【来客と出迎え】
館の扉を開けると、中を見たフィリアはまず驚いたよ。
この館の中ときたら、そりゃあ信じられないほど明るかったのさ。
普通に考えりゃあ、日が落ちて、夜ともなれば、得られる光となると月か星、もしくは暖炉やランタン、ロウソクの灯す明かりくらいしか思い浮かばいだろうね。
ま、なんにせよいつもの生活から想像できる範囲で言うなら、夜の室内の明かりといえば暗いオレンジ色と相場が決まってる。
だが、現実に見た館の中を満たす光は、夜には異質な真っ白い光だったんだよ。
恐らく、面食らうってのはこういうのを言うんだろうって顔をしてさ、しばらくその場で立ち尽くしちまったよ、フィリアは。
でもさ、分かるだろ? 肝心なところさ。
「お姉ちゃん?」
後ろで一緒になって立ちんぼになっちまったフィリオのほうは、扉を開けたまんま、ぼうっとしちまってるフィリアに向かって、呼びかけたよ。
そりゃそうさね。フィリオにしたら、たまったものじゃあない。
ここまで来ちまったら、下手に館の外側にいるほうがよっぽど気色悪いだろうからね。
さすがにおとなしいフィリオも、たまりかねて声をかけたわけさ。
「え? あ……ごめんフィリオ」
はっと我に返って、ふと後ろを振り返ってさ、フィリオに気も無く言葉をかけるのがその時点ではせいぜいだったろうよ。なんたって生まれてこのかた、これほど驚いたのは始めてだろうってぐらい、フィリアは館の明かりに心を奪われていたんだから。
まあともかくさ、フィリオの呼びかけにいくばくか正気を取り戻したフィリアは、ついと身を館の中へ滑り込ませると、そのまま後ろのフィリオにも中へ入るよう促したのさ。
フィリオは意外と、というのもおかしいかもしれないがね、館の明かりについてはさほど驚く様子を見せなかったよ。
そうさね、理由としちゃあフィリアの後ろから直接ではないまでも、明かりの色や具合といったものをずっと見ていたからっていうのがもっともらしいところかね。
結果的には間接的に長く見ていたゆえの慣れってやつかい?
ともあれ館の中にふたりは入った。まずは見える範囲のものを手当たり次第見定めたよ。
館の中の造りは外見に比例して、なんとも質素なもんだった。
広さとしてはそうさね、大人が十人ほど楽に寝られるくらいの広さと言えば分かるかい?
天井はそう、そこいらの木よりも下手をすれば高かったね。
なんにも置いてない、だだっ広い空間さ。そう、照明すらないね。不思議だろ?
外はこんなに暗いってのに、館の中にはロウソク一本ありゃしないのに、なぜか館の中は真っ白な光で満たされてるんだ。
壁、床、天井。どれもが真っ白。光も真っ白。どこから出てるか分からない光さ。
見渡す限り、目に付くものといったら、今さっき入ってきた扉くらい。
ふたりが同時にそんなことを思った瞬間かね。
突然、後ろの扉が勝手に閉じたよ。
ギィ、バッタンなんて下品な閉じ方じゃないよ?
静かに、音も無く、すーっと閉じたんだ。
それだけに、ふたりは振り返ったときに肝を冷やしたね。
急に閉じられてもおっかないが、気付かずに閉まってるのもまた驚かされるもんさ。
特に気が小さい上、扉近くにいたフィリオのほうはもう、完全に半べそだったよ。
まあ無理もないけどね。
しばらくはふたりして、さっきまで開いてた扉の辺りをを眺めてたよ。
フィリオは涙いっぱいの目で。フィリアは何事か分からないといった不安のまなざしで。
ところがさ、ふいにそんなふたりの耳に、聞きなれない男の声が聞こえてきたよ。
「おや? またお客人かな」
今度は二人揃って、すごい早さで声のしたほうへ振り返ったね。
まるでそう、寝ているところへいきなり耳元へ息を吹きかけられた猫みたいに。
するとまた不思議なことに気付いたよ。
さっきまで何ひとつ無かった館の左手に、さっきは無かったはずのドアがひとつ。
突然ドアが現れて、しかもそこから人が出てきた。
ふたりが驚いたろうことはもう、言う必要も無いね。さて、
奥まった左手のドアから現れたのは、真っ白なシルクハットを被った若い男だったよ。
下着みたいなシャツの上に紺のジャケット。ゆったりしたクリーム色のパンツを履いて。
顔はといえば、そう……大振りの丸い黒メガネのせいで、表情ははっきりとしない。
とはいえ、整った鼻と引き締まった口元の印象、首もと近くまである黒髪が顔に垂れているのにも頓着しない様子なんぞから察すると、ひとつひとつの部品はともかくとしてさ、全体的にはかなり異様な雰囲気と言うしかない男だよ。
男は急に現れたドアから半身を出して、こちらを見てた。
いや、見てたというのはどうだろうね。
なにせ真っ黒い色メガネをかけてたからね。実際その目がふたりを見てたかどうかは断言しかねるけど、少なくともふたりの様子を探っていたのは間違いではないと思うよ。
それでさ、しばらくドアの中から半身だけ出してふたりのほうを向いていた男は少ししてまた言葉を発したよ。
「こんばんは、小さなお嬢さんとお坊ちゃん。森の中はまだこの時期では冷えたろう。奥で暖かいミルクでもいかがかな? もちろん、蜂蜜をたっぷり入れてね」
フィリオもフィリアも、頭の中に歌の文句が流れてきたよ。蜂蜜入りのミルク。
腹ペコのふたりにとって、それは普段ならたいそう魅力的な誘いだったろうけど、残念なことに今はその普段とやらじゃない。
心底、ぞっとしたろうよ。見知らぬ男の甘い誘いさ。
だがね、ぞっとするのはまだ早かった。
こんな状況に、フィリオの様子が気になったフィリアが後ろを振り向いたのさ。
ほんとに弟思いのしっかりしたお姉さんだよ。
おっと、少し話がそれたね。そう、ぞっとするのはまだここからだったよ。
振り返ったフィリアは背中に水でもぶっかけられたように、目を見開き、肩を引きつったみたいにちぢ込ませたよ。
理由かい? 理由はフィリオが教えてくれる。
姉のおびえきった様子に、フィリオはそれだけでも驚いたが、そのしばらく後さ。
フィリアの視線を追って、自分の後ろを振り返ったとき、フィリオはその場でしりもちをついちまった。
当然だろうね。今さっき、自分たちが入ってきた扉が、綺麗さっぱり消えていたんだ。
誰だってそりゃあ驚くよ。
普通だったら年端もいかない子供がふたり、揃って恐怖におびえてるんだ。
まともな人間ならいろいろと気の使いようがあろうがね。
困ったことに、ドアから現れた男にはそういった常識は一切備わってなかったよ。
「さて、自己紹介がまだだったね。私はアナトール。ここの住人のひとり。君たちは名前を聞いても構わないかな?」
男はそう言って、口がきけようはずも無い様子のふたりのほうを、ただ向いていたよ。