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Losing Penta  作者: なっちー
3/13

2 〈Day.1〉デジャヴ -2-

「じゃ、先輩はアッチの方向ですね。」

白瀬(しらせ)は私がこれからいく方向を指差して言った。

「そうね。白瀬もいつもの帰り道でしょ。」

「いやー····今日は『近道』を使います。」

「へ?」

 喫茶店を出て私たちは、暫く歩いて、いつもの大学の帰りに別れる場所に来た。そこでいつものように、何とはなしにお互いの行く方向を確認したのだが、白瀬の返答はいつもと違っていた。

「どうしてよ、もうこんな時間だし、危ないと思うけど。」

「そうなんですが、今日はどうしても早く帰りたくて····。疲れてるし、ドラマあるし。」

「計画がどうとか言わないのね。」

「一応、場の空気くらいは読みますよ。私。」

 珍しく真面目な様子の白瀬が私に非難の目を向ける。

「でも本気?この前だって、あの通りはなんか、ヤバいことがあったらしいし。」

そう。その『近道』は我らがO大学の近くにあって、寮生などはよく使用するようだ。白瀬も寮生の1人だ。

 しかし、『よく使用する』とは言っても、オールタイムではない。その前に『辺りが暗くなければ』という条件がつく。その通りは建物が少し集中していて、細くなり、見通しが悪い。不良やチンピラの溜まり場には持ってこいなのだ。現にそこで、事件が何回か起こっているのを私は耳にしている。だから、どんなにそこでショートカット出来たとしても朝、昼じゃなければ、一般の人間はそこにあまり寄り付かない。だが、どうだ。昼などとっくに過ぎ、今はもう真っ暗だ。コイツの採ろうとしている選択肢はとても正気の沙汰とは思えない。しかし、そう言っても、白瀬は、

「も~う、私疲れちゃいました~。素早く、パパ~っと切り抜けるんでそうします~。」

 どうやら本気で早く帰りたいだけのようだった。

「まー、そうよね。今日大会だったし。初戦敗退とは言え応援で疲れてるか。」

「なんすか、イヤミっすか、このあばずれが。」

「ええ、そうよ。あれから言われ放題だったしね。イヤミの1つ言わないと気もすまないよ。」

「そーですか。じゃ、クソババァへの階段を順調にかけ上って行ってください。」

「ええ。そうする。そうする。」

 私たちはまた、一通り軽口を言い合い、別れることにした。

「それじゃ、また明日。」

「ハイ、先輩、さよなら。」

 こうして、私たちの長い夜が始まりを告げた。



「まったく、先輩は心配性なんだよなぁ。別にもう、私、何回かこの時間に使ってるし。」

 学生たちの言うところの『近道』の中盤あたりで、少女―白瀬 日菜は独りごちた。

 そう。白瀬は、この時間に何度もこの道を使っている。というより、先ほどの『何回か』という表現は適切ではない。正確には、『滅茶苦茶』に使っているのだ。

それは、もう、白瀬自身、20回から先は数えていない。まこと、倉木(くらき)が聞いたら小一時間説教をされるような話ではあるが。

 しかし、それも仕方の無いこと。この地域は昔から彼女のテリトリーだった。中学や高校で遊んで遅くなった帰りなどは、今のように、時間が7時、8時を回っていても、そして、親から『あの道は危険だから、通っちゃダメ』と言われていても、ホイホイと使っていた。

 中学から同じ学校の剣道部で、仲の良かった倉木も、このことは知らない。当時はそこまで、帰り道が重なっている、ということも無かったのだ。

「ま、使わないと母さんに怒られちゃうから、仕方無いといえば···仕方無いですよね~。」

 誰にともなく、言い訳をしてみる。白瀬日菜は寂しがり屋なのだ。

もっとも、そのお母さんも、娘がそのような時間にこの『近道』を使っていたことを知れば、顔を真っ赤にして怒り狂うかも知れないが。

 要するに彼女はナメて掛かっているのだ。この道を。

と、その時。

 ズボンの右ポケットのスマホから着信音が流れた。相手は倉木七瀬。

「もう、心配性ですねぇ。」

 渋渋、といった感じで電話に出る。

「もしもし?先輩ですか?」

「そうよ。やっぱ、私、アンタ心配だから送るわ。」

――面倒臭いなぁ。ありがたいですけど、コッチは疲れてるんです。

「いやぁ、いいですよぉ。別に。先輩は心配性ですねぇ。たしかに、私はカワイイ、清楚系妹系女子でオトコの視線は釘付けかもですけど、もう、流石にこんな時間には、誰もいない、ってなもんです。」

 いつもの感じで返す。

「いや、でも、女の子が襲われたって最近も···」

「大丈夫ですって。現に、今は誰もいません。大体、先輩、そんなこと言って恩に着せといて、後日、何か買わせるつもりでしょぉ。もう、まるっきり、バレバレってなもんです。」

――あぁ、ふざけるのも疲れるなぁ····もうテキトーにあしらって切っちゃお。

「いや、だけど、白瀬、やっぱり······」

「スイマセン、先輩。もう、今日、私、疲れてるんで。また、明日です。おやすみなさ~い。」

 白瀬は容赦無く電話を切った。倉木が一瞬、何か言った気がするが気にしない。明日、いちゃもん付けられるかもしれないが、気にしない。

 現在、午後8時4分。辺りに最早自然の光などなく、さらに、この道、インフラ整備が行き届いていないせいで、街灯の光も、所々にしか無く、視界が怪しい。しかも、道の脇にはときどき、不法に投棄されたゴミも見受けられる。テレビなど、大きめの家電から、袋に入れられた生ゴミまで。かなり、ニオイを放つものもある。

――不気味だ。気持ち悪い。

 昔から、この道を、この時間に通る度にそう思うのだが、いかんせん、この道を使わないで、周り道をして、あまりにも帰りが遅くなった暁には、母親から、もっと、もっと恐ろしい実害が伴った仕打ちを受ける。

 1週間、ムダな外出禁止とか、ムダに多く家事が回ってきたり。

――全く。教育ママさんかよ。

 心の中で何度そう毒づいたか分からない。

 と言っても、今はそんな家を出て、大学の寮に住んでおり、親から天誅を受ける事もないのだが。

 しかし、白瀬は疲れていた。

――とにかく早く帰りたい。今日やる予定だった大学の課題も、もうどうだっていい。風呂と布団さえあればなんでもいい。

 そんな気持ちが一層強くなり、白瀬は足を速めた。――その時だった。

「ねぇ、ねぇ、オネェちゃん、」

 後ろから、聞こえた声に反応して、白瀬はそちらを向いた。

 見ると、紫のパーカーに黒いニット帽でサングラスをした男が一人。

「はい?」    



 倉木七瀬は考えていた。果たして、自分はこうしてて良かったのだろうか。

――やっぱり、私が送って行った方が良かったかな。

 白瀬が行った、『近道』でO大学の女子学生が襲われた、という噂はまだ、倉木の耳には新しい。

 自分の、大切な可愛い後輩が同じ目に遭うなど、考えるだに恐ろしい。

「まぁ、アイツ、口悪いけど。見た目カワイイ系悪魔女子だけど。」

 自然と独り言が漏れる。

――でもまぁ······

 よくよく考えれば、別段、倉木も寮生というわけでは無いが、家に門限などもない。加えて、今日は大切な予定なども無い。せいぜい、ちょこっと課題とか、彼氏に電話して先勝報告しようとか、その程度である。

 ならば、強いて労力を割かない理由も無い。これで、何もしなかったばかりに白瀬の身に何かあったら、そちらの方が、余程寝覚めが悪いものである。

 もし杞憂に終わってもそれはそれで結果オーライだ。

――後日、これを口実に何か奢らせよう。

普通の人間は、ここまで、他人を気にはしなかろうが、これが倉木七瀬という人間の性格である。面倒見がいいのだ。

 決断すれば、彼女の行動は早い。

「しょうがないなぁ······。」

 そう独りごちつつ、足を(くだん)の『近道』に向け、歩きながら、スマホで電話をかける。

 何回かのコール音の後、相手が電話に出る。

「もしもし?先輩ですか?」

「そうよ。やっぱ、私、アンタ心配だから送るわ。」

 それを聞いて白瀬の声色は、明らかに『面倒臭いなぁ』という響きを帯びた。

「いやぁ、いいですよぉ。別に。先輩は心配性ですねぇ。たしかに、私はカワイイ、清楚系妹系女子で、オトコの視線は釘付けかもですけど、もう、流石にこんな時間には誰もいない、ってなもんです。」

 さりげに、自画自賛。

――その自信はどこから来るんだ?

「いや、でも、女の子が襲われたって最近も······」

「大丈夫ですって。現に、今は誰もいません。大体、先輩、そんなこと言って恩に着せといて、後日、何か買わせるつもりだったんでしょぉ?もう、まるっきり、バレバレってなもんです。」

――むかっ!いや、確かにそんなこと考えたけども。でも、本気で心配なんですけど!

「いや、だけど、白瀬、やっぱり····」

「スイマセン、先輩。もう、今日、私かなり疲れてるんで。また、明日です。おやすみなさ~い。」

「あ、ちょ――」

一方的に切られてしまった。

――こうなったら、是が非でも恩に着せて、高いアイス買わせてやる。

 やや、不純な理由で奮起した彼女は、さらにもう一本電話を掛ける。

 果たして、相手はすぐに出た。

「もしもし?どうした?七瀬。」

 スピーカーから爽やかな男の声。

「あ、シンク?ゴメ~ン。こんな時間に。」

「いいよ。····で、どうしたの?なんかあった?」

「あ、わかる?」

「まぁね。声の調子から何となく。」

「流石、私の恋人ね。」

 今、倉木が話しているのは、上屋(かみや) 真久(しんく)。彼女の恋人である。

 倉木が電話を掛けたのは、白瀬の所に行くにあたって、もしもの時のための保険として、彼を連れていこうと考えたのだ。上屋は一応ケンカもできる。普通の人間なら、2人くらい掛かってきても大丈夫のはずである。

 あまりそうなって欲しくはないが。

「んで、用件なんだけどね······」

 倉木は上屋にこれまでの顛末を手短に説明し、応援に来て欲しいという旨を伝えた。彼は独り暮らしをしていて、ここからすぐ近くに住んでいる。

 彼は話を聞いて、少し呆れた口調になった。

「こんな時間に『近道』······え、だって、今······8時20分でしょ。そりゃまた、なんというか、無謀な······」

「でしょ。だから、様子を見に行かなきゃいけないでしょ。お願い。手伝って。」

しかし、相手は、今度は勿体ぶった口調になる。

「う~ん、でもなぁ、今日は課題が立て込んでるしなぁ。あ、じゃ、なんか、ご褒美があったら行くよ。」

――ハイハイ。結局そういう風になるのね。

「わかった。チュー1つでどう?」

「よし。乗った。じゃ、待ち合わせ場所は······」



 シンクとの電話を切ってから30秒ほど歩いていたら、シンクとの待ち合わせ場所には着いた。

 なんと、そこには、もうすでに、シンクがスタンバってる。

 はやっ。

 私は少々驚きながら彼に声のを掛けた。

「ヤッホ。シンク、来てくれてありが――キャッ」

 語尾が変になったのは、彼が私を認めるなり、駆け寄ってきて、強引に唇を重ねてきたからだ。

「ん······」

 情熱的な時間は10秒ほどで終わった。私が手で彼を引き離したのだ。

「はい、終わり。早く行こ。」

 もっとそうしていたいのは山々だったけど、今はそういう状況じゃない。

 キスなら、今度の休日にでも唇がふやけるほどできる。

 彼もそのことを(わきま)えているようですんなり動き出した。

 もっとも、口では不満を露にしたが。

「じゃ、この続きは今度の土日ね。」

 彼の言葉に私は、少し、心が弾む。今が火曜日だから、あと、3日か。フフフ···。

 って、そうじゃない、そうじゃない。早くいかなきゃ。

 そんなことを考えていると、シンクが、

「荷物、持つよ。急ごう。普通に何もないなら、そろそろ彼女は帰り着いてるはず。これが杞憂だったにしてもせめて、白瀬ちゃんが安全に寮に入って行くところくらいは見ておきたい。」

 彼の申し出に、素直に、私は背負ってた、剣道の防具が入った重い、重いカバンを渡した。

「そうね。」

 私たちは小走りになった。シンクは言葉を重ねる。

「それに、もしもなら、急ぐに越したことは無い。そうだ、試しに彼女に電話を掛けなよ。」

 私はシンクに従って、スマホを取り出し白瀬に電話を掛けた。

 プルルルル······プルルルル······プルルルル······

 アレ?

 プルルルル······プルルルル······プルルルル······

 うそでしょ······

「出ない······」

「急ごう」

 シンクがスピードを上げる。私もそれに付いていく。

 2分ほど走って『近道』と言われるエリアに到着した。

「ヤバイな······」

 シンクの口から緊迫感のある声。

 確かに。『近道』、とは言っても結構長い。ここから、寮まで約10分。彼女を見落としてしまう事だって有り得る。

 一応私が彼女の寮までの道のりは知っているので、それに沿って探していく。

 そうしていると、突然、離れた所からだろうか。悲鳴が響き渡ってきた。

「キャーーーーーーー!!!」

 シンクがいきなり、声のした方を向いた。

「多分、あの辺りは廃ビル······地下駐車場かな。」

 そう言ってシンクは駆け出した。

 よく覚えてるわね。

 私は感心しながら、彼の猛スピードに付いていく。

 時々、落ちてるゴミなんかにぶつかるけど、完全に無視。とにかく先を急ぐ。

 見えてきた。あの角を曲がれば、目的地。

 私たちは、角を曲がって、地下への坂をかけ降りていく。

 地下駐車場に着いた。

 いた。2人。

 まず1人は白瀬だ。尻餅をついている。

 そして、もう1人。男だ。方膝をついて、何やら彼女に話し掛けている。

「シンク、なんか、」

 変な人がいるね。と続けようとしたが、その前に彼は走り出していた。カバンはいつの間にか、私の足下に置かれている。

「その子から、離れろぉっ!」



「ねぇ、ねぇ、オネェちゃん。」

 紫のパーカーに、黒のニット帽、そしてサングラス。

――怪しい。

 それが、白瀬がその男を見た時の印象だった。

「は?」

 男はニヤっと、イヤな笑みを浮かべて続ける。

「オネェちゃん、ちょうっと、今からオレと遊びに行かない?」

――ヤバい。

 白瀬の脳裏に倉木の言葉が再生される。

『女の子が襲われたって、最近だって······』

――これは、わたし、もしかして、ピンチ?

 白瀬は取り敢えず、冷静に対応することにした。

「えっと、すいません。わたし、この通り、部活帰りで、ちょっと、疲れてまして。遊ぶのは、また今度で···」

 しかし、男は食い下がってくる。

「部活帰り?あ、オネェちゃん大学生?大変だね~。ストレスとか溜まってるでしょ。だから、パーっと遊ぼうぜ。」

――イヤ、見ず知らずのアンタに、こんなにトコで話し掛けられてる方がストレスだよ。

 白瀬は心の中でそうツッコンで言葉を返した。

「いえ、ですから、私、そんな、遊べるほどの体力も残って無いんです。もう、今日は早く帰りたいんです。」

 だが、それでも、男はすりよって来る。

「イヤイヤ、そんなこと言わずにさぁ。一緒に来てよ。きっと、最高に楽しいから。」

 男の笑みが、更に気持ちの悪いものになる。

 白瀬は確信した。

――ヤバい。私の貞操ピンチ。

 男は続ける。

「それにさぁ···。」

 柱の影から、別の男がもう2人。丁度、最初の男と3人で白瀬を囲む形になる。

「オレのお友達もオネェちゃんと遊びたいって。」

 3人とも顔には、下卑た笑みが刻まれている。

「さぁ、行こうぜ···」

 ジリジリと距離を詰めてくる。まるで、獲物に飛び掛からんとする猛獣のように。

白瀬は最終手段を発動した。すなわち――

「キャーーーーーーー!!!」

 腹に力を込めて、最大級の悲鳴を上げる。

 そして、目についた、彼らの包囲の穴。廃ビル地下駐車場への通路へ駆け込んだ。

「あ、追い掛けっこ?体力残ってんじゃ~ん。」

 ヘラヘラと笑いながら後を追ってくる。

「ハッ、ハッ、ハッ」

 すぐに白瀬の息が上がる。当たり前である。白瀬は今、剣道の重いカバンを持っている。手には、竹刀が入った竹刀袋。加えて、もうほとんど残っていない体力。まだ、数メートルしか走っていないのに、もう限界である。

 目の前に壁が迫る。行き止まりだ。

――ヤバい。本当にヤバい。

 白瀬は壁に背をくっ付けて、男たちの方向を向いた。

 男たちは、それはもう、下心丸出しの汚い笑みを浮かべている。

 ゾッとするような笑みだ。

「イヤ···そんな、」

 最早パニックである。

 もうほとんど、離れていない。

「さぁ····」

 3人の内1人が、白瀬に向かって手を伸ばす。


 その瞬間。

 ヒュン、と、鋭い―風切り音のような音がした。


 かと思うと、肉が打たれる鈍い音。3人の内、1番後ろ側にいた男が悲鳴を上げる。

「うがぁ」

 さらに、彼の首筋に、霞むように動く何かが叩き込まれる。

 男は倒れて、そのまま動かなくなった。どうやら、気絶したようだ。

 足だった。いつの間にか非常に目付きの悪い男が1人増えている。もう、その睨みだけで、誰か殺しそうだ。どうやら、その男の蹴り足のようだった。その男は左手に普通より短めの木刀を持っていて、それが印象的だ。

 倒れた男の仲間の1人が、木刀の男に向き直った。

「て、テメ、ふざけんなよ、人にこんなことしていいと思ってんのか?」

「···オマエが言うか?それ。」

 木刀の男は、爛々とその目に眼光を湛えて、ボソッと返した。若い――もしかしたら 白瀬と同じくらいの年かもしれない。

 木刀の男が、唐突に動き出した。今度は、白瀬から見て、左側にいた男に襲い掛かる。

 振り上げられる木刀。男は咄嗟(とっさ)に両手を顔の前に持ってくる。

 木刀はそのまま、袈裟懸(けさが)けに振り下ろされた。

「あ"あ"ーーーーーーッッ!!!!」

 鈍い音がして、凄絶な叫びが響く。その場に右手を押さえてうずくまる男。

 さらに、その男の肩にドロップキックが弾ける。

「うがッ」

 そのまま、男はゴロゴロと、地べたを転がる。

 その顔は苦痛で歪み、痛みのあまりその状態から動けないでいる。さっきまでの、 あの、下卑た様子など、微塵も無い。

 木刀の男はさらにその男に駆け寄り、右足を後ろに引いた。まるで、人がサッカーボールを蹴ろうとするように。そして――。

「あ"ァァァァァァーーーーーー!!!!」

 白瀬は思わず目を反らした。視線を戻すと血こそ出ていないが、もう男は身動き一つしなかった。

 白瀬は我に返った。今、30秒も満たない間に繰り広げられた攻防。

――早く逃げよう。

 こんなものに関わっていたら、命がいくらあっても足りない。

――何か、わかんないけど、これなら、今のうちに。

 しかし、動かない。足が竦んでいるのか。動かない。そうしていると、今度は、体が右に引っ張られた。

「キャッ」

 首に、汗にまみれた腕が1本、絡み付く。

 引っ張られた方向を向くと、真ん前に、目を剥いて必死になっている男の顔。大音量で男が叫ぶ。

「オイッ、オマエッ。この女がどうなってもいいのかッ!!」

 木刀の男は、何を言われているのか、分からない、という表情で首を傾げた。

「だっ、だからッ、この女、どうなってもいいのかッ?」

これに、木刀の男は緊張感無く、しかし、信じられないような言葉で返した。

「ああ、好きにすれば?」

 絶句。男も白瀬も絶句。

――いや、そこは、ダメだろッ!!

 というより、先ほどから、この木刀の男は様子がオカシイ。やたらバイオレンスで、さらに、口を開けばこの有り様である。

「······」

 木刀の男は続ける。

「でも、どうする?今更、レイプっつったって、もうムリだよな。その女殺すか?イヤイヤ。その間にオレに殺されちゃうね。ま、いいよ。どっちでも。どうせ、アンタの末路は変わんないし。」

――恐ろしいことを言うヤツ······

 さりげに卑語をぶっぱなしてるあたり、最早、助けてくれるかも怪しい。

 白瀬はそう感じた。

「フッ··」

 唐突に白瀬の耳に不敵な笑いが届いた。白瀬を人質に取っている男のものだ。男は何か思い付いたようだった。

 そして、ジリジリと移動して、木刀の男と距離をとり始める。

「ハッ、嘘ぬかせ。本当は恐いくせに。この女になにもして欲しくなければ、今すぐ、そのちゃちな木刀を置いて、オレたちから距離を取れ。」

 だが、木刀の男は、全く怯む様子もなく、むしろ、呆れたような様子で、木刀を左手に持ったまま、つかつかと歩み寄って来た。

「分かってねぇなぁ。アンタ。悪いけど、オレ、その子と初対面。だから、んな助ける義理ないのよな。今、こうしてんのは、アンタらのやってることが気に入らなかっただけ。何?順番色々、スッ飛ばして、女と行為に及ぶとか、オイオイ、オレみたいに真面目に恋人探してるヤツらの立場無いんだけど。」

 木刀の男は白瀬たちの目の前で止まった。

「し、知るかそんなの··」

 全くである。心中で白瀬もこの時ばかりは男に同意した。

 木刀の男はまだ喋る。

「フッ、まぁ、いいよ。確かに、そんなこと。それより、で、どーすんの?」

 男は、我に返ったようにまたまくし立てた。

「うるさいッ!オマエこそ木刀(それ)置いて離れろよ。」

「イヤ、だから、バカか?オマエ。オレ、その子と関係ないんだよ。しょうがねぇから、教えてやる。今、オマエは2つ選択肢がある。その子を離して、自分が助かるか、それとも、その子に手を出して、大ケガするか、さぁ、どっちだ?だから、今、主導権握ってんのオレ。オマエじゃない。」

 木刀の男は笑っている。実に楽しそうだ。

――狂ってる。

 白瀬はそう思った。こんな状況で、こんな顔をするなんて。いったい何が楽しいというのだ。

 一方、男も最早、余裕などない。本当にやる。この木刀の男はハッタリなど言ってない。そう確信していた。

「······」

「アレ?だんまり?ま、いいよ。それでも。ただ、面倒臭いから、あと5秒以内に行動で示して。ハイ。数えるよ~。ハイ、ご~、」

「······」

「よ~ん······さ~ん」

「待ってくれ、」

「ヤだ。に~······」

 木刀の男が一際大きな笑みを浮かべる。まるで、さっき、白瀬にすりよってきた男たちが浮かべていたような。いや、もっと、不気味だ。コレは。

「わかった、わかったから、放す。女には手を出さないから」

 そう言って、男は白瀬を解放し一歩、後ろに下がった。

 すかさず、木刀の男が、白瀬の腕を掴み、男から完全に引き離した。

「あっ」

 白瀬はつんのめりながら、木刀の男の元に移動させられる。

 男は、少し安堵したように言った。

「あ、じゃあ···おれ、もう、帰って、いいよな。じゃ···」

 そう言って、立ち去ろうとした。その時。

一瞬の風。

「ぐァァァァァァ――!!!!」

 男が頭を押さえてフラフラとよろめく。

 見えなかった。それくらいに速かった。木刀の男は、いつの間にか木刀を右手に持ち換えて、逆袈裟(ぎゃくけさ)の一撃を放っていた。その踏み込みは、その振りは、霞んでいた。

「アホが」

 木刀の男が吐き捨てた。男が声を絞り出す。

「お、オマエ·····きたな···い···がはぁ!」

 さらに男は蹴り飛ばされ壁に叩きつけられた。ズルズルと男はその場にへたり込む。

「じゃあな。」

 男が気を失う前に見たのは、そんな言葉と共に自分の鳩尾(みぞおち)に叩きつけられる足で最後だった。


 木刀の男は、3人目を気絶させると、少し離れた所に行って、そこにおいてあった、おそらく自らのものであろう、黒いリュックサックから、ごそごそと、何かを取り出した。

――結束バンド?

 そうすると、彼は、倒れた3人の手を身体の後ろにやり、その両の親指を結束バンドで縛って固定した。

 一連の作業を終え、男は、今度は白瀬に向きなおった。

――ヤバい。今度はわたしが喰われる!逃げなきゃ。

 そう思ったところで、白瀬は自分がいつの間にか尻餅をついていることに気づく。

 しかも、あまりに暴力的な場面を目の当たりにしたせいだろうか。腰が抜けている。


 しかし、彼女が見上げた先にいた彼の表情には何も浮かんでいなかった。無表情。あれほどまでに暴れまくり、とんでもない発言をしていた者のそれとは到底思えない。木刀の男もまた、白瀬の少し、ポカンとした顔を見下ろしている。

 距離にして2メートル。

 男と白瀬の視線が一瞬交錯する。


 すると、

「フフフ。」

 何かを思い出したかのように男が笑った。さっきまでとは違う、あの、狂った、獰猛な、不敵な笑みではない。

 それは、まさに、透明な少年の微笑だった。

――な、なに、このヒト。

「あのー······何か、わたしの顔にでも付いてます?」

 男はまだ、その微笑を顔に残したまま返した。

「いえ、オレ、つい、最近、えーっと、2ヶ月前くらいですかね。同じような経験をしたんです。」

「よく····人をこんなに風に助けるんですか?」

「あ、イヤ、そうじゃなくて、こう、助けられたんです。こんな風に。」

――ウソつけッ

 白瀬はそう言おうとしたが、男が、それはそうと、と言って腰を屈めて来たので言えなかった。

「大丈夫ですか?ケガは無いですか?どこか痛くないですか?立てますか?」

 矢継ぎ早に質問してくる。とても、さっき、『その子のことなんかどうでもいい』と(うそぶ)いた者の発言とは思えない。

 しかし、和らいだ雰囲気も束の間。

 今度は、誰かが走ってくる音。こちらが男の影になって、人相が分からない。男は気づいていなかった。

「あのっ、後ろッ、後ろッ。」

「へ?」

 男が、ビクッと後ろを振り返った。


「その子から、離れろぉっ!!」


 新たに4人目の男が木刀の男の殴り掛かろうとしていた。

すいません、なんだかんだで、予定より早く、なんてできませんでした。


ようやく、しっかりと主人公を登場させられました。主人公の活躍が2話からだなんて。

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