座敷のカノジョ(読み切り編)
居候、っていうのとはちょっと違うかも知れない。
でもたぶん、傍から見たら居候とか、同居人とか、そんな感じ。
……ちなみに、超絶美人。
「ゆーうーちゃんっ」
鼻歌混じりのご機嫌な声で呼ばれて、台所に立つ僕は振り返る。
視界に飛び込んでくるのは、ふにゃふにゃ笑う金髪美人。タンクトップ姿で左手に発泡酒の缶、右手にポテチ。ぴらっぴらで生地の薄いショートパンツからすらりと伸びた足で胡坐をかいてる。
……何回注意しても止めないから、僕はもうお行儀に関しては見ない振りを通してる。
「……なんすか」
むっすり答える。
一応、意思表示。
こっちは8月の熱帯夜の台所でミョウガを切ってたとこなんだよ。あんたが扇風機持って行ったせいで、サウナみたいなこの場所で素麺茹でなきゃなんないんだよ。
だけど彼女は、人の話はあんまり聞かない。基本的に、自分が世界の中心。
「おねーさん、おなか空いたなぁ」
甘えた声で言いながら、ころん、と畳の上に転がる。
正直に言うと、こういうところは結構可愛い。こういうカノジョが欲しいと思う。
……断じて目の前の金髪ではない。
そんなことを思っていた僕は、はっとした。
――――発泡酒、零れてる!
「うわっ、三月さん!」
慌てた僕が台布巾を片手に駆け寄ると、彼女がへらへら笑って言った。おでこに手を当てて。もう完全に酔っ払い。転がったまま、置きあがる気配もない。
「あっちゃー」
「……あっちゃー、じゃなくて!」
噛みつく勢いで怒鳴った僕を見て、彼女が頬を膨らませる。もっと優しくしてよとか、なんで怒るのよとか、そんなとこだろう。
でもそんなのに絆されるような僕じゃない。
僕はしゃがみ込むと、彼女の鼻を摘まんで言ってやった。
「もうすぐ素麺茹でるから、あと7分待って」
「にゃにゃ?」
ぱっと手を離せば、苦しそうに“なな”とくり返した彼女が、ぷはっと息を吐き出す。
そして上半身を腕で支えて起こすと、僕を下から覗き込んだ。
「……え~……あと5分で出来るっしょ」
意地悪い笑顔の下に、タンクトップの隙間から覗くモノ。
見るな見るな。そこに目がいったのがバレたら、確実にブッ飛ばされる。
だがしかし、悲しいかな年頃の男子の性。三月さん本人には興味なんて皆無なクセして、ちらっと見えちゃったモノを意識せずにはいられない。
……これ、一体何の修行なんだ。
いろいろ試されてる感に打ちひしがれつつ、僕は目を逸らした。
すると彼女が言い放った。がばっと胸元を押さえて。
「見たわね、エロガッパ!」
「エロガッパ……?!
僕、ハゲてないし!」
見てないとは言えないけど、さすがにその悪口は酷いと思う。
ところが、咄嗟に反論した瞬間。
べちん!
「――――ぶっ」
鼻先を潰すようにしてぶつかってきたのは、うちわだ。駅前で配っていたやつ。
プラスチックと紙で出来てるものだけど、思いっきり当てれば地味に痛い。
「ちょっ、なにすん……っ」
「じゃあハゲろバカ!」
痛いのとびっくりしたので混乱気味に喚いたら、今度はティッシュの箱が。
「――――うわぁっ」
僕の頭に当たって、ぱこん、と軽い音を立てた箱が、部屋の端に転がっていく。
すると胸元を押さえたままの体勢で僕を罵っていた三月さんが、すっくと立ち上がった。
刹那、僕は絶句した。
ふと視線を上げて、ひらひらしたショートパンツの隙間から素肌が見えたからじゃない。机の上にあったハサミやペンが、ゆらりと宙に浮いたからだ。
そのありえない光景に目を瞠った僕は、逃げ出したい気持ちを抑えて立ち上がった。
怒り心頭な彼女を落ち着かせないと、いろいろと問題だ。特に敷金。これ以上部屋を傷つけられたら、きっと引っ越す時に返ってこない。基本的な生活費の出所は親だから、かなり怒られるに決まってる。最悪、実家に強制送還だ。
「ストップ、それはダメ!」
慌てた僕は、両手をぶんぶん振って彼女を止めた。
据わった目をした彼女の向こうに見える壁には、すでにいろんな傷がついてる。
例えば引っ越してきた初日の夜に出来た、コンビニの焼うどんについてきた割り箸の突き刺さった痕、とか。
春。
僕は合格した大学に通うために、ひとり暮らしを始めた。
場所は川沿いの綺麗なアパート。ひとり暮らしに似合いのワンルーム……的な部屋。畳だったから借り手が捕まらなかったらしい。
ともかくひとり暮らしは憧れだったから、気分は最高だった。
――――2回目に鍵を開けた時までは。つまり、コンビニに行って戻った時までだ。
「ただいまー」
クリーニングされて新品同様の匂いと、買ってきた焼うどんの香ばしい醤油の匂いが混じる。
僕は靴を脱ぎながら、自嘲気味に笑みを零した。習慣とはいえ、無意識に挨拶をしてしまった自分に向かって。
「……って、今日から独りなんだけどさ」
田舎ってほどでもないけど、実家から大学に通うと片道2時間半もかかる。だから頼み込んで、大学まで自転車で行けるこの場所に部屋を借りたんだ。
今まで浴びるほどに“おかえり”を聞いて、もう十二分だと思ってたけど、やっぱり少し物足りない気分になる。まさかの軽いホームシックかも知れない。やだな。
「おっかえりー」
遠くに幻聴まで聴こえるもんな。
自分を鼻で笑った僕は、軽く頭を振りながら靴を脱いでピカピカのフローリングに足をつけた。ぎし、と床が軋む。
数歩で終わる短い廊下の先にあるガラスの引き戸に手をかけ、カラカラと音を立てて開けた僕は、全身に鳥肌が立った。
「おかえりん」
小さくて丸いテーブルに頬杖をついた金髪の女が、僕を見上げていたのだ。
ニコニコと、満面の笑みを浮かべて。
幽霊物件だったなんて、と僕は思った。だから借り手がつかなかったんだ、と。
走馬灯のように頭の中をぐるぐる回る恐怖に混じって、いやでも金髪の幽霊なんているのか、なんて。そんなワケの分からないことまで考えていた。
……ストーカー、という可能性が微塵も思い当たらないことが今は悲しい。
すると金髪の彼女が手をひらひらさせて言った。
「やほー」
逃げた方がいいんだろうか。でも背中を向けた途端に取り憑かれたりしないだろうか。
やけに軽いノリの幽霊を前に、僕は恐怖で動けなかった。まさに指の1本も動かすことが出来ずにいた。
ただ浅い呼吸をくり返して、背中に汗が伝うのを感じていただけだ。
そんな僕の様子に何を思ったのか、金髪の彼女がすっくと立ち上がった。
幽霊だけど、宙に浮いたり床を這ったりしないのか。
「えーっと、君がこの部屋の住人サンよね?
お名前聞いてもいいですかー?」
小首を傾げて僕の顔を覗き込むその姿は、もはや幽霊には見えなかった。普通に綺麗なお姉さんに、街中で声をかけられたのかと思うような自然さで。
頭の中ではいろいろ考えていたつもりだったけど、いざとなると声のひとつも出ない。喉の奥がカラカラして、唇もパサパサ。何かが張り詰めてるのが分かる。
「あ……あ……」
どちらかといえば、僕の方が不審だ。可笑しな声しか出てこなかった。
すると彼女は小さく笑って、僕の目の前で手を振った。
「そんなに怖がらないでよ。
君も知ってるでしょ、座敷わらし、って。
実はあたし、ソレなんだよね。
ちょっと寝過ぎちゃって時代に乗り遅れちゃったんだけどさ。
この部屋の住人を幸せにするために、押入れから出てきました~」
ぱんぱかぱーん、という効果音が聴こえてきそうな仕草でカミングアウトした彼女が、僕の反応を待っているのか目を輝かせている。
僕はおもむろにポケットから携帯を取り出した。バカっぽい台詞を聞いた瞬間、目が覚めたのだ。
これはきっと幽霊なんかじゃない。
痴女だ。変態だ。不法侵入だ。
――――事件だ!
携帯のロックを外して、素早く110番。そして耳に当てて、コール音が鳴るか鳴らないかという瞬間だった。
ぱちん、と携帯が何かに弾き飛ばされた。
「あっ」
弾かれた携帯は、畳の上を転がっていく。
呆然とその光景を見ていた僕は我に返って、慌てて手を伸ばした。
すると、その時だ。
何かが鼻先を掠めていった。
そして聴こえる、ザクっ、という音。
あの時彼女は、壁に突き刺さった割り箸を見て青ざめる僕に言ったんだ。
「信じてくれなきゃ不幸にするんだからね!」と。
「だからね三月さん……って、聞いてんの」
みつき、というのは彼女の名前。かどうかは怪しいけど、本人がそう名乗ったからそう呼ぶしかない。自己紹介では“由緒正しい座敷わらしよ、ちゃんとした血統なんだから”とか言ってたけど。
そもそも、“座敷わらし”なんてものが実在するのかなんて知らない。でも大家さんに相談しようとしたら、口が動かなくて彼女に関することは何一つ言葉に出来なかった。
……だからたぶん、そういうことだ。
僕がひーひー言いながら茹でた素麺をずるずる啜って「やっぱ夏はコレよねー」とのたまう、ほろ酔いの彼女を睨む。
彼女は大抵、人の話は聞いてないんだ。
だから僕は、もう一度口を酸っぱくして言った。お金が絡んでるんだ、ってことを理解させないといけない。
「とにかく、壁に傷をつけるの禁止。
引っ越す時に敷金返ってこなくなっちゃうから」
その言葉を聞いた彼女の目が、急に険しくなった。
明らかに機嫌が急下降していくのが分かる。
彼女は持っていた箸とお椀を置いて、僕の顔を覗き込んだ。
「……引っ越すの?
ゆうちゃん、引っ越すの?!」
「え、あ、いや。今すぐじゃないけどさ。
今までの住人だって、そうだったでしょ?」
不安そうな彼女を見てしまって、僕はなんとなく言葉を濁す。
すると彼女が、ぽつりと呟いた。
「あたし、ゆうちゃんに憑いて行きたいなぁ。
どーしたらいいか、先輩に聞いてみようかな……」
「座敷わらしって、先輩後輩があんの……?」
ぽかん、とする僕に、彼女が頷いた。
「あるよー。
あたしはまだまだ駆け出しだからさ、先輩ばっかり」
それ何てギャルサーだろう。
……と思ったのは、とりあえず秘密にしておこう。
僕は溜息混じりに言った。
「まあいいけど……。
早く僕のこと幸せにしてよね三月さん。
由緒正しい、血統のある座敷わらし……なんでしょ?」
すると彼女は、ずずずー、と啜っていた素麺を飲みこんだ。良い食べっぷりだ。
「蔑ろにされると、力が出せないんだよね。
だから、もうちょいあたしに尽くしてね、ゆうちゃん。
……あ、ごはん食べたらコンビニ連れてって。プリン食べたい!」
……何このギブアンドテイク。
ちなみにコンビニに行ったら、レジで引いたクジが当たった。
500円分の商品券。
それが“プリンのお礼”だそうだ。
でも僕は言わなかった。
100円のプリンを買ってあげたら500円分商品券……これって座敷わらし、っていうより、わらしべ長者なんじゃ……とは。
だって三月さんが、いかにも嬉しそうだったから。
商品券が当たった僕よりも、ずっと幸せそうにプリンを食べてたから。
今のところ、僕はそういう日常に結構満足してるんだけどさ。