5 〈Day2〉依頼 -2-
2人が、『組織』が持つビルであるところの、Kビルディングに着くと、時刻は五時になっていた。A大学から、少々、入り組んだ道(『近道』のように治安が悪いわけではない)を進み、徒歩三十分で着く筈なのだが、途中で成生が買い食いなどの、寄り道をしたがったために、一時間ほど掛かってしまったのだ。
Kビルディングは、3階立てのこじんまりとした、古いビルで、いかにも、肩身狭そうに建っている。
中も古いようで、エレベーターの一つも無い。
ビルの1階は受付だけで、入口に入ると、受付窓口に、いかつい白髪混じりの男が1人と、その窓口の横に網膜認証機。古い雰囲気に溢れたKビルディングの中で、そのハイテクそうな網膜認証機だけが、非常に異質なものに感じられる。まるでその機械が、何かの手違いでタイムスリップしてきたようだった。
伊勢島が、
「権限階級五の伊勢島で~す」
と、慣れた手つきで、組織の人間であること証明するカードを差し出し、その場で網膜認証を受けた。
権限階級とは、『組織』における、文字通り階級である。権限階級1を最底辺として、最高で権限階級10まである。権限階級が上になれば、『組織』の持つデータベースの中で、より高度な情報にアクセスできる。しかし、権限階級が上がれば良いことばかり、と言うわけでなく、権限階級5からは、より上の階級の人間の指示を受ける義務が生じる。権限階級四までは、命令を受ける義務は、一部の例外を除いて、殆ど無いが、それだけに、アクセス出来る情報を大きく制限される。
「ホラ、オマエも。」
個人認証を受ける伊勢島の様子を、ボーっとみていた成生も伊勢島に促されて、受付の男に自分のカードを出して、網膜認証を受けた。
「え~……と……権限階級1の佐藤~……せいせいさん?」
権限階級1、すなわち、最下級。まさに、下っ端のバイトである。
「……なるき、です」
男の大義そうな確認に対して、成生が顔をひきつらせた。
「あ~、佐藤……なるきさん、ね。はい。ごめん、ごめん。2人とも通っていいよ」
許可を受けて、2人は2階に上がった。
2階は、事務所になっていて、5、6人がデスクワークを行っていた。伊勢島は、彼らに少し挨拶をする程度でそのまま通り抜けて行く。その場所の緊張感から来る居心地の悪さを感じつつ、成生もそれにならって一緒に通り抜けた。
2人の進む先には、事務所の奥の一室。そこに入るとデスクがあり、女が1人、煙草を加えて、書類に目を通していた。
女は若々しい外見で、切れ長の目をしており、クールな印象を受ける。無造作に後ろに括られた短めの黒くて艶やかな髪は、ファッション、というより、仕事の邪魔だから括っている、という感じだ。
「失礼します」
「失礼します……」
二人が、デスクの前に直立すると、女は書類から顔を上げニコリともせずに無表情で言った。
「やぁ、君たちか。ようこそ」
彼女の名は、鑑薫子。権限階級8で、このKビルディング周辺の『組織』の人間を統括する立場にある者である。
「いや~、今日も際立つ、若さと、美しさですねぇ」
「世辞はよせ、伊勢島。確かに若作りはしているし、そのことに関しては、自信があるつもりだが、実際、もう、三十路を過ぎている。それに、君が言うと、なおさら、褒められている、というより、世辞を言われている、という感覚になる」
――してるのな。若作り。
横で聞いていた成生は、その雰囲気や人柄で、若作りをしている、と言う鑑のことが、シュールなものに思えて、少し可笑しかった。
「イヤイヤ、ナルキ、オマエもそう思うよな」
「えぇ……まぁ。普通よりは、かなり若く見えます」
いきなり話を振られたが、戸惑いつつも一応、成生は反応を見せた。
鑑は、成生と伊勢島を交互に見て、
「ふむ、佐藤に言われると、褒められた感が出るな。伊勢島、これは、どう言うことだ?」
「ヒドイですよ、薫子さん~」
因みに、鑑はここまで無表情である。成生は、この、鑑薫子に対して何かと苦手意識を持っているのだが、その理由の一つが、終始、無表情なことだ。無表情でいられると、成生としては、非常に会話を進めにくく感じるのだ。今のように冗談を言うときも眉一つ動かないので、何か、人外の存在と話している気分になる。
もっとも、伊勢島は勝手が違う。彼の場合は、美人なら話かけにいく。憶さず、躊躇わず。後先考えず。伊勢島のポリシーは、『どんな縁もムダにしない』である。
この点、成生はひそかに伊勢島を尊敬している。
「さて、2人とも、こんなバカな話をするために、ここに来たわけじゃないだろう。先ずは、伊勢島。報告書を出して、その概要を今ここで簡単に話してくれ」
伊勢島は、報告書を鑑に手渡し、言われた通り、その概要を説明した。その内容は、やはり、成生の昨日の動きのことで、これなら、自分が話した方が良かったのでは、と、成生自身は考えたが、同時に、自分の記憶との食い違いも無いので、良いか、とも思った。
「佐藤。伊勢島の報告に齟齬や、付け足すことは無いか?」
「はい。特には何も」
「そうか。……なるほど、君がアレを呼ばせたのは、このためか」
「へ?」
鑑の言った、『君』が誰を指すのか分からず、成生は戸惑いをみせた。その横で、伊勢島は、
「そういうことでございます」
「どういう意味?」
頭上でクエスチョンマークが踊っている成生に伊勢島が説明する。
「あ、まぁ、ここに来る前に、上屋も来るように言ったんだ」
どうやら、『君』とは伊勢島のことだったようだ。
「上屋って、シンクか。そうなんだ。でも、なんでまた……」
「アイツは、少々、説明しなきゃいけない事情があってな。ま、説明はそんなに時間も掛からない」
そう言うと、今度は、鑑に向いて、
「それで、薫子さん、上屋は今どこに?」
「三階で武器を選んでる」
「そうですか。じゃ、ちょっと行ってきます」
二人がその部屋から出ていこうとした時、鑑が思い出したように付け足した。
「そうだ、伊勢島。その話が終わったらまたワタシの所に来い。佐藤も強制はせんが、出来たら来い」
――『強制はせんが』とは言うけど、『出来たら』とは言ったけど、『絶対来い』って言ってるんだな。
成生はそう理解した。
そして、成生たちがここに来て初めて、鑑の顔に笑み浮かぶ。
笑みは笑みでも、不貞不貞しい、ニヤリというような笑みだったが。
「仕事の話だ」
果たして、成生と伊勢島が三階に上がると、上屋真久はそこにいた。
Kビルディングの三階は対シャドウ用の武器が保管されている。といっても、銃刀法に抵触するものがあるわけではなく、特殊な処理が施された、木刀や、長獲物の棒、弓道などに使われるような矢、メリケンサック、グローブなどがあるだけである。
上屋はその中で、グローブとメリケンサックを選んでいた。そういえば、と、成生は、上屋が最初に出会った時に殴りかかってきたことを思い出す。
――徒手空拳なのか。
「よぉ、上屋!」
伊勢島が威勢のいい挨拶をする。
上屋はゆっくりと二人の方を向くと、
「やぁ、伊勢島くん。……と、ナルキも」
成生も片手をあげて応じる。
「よっ」
上屋が、爽やかに微笑みを浮かべる。
――この笑みは、さぞ、色んな女の子を虜にしていることだろう。
見た瞬間、成生としては、所謂イケメンスマイルが非常に眩しかった。
――いや、彼女がいるのは知ってるけど。
「んで、上屋、今日は、倉木は来てんのか?」
「大丈夫だよ、伊勢島くん。今日はナルキに対する説明だろ? 彼女がいたら、ちょっと都合悪いし、連れてきてない。それに、都合悪くなくても部活があるみたいだから」
「そりゃ、そうだな。話が早くて助かるぜ」
「二人は随分前から知り合いなの?」
二人の会話を聞いていて、成生は思ったことをそのまま述べた。
これには伊勢島が答える。
「そうだな……上屋が『組織』に加入したのが高校に入った時からだから、そっからだな。ってことは・……」
「五年目、だね」
「シンクはまさか、オレより長くこの世界にいるのか!?」
『この世界にいる』とは、『シャドウと関わっている』という意味である。
「当たり前だろ。偶然、2ヶ月前にこの世界に入ってきた、ひよっこのオマエとは違うぜ」
「と言っても、僕は『体質者』だから、直接シャドウと関わる事はほとんど無いんだけどね」
ここで、上屋は少々、首を傾げた。成生の様子が昨日より少し塩らしい気がしたのだ。
しかし、突っ込んでも今は仕方無いと思ったので、何も言わずに、本筋に沿った話を続ける。
「それじゃ、せっかく、呼んでもらったことだし、僕の方からちょっと、事情を説明させてもらうよ。今日は君に頼み事があるんだ。」
そう言って部屋の片隅のソファーに座った。
それに習って成生と伊勢島も、上屋の向かいにあるソファーに座る。
ふぅ、と息を吐いて、上屋は話を始めた。
「さて、何から話そうか」
「ちなみに、オレは話を補足するお飾り程度に思ってくれ」
「オッケー。さぁ、シンクどうぞ」
上屋は、口に手をあてて、少しの間、考える素振りを見せてから切り出した。
「そうだねぇ、じゃ、まず前提から。シャドウに干渉することが出来る人間っていうのは、大きく二種類に分けられることは知っているよね」
「『体質者』と『代行者』だよな」
「そう。その2つの違い、って分かる?」
「正式名は知らないけど、一種の『エネルギー』を作る回路を先天的に持っているのが、『体質者』で、『代行者の印』によって、後天的に『エネルギー』を作る回路を獲得し、その他、数個の特典を持ってるのが、『代行者』、だったっけ」
「で、今、さらっと言った、その『エネルギー』について、ナルキはどのくらい知ってるんだっけ。」
「シャドウに干渉を行うことが出来るエネルギーってことくらいだな。その『エネルギー』を武器に内包させられるっていうのは、『代行者』だけができるんだよな」
「それだけ?」
上屋の問いに成生は首を縦に振る。上屋がチラっと伊勢島の方を見た。
「あぁ、薫子さんから許可は取ってる。必要に応じて、権限階級3の情報までなら、出して良いってさ。でも、最低限にな」
ここでも、伊勢島は準備の良いところを見せてくれた。
「あれ、ところで、シンクって、権限階級は?」
「四だよ」
「大先輩だったのか……」
成生の表情が、いかにも、『負けた~』と言うような表情になる。
「あー、話を戻すよ。それで、その『エネルギー』っていうのは、実は、シャドウの動力でもあるんだ。『エネルギー』を使って、自らのボディーを生成し、それを、動かすってこと」
「そうだったのか。あ、じゃ、オレがバイトでやってるのって、シャドウからその『エネルギー』を回収して電気に変えているってことだったんだな」
「ま、そういうこと。そういうのも、『代行者』の特権だよ。『エネルギー』を保存する回路を持っているのは『代行者』だけだからね。それで、ま、ここからが本題なんだけど、シャドウっていうのは、『エネルギー」を生成できる『体質者』や、『代行者』に集まってくる習性があるんだ。彼らから『エネルギー』を吸収するために」
「そうだったのか。それで……、それが前提?」
「うん。で、本題はここからなんだけど、前、最初に会ったときに言った通り、僕もそうだけど、七瀬は『体質者』なんだ」
「へぇ。そうだったのか。それがどうしたんだ?」
「君への依頼内容っていうのは、要するに、ナナセを僕がいない時に守ってほしい、というものなんだ」
「……」
突然言われたことに成生は目を白黒させる。
「ああ、ゴメン。何か困惑させちゃったかな」
「まぁ、ちょっと」
「とりあえず説明を続けるよ……ナナセはシャドウには関わらせたくないんだけど、さっきも言った通り、向こうの方から関わってくるから対策を講じなきゃいけないんだ。かといって、彼女に闘わせたり、家から出さない、ってわけにもいかないし。だから、こうしてボディガードをお願いするわけだ。あ、でもいつもじゃないよ。ボディガードは、シャドウが活動する時間帯、つまり、夜に彼女が大学から帰る時だけで、しかも、僕が用事があって彼女の傍にいられない時だけでいいんだ」
「なるほど······。えーと、確認なんだが、この場所でしてるってことは、この話は、組織を仲介した、個人からの依頼ってヤツになるのか?」
成生も『個人からの依頼』というものは、これまで、二、三回受けたことがある。伊勢島に『ウマいバイト話がある。』と誘われて、それらを紹介されたのだ。
「ちょっと違うかな。確かに、お願いするのは僕なんだけど、今回、クライアントに報酬を払うのは、『組織』なんだ」
「……どういうこと?」
個人からの依頼の報酬は、勿論、その依頼主から払われる筈である。それを『組織』が肩代わりする、というのは、おかしなことである。
なんだ? シンク(この男)は、権限階級四と言うのは、実は仮の姿で、ホントはエラいヒトなのか? それとも、『組織』の何か秘密でも握って、癒着でもしてんのか?
「ああ……、と、そうか、あと、補足説明なんだけど、僕が、何で、『組織』にいるか説明させて欲しい。」
そういってから、一呼吸置いて上屋は告げた。
「うん。僕はね、極論、七瀬を守るためだけに『組織』にいるんだ」
「七瀬とは昔からの幼なじみでね。えーっと、幼稚園からかな。ずっと同じなんだけど」
「ヒュー。う~らやましい~」
伊勢島が横から茶々を入れるが、黙殺される。
実は、成生も少しそう思ったが、何も言わない。
「彼女は昔から、何も無い筈の方向を指差して、言ってたんだ。『黒い何かがいる』って。もちろん、後で分かることだけど、シャドウのことだよ。もっとも、昼間の内はシャドウなんて、ほとんど出ないから、夕方とか、夜に言う場合が多かったけどね。」
「早期から、『体質者』としての能力を持ってたってわけだ」
「というよりは、その年で『体質者』だったなら、大体、先天性の『体質者』だって言われてる」
「そうなのか」
成生の思考の整理に注釈を加えてきた伊勢島は、さらに、説明を加える。
「『体質者』のその能力の発現のしかたは、そのほとんどが、二つのパターンに分けられる。1つは、倉木みたいな、先天性。もう一つの後天性の方は、オマエもそうだったように、そのほとんどがティーンズの時に発現する。上屋もその一人だ。オマエは大学一年だったけど」
成生が、上屋に向き直った。
「そーなのか?」
「あぁ。僕は、中一の頃かな。初めてシャドウが見えるようになったのは」
「そんで……そのことと、さっきの、おかしな話は、何の関係があるんだ?」
「まぁまぁ。最後まで聞いてよ」
「あぁ、ゴメン。話の腰を折って悪かった。続きを話して」
「うん。その時に七瀬の見ていたもののことが分かったわけで、時々『黒い何か』もといシャドウに襲われかけることがあったりして、なんとかしなきゃいけないなって考えてたんだ。そんな時に伊勢島君に声を掛けてもらってね。当時、中学二年だったね。たまたま同じクラスだったんだ」
「そーだったのか」
成生が、また伊勢島に顔を向けると、彼は、少々めんどくさげに口を開いた。
「まぁ……そうだな。授業中だったっけ。上屋と、倉木が、二人して、なーんか不自然な方向に視線を向けてたのよ。で、なんとなく、そっちにオレも目を向けたら、なんとビックリ、大型シャドウの姿が遥か遠くに見えたんだ。そん時は夕方で、まだシャドウの主に活動する時間帯じゃなかったから、比較的力の強いヤツしか行動してなかったってわけだ。それで、もしや、と思って二人に声を掛けたら、やっぱりそのまさかだった、と言うワケ」
「それで、そっから?」
「うん。それから、僕は、伊勢島くんを通して薫子さんに会う機会を得たんだ。そこで、彼女に七瀬を守るにはどうすれば良いかを相談し、そこで彼女からある提案を受けた。それが、僕が『組織』(ここ)で働いて、その報酬として七瀬を守るための依頼を誰かにする時、その依頼料を『組織』が肩代わりする、と言うものだったんだ」
「あと、回路を刻みつけた武器の提供な」
「あぁ、それで、さっきみたいな話が出てくるんだな。納得だ」
「じゃあ、さっきの話に戻るけど、依頼料については……」
「おお、おお、やっぱ、『組織』が払ってくれるから、弾むのかな?」
「まぁ、弾んでいるかどうか分からないけど、一ヶ月に一〇万円になるよ」
「月一〇万か……」
月一〇万入れば、生活は楽になるな。今掛け持ちしてる普通のバイトを止めても余りある。でもなぁ、これまでより、命の危険に晒される可能性が増えるよなぁ。それに見合うかどうか……。
成生は顔をしかめながら、一度組んだ腕をほどいた。
「確認だけど、依頼内容は、あくまで倉木七瀬守ればいいんだよな? 危険の排除を義務的にしろ、とかは……」
「いや。あくまで護衛さえしてくれればいいよ。シャドウなんかは家に帰って、朝まで待てさえすれば消えていくからね。もしくは、夜みたいに光の無い環境で人けのないところに行かないようにさせる、とかでも良いし」
「えーと、シャドウから守ればいいんだよな?」
「基本的に七瀬に危害を加える存在すべてから」
「す、すべて!? ……ああ……シンクって、ナナセのことになると、言うことが過激になるんだな」
「そうかな?」
別に普通だけど。そんな口調で首を傾げる上屋に成生は曖昧な笑みを浮かべた。
「分かった。まとめるとこうだな? 護衛対象者は倉木七瀬で、シンク不在の場合に彼女が大学から帰宅する時に、彼女に敵意を向けるすべての存在から護衛する。報酬は一ヶ月一〇万円。」
「そうそう。付け足すことは無いよ。つい半年前までは伊勢島くんがこの依頼をこなしくれてたんだけど、彼は権限階級が四から五に上がってから忙しくなっちゃって、できなくなったんだ。頼む、ナルキ。この依頼ひきうけてくれないかな」
「うー……ん他に引き受けてくれる人はいないのか?」
「そうだね。そもそも、この世界に関わっている人間の数が圧倒的に少ないし、さらにその中で顔が分かって、信頼できそうな人となると、全然いなくて。」
「薫子さんに都合してもらえないの?」
「どの部署も人手不足で、皆忙しいらしいんだ」
「それで、新入りで、暇そうなオレに白羽の矢がたったわけか」
「まぁ……そうなるかな。」
「でも、シンク。シンクはさっきサラっと言ってたけど本当にオレを信用してるのか?」
成生のいつも気だるげな目に僅かに威圧的な光が宿る。声も少し冷たい雰囲気を帯びた。何やら、少々怒っているようにも見える。
「……」
上屋は一瞬、返答のしかたに困ったが、結局、正直に自分の考えを述べることにした。自分の大切な人の安全が懸かっているのだ。いい加減には出来ない。
「いや、正直なところ、僕は昨日今日知り合った人間をホイホイと信用できるほどバカじゃないし、現に君のことはまだ信用していない。でも、何かあった時に、こちらからアクションを起こしにくい範囲にいる人間に依頼するよりも、同じ大学の人間で、その行動を知りやすい人間の方がまだ安心できる」
「なるほど。オレを信用する、というより、条件が一番マシってことか」
「そうだね」
「それで? 倉木七瀬にもしものことがあったら、オレの方もタダじゃ済まさないぞ、ってこと?」
「……そうだね。」
成生はまた腕を組んで考える素振りを見せる。そんな彼に上屋はさらに畳み掛ける。
「お願いする立場なのに、こんなことを言うのは厚かましいって分かってる。だけど、君しかいないんだ。確かに、ナルキには少し高めの報酬が入るということ以外メリットも無く、むしろ、デメリットさえ出てくる依頼だ。でも、それでも、お願いだ。どうか、引き受けて欲しい」
そう言って成生に頭を下げる。
「……」
沈黙。二人の間に重苦しい沈黙が下りた。
「……シンクも大変だな。」
五秒ほど続いた沈黙を先に破ったのは成生の方だった。先ほどまでより、ずっと温度のある声色だ。
「わかった、わかった。その依頼受けるよ。コチラも生活のためにお金が欲しいのは確かだし」
上屋は弾かれたように顔を上げた。
「本当に?」
「あぁ、マジだ。マジ」
「マジ? 良かった。ありがとう。助かるよ」
上屋は自分の説得が上手くいったことが分かり、ホッと安堵の息をもらした。
その後、成生と上屋は依頼についてさらに細かい話をした。
まず、その仕事が始まるのは、早速明日からで、上屋が倉木七瀬の側にいられない曜日、つまり、成生が護衛に就かなければならないのは火曜日と金曜日で、その他にも不定期に護衛をしなければならない日は出てくるとのことだった。倉木が帰宅する時には成生のケータイに彼女からのメールが来るようにした。
また、まだ暫くのうちは成生も倉木七瀬という人間に慣れないので、上屋が倉木の側にいられる日でも護衛任務に就くことにした。
「七瀬は僕のフォローが無くても親しみ易い人柄だと思うけどな」
「いや、慣れない女の子は苦手なんだ。彼氏くんのフォローが無いと厳しい」
「はぁ……まぁ、いいけど。」
話がひと段落したところで、伊勢島が欠伸をしながら、体を伸ばした。
「ふああ、よ~うやく終わったか」
「そうだね。一通り書くべき書類もこっちで済ませるし、ありがとう。伊勢島くん、ようやく、人が見つかったよ」
「良いってことよ。このくらいしか出来ること無いし」
次に伊勢島は成生に向き直った。
「うんじゃ、ナルキ、薫子さんのトコ行くぞ。ホラ、もう七時だ。怒られっぞ。待たせ過ぎ~だとか言われて」
「ああ、分かった、分かった」
「さーて。上屋、オレたち、まだ仕事の話があるからここらで。オマエも今日は彼女を迎えにいかなきゃいけないだろ?」
「確かにそんなに時間だ。それじゃ、伊勢島くん、ナルキ、今日は本当にありがとう。ナルキ、また明日よろしく」
そう言って上屋はその場から出ていった。
二人が鑑の執務室に戻ると、鑑はまだ書類と悪戦苦闘していた。
「安心しろ」
二人が部屋に入ってくるなり、書類から目も上げずに鑑はそう言った。
「「は?」」
「だから、安心しろ、と言ったんだ。確かに、いつもなら下っ端ごときが上司をこんな時間まで待たせるとはどういうことか、と小一時間説教を垂れてやるところだが、今日は幸い、いや、私には不幸だが、やることがたくさんあったのでね。怒ってないから安心しろ、ということだ」
なんて意味深な、『安心しろ』なんだ!
「は、はぁ、以後気を付けます」
二人を代表して、とうより、半ば反射的に成生が謝った。
「いや、冗談のつもりだったんだが」
イヤ、分かりにくいわ!
終始真顔の鑑に心の中でそうツッコみつつ、先日、伊勢島から『薫子さんは、時々、わけ分かんねータイミングでギャグをブッこんで来るから気を付けろ』と言われたことを思い出す。
「は、はははは……」
成生は、この、いつも無表情で何を考えているのか分からない上司のことが、さらに分からなくなった。
伊勢島が『だろ?』というようにウインクしてくる。
「まぁ、それはさておきだ。上屋の話はまとまったのか?」
「はい。成生が依頼を引き受ける形となりました」
「そうか。それは良かった。じゃあ、コチラの話に移ろう」
そう言うと、鑑は目を通していた書類を置き、デスクの中から書類を一枚取り出して、それを二人に見せた。
「任務受領受付書?」
「三日前から、GLビルというところのの屋上に大型シャドウの目撃証言が相次いでいる。これを討伐し、エネルギーを回収してこい。強制はせんが。しかし、報酬は一〇万でしかも、ヤツが持ってる『エネルギー』はきっと膨大な量だろうよ。それを金に換えれば相当な額になるぞ」
「おおー」
しかし、このエネルギーの換金以外に報酬が付くのは権限階級五以上の人間たる伊勢島だけである。つまり元々、この話に関係があるのは伊勢島だけである。だが、関係の無いはずの成生も呼び出された、ということは、
「伊勢島だけでは荷が重い。佐藤、フォローについてやれ」
「やっぱりそうなりますか」
「でなければ君はここには呼んでない」
「ですよね~」
成生がいつもにまして気だるげになる。
「まあまあ、ナルキ、報酬とエネルギーの換金とで手に入ったお金を、二人で二分の一ずつ山分けだ。それでどう?」
伊勢島がいつもに増して明るい声を、白々しく出した。彼は権限階級5と上司からの指示を断れない立場にある。『強制はせん』と言ったが、断ることが許されるほど社会は甘くないのだ。さらに大型シャドウ、となると、彼一人の手に負えないこともまた事実である。
「あぁ、ハイハイ、分かった、分かった。やりゃいいんだろ。おっけ。二分の一な。じゃ、まずは明日、上屋の依頼をオレが済ませた後、様子見に行こう」
もはや、どうとでもなれ、と成生はいい加減な返事をする。
「イヤ~、ナルキくん、助かるよ~。やっぱ持つべきものは友達だね~」
「こんな時だけ友達、って言葉を出してくるようなヤツはろくなヤツじゃない、って本当だな」
そんな様子を見て鑑はまた二人が来たときのように書類に向かい始めた。
「話はまとまったようだな。伊勢島、この受付書にサインしたら帰っていいぞ。佐藤もな。話は以上だ」
鑑は最後まで無表情だった。
ようやく書き終えました。早くも倦怠期が······。
頑張ります!!