【衣裳部屋】
さて、ちょっとした冒険が済んだあとだよ。ふたりはどうしたと思う?
そりゃ決まってるさ。
「アナトールさん! アナトールさん!!」
今さっき、恐ろしい思いをしたそのドアの横へ隠れるように立ちながら半分、叫ぶみたいにフィリアはアナトールを呼んだよ。そりゃもう必死にね。
フィリオはベッドに座ったまんまだったが、自分が望んでる行動はフィリアが代わりにしてくれている。
するとさ、フィリアが何回アナトールの名を呼んだか忘れたころだよ。
ドアがすうっと音も無く開いたね。まあ、ここまでの流れは順当さ。
だがね、フィリアのほうは順当じゃなかった。
よほど怖かったんだろうさ。ドアが開くと同時に、まるでキツネに追われたウサギみたいに素早く、ドアの向こうに立ってるだろうアナトールへ飛びついたよ。
「……」
無言のまんま、抱きつかれた人物は開けたドアを軽くノックした。コンコンってね。
そしたらフィリアはちょいと正気に戻ってさ、冷静に自分の状況を確認しだしたよ。
はて、自分はアナトールを呼んだ。そして今、自分はアナトールに抱きついている。
いや、実際にはそう思ってた、さ。落ち着いてくると、明らかな違和感が出てきたよ。
どうも抱きついたその体。ちょうどフィリアの顔あたりだね。妙に柔らかかったのさ。
思えば、しっかりした体躯のアナトールにしては回した手から伝わる感触も変に細い。
不思議に思って、顔を上げたフィリアはまたぞっとしたよ。
自分が抱きついたのがアナトールじゃなかった。これも十分に怖いね。けどさらに実際、抱きついた相手がいやに怖い顔したカゾットだったってのは、付け足しとしては過剰さ。
「ご、ごめんなさい!」
慌ててそう言いながら、ぱっとカゾットからフィリアは身をはがしたね。
「……アナトールは少し手が離せないとさ。代わりに来たんだが、一体何の用事だい?」
今にも舌打ちのひとつくらい漏らしそうな口元してさ、カゾットはそう聞いてきた。
コートの前をしきりに手で直しながら。
「あ……の、私たちもう目が覚めたので、出来たら着替えさせてもらえたらなって……」
「ふうん……」
不機嫌に返事しつつ、ふたりの様子をカゾットは巻いた布越しにしばらく確かめてたよ。
「なるほど、ふたりともその寝汗じゃ着替えもしたくなるね。いいよ、私が案内しよう」
言って、カゾットは一旦、寝室に入ってドアを閉めると、すぐまたそいつを開いた。
ご想像通り、衣裳部屋の登場さ。
「そら、服は山とある。ふたりとも、さっさと寝巻きは脱いで、好きなのに着替えな」
言い終えて、カゾットはドアの横に腕組んでへばりついたよ。
「あ、あの……」
「ん?」
「カゾットさんは……入らないんですか?」
「私はもう着替えは済ませた。それに子供とはいえ人様の着替えを覗くほど悪趣味でもないよ。それとも何かい? まだひとりじゃ服も着れないなんて言わないだろうね?」
やたらときつい口調でそんなこと言うもんだからさ、さすがのフィリアも腹が立ったよ。
「服ぐらい、ひとりで着れます!!」
半分怒鳴るみたいそう言って、さっさと衣裳部屋に入ってった。
と、少し間を置いてからフィリオがベッドから下りてくる。
ベッドの上でフィリアとカゾットのちょっとした口論を見てたからね。
少々、おどおどしながらカゾットの脇を抜けて衣裳部屋に向かったよ。
ところがさ、ふいにフィリオは何を思ったんだろう。
ドアの手前で突然、立ち止まるとさ、なお機嫌の悪そうなカゾットに一言、
「……ありがとう、カゾットさん……」
そう言ったよ。
理由かい? ふむ、こいつは難しいね。
強いてあげるとするなら、フィリオなりの気遣いってところだと思うよ。
言葉の的は完全に外れてるけど、不機嫌そうなカゾットに対して子供ながら気を遣った。
それがたぶん正解だろうよ。
そしたらね。カゾットは急にフィリオのほうを向くとさ、なんとも不思議そうにフィリオを見てたよ。そう、ちょいの間だ。
一瞬だけフィリオを見ると、カゾットは小さくため息をひとつついてね、組んでた腕をほどいて、右手でフィリオの頭をポンポンと軽く叩いてさ、
「気にしなさんな。私も大人げなかった。怖がらせたなら、すまなかったね」
言って、フィリオの頭から今度は背中へ手をうつして、優しく衣裳部屋へ押し込んだよ。
で、衣裳部屋に入るとさ、もうとっくに着替えを終えたフィリアが、部屋の奥で大量の服に挟まれながら、仁王立ちして待ってたね。
フィリオが入ってきたのを目にするとさ、すぐに大きい身振りでこっちに来るようにフィリオを呼んだよ。
声は出さずに身振りだけ。意味はすぐ分かるさね。
フィリアの指示に従って、パタパタと急ぎ足で部屋の奥へ行くとさ、すかさずフィリアはフィリオの耳元へ口を持っていってね。こう言ったよ。
「……カゾットさん……」
「……?」
「やっぱり女の人だよ……」
フィリオはそう、少しだけ驚いたかね。
なにせ半分は想像していた通りだったから、それほど驚くことじゃなかったのさ。
でも、
「……なんでそれ、分かったの?」
この疑問は別問題だ。
しかし答えは思ったよりも単純だったよ。
「さっき、ぶつかったとき……」
「?」
「……胸が……大きかったのよ……」
この答えにゃ、フィリオも変に納得して、しばらく何度もうなずいてたね。