【ドアの向こう】
「ちょっと、フィリオ!!」
何時ごろだろうね。急によく寝ているフィリオをさ、フィリアが揺すって起こしたよ。
ふたりとも、たっぷりと寝た自覚はある。
けど残念ながら、ここには時計も窓も無いからね。
しかもほかの部屋と同様、寝室だってのに、ずっと明るいまんまだ。
実際にどのくらい寝たかまでは分かりそうにないね。
でもさ、面白いもんだよ。
変な話だが、人間は果たしてどれだけ寝たら満足できるのかね。
十分に寝た自覚があるってのに、フィリオは揺すり起こされてからも、しきりに目をこすってさ、まだまだ余裕で眠れそうな風だったよ。
対して、おんなじ立場のフィリアはしゃっきり起きてる。
この違いを生んだのは何かって? そうだね、一言で言うなら緊張感の差だろうね。
「さ、フィリオ。とっととこの館から出るよ!」
まだ半分寝ぼけてたフィリオも、この言葉には目を覚ましたよ。
しかもさ、よく見りゃ自分を起こしたフィリアは、もうとっくにドアの前まで移動して、今にもそいつを開けようとしてたんだから。
「え、ちょっ、ちょっと待ってよお姉ちゃん。だってそのドア……」
「何よ」
「……アナトールさんは、開けちゃダメだって……」
「何、バカ言ってんのフィリオ!!」
寝起きに怒鳴られるフィリオも気の毒だけどさ、弟の緊張感の無さについてはフィリアにも同情するよ。
なんせ状況が状況さ。普通はいろいろ算段して抜け出そうとするのがまっとうだろう。
ところがフィリオときたら、まったくそういった認識が無いんだよ。
まあ、年上の人間が言うことを素直に聞くのは感心だが、それは時と場合によるもんさ。
「いい? フィリオ。ここにこのままいたら、私たちはどちらかしか家に帰れなくなるんだよ? だったら、なんとかしてふたりで外に出れる方法を考えなきゃダメでしょ」
「でも……ふたりで出れても、もう家には……」
はい、ここで選手交代だ。フィリアがちょいと黙っちまったよ。
そう、フィリオの言い分も正論さ。
そりゃあ、館からふたりして出れればそれはそれで良いことだろうね。
だけど、そのふたりが行くべき場所はどこにある?
元々、口減らしのために家を出されたんだ。家には帰れるわきゃないよ。
その辺の思慮は、実は緊張感の無いフィリオのほうがあったってのは、何とも皮肉だね。
だがね、理屈だけで人間が動いてると思っちゃいけないよ。
言ったろう? フィリオの言い分正論だって。
つまりはフィリアの言い分も、可能か不可能かは置いといて、人としては正論なんだよ。
大人しく館で過ごして、いつか一方だけ家に帰る? 口で言うのは簡単さ。
でも気持ちはどうだい? それでいいですって納得できるかい? まあできやしないさ。
無論、他人同士ならまた話も違うだろうがね。
「と、とにかく今はここから出れるかどうかが大切なのよ。家のことは二の次。それはここを出てから考えればいいんだから」
「でも……」
「うるさい!!」
別に腹を立ててかんしゃくを起こしたんじゃないよ? フィリアは。
思うようにいかない現実がくやしくて怒鳴ったんだよ。
ふたり一緒に館は出たい。しかし出れても行く場所は無い。分かりやすいジレンマだね。
「……分かった。なら出口の確認だけにする。今はね。それでいい?」
「……」
フィリオは返事も返せなかったよ。
なにせ、半ば強制的な言い方でフィリアが押し切ったからね。
「よし、じゃあ開けるよ……」
もうここまで来ると人の意見なんてお構いなしさ。欲求が先に来る。理屈より体が先だ。
心配そうに見てるフィリオを無視してフィリアは昨日アナトールに聞いたとおりの方法でドアを開けたよ。(行きたい部屋を頭に浮かべる)。この場合、行きたい部屋は館の外。
必死で考えを集中したね。ただの一晩しか経ってないのに、もうおぼろげになっちまった館から門への、石畳の道を想像した。
瞬間、ぱっと頭の中に鮮明にそれが再現できた時、すかさずフィリアはドアを開けたよ。
風が起きるぐらい勢いで。フィリオもフィリアも、髪がどっと舞い上がったくらいさ。
さて、ドアは開けた。手順も言われた通り。
だけどね、ふたりはドアの中を見て腰を抜かしそうになったよ。
まず、そこは少なくとも館の外ではないことは分かった。
ここはまあ、それなりに大事なところではあるね。
そして問題は次だ。ドアの向こうはどうなってたか。
白い霧はよく見るね。特に森の中では朝早くにはよく見かけるよ。
ところがさ、ドアの向こうは白じゃなく、真っ黒な霧がいっぱいに立ち込めてたんだよ。
もうさ、黒い霧があまりに濃く、大量に溢れてるもんで、そこに部屋があるかどうかすら分からないぐらいだった。
実際、もしかすると部屋なんて無かったかもしれないね。寝室の明るさに反して恐ろしく暗いそのドアの向こうは、下手すると見てるだけで吸い込まれそうだったよ。
黒い霧が渦巻き、暗く、不気味な空間。そう、それからどのくらいかね。
まあ一瞬といえば一瞬だったし、それより少し長かったようにも感じる。
フィリアは開けた時以上の勢いでドアを閉じたよ。全身、汗びっしょりになって。
ベッドの上から様子を見てたフィリオも、水でも被ったみたいにびしょびしょだった。
ふたりとも寝汗にしちゃあ、起きてからだいぶ間が空いたね。けど大丈夫。
そいつは寝汗じゃないよ。冷や汗っていうんだ。
ああ、きっとこれからもたっぷりかくことになるだろうね。