【告白の夜】
アナトールとカゾットから別れ、今日はもう寝ることに決めたフィリオとフィリアだったんだが、どうしたもんかね。
フィリオの様子が明らかにおかしかったんだよ。
ふたりして寝巻に着替えたまでは良かったが、そっからフィリオは急にベッドにも入らず突っ立ったまま、固まっちまった。
「どうしたの、フィリオ?」
先にベッドへ入ってたフィリアは何事かと思って、フィリオにそう質問したよ。
「……僕、カゾットさんのところで寝る……」
立ってる自分の足元見つめながら、ぼそっとつぶやくみたいにフィリオはそう答えた。
まあ、普通に驚いたのもあったし、加えて少し混乱したね。
突然この子ときたら一体、何を言い出すんだろうってさ。
ただ、その後に言った二の句が、短いながらも納得のいく答えとしての補足になったのは確かだったよ。
「心配だから……」
こう続けられちゃ、もう何も言えないさね。
「そう……まあ、私は別に構わないけど、あんた、ほんとに大丈夫?」
「……うん」
間違いなく大丈夫じゃないのが分かる返事だったけど、ベッドの上で上半身を起こしながらフィリオの答えを聞いたフィリアは、あえてそれ以上の詮索はしなかったよ。
あのフィリオが人の心配できるほど、しっかりしてくれた。
いいほうに考えたかったからってのが理由だね。
で、実際はどうなのか。
確かにフィリオは館に来る以前に比べたら、格段にしっかりしたよ。
理由はいろいろさ。
まず、この館に入ったこと自体がまず大きいだろうね。
ふたりが入って、出られるのはひとりだけ。
不可避の選択を強制されるのは精神的負担であるのと同時に、ある種の覚悟が芽生えると精神的成長を促すこともある。
それに、少なからず影響してるのはアナトールとカゾット。
館に入って、姉のフィリア以外に頼れる貴重な存在。
しかし重要なのはそこじゃない。
頼れると思ったら、全然頼れなかったってところだよ。
寄りかかろうと思ったら、すぐに折れちまった背もたれみたいなものかね。
ああ、もちろんこれも精神的負担さ。
頼ろうとしたら頼れなかった。安心から一転、不安になるのが普通だ。
だが、ここでもフィリオは不安とともに覚悟も得た。
特にその点についてはカゾットが主な役目を果たしてる。
始めは頼った。それに対し、カゾットは答えてくれた。
だから助けたいとも思った。
身の程知らずは承知でね。
人間てのはいろんな奴がいるけど、その中でも種類を分ける場合にこんな分け方がある。
守られたいと思う人間。
守りたいと思う人間。
フィリオは始め、間違いなく前者だった。
ただ誰かから守ってもらうことしか願えない、弱々しい子だったね。
でも事情はどんどん変わる。
すると人もまた変化する。
前にも言ったね。物事は常に二面性がある。
フィリオは確かに臆病で無力な子さ。
だけどこの子もまた、腐っても男の子なんだよ。
どこかのきっかけで急に切り替わる。
(守られたい)から(守りたい)に。
じゃあ、そのきっかけは何だったのか。
そこはフィリオ自身が話してくれるよ。
そう、突然開いた部屋のドアに驚くアナトールを無視して、自分で椅子をカゾットのいるベッド脇へ置き、座ってからの長い時間でね。
アナトールは困惑したよ。
何で突然、フィリオが自分たちの部屋へ来たのか。
さっきのフィリア以上に戸惑ったね。
不思議そうに、隣へ座ったフィリオを見つめたが、フィリオは無言でただ座るだけ。
目を閉じて寝息を立ててるカゾット眺めながら口をつぐんで座ってるだけ。
そのせいもあって、アナトールもフィリオへ語りかけなかった。
かける言葉が無かったのもある。
もちろん、疑問を口にするのは簡単だったけど、強いてそれをフィリオに聞くべきかどうか、迷ったってのが正直なところだよ。
結果として、アナトールとフィリオはお互い無言でカゾットを眺め続けることになった。
どちらも寝ようともせず、座って静かに見つめ続ける。
そんな時間がどのくらい過ぎたころかね。
長い沈黙はひとりだとそれほど苦にはならないが、ふたりとなるとつらいもんさ。
特にアナトールは苦しかった。
気づいてたからね。自分がフィリオから憎まれてるって。
まあ、憎まれてるはちょっと言い過ぎかもしれないが、つまりはそれに近しい感情を持たれてるって意味で、居心地は最高に悪かったろうよ。
それでついに根負けした。
小さく息を吐いてから、アナトールはフィリオへ視線も向けず、聞いたよ。
「……どうして、ここに来たんだ?」
なんとも、そのまんまの質問だが、聞きたい疑問が簡潔にすべて含まれてる。
でも質問したと同時に、アナトールは答えが返ってこないことも覚悟してた。
無視されても当然だと思ってたからね。
少なくとも自分がフィリオの立場なら、答えは返さない。
返せないさね。恨んでる相手なんだからさ。
そのへんは重々分かっての質問だよ。
やまびこを期待せず山へ叫ぶようなもんだ。
無言に耐えられずに吐き出した単なる言葉。
それ以上はアナトール自身、期待してなかった。
だからこそだね。
随分と間を置いてからフィリオがぼそっと返事を発した時は、はっとするほど驚いたよ。
「……お父さんとお母さん……」
始めの一言は、聞き取るのがやっとってくらいの小さな声で、そう言った。
すると、ひときわ大きめに息を吸い、ゆっくりとそいつを吐き出してからフィリオは言葉を続けたよ。
「お父さん……病気で少し前に死んじゃったんだ……それで、お母さんだけじゃ、僕らを養えないって、この館に来たんだ。お姉ちゃんと一緒に……」
アナトールはそれを黙って聞いてた。
「始めは怖かった。お父さんも、お母さんもいなくって、寂しかった。家に……帰りたいって何度も思った。でも、カゾットさん……」
一瞬、フィリオは息を詰まらせた。
「……カゾットさんは優しかったんだ。すごく……なんだか、お父さんとお母さん、ふたりとも、いるみたいな……そんな気がして……」
ここまでだったね。
限界だった。
いや、ひとつ無理をしなけりゃ、もしかすると話し続けられたかも知れない。
我慢さえしなけりゃ。
フィリオは見開いた目にいっぱい涙溜めてたけど、結局一滴もこぼさなかったよ。
意地でも泣くまいってさ、そう思ったんだろうね。
面白いもんだ。
館に入ってからってもの、泣いたのは男連中ばかりだよ。
アナトールも泣いた。
カゾットも泣いた。
フィリオも泣いた。
でももう誰も泣かないだろうね。
アナトールはもう涙は枯れ果てた。
カゾットはもう泣く理由が無い。
フィリオは……泣かないよ。
少なくともカゾットの前ではね。
救えるなんて思っちゃいない。
守れるなんて思っちゃいない。
ただそれでも、そばにいることはできる。
そして、せめてそばにいる間は、弱気な姿を見せたくない。
壊れたカゾットにまで気を遣わせるなんて、死んでもできないって、そう思ったんだよ。
そうだね。
まさしくフィリオにとってカゾットはお父さんでありお母さんだったわけさ。
当人はそんな受け取られ方は望んじゃいなかったろうが、フィリオにはそうだった。
だから泣かない。
泣けないよ。
アナトールに弱いところを見られたくないってのもある。
ほんと、完全な意地さ。
どこまでも男の子だよ。
さぞ女の子には馬鹿みたいに見えるだろうね。
実際に馬鹿だが、でもそれが男の子さ。
だからこそ、カゾットも壊れたってのは皮肉なんだが……、
まあそれはさておき、だ。
アナトールもフィリオも、
カゾットが目覚めるまで、ただ黙って彼の寝顔を見つめてた。
ああ、眠らない人間にとって、館の朝を告げるのは、誰かの目覚めだけだからね。




