【灰色の門と扉】
館の姿を目にしたとき、まず動いたのはフィリオだったよ。
意外に思うかい? いやいや、それがそうでもないことさ。
自分の目の前にいるフィリアの右手をいきなり、がしっと両手でつかんだんだよ。
別に何ってことじゃない。でもこいつはなかなかに面白いものだったよ。
フィリオは不安が現実になった感覚に耐えかねて、フィリアにすがったんだろうけどさ、そこでフィリアの立場を考えてごらんな。
自分だってぎりぎりの状態だったところへもってきて、突然うしろから手をつかまれた。
そりゃあ、普通に考えれば飛び上がるほどびっくりするだろう?
で、実際、フィリアはとびきり驚いたよ。
「ひっ!!」
ってね。無意識に小さな悲鳴を上げちまった。
だが、たまらないのはフィリオも一緒さ。
せっかくすがった相手が悲鳴を上げちまったらもう何にすがればいいか分かりゃしない。
案の定、見る見るフィリオの目に涙が溜まってきちまった。
するとさ、さすがはフィリアだよ。
やっちまった失態は帳消しにゃあできないが、少なくとも挽回はできる。
傾きかけた気を取り直して、自分の右手を握ってきたフィリオの手を、いったん引っぺがしてさ、改めてフィリオの左手を自分の左手で力いっぱい握って、こう言ったよ。
「さあ、もう館についたよ。これでもう安心。日の暮れる前につけたんだからね。もう、何にも心配いらないんだよ」
涙がちょいと滲んでるせいだろうね。やたらきらきらしたフィリオの目を覗き込んでさ、フィリアは自分にも言い聞かせるようにそう言ったよ。そして、
「フィリオ、見てごらん。門が開いてるでしょ。よく聞かされてた灰色の門。あとは扉を抜けるだけ。お腹が空いたでしょ? フィリオ」
「……うん」
「お歌を思い出してみな。中に入れば暖かいスープ、柔らかなパン、蜂蜜入りのミルクがあるよ。だからさあ、一緒に行こう」
少し身をかがめて、まっすぐフィリオの目を見て優しく言ったよ。
フィリアにしては珍しく、とっても優しい口調でね。
するとフィリオも少しばかり落ち着いたみたいで、さっきまで落としかけてた涙もすいと引いてさ、不安そうな顔は相変わらずだったけど、少なくとも握られたフィリアの手に引かれるまま、灰色の門をくぐれる程度にはなってたよ。
門をくぐるとさ、それほど長くない石畳の道が玄関の扉に伸びていて、ふたりは手をつないで石畳を歩いた。
ほんとにさ、ほんのちょっとの道だよ。それを扉へたどり着くのに軽く五分もかかった。
そりゃ怖いだろうさ。足も自然と遅くなる。
でも決まりごとってのはつらいもんだよ。だってそうだろう?
ことここまで至ってさ、ふたりに何の選択肢がある?
日はとっくに暮れてる。森は夜独特の、小さなざわざわとした音が響いてる。
家には自分たちの居場所はとっくに無い。分かってても進むしかないってのは残酷さね。
しかしさ、それでもこれが現実。子供には酷だと思うかい?
いいや、子供でなくても酷だろうね。
ともあれさ、ふたりはゆっくりと、扉の前についたよ。
前を歩いていたからね。当然というか自然のなりゆきか、扉の取っ手をつかんで開ける役目はフィリアが務めることになった。
心臓が耳元で鳴る感じ、分かるかい?
みぞおちの中に焼けた石でも入ったような感じ、分かるかい?
目の前で現実に自分がやっていることなのに、まるでそんな自分を背中から見つめているみたいな妙な錯覚、分かるかい?
恐怖と不安が最高潮に達した証拠だよ。
そいつをフィリオもフィリアも、今、いやってほど味わってた。
だがね、繰り返すがもう後戻りってのは無理な相談さ。
分かっているんだよ。
分かっているから、フィリアは心が拒絶するのもお構い無しに、ぐっと扉の取っ手を握る手に力を込めるとさ、ひと思いに扉を開け放った。
そして不思議と安心するんだ。
なぜかって?
怖いものってのはさ、いざ直接出会ってしまうと、逆に拍子抜けするもんなんだよ。
考えてもみなよ。
ナイフを持ってるとき、間違ってナイフで手を切ることを怖がることはあっても、さて、
ほんとに手を切っちまったあとは、もう怖いんじゃなくてただ、痛いだけだろ?
たださ、分かるだろうと思うけど、それは別に救いにゃあなってくれないけどね。
まあ、下らない解説はここまでだ。なにせもうふたりは館の扉を開けた。
始まったんだよ。望むと望まざるとに関わらず、もう始まっちまった。
あとは見てのおなぐさみさ。
フィリオとフィリア。
小さなふたりの子供に、どうか幸あらんことを。