えの途中。私はいつものように、白瀬と話しを、というより、一方的に悪口をぶつけられていた。それにしても、白瀬稽古後も元気ね。
体中の汗を汗拭きシートで拭いていく。
「当たり前ですよ。私、もともと大学で成績良くないんですから。それがさらに悪化したら先輩の責任ですね」
つくづく恐ろしいことを言ってくる後輩である。そのうち、『私の不幸は全部、先輩のせいですッ!キーッッ!』とか言ってきそうだ。
「そんなの、自己責任でしょ? ちゃんと勉強しなよ」
「嫌ですぅ。そんな、勉強なんてダルいことなんか。なるべく苦労せずに良い成績が取りたいですぅ」
「完全に良い成績取れないのはアンタ自身がちゃんと勉強してないせいよね」
「勉強は大学生の敵ですぅ~」
そこまで言っちゃうか。
上着を着ながら、白瀬が、それに、と続ける。
「バイトもそろそろ始めなきゃいけないし、勉強なんてやってられなくなるってなもんです」
そうか、コイツとはなんだかんだ中学2年からで、7年間付き合いがあるから忘れていたが、あまりにコイツの精神年齢が低いように見えるので忘れていたが、一応、彼女ももう大学生だ。社会勉強もしなければ、と彼女なりに考えているのだろう。
「あ~、そういえば、ゴールデンウィークも終わって、大学生活に慣れてきただろうから、バイト始めるなら始めたほうが良い時期ね」
「なんか、良いバイトないんですか?」
「どんなのが良いの?」
コイツのことだ。また、どエラい条件を提示してくるんだろう。
「う~ん、やっぱり、ケガしそうなのはダメですよね。時給も良くなきゃ。贅沢は言わないけど、せめて千二百円くらいがいいな~。」
「言わないって言って、なかなかの贅沢を言ってるわね」
私のツッコミも無視して、彼女の願望はまだ広がっていく。
「賄い(まかない)とかあると良いですよね。あと、休憩も欲しい。」
「……なかなか厳しい条件ね……」
「時間もあまり遅くなると、ヤですし……」
なんか、聞くのも面倒臭くなってきた。
「えーっと、白瀬、ようするに、まとめるとどうなるの?」
「ハイ。短時間でガッポリ稼げるものですッ!」
「そんなのあるわけないでしょ。世間舐めるな!」
「ええ~、ないんですか?」
『あるって本気で思ってたの?』と逆に訊き返してみようかとも一瞬考えたが、怖い答えが返ってきそうなので、私は代わりに別のことを口にした。
「もう、そんなんだったら、株でもやってみたら?」
もちろん冗談である。白瀬が株なんて高度なものに手を出せば、破産するに決まっている。
「おお、そんな手がありましたか。先輩もたまには、た・ま・に・は良いこと言いますね」
おっと、冗談のつもりだったのだが通じなかったようだ。やはり、コイツは馬鹿なようだ。
「やめなさい。本気にしないで。というか、たまにはを強調しないで。絶対ダメよ。知識も無いでしょ?」
「へ? 先輩、ダメなんですか?」
「ダメ。アレは冗談よ。冗談。」
「と、いうことは、アレですか。今、先輩は私のピュアな心を弄んでいたんですか?」
うわ、面倒クサッ! そういう方向に突っ込んでくるか。
「いや、そういう、弄ぶ、とかそんな気があったわけじゃなくてね……」
「じゃ、なんですか? 先輩サイテーですね」
ああ、もう、私を悪者にでもなんにでもするが良い!
「上屋先輩に言いつけますよ」
「ハイハイ。勝手してくれ」
白瀬がケラケラと笑った。
着替えもとうに終わり、早く更衣室から出たかった私の返事は半ば投げやりなものになっていた。
「あ、今、『シンクは真に受けないから大丈夫』とか考えましたねー?」
ああー、本当に面倒臭い。まぁ、少し思ったけど。
「そんなこと無いって。もう。早く出ようよ。」
「キ——ッ!ムカつく!」
更衣室を出て武道場から出ると、すぐそこにシンクが別の男子2人と話していた。
実は今朝、シンクから連絡があり、『今日は、別の男子とも一緒に帰りたい』と言っていたので、いつもの迎えのシンクの他に人がいることは予想していた。
「今日は、上屋先輩の他に迎えがいるんですねぇ。先輩モッテモテ~」
「バカ言わないでよね。というより、アレ、1人は、一昨日アンタを助けた佐藤成生じゃな~い?アンタの清楚系妹系女子とやらの演技につられたのかも~」
「違いますッ!変なこと言わないで下さいよ!!私は演技とかじゃなくて、真性の清楚系妹系女子ですッ!」
いや、本当に清楚系妹系女子とやらが実在するとしたら、自分でそんなこと言ったりしねぇっつーの。
そんなことを心の隅で思ったりしたのだが面倒な展開になるのは明らかなので割愛する。
白瀬は続ける。
「でも、あの人、顔面偏差値は標準程度なんですけど、なんか不気味だから嫌なんですよ~。助けられた時も、なんか過剰にバイオレンスでしたしぃ~、口を開けば、なんか、明らかに壊れた人の発言でしたし」
顔面偏差値云々はさておき。
「そーだったの? 私が話した時は、普通の人って感じだったよ」
「それは、先輩の前ではオオカミが引っ込んでただけです。騙されて信じちゃうと、彼がオオカミに変身しちゃって、襲われちゃうかもってなもんです」
そんなバカバカしい会話をしていると、シンクがこちらに気づいて、つかつかと歩み寄ってきた。
「おつかれ、ナナセ」
いつものように、笑顔のシンク。
「ん。お迎えありがと。で~、そっちが、今朝言ってたお友達?」
私は、シンクの背後の男子2人に目をやった。やっぱり1人は一昨日会った佐藤成生だ。もう1人も分かった。伊勢島優也だ。シャドウの件で知り合い、それ以来は良き友人だ。シンクに頼まれて、半年くらい前まで、私の護衛もしていた。彼の顔は久しぶりに見た。
もちろん、シャドウだとか、護衛云々の話は白瀬には話していない。
「あぁ。そうだよ。あ、今日は白瀬ちゃんも一緒に帰る?」
これは、浮気の兆候……ではなくて、男が多くなることに配慮してのことだろう。白瀬も普段は一人で帰宅するが、寂しがりだから喜ぶだろうし。まったく気が利く彼氏である。
「いいんですか? 丁度誰か一緒に帰ってくれないかと思ってたところです~」
「オッケー。じゃ紹介しとくね。まず、二人ともわかるであろう、ナルキ」
ナルキが『よっ』と言わんばかりに手の平を振ってくる。
「で、もう一方が伊勢島優也くん。七瀬は分かると思うけど、白瀬ちゃんは初めてだよね」
「どもー。伊勢島でっす。ナルキと同じ、経済学部2年でーす! 倉木は久しぶり。白瀬ちゃんは初めまして」
彼の金髪が愉快そうに揺れる。伊勢島くんは相変わらずノリが軽いようだ。
「それはそうと、白瀬ちゃん、なかなか可愛いねぇ。今度、ランチ一緒にどう?」
ホント、相変わらず。チャラい。
「いいですね~。伊勢島先輩が奢ってくれるって言うなら、行きましょう」
「ホント?お金は丁度、今は結構あるんだ。じゃ、どこ行こうか」
そんな様子を面白そうに見ていたナルキがふとつぶやく。
「ユウヤぱねーな」
私は稽古後で疲れていたので皆を促すことにした。
「ハイハイ、白瀬も伊勢島くんも、デートの打ち合わせは歩きながらできるでしょ。私、疲れてんの。早く帰ろ」
時刻は8時40分を回り、辺りはすっかり暗くなっていた。
「うんでね、最近見つけた、そのお店、結構美味しくてさぁ」
「そうなんですか?じゃ、そこにしますか?」
「いや~、でも、ゲストと行くときは、少しお高いけど、美味しい洋食屋もあるんだ。そっちも捨てがたいな。さっきのお店は普通のラーメン屋みたいなところなんだけど、そこと、洋食屋、どっちが良い?」
「確かに、どっちも捨てがたいですねぇ~」
大学を後にして5分、私たち5人は、白瀬と伊勢島くん、私とシンクがペアになってその後ろからナルキがのらりくらりとついてくる形で家への道を進んでいた。
私とシンクの前を歩く白瀬と伊勢島くんは、今度の休みに食事に行く約束をし、その時に行く店の話で盛り上がっているようだ。
私たちの後ろのナルキは一人で歩いている感じだ。疎外感を感じちゃったりしてないだろうか。何か声を掛けてあげたい気はするが、白瀬の前で出来るような普通の話題は、一昨日の時点で一通り済ませていたりする。
そのことをシンクに言おうと口を開きかけた時、
「ナナセ……」
「あ、なに?」
「いや、そっちから言って良いよ。言いたいことあったら」
「いやいや、良いよ。シンクから言って。今日、伊勢島くんとナルキが来てるのは何か訳があるんでしょ?」
「さすが七瀬。分かってるね。そうなんだよ。今日2人が来てるのは……」
ここまで言ったところでシンクはその顔を私の耳元まで寄せてきた。
「伊勢島くんの後任をナルキに決めた。今日の二人はそのためだ。ナルキには、ナナセと話してもらうため。伊勢島くんは白瀬ちゃんとか、この件に関係のない人たちの注意を惹くため」
シンクが囁く。シャドウから私を護衛する話だ。伊勢島くんは半年前まで私の護衛を引き受けてくれていたのだ。それが、『バイトが忙しくなったから』と言って止めてしまったのだ。友達の安全より大切なバイトってどんなバイトだ? と思わなくもなかったが、シンクの言う、『組織』絡みだろうし、本来、彼に必要ない仕事なので引き留めることも出来ず、そのまま、シンクが毎日私を迎えに来ていたのだ。彼氏に毎日会えるのは良いこと(なんとなく会いたくない日があることにもあるのも事実だけど)なのだが、さぞ、苦労を掛けただろう。
「これから、僕がいない時は、彼にナナセをシャドウから守ってもらうことになる」
「へ!? マジ?」
思わず後ろを振り返ってしまった。
ナルキは何やら無表情に下を向いて歩いていたが、私が振り返ると、顔を上げ、『どうかした?』というようにピクッと眉を上げてきた。
私は『なんでもない』という風に首を小刻みに横に振り、シンクとの会話に戻る。
「よく承諾してくれたね」
「まぁ、彼も一人暮らしで、お金は必要だろうからね。多少の危険は伴っても致し方ない状況なんでしょ」
リアルな事情ね。
「なるほど。大変なのね~。でも、人柄とか、いろいろ大丈夫なの?っていうか、そんな無理して雇わなくても良いのに」
私の護衛の話になると、5割くらいの確立で私は、こんなお小言が出てしまう。私は、まぁ、守られてきたこともあるかもだけど、シャドウに襲われたことも無く、大袈裟な気がして申し訳ない気持ちになるのだ。
「ダメだ。シャドウ対策は万全にしておきたい。たしかにこれまでケガするようなことは無かったけど、だからといって、これからも安全とは限らない。そのために僕は『組織』で働いてるんだし」
何回も聞いた言葉。シンクは、美点が多くあるけど、少し慎重過ぎるのが玉に瑕だ。
「もし私が止めてって言ったら?」
「それでもやる!」
「ハァ……よね。そう言うと思った。」
もはやこの会話は私たちの中でテンプレになってしまっている。今回も説得は失敗に終わったようだ。
まぁ、私とて、シンク以外の男と歩くのはイヤ、というわけではない。それに、私は基本的に人の厚意は受けるタチだ。よくよく思えば今更断るのもなんだろう。
ここは、親切を素直に受け取っておこう。
「じゃあ、性格は大丈夫なの?」
「そこは、実際に話してみなよ」
「白瀬は不気味っていってたけど?」
「僕の見た感じは普通だよ。ま、話してみなって」
ふむ。確かに、百聞は一見に如かず、という。
私はそう考え、ナルキの歩いている方向に振り返った。彼はさっきと同様に、なんだか、暗い様子で俯きがちに歩いていた。
「ナルキ」
ナルキは路面に落としていた視線をすぐに上にあげてくれた。
「どうした?」
少し歩みを早くして、私とシンクに追いついてくる。
「いやね。今度から護衛、よろしくっていうのを言おうかと思って」
「あぁ。いやいや、報酬も十分だし、大丈夫。大丈夫」
ナルキの無表情だった顔に急に人の良い笑みが浮かぶ。
「そういえば、ナルキは短い木刀使うっぽいけど、どこかで何か習ってたの?」
一度、刃を交えかけた経験からだろうか、シンクがそんな質問をした。
「うん?それはな、高2まで剣道をしてたんだけど、そこからその感覚を応用したんだ。受験勉強中もちょくちょく素振りはしてたんだ。つっても、小太刀を使い始めたのは、2ヶ月くらい前だけど」
「長い木刀で素振りとかの練習をしてたってこと?」
「そ」
「剣道好きだったの?」
剣道をしていた、と聞いて、私はナルキに思わずシンクに代わって質問していた。
「うん。好きだったかな。結局上手になれなかったけど、勉強のために高3からやめても素振りだけはしてたし」
「へ~。さっき、2ヶ月前から小太刀使ってるって言ってたけど、きっかけは?」
ここでナルキはほんの一瞬『しまった』という顔になり、急に歯切れが悪くなった。
「あ、えっと……それは、いろいろあって……」
表情がみるみる暗くなる。
アレ、なんかマズイこと訊いちゃったかな。
「そろそろだぞ~。シンク、倉木。」
嫌なものになりかけた雰囲気を払拭したのは伊勢島くんの声だった。
その声がした方を見ると、白瀬と伊勢島くんがこっちを見ていて、伊勢島くんなんかは、ボーっとしている人にけしかけるように手をヒラヒラと振っている。辺りを見回してみると、いつもは白瀬と別れる交差点に来ていた。ここから帰り道の方角が重なるのはシンクだけだ。
「今日はありがとう。ナルキ。また明日もよろしく」
「ありがと」
シンクが礼を早口に述べたのに追従するように、私も少し早口に礼を述べた。
「どういたしまして。いいよ、いいよ。いつも1人で帰ってて寂しかったし……」
ここで、ナルキは声を小さくして、ニヤッと笑いながら、こっそり言うように、
「報酬も出るしな」
それにシンクもニヤリと笑って応え、
「じゃ、バイバイ」
と言って、ナルキ、白瀬、伊勢島くんの道とは違う方向に歩き出した。
「それじゃ、私も」
三人に手を振りながら、シンクの後を追う。
「うん。バイバイ」
「お疲れ様で~す」
「お疲れちゃ~ん」
どうやら今日は平和に終わったようだった。
「今日も何事も無くて良かったね」
「そうだね」
あの三人と別れてからは、少し静かになった。さっきまでは聞こえなかった虫の声も今は聞こえる。
「……」
「……」
しばらく私もシンクも無言で歩く。
今は五月で春だが、つい最近までこの時間はまだ少し寒かった。しかし、今夜はそんなことも無く、丁度良く涼しいと感じられるそよ風が吹いている。
う~ん。なかなか悪くない。
「ねぇ、シンク」
「ん?」
私は、実はさっきから少し気になっていたことを話すことにした。
「さっきさ、ナルキ、なんか様子がおかしくなったよね。悪いこと訊いちゃったかな?」
「……うーん……どうだろね。僕もナルキのことを深く知っているわけじゃないからなぁ。ま、答え辛そうにはしてたよね。この年になって中二病こじらせたわけじゃなかろうし。二ヶ月くらい前からって言ってたよね」
「言ってたね」
「まぁ、人間、誰しも触れて欲しくない話題ってのはあるってことじゃない? 七瀬にもあるでしょ?」
訊かれて私は少し考えてみる。大学生にもなれば、個人的な事情に深く関わろうとしてくる人もほとんどいなくなるので意識したことも無かったのだ。
「ある……かな……うん。あるかも」
ここで、私は誤解を受けても嫌なので一つ付け足しておく。
「あ、大丈夫。シンクとはどんな話でもできるから」
「あ、僕もそこは心配してない」
私たちはそのまま平和な一日を終えた。
倉木、上屋と別れてから、三人もしばらく一緒に歩いていた。いや、正確には、白瀬、伊勢島の2人と成生が1人で歩く、という体になっていた。
相変わらず、白瀬と伊勢島は盛り上がっている。
それを無表情に、冷めてる、ともいえる顔で眺めながら歩く成生。
なんだか、デキる男とデキない男の格差の縮図のようになっている。
そうしていると、突然、伊勢島が足を止めた。
「どうしたんですか? 伊勢島先輩」
さっきから、もっとも伊勢島と話していた白瀬がかわいらしく小首を傾げた。
「あ、いやね。俺とナルキはこれからバイトがあってさぁ。俺、その下準備をしに行かなきゃいけないんだ」
「そーなんですか」
「そう。だから、こっからはナルキに送ってもらってよ」
「え、でもナルキ先輩もバイトなんですよね。なんか悪いですよ」
それに成生が少し不気味な人間にみえる白瀬としては、この男と二人きりで歩くのはちょっと、という思いがあるのだが。
「大丈夫。大丈夫。この下準備は一人でやった方が早く終わるから」
「はぁ、そうですか」
「というわけで、ナルキ、白瀬ちゃんをお家まで送り届けてくれる?」
「……了解した」
「じゃ、任せた。白瀬ちゃん、こっからは、何かあってもコイツが助けてくれるから大丈夫。コイツ結構強いんだぜ? なんなら今からでも『近道』も行けちゃうぜ。多分」
「ホントですか?」
白瀬が目を輝かせて成生の方を向いた。『早く帰りつきたい』という気持ちがありありと見て取れる。
「わざわざ自分からリスクに飛び込むようなマネをしてどうする。ちゃんとした道から帰ろう、白瀬さん。ユウヤも変にオレの仕事が増えそうなことを言ってくるな」
「いやいや、リスクがどうとか、オマエが言えるクチか?」
ニヤッと伊勢島が笑いかけてくるが、成生は無視して続ける。
「とにかく、明るい道から帰ろう、白瀬さん。あと、ユウヤも行くなら早く行けよ。オマエも今日も処理しなきゃいけない書類が残ってんだろ?」
ここで、成生が良いことを思いついた、というように言う。
「あ、でも待てよ。準備、オレが行こうか?単なる機材の受け取りだけなんだろ? うん。そうだな。オレが行くよ」
そう言って成生は足を別の方向に向けようとする。
「ああ、待った、待った。そっちこそ待ちやがれ」
「ん? どうした?」
きょとん、といった様子の成生に、伊勢島は少しオーバー気味に溜息をついて見せた。大股で成生に歩み寄っていき、白瀬に聞こえないように成生に耳打ちをする。
「ハァ、わかってねぇなぁ。オマエ。いいか。これから、お前は倉木の護衛をするにあたって恐らく白瀬 日菜ともそんなに少なくない頻度で接さなきゃならない。倉木には昔から仲の良い後輩がいるって聞いてたけど、多分この子のことだ。だから、コミュ障気味のお前には、なるたけ早く彼女にも慣れてもらわなきゃならないんだよ。分かったら、今日は俺が行くから、オマエはちゃんと白瀬ちゃんを送り届けろよ」
「……」
成生の顔の眉間にシワが浮かぶ。伊勢島は昔の夏休みの宿題を前にした友達の顔を思い出した。しかし、それもすぐ消えて、成生の顔は元の無表情に戻る。
「……わかった。そこまで言うなら、そうする。合流場所はどうする?」
「あとで電話するよ」
伊勢島は自分の行く方向に足を進め始め、そのすれ違いざま。
『がんばれよ』
成生の肩にポン、と手を置きながら声に出さず口の形だけでそう言ってきた。
「うんじゃ、白瀬ちゃん、また今度の週末ね~。ナルキ、また後で」
「お疲れさまです、伊勢島先輩」
「また後で」
取り残される二人。先に話しかけたのは成生だった。
「じゃ、白瀬さん、行こっか」
「そうですね」
そういって二人はとぼとぼと歩き始める。
「……」
「……」
二人とも出会って間もないせいか話すことが思い浮かばない。成生も白瀬も根はおしゃべり好きなので、息苦しさが二人の間に充満する
「そういえば、なんかゴメンね。ユウヤじゃなくて。なんかアイツ、やることあるみたいで」
沈黙に耐えられなくなった、というように成生が言葉を紡ぎ始めた。
あー、オレ何言ってんだろ。開口一番自虐かよ、なんだかなぁ……。こういう時は自信ありげに、ってネットにも書いてあったろ。
成生はこれ以上ドジを踏まないように考えながら発言しようと決めた。
「いえいえ、私の方こそすみません。見送りまで」
「あー、大丈夫、大丈夫。オレ、バイトもそんな急ぐものじゃないから」
「先輩と伊勢島先輩って、どんなバイトしてるんですか?」
「どんなって……」
まさか正直に、化け物退治関係、というわけにもいかず成生は一瞬答えに詰まってしまう。
「ああ、飲食店、飲食店」
とっさに浮かんだ言葉をとりあえず口にする。
「どこですか? 今度、時間があったらいってみたいです」
白瀬が少し興味ありげに食いついてくる。
「どこって、えーと、ここから結構離れててさ。行くのめんどくさいよ?」
「いいですから、いいですから」
ここで成生は伊勢島が唯一、『組織』以外でバイトをしている場所があることを思い出す。そこは成生のバイト先ではないのだが。
「天下無敵ラーメンって知ってる?」
「あ、なんか、聞いたことはあります。スゴイ名前ですよね。行ったことないですけど」
「そこで働いてるよ」
「行けば、伊勢島先輩に会えますかね」
ストレートだな、と成生は心中で苦笑しながら、彼が前自分に話していた勤務の曜日を思い出す。
「水曜日か日曜日の夜に行けば会えるよ。ユウヤも喜んでくれるだろうし。アイツ良い奴だろ?」
成生の記憶の中では、白瀬の家までもう少しかかる。白瀬が伊勢島に興味を持っていると考えた成生は彼を話題にすることにした。話題のチョイスの理由が少々情けないが、あまり考えないことにする。
「そうですね。気さくですし、面白いし、話しやすいです」
「しかも、彼女募集中だってよ」
成生は『オレって損な役回りだよなー』、と思わないでもなかったが、あまり考えないことにする。
「マジすか?」
「マジマジ。なんなら情報提供協力しようか?」
「ありがとうございます。ナルキ先輩」
白瀬の顔に浮かぶ笑み。成生は複雑な感情になるのを感じないでもなかったが、あまり考えないことにする。
「そういえばセンパイ、先日はどうもありがとうございました。お陰様でとても助かりましたぁ」
「ああ、いいよ、いいよ。あの時オレもあっちで落とし物を探してたから」
「というか、よくあの時、木刀なんてモノ持ってましたね」
「ああ、アレは、オレ、演劇部を手伝ってて、そこで小道具として貸してたんだ。あの時はそれを返してもらった帰りだったワケ」
「へー、そうだったんですかぁ」
ちなみに今、成生が言ったことはほとんど嘘である。探していたのは落とし物ではなくシャドウという人型化け物。演劇部に入っていたのは大学一年の十二月までで、それ以来、演劇部員とは関わりなど持っていない。木刀はシャドウにいつ遭遇するか分からないため、いつもリュックに隠し持っている。
我ながらとんでもない大ウソつきだな。
悪びれる様子も気持ちも無く成生の口はしゃあしゃあと動く。
「なんか時代劇、みたいなのやろうっていう話があるらしくて……白瀬さんは剣道部以外にサークルとか入ってるの?」
「いえ、剣道以外は特に何も。週五のペースで稽古があるので他の部活になんて入れやしませんよ」
白瀬がハハハと少し力なく笑った。
気が付くと二人は白瀬の下宿先の近くに来ていた。
「あ、先輩。もうそろそろ着いたみたいです。ここら辺で良いですよ」
「わかった。それじゃ、おやすみ」
「はい。おやすみなさいです」
白瀬は成生に背を向けて、自宅の方に歩いていく。
それを見届けて、成生もその場を後にした。
「ったく、大変だったぞ。女の子慣れしてない人間に急に女の子預けえていくなっての」
「悪い、悪い」
白瀬と別れてすぐに伊勢島から電話を受けた成生は指定された場所に向かい、無事伊勢島と合流を果たした。伊勢島は何やらアタッシュケースを持って、缶ジュースを飲んでいた。おそらくそのアタッシュケースに渡された機材が入っているのだろう。
「それで? 多少なりとも親しくなれましたかい?」
「一瞬でデートの約束取り付けたお前には敵わーよ。やっぱ、オレよりオマエが見送りに適してたよ」
「はぁ。これだから、モテない奴は困る。周りがチャンスを作ってあげても全然ものにできないからなぁ~」
「大きなお世話だ。それに、デートの約束まで取り付けた仲だったろ?」
「オレがオマエに見送りさせた理由は2つある。1つはさっき話した通り。もう一つは機材受け取りの際に機材の扱いの説明を受けたんだが、その中にはオマエの権限階級じゃ聞いちゃいけない内容が含まれていたからだ」
「あ、そうだったのか」
成生が納得したように頷いた。
「で、その機材は大雑把に言ってどういうことする機材なんだ?」
「ま、いうなればカメラだ」
「カメラ?」
「今日のオレたちのやることは取りあえず、目標の大型シャドウを確認することだ。そこで、確認した証拠として、および、敵の概要を掴むためにカメラに収めるってわけだ」
「シャドウを写せるのか」
「『エネルギー』をある部品に流すことで写せるらしい。企業秘密みたいで、メカニズムは教えてくれなかった。ただ指で触れてどこに『エネルギー』を流せばいいかだけ教えてもらった。どうやら『エネルギー』を体外の物体に流せる『代行者』しか扱えないっぽいな」
「『体質者』には無理なのか?」
「アイツらは自分の体内でしか『エネルギー』を扱えないからな」
「へ~」
ここで、伊勢島は缶ジュースを近くのゴミ箱に捨てて歩き出した。
「さぁて、じゃ、俺たちの獲物を見に行こうか。パパッと撮って、パパッと帰ろうぜ」
「そうだな。オレも早く帰りたい」
現在、9時30分。その夜はもう少しだけ続きそうだった。
随分間が空いてしまいました。すいません。
お付き合い、お願いします。