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王女さま、今日も国は平和です

王女さま、今日も国は平和です

作者: 赤依 苺

※注意事項※

 この作品はフィクションです。登場する人物、団体、書籍名などは現実の物とは一切関係がありません。



 お久しぶりです、赤依 苺です。今回は処女作の文字数が霞むほどの文字数です。怒涛の二万文字をお楽しみください。それでは後書きにて。


追記(2013年6月19日):本作スピンオフ『なぁお前、今日も城下は賑やかだ』を投稿しました。そちらもよろしくお願いします!

追記(2013年8月7日):『巻丸のラノベのアンテナ』様のサイトにて、こちらとスピンオフ作品を紹介していただきました。気づくのが遅れて申し訳ありません m(__)m

追記(2014年2月25日):600PVアクセス、ありがとうございます!

追記(2014年4月1日):300ユニークアクセス、ありがとうございます!

追記(2014年10月8日):『俺Tueee.Net』様から、お目を掛けていただきました。

 これまでの歴史において、様々な指導者が名を馳せてきた。彼らは自らのカリスマを武器に、多くの人民を惹きつけ、そして頂点に立とうとした。

 しかし、その志を叶えた者は数少ない。裏切り、暗殺、疫病……。人のためを思い立ち上がる者の前には、必ず障害が立ち塞がった。

 ここにも、国と民を思う王女が一人。日夜、臣下と供に国の政治を考えている。そう、この国は王政なのである…………。




 「王女さま、今日も国は平和です」

 長年、“君主”という者に仕えてきたことをその落ち着いた言動で示した臣下の言葉。言い慣れた言葉、と言ってもいいかもしれない。ここ、アフ国の王女は毎日聞かされるこの言葉に喜ぶわけでもなく、ただただ事務的な反応しか示さない。

 「……そうか、平和か。お前たちが頑張っている証拠だ」

 「ありがたきお言葉。皆にも伝え、さらなる励みといたします」

 「あぁ、頑張ってくれ……」

 王女の名前はヘレン=レイス。二十五という若さで国の頂点に立っているが、そこにはとある理由がある。この絢爛豪華な謁見の間も、ヘレンが望んで作らせたわけではない。アフ国のトップがヘレンの父であるノーン=レイスからヘレンになってからというもの、どんなに小さな政治的問題も起きてはいなかった。

 「こちらに本日届きました書類をご用意しております」

 「毎回、私の許可をとる必要がないものばかりじゃないか」

 謁見の間からヘレンの私室へと場所を移し、今度は書類に認可印を押す作業となる。地味ではあるが、認可ひとつで重要な問題となりそうな書類もあったりするので、あまり気を抜くことができない。

 「綿花の栽培範囲の拡張要請……。許可」

 アフ国の国庫を支えるのが綿花である。近隣国では土壌の関係上、栽培が上手くいかなかったようだ。

 「軍備の拡大と兵士の増員要請……」

 認可印を持つヘレンの右手が固まる。目の前にある軍備の書類を読んだだけで、ヘレンの気分は一気に悪くなった。

 「ご無理はなさらないで下さい、王女さま」

 臣下の心配を適当にあしらって、ヘレンは認可印ではなくペンを持った。先ほどとは異なったしっかりとした手で書かれた“再考”の文字は、有無を言わせぬ気迫がある。

 「軍団長に伝えてくれ、『量より質を大切にしろ』とな。……私が王女であり続ける限り、軍備の拡張は簡単ではないぞ」

 最後の一言は誰に向けた言葉なのか、“再考”と書かれた書類を受け取った臣下は反応に困っていた。




 私室の天井まで届くのではないかと思われる書類を片付けると、ヘレンには一日のうちで一番の大仕事がやってくる。

 「王女さま、お時間です。本日は三人だそうです」

 「……少ないな、勝手に進めてるんじゃないか?」

 「いえいえ、しっかりと確認を取りました。本日は三人でございます」

 謁見の間で言葉を交わしてから半日、国の平和を明るい顔で伝えた臣下は、重大な秘密を抱える子供のような雰囲気を醸している。それでいて、目は悪人のようであり、笑うときの口角はどこか不気味である。かれこれ十年以上も続いたこの不快なやりとりも、ヘレンには何も感じられなくなっていた。

 「疑ってすまない……。行くとするか」

 「期待しております……」

 私室を出たヘレンは、亡き父が国王であった時期を思い出していた。


          ~~●~~●~~●~~●~~●~~●~~●~~


 綿花の栽培面積が今より大きくなかった時代。アフ国では、ヘレンの父、ノーンが国王となって国を取りまとめていた。王政はこの頃から健在で、ノーンの言葉が全てを決定していた。この頃のヘレンと言えば、十歳を祝って間もない時期であった。

 「お父様! たしかにアフ国は綿花に恵まれています。近隣国から多数の輸出願いが来るほどです、特産品でしょう。しかし。それにより得られる富をなぜ軍備に充てないのですか?」

 いつかは担うノーンの座。ヘレンは父親から、早くも国の政治に関して多くを学びとっていた。

 「……いいかヘレン。軍備の拡張とは他国へ脅威を示すことにも繋がると私は考える。それに気づいた他国が攻め込んできたら?」

 「戦争になります。……しかもかなり大規模になると思います」

 「そうだ。戦争なんて誰だって起こしたくはない。平和が一番だと思わないかね?」

 「たしかに、たしかにそうですが……。しかし、お父様……」

 自国の状況を知るため、ノーンは城下に下りる時がある。勉強の一環として同行したヘレンは、国の安全を脅かすかもしれないことを聞いてしまった。


 『クーデターが起きるかもしれないぜ?』


 ノーンにも聞こえていたことはヘレンには分かっていた。ヘレンがその時一番心配していたことは、クーデターによるノーンの命の危機。誰による、どんなクーデターかまでは分からなかったが、起きてしまえばノーンの身は危険に晒されることは予想できたのである。それなのに、特に対策を打たない父親に、ヘレンは心配を募らせていたのであった。

 クーデターの噂を聞いてから、およそ一ヶ月後の夜。ヘレン自身も噂を忘れかけていた。この一ヶ月、特に政治的問題が起きずに時間が過ぎれば、誰だってそれが習慣になってしまう。唯一ヘレンが感じたことと言えば、今日はやけに城内警備の兵士が多かったことくらいか……。

 突然、遠くから聞こえたガラスの割れる音にヘレンは目覚めた。その数秒後、ヘレンの寝室の扉を大袈裟に叩く音が響いた。普段、このような扉の叩き方をしない父の臣下におびえながらも、ゆっくりと扉を開いた。


 「ヘレン様、お逃げください! クーデターが起きましたっ!!」


 一瞬にして意識を起こしたヘレンは、ノーンの寝室に駆けだした。

 「ヘレン様、お逃げください! そちらは危険です!! ヘレン様!!」

 突然駆け出したヘレンを制止できなかった臣下たちはヘレンの後を追うが、部屋の位置的に近い場所がノーンの寝室である以上、臣下にヘレンを捕まえることはできなかった。廊下の様々な場所で割れたガラスが散乱しているところを突っ切り、たどり着いたノーンの寝室の扉は、刃物で切り付けられた跡を痛々しく残して壊されていた。ヘレンがそこで見たものは、これまで見たことがないほど怯えた顔をしたノーンと、獲物を追い詰めたような顔の軍団長だった。さらに、両者を取り囲むように他の兵士が並んでいた。また、廊下でも数々の剣と剣が切り合う音が聞こえてくる。どうやら兵士同士で命のやりとりをしているようだ。

 「ぐ、軍団長、クーデターを起こしたということは、お前の身がどうなっても知らんぞ!」

 軍団長から剣の切っ先を向けられているノーンは普段の落ち着いた口調では話せなかったのか、目を大きく見開いて上ずった声を出していた。

 「……『どうなっても知らない』? それはこちらの台詞です、国王様」

 対称的に静かに話す軍団長。走りこんできたヘレンには気づいていないのか、軍団長を中心にして兵士全員がノーンに敵意を向けていた。

 「私たちは何度も要請しました。『軍備を拡張しなければ隣国から攻められる』と。それだと言うのに、あなたは何度も書類に“再考”と記して突き返してきた。……その結果がこれだっ!!」

 剣の切っ先がさらにノーンの首に接近した。

 「今、あなたの前に並ぶ兵士は皆、国の平和を願っている。そのためにも、軍備の拡張を要請した。これで分かったはずだ……。軍備の拡張はあなたの安全にも繋がる。もし、ここで軍備の拡張を確約してくれるならば剣を収めましょう」

 「だ、だめだ。軍備は現状を維持する! 戦争を避けるためにも、これは譲れぬっ!!」

 「お父様っ!」

 父親に敵意を剥いた集団を前にして、ヘレンは声を上げた。状況故に、自分自身も危険なのは百も承知だったが、家族の危機なのだ。

 「ヘレン!? 来るなっ! 今すぐこの城から出るんだ!!」

 「おやおや、ヘレン様。まさかあなたの方から来ていただけるとは思ってもいませんでした。……殺れ、俺は国王を殺る」

 ヘレンは耳を疑った。軍団長が指示すると、軍団長とノーンを取り囲んでいた兵士のうち数人がゆっくりとヘレンに近づいてきた。ヘレンは委縮してしまい、完全に動けなくなっていた。

 「だめ……やめて来ないで、お父様だけは……お父様だけは……」

 もちろん兵士が止まるわけがない。じりじりとヘレンと兵士たちの距離が縮まる。

 「ヘレン!! 逃げろ!!」

 「家族愛(ドラマ)はあの世でお願いしますよ、国王っ!!」

 軍団長が剣の切っ先をノーンの喉元から離すと、目にも止まらぬ速さでノーンの心臓を突き刺した。

 「……本当は首を落とすつもりでした。ヘレン様の前でそれはお辛いでしょう、せめてもの手向けです」

 激痛を堪えるうめき声が、ヘレンにとって父親の口から聞いた最後の言葉となった。

 「あ……、お父様……ねぇお父様!! 返事をしてください!!」

 自分の父が死んでしまったことを、自分の目から流れる涙で理解はしている。しかし、認めたくはなかった。

 「泣き声が耳障りだ、さっさと殺れ」

 返事をした兵士が剣を抜くと、その兵士は剣を振り下ろすことなく背中から床へ倒れた。倒れた兵士の頭には、一本の矢が突き立っていた。

 「何っ!? まさか……」

 驚いた軍団長が寝室の扉に視線を移すと、他の兵士も揃って扉に目を向けた。そこには、血で鎧を染め上げた副団長が息を切らせながら立っていた。訓練の成果か、弓を構える腕だけは微動だにしなかった。

 「はぁはぁ…………。間に合わなかったか……。ヘレン様っ、こちらへ!!」

 「副団長……、貴様ぁ!!」

 ノーンに突き刺した剣を引き抜くと、軍団長は標的をヘレンから副団長へと変更した。ヘレンの目の前にいた兵士が次々とヘレンの横を駆け抜けて副団長に接近していく。

 「皆、狙いを定めろ!!」

 その言葉を合図に、今まで一部が閉じていた扉が完全に開放された。そこには、副団長が率いる弓部隊が横に列を形成していた。まさか弓を構えた部隊が副団長の前にいると思わなかった兵士たちは、驚きのあまり接近する速度が緩んだ。そこを見逃す副団長ではなかった。


 「放てぇーー!!」


 放たれた矢により、軍団長の兵士は壊滅。隙を見せず次の矢を準備する副団長の弓部隊。もう、軍団長に抵抗の手段は残されていなかった。


          ~~●~~●~~●~~●~~●~~●~~●~~


 「王女さま……、王女さま? 体調が悪いのですか?」

 ヘレンは何度も自分を呼ぶ声で我に返った。どうやら私室を出てから無意識で歩いていたらしい。

 「心配しましたよ。隣でお呼びしているのに返事がないものですから」

 「……お前が心配しているのは、私の体調ではなく、“公務”が行えないことだろう?」

 臣下は曖昧な反応を示した。元々、ヘレンはこの臣下に良い印象は持っていない。ノーンに仕えていた時間もかなり長い臣下の一人だが、受け入れられない何かがある気がした。

 「さぁ、こちらへ。手早く済ませてしまいましょう、どうせ罪人ですから」

 そう言うと、慣れた手つきで重たい鉄の扉を開けた。もし頻繁に使われていないならば、錆によって開けるのに苦労するはずである。しかし、“処刑室”と書かれた扉は無駄な音を立てることなく開いた。


          ~~●~~●~~●~~●~~●~~●~~●~~


 副団長の活躍によって、軍団長を中心に据えたクーデターは無事に鎮静化した。迅速な対応により城下への被害を最小限に抑えたこの活躍は、国民の間で瞬く間に広がることとなった。そのため、その若さには見合わない賞賛を数多く授与することになった。

 あの夜、ヘレンは副団長に保護された。目の前で自分の父親を殺され、危うく自分の命までもが奪われたかもしれない夜。華やかだった城内も、剣戟の痕を色濃く残した。

 そして、国民には絶対に知られてほしくなかったことが広まることとなる。


 『国王が死んだって……本当なのか?』


 軍備の拡張を拒み続けたという原因が広まらず、ノーンの死という結果だけが広まっていた。生き残ったノーンに仕えていた臣下が必死にもみ消そうとしたが、噂を完全に封じ込めることはできなかった。

 「ヘレン様、お気を確かに。あの夜はあなた様にとって凄惨な夜だと思っております。ですが、国民を見捨てる理由になりますか?」

 「…………見捨てることなんて、できません……」

 「兵士一同、心からヘレン様の回復と今後の政治を期待しております。どうか、悲しみを乗り越えていただきたく思います……」

 保護されてからというもの、毎日のようにヘレンは副団長に励まされた。通常、ヘレンや政治に関することはノーンの臣下が責任を持つが、クーデター後ということもあり救世主である副団長が責任を持っていた。実際は、クーデター再発時に一番安全な場所としてヘレンが無理を言った。

 しかし、命の恩人である副団長と一緒にいると安心したのか、次第にヘレンの顔色は戻っていった。夜も、ノーンが殺される夢を見ることもなくなった。そうして安心していると、ヘレンはノーンの臣下から城に呼ばれたのである。それはクーデターが収まってから約一週間後のことであった。

 「ヘレン様、突然のことで申し訳ありません。これからヘレン様にとって、とてもお辛いことを申すかもしれません……」

 「構いません。父亡き今、国を立て直すために私が我慢しなければならないことが沢山あることは承知しています」

 「……頼もしい。では初めに、今後の国の政治に関してなのですが、私どもの意見ではヘレン様を即位させて私たちで補佐を行おうと考えています」

 「奇遇ですね、わたしも同じことを考えていました」

 「本当でございますか? それならば話は早いです。今すぐにでも体制を整えたいのですが……」

 「何か問題がありますか?」

 「はい……。申し上げにくいのですが、クーデターの主謀者である前軍団長の処分に関してでございます」

 ヘレンは何も言えなくなってしまった。やっと落ち着いたと思った心が、再び剣山でさされたような気がした。

 「ヘレン様? 大丈夫でございますか?」

 大丈夫なはずがないが、ヘレンは顔に笑顔を張り付けた。

 「私に付いてきてくださいますか? 今から城内で案内したい場所があります、ヘレン様」

 「どこですか? 城内ならば行ったことのない場所はないはずですが」

 「いえ、ご案内させてください……。それとも、“処刑室”にはすでに足を運ばれ経験が?」

 信じられない言葉に、ヘレンは聞き返した。

 「処刑室です。罪を犯した者は国の法的機関で裁かれますが、重罪を犯した者は死刑となります。その処刑室が、この城にあるのです」

 ノーンから国の政治を教わっていたが、死刑制度に関しては教えられていなかった。ヘレンは今になって不思議に感じていた。

 「ヘレン様を思ってのことだったのでしょう。最後まで家族を大切になされた方でした……。こちらへ。軍団長を処刑室に捕らえてあります。ヘレン様には会う権利……いや、義務がございます」

 促されるままに、クーデターの爪痕が残る廊下を進んでいった。今でもあの夜に聞いたすべての音が聞こえてくる気がした。少しすると、臣下は立ち止まり一つの扉を示した。

 「ここから地下へつながる階段となります。処刑室はこの先です」

 本来ならば絵画が飾ってある場所。しかし、飾ってあった絵画のお陰か、クーデターの爪痕を忘れさせるくらいの扉があった。

 「本当にあるなんて……」

 「……引き返しますか? 軍団長、ノーン様の仇はこの先にいますが」

 「いえ、行きましょう……」

 全てはあの夜を忘れるために、今だけは思い出す覚悟の一言だった。




 階段を下りた先には屈強な男が一人、静かに立っていた。ヘレンと臣下が近づいても姿勢ひとつ崩さない。「人形なんです」と言われたら信じてしまうくらいだ。しかし、瞬きする目と呼吸のたびに膨らむ胸部は、それが人間であることを物語っていた。男の隣には、城内では見たことがなかった重い鉄の扉があった。それは、現在ヘレンが居る場所と扉の向こうの何かを隔絶していた。ノーンが娘を思い最後まで教えなかったことと鉄の扉に記された“処刑室”の文字を見れば、想像に難くない。

 「開けろ、ヘレン様の最初の“公務”だ」

 臣下の命令を受けた男は、それでも黙ったまま重い扉を開けようとした。しかし、長年使われていなかったことを耳障りな金属音によって把握できた。

 「これでも一応、ヘレン様をお迎えするための準備はしたのですよ?」

 「あの、公務とは一体なんなのですか? 軍団長に会うだけだと思ったのですが」

 「すぐに分かります。すぐにね……」

 不快な音が鳴り止むと、扉の横に立っていた男と同じような人物が数人見受けられた。ただ、処刑室の中は小さな柵から漏れる外の明かりしかなく、詳しい状況を知ることはできなかった。しかし、それもすぐに解消されることとなった。

 「誰だっ! 殺すんならさっさと殺せっ!!」

 「ぐ……軍団長……」

 処刑室には軍団長を始め、クーデターの夜にノーンとヘレンの命を狙った兵士たちが収容されていた。全員が首を固定され、手足は壁から伸びる鎖に繋がれている。どう暴れても、鎖と鎖の接触する音が虚しく響くだけである。そして、罵詈雑言を並べる軍団長を気にも留めないのか、屈強な男たちは直立を保っていた。

 「軍団長……今ではただの謀反者ですねぇ。華やかしい国の軍団長の肩書を持ちながらも、国王様を殺めてしまってはねぇ……」

 ゆっくりと歩みを進めた臣下は、ヘレンを忘れて軍団長へ話しかけた。

 「しかもぉ? 副団長に鎮圧されたとか……。いやはや、これほど馬鹿な話は聞いたことがありませんよ。最も、この国でクーデターなんぞを起こしたのは私が知る限りで軍団長が初めてです」

 「だったら何だってんだよ、お前の目の前に、その馬鹿どもが居るぞ!! なぜ殺さない!?」

 もうこの世に未練はないのか、軍団長はひたすら処刑を望んでいた。他の兵士も一蓮托生、この中に覚悟が出来ていない兵士は一人もいなかった。

 「慌てないで下さいよ軍団長、あなたの望みはきっと叶いますよ。そうですよね、ヘレン様?」

 「……え? 私ですか?」

 この話の流れから、ヘレンはどのような返答を臣下が望んでいるのか分からなかった。臣下からの期待に輝く目、軍団長からの憎しみに満ちた目、どちらを見てもヘレンは戸惑うばかりだった。増してや、立ち入ったのが今回初めての場所。“公務”とやらも取り仕切ったこともない。理解の及ばない状況に、ヘレンは下を向くしかなかった。

 「ふむ、無理もないですね。いいですかヘレン様、これはあなたの初の“公務”です」

 「それは先ほども聞きました。一体私に何を行えと言うんですか?」

 「まだ分かりませんか? あなたの目の前にはノーン様の仇がいるんでよ?」

 今まで聞こていた鎖の音が聞こえなくなった。軍団長が大人しくなったのだろう。兵士の数人分の視線も感じられた。どうやら顔を上げてヘレンを見ているようである。そして、今までヘレンの隣にいた臣下も、悪人のような目を向けて不気味に笑っていたのである。

 「私に……死を命じろと言うのですね?」

 この状況で理解できなければ、臣下の不気味な口から聞いていたことになったのだろう。

 「はい、この者たちは国を危機に陥れた。国民にも被害が出たのです。仮にこの者たちを釈放して、国の利益になるとは……到底思えません」

 初の公務……“死刑宣告”。それはあまりにも荷が重すぎるものだった。

 「なぜ……私なのですか……私に知らせず、あなたが取り仕切れば良かったではないですか……」

 「ヘレン様、お分かりになっていないようなので正直に申し上げます。この国は王政です。ノーン様亡き今、国の重要な決定を行うにはあなたの許可が必要なのです」

 ヘレンは全てを理解した。国のために罪人を罰し、父の仇を討てと……。その地位に見合うだけの仕事をしろと……。

 「それでも…………私には……出来ません」

 わざとらしいように困った表情を作り溜息を吐く臣下。ヘレンの一言がない限り、状況が変わらないと言っているようだ。


 「国を愛していないと、そういうことと受け取りました」


 一瞬だった。ヘレンの揺らぐ決意に芯を通すには十分な文句だった。目に涙を溜めたヘレンは、ゆっくりと臣下の方を向いた。

 「何を……すればいいのです?」

 「一言です、『殺せ』……と」

 次の日の朝、臣下はヘレンに“公務”が問題なく遂行されたことを知らせた。


 「王女さま、今日も国は平和です」


          ~~●~~●~~●~~●~~●~~●~~●~~


 あの時から変わらずに、常に直立を保つ屈強な男たち。ヘレンは城に雇った覚えは無いが、罪人を見張る役は必要だろうという考えから不問にしていた。今だってそう、目の前を通り過ぎてもピクリとも動かなかった。

 「今回は何を企んでいる輩だ?」

 「城に料理素材を入れている商人です。その素材に毒を盛った疑いがかけられています」

 標的はヘレンだろう。今までこの処刑室で私を憎くんでいる人間ばかり見てきた。理由は同じ。


 『あのクーデターさえ無ければ!』


 家族を失った者がヘレンだけとは限らない。あの夜、ノーンを討つ前に城下で暴れた軍団長によって家族を失った人間がいても、不思議ではなかった。ヘレン自身、恨まれて当然と割り切っている節もある。

 「……罪人はこちらです。王女さまの望む判決をお出しください」

 そう言った臣下の目は、十年経った今でも老いることはなかった。

 「おおぉ、王女さま! 私は無実です、あなた様のお口に入るかもしれない物に毒なんて盛りません!」

 捕らえらえているうちの一人がヘレンが近づくやいなや、目を血走らせて訴えてきた。ヘレンが臣下に目配せすると、臣下は頷いた。

 「どうして捕らえらえたのかは聞いているようだな。それで? 私が憎いか?」

 「とんでもございません! 国のために尽力されているあなた様を憎めましょうか」

 目を見開いて訴える商人。他の二人は首を垂れてぐったりした様子だ。

 「あのクーデター……と言えば分かるな? お前の家族は無事か?」

 ヘレンは故意に神経を逆なでした。本当はこんなことを聞きたくはない。だが、国のためだ。商人の家族が被害にあったかは分からないが、この質問で処刑が失敗したことがなかった。

 「…………分かってるくせに、過去に学ばない“ヘレン様”……」

 商人から焦りが消えた。無表情でヘレンを見つめる目は、後ろの臣下を彷彿させる。

 「昔と変わらないのですね、軍備を強化しないところはあなたの父上にそっくりではありませんか。いやはや、クーデターで殺されたというのに頑なに意志を継ぐかの如く政治を進めるあなたは……人の命を何だと思ってやがるっ!!」

 穏やかな雰囲気を一変させ、商人が吠えた。虚しく響く涙の訴えは、この狭い処刑室では無意味だった。ヘレンにとっては驚くに値しない。“いつも”そう、“誰だって”こうという気持ちだ。むしろ吠えた商人が表情をひとつも変えないヘレンに驚いていた。

 「なんだよ…………何なんだよ! ノーンのせいで家族が死んだんだ! これが初めてじゃないはずだ、何度も同じセリフを聞いたはずだ、それなのに、なんで!! どうして俺の家族なんだ!!」

 怒りに狂った人間が、理路整然とした話をできる訳がない。それはヘレンが何度も実体験を経て確認している。こうなってしまってはどんなに話を長引かせても時間の無駄だ。だからヘレンはいつも最後に罪人に言う。


 「私が憎いか?」


 処刑室に乾いた鎖の音が鳴り続けた。

 「王女さま、そろそろお願いします」

 後ろから臣下が一歩近づくと、ヘレンに耳打ちした。ヘレンはただただ暴れる商人を見据えた。


 「……殺せ」


 臣下が片手を少し挙げると、屈強な男たちが動きだした。それを合図にヘレンは罪人たちから背を向け、臣下と一緒に処刑室を後にした。ヘレンたちが出ると、鉄の扉は中の音を一切外に漏らさなかった。




 最初は抵抗があった。いくら自分の命が狙われ、クーデターが再び起きるかもしれない危険があろうとも、国民を簡単に殺していいのか……。何度も何度もヘレンは狙われたが、その度に処刑室には国民が捕らえられた。

 「ひとつ、お願いがあるんだが……」

 ヘレンは名前も分からない側近に言った。しかしヘレンは、この側近がヘレンが城下を見て回る時には必ず先頭を歩いていることを知っている。

 「はい、なんで御座いましょう?」

 「今日は城下を回りたい。最近は城に籠って事務仕事ばかり、偶には国の雰囲気と言うものを感じたいんだ」

 側近は隠す素振りも見せずに小さく、温かい笑顔で笑った。

 「王女さま、それならば『お願い』ではなく『命令』していただければ、いつでも」

 「え、あぁ、そうだな、そうだった……」

 そして、城に常に詰めている兵士数人に囲まれながら、ヘレンは側近と供に城下へと下りて行った。ヘレンが城下へと行きたかった本当の理由は、クーデターを思い出したためである。あの時の副団長に会いたくなったのだ。しかし、それは私用であり王女としての仕事ではない。国を治める者が簡単に我が侭を言ってはならないとヘレンは考えている。

 「王女さま、ある程度は城下を歩きましたが、どうされますか? もう少し城下を歩かれますか?」

 ヘレンは副団長のことばかり考えていたため、城下の雰囲気を見ることをすっかり忘れていた。おまけに視線が軍の詰所の方向ばかりを向いていたため、城下の視察が完全に上の空だった。

 「え? あ、そうだな、そろそろ城に帰るか。すまないな、付き合せて」

 側近は少し考える仕草をすると、笑顔で言った。

 「はい、お陰でもう一箇所だけ回る場所が増えましたから」

 「私は城に戻ると言ったんだ」

 「目は口ほどに物を言いますよ?」

 ヘレンと側近の無言の睨み合いが続く。警護の兵士たちは気が気でなかった。

 「いかがいたしますか? “城への帰り道、道に迷って軍の詰所の横を通ったって”不思議じゃないはずです」

 「…………ばれていたか……」

 「……はい。失礼ですが、以前より詰所へと思いを馳せていたこと、王女さまの仕草から分かっていました」

 「同じ女性として、と言いたいんだろう? まったく、良い側近を持ったもんだ、私は」

 笑顔の側近は、詰所までの最短ルートを歩き始めた。警備の兵士たちからは安堵のため息が聞こえた。




 最短ルートというだけあって、軍の詰所にはあっと言う間に到着した。その到着時間に驚く暇もなく、ヘレンたちの目の前に詰所への入り口である大きな門が見えた。もちろん、門の前には同じ鎧を身に着けた兵士が数人、厳しい顔つきで周囲を警戒している。

 「ぽ、ポポ、ポール副団長を呼んでくれ! 話があるのだ!」

 ヘレンは門の前の兵士に命令したが、普段とは異なる話し方に兵士は混乱した。側近もこれには苦笑い、ヘレンに代わって兵士に伝えた。

 「ポール様をお呼びいただけますか、王女さまがお話があるとのことです」

 「そうでしたか、では呼んでまいります」

 そう言った兵士の一人が、門を潜って詰所の中へと小走りに入っていった。

 「王女さま、落ち着いてください。相手が困っていましたよ?」

 「し、仕方ないだろう。命の恩人を呼びつけるんだ、緊張しない方がおかしい……」

 正直じゃないヘレンに諦めたように側近が黙ると、詰所から“ポール軍団長”が出てきた。それを見つけた側近は、ヘレンの警護をしていた兵士をまとめた。どうやらすぐにでも城に戻る準備をしているようである。

 「お待たせしました、王女。今日はどのようなご用事でしょうか」

 「はいっ!? あ、あの、その……ですね……」

 「ポール様」

 口をパクパクさせるヘレンの後ろから、側近はポールに話しかけた。

 「実は、本日城では隣国からの王子が参られる手はずとなっていまして……。手厚い持て成しのために人手が必要な状況です。申し訳ないのですが、王女さまとの用事が済み次第、城へ王女さまを護送していただけますか?」

 側近が嘘を吐いているのはヘレンにはすぐに分かった。しかし、同時に人払いを行ってくれていることを悟った。

 「分かりました。安全に送りましょう」

 きっとポールは嘘であることを気付いていない。ヘレンは余計に緊張してきた。




 ポールに連れられて詰所の中へと入っていくと、ヘレンは軍団長室に通された。それまで何度かポールはヘレンに話しかけたが、気の抜けたような返事しかなかった。

 「ところで、今日の用事はどのようなものでしょうか?」

 「いや……その、そう! あの書類は何なのですか! 兵士の増員要請など言語道断です!!」

 話題を思いつくと、ヘレンはポールに食って掛かった。

 「お、落ち着いてください。確かに書類は発行しましたが、私が書いたのは兵士の増員要請ではなく、『兵舎の増築要請』です」

 乗り出してくるヘレンを抑えつつ、いつかの書類の控えをヘレンに見せた。そこには確かに『兵舎の増築』と書かれていた。

 「読み間違いになられたのではないかと……思いますが」

 ヘレンは恥ずかしくて耳が真っ赤になった。いつも神経を尖らせて読んでいる書類で読み間違いをしたのだ、言いようもない恥ずかしさを感じた。

 「あの……王女?」

 「申し訳ありませんでした!!」

 この詰所がどれくらい古くから存在するのかは、壁のひびなどから想像できる。ヘレンも何度か視察に来たときに、いつか立て直す必要があると感じていたくらいだ。

 「いえ、お気になさらず。私たちが訓練で暴れてもピクリともしないのでまだまだ潰れませんよ。ただ、もしもを考えての増築というよりは改築の申請だったのです。書類を突っ返された時の反応から、まさかとは思っていましたがね」

 そういえばと、ヘレンは書類を突っ返すよう命令した時に軍備の拡張を認めないと伝えるように言ったのを思い出した。ヘレンの耳はさらに赤くなった。

 「王女、私の疑いは晴れましたかな?」

 「そんな、疑ってなど……」

 「もう十年以上も経ちます……まだ、王女はあの夜を忘れられないのですね……」

 きっといつまでも忘れない。始めて処刑室での“公務”を終えてから、ヘレンは心に固く誓ったのであった。

 「……ヘレン、とお呼びください……、“副団長”」

 それでも、忘れたくないことばかりではない。二律背反の思いで絞り出した言葉は、ポールには弱弱しく聞こえた。

 「……失礼しました、ヘレン様」

 「我が侭を言ってごめんなさい。それでも、あなたにだけは名前で呼ばれたくて」

 「もう何度目でしょうか、このやりとり。忘れるこちらがいけないのですけどね」

 少しだけ、ヘレンの顔に自然な()みが見えた。

 「ヘレン様、御用は書類だけですか?」

 「あ、いえ、そのぉ……」

 最近思い出してしまったクーデターから、不安になって来てしまったとは言えなかった。歯切れの悪いヘレンに、ポールは静かに、そして力強く言った。

 「人の死を、ましてや親類の死を目の前で見たあなたの心の負担は測り知れないことだと思っています。忘れたいと考えてらっしゃるかもしれません。ですが、もしも何か助力が必要であれば」

 ポールはヘレンに一歩近づいた。

 「いつでも“副団長”をお呼び下さい」

 ヘレンは涙を堪えた。そして、涙の代わりに悩みを打ち明けたのである。




 「軍団長、あの夜以降、この国でクーデターが再発しなかった理由をご存じですか?」




 既に日も沈んだ頃。ヘレンは軍団長と一緒に詰所の門に居た。両者とも顔は暗く、互いが互いの顔を見ることを躊躇っているようであった。

 「ヘレン様、今日はもう遅いです。ここの兵士たちが責任を持って送りますので、ご安心を。それより……」

 「言わないで下さい。お話を聞いていただけただけで、私としては嬉しいですから」

 「……また、いつでもいらして下さい。兵士たちの訓練に励んでくれることでしょう。……っ!」

 突然、ポールはヘレンの背後へ鋭い視線を向けた。ヘレンはその視線を一度見たことがあった。

 「どうなさったんですか、軍団長!」

 「……いえ、気のせいです。ヘレン様のお話を聞いて、どうやら私も思い出してしまったみたいです」

 「“軍団長(亡霊)”ですか? 出てもおかしくはありません。だって……」

 「止めましょう、これ以上は自身を傷つけます」

 その後、ヘレンは詰所が所有する馬車によって城まで帰ってきた。行きとは違い、人を避けながらのゆっくりとした走行のため、城までの距離はとても長く感じられた。




 ポールに今までのことを打ち明けてから数日が経った。謁見の間で臣下から“公務”が遂行されたことを流し聞き、ヘレンはあることに気付いた。

 「最近になって城の仕事、特に私の近くに居る者で辞めた者は居るか?」

 ヘレンはここ最近、女の勘がやけに働く側近を見ていない。城で働く者の名前を全て把握することは困難であることを悟ったヘレンは、ある日から人を顔で判断することにしていた。

 「いえいえ、そのような者は居りませんよ。皆この城で働けることを幸せに思っております、王女さまの気のせいかと」

 「…………」

 あんなに強烈に自分の考えを言い当てた側近を忘れる訳がない。増してや自分に冗談交じりに会話をするなど、この城で働く者の中で数えるほどしかいないのだから。

 「本当だな?」

 「えぇ、辞めた者は一人も居ませんよ……」

 「っ!!!」

 「突然驚かれてどうされましたかな?」

 ヘレンは臣下の悪人のような目を見てしまった。これで確信した。臣下は側近に関して何かを隠している、と。

 「……何でもない、気にしないでくれ」

 ヘレンの背中に嫌な汗が伝った。

 臣下とも別れ、謁見の間から私室へと移動したヘレンは先ほど得た確信を確実のものにするべく動きだした。

 「どちらへ行かれるもですか? 本日の書類はこちらですが」

 「すまない、戻ったらすぐに取り掛かる。今日の分は私の机に全て積んでおいてくれ」

 この確信が本当であった場合、ヘレンは二度と私室へ戻れない覚悟が必要であった。側近の一人や二人、別に居なくても問題ではないが、あの側近には借りがあるとヘレンは感じていた。

 「もし、いつまで経っても書類の山が減らなかったら……」

 私室のドアノブに手をかけて半分だけドアを開けたところでヘレンは言った。




 「全ての書類に認可印を押してくれ」




 私室に残された人間たちは不思議そうな顔をしていた。廊下に出たヘレンは慌ててドアを閉めると、適さない格好ではあるが処刑室を目指して走りだした。ヘレンは自分の心配を杞憂であってほしいと願いながら、無駄に華美な服を呪った。

 何人もの臣下や警備の兵士とすれ違い、ヘレンは肩で息をしながら処刑室の前まで通じる階段が隠された絵画の前までやってきた。ヘレンがここに一人でやってくるのは今回が初めてである。普段は上手く絵画で隠されている階段だが、今は見つけてくださいと言っているかのように露見している。

 「間に合ってくれっ……!」

 ヘレンは振り返ることなく階段を駆け下りた。

 処刑室の扉の横には屈強な男が立っている……はずだった。たとえ立っていても、命令によって排除するつもりであった。いつもと状況が異なる今、ヘレンの緊張は増すばかりである。

 “今、この扉を開けば絶対に出られない”――――誰に言われるわけでもなく、ヘレンはそう感じた。それでも処刑室の扉を開いて踏み入った光景に、ヘレンは絶句した。

 「っう…………!」

 ヘレンは“公務”が執行されている場面をその目で見たことがない。だが、屈強な男たちが持つ刃物や鈍器の類で罪人が殺されていることは想像できた。今、ヘレンの目の前に倒れている両手首を鎖で壁に繋がれた女性も、どのような仕打ちを受けたのかは容易に想像できた。

 「どうして……! おい、しっかりするんだっ!! 私だ、ヘレンだ!」

 「……おぅ……じょ…………さ、ま……」

 「酷い……、誰にやられたんだ!?」

 これ以上流れないと思わせるほどの血を処刑室の床に流してはいたが、側近は微かに息をしている。しかし、ヘレンの質問にも鎖を鳴らす余力もなく、自力で起き上がるなど不可能であった。

 「とにかくここから出るぞ! 待っていろ、すぐに鎖を外してやる」

 「………………」

 側近の位置からかなり離れた場所に鍵の束があった。ヘレンは迷うことなく適切な鍵を選んで側近の手首から鎖を外した。非力を承知で側近の片腕を自分の首の後ろで支えようとしたが、側近が動けないため手間取った。その間も、ヘレンの華美な服にはいたるところに血が付着した。

 「私が男だったら……」

 “すぐにでも抱えて側近を安全な場所まで連れていけるのに”。無理な事だと分かっていても考えてしまうのが人間というものなのだろう。先ほどから全く足が動いていない側近を、半ば引きずるような格好になってきた。すると、急にヘレンが抱えている側近の腕に力が入り、ヘレンの服を掴んだ。

 「……ヘ、レン……様」

 「そうだ、私だ。しっかりしてくれ、今すぐにこの部屋から出るからな!」

 「…………最後に、あなたの……名を、呼べて、良かった……ポール…………様と、お元気、で……」

 「馬鹿者! 起きろ、まだお前は死なないんだ! 起きろ!!」

 支えるべき体重が増えたことで、ヘレンは側近が絶命したことを悟った。それでも、身体を離さず一歩一歩確実に処刑室の扉に近づこうとした。

 「なんで……お前は何も悪くなかった。殺される理由などなかったはずだ、それなのに…………」




 「それがねぇ、理由がしっかりとあるんですよ、“ヘレン様”」




 扉まではまだ遠かったはずなのに、その声はやけに近くに聞こえた。処刑室の扉に、あの臣下が立っていた。

 「いやぁ~、やってくれましたねぇ、その側近は」

 「これはお前の指示なのか? ……理由を言え!!」

 臣下が一歩一歩ゆっくりとした足取りで処刑室に入ってくる。片手には臣下には不釣り合いなほどの長剣が握られていた。

 「ふ~~む、そのご様子ですと、側近は生きて“いた”みたいですね。あんなに切る・叩く(やった)はずなのに、賞賛に値しますよ、まったく」

 臣下はヘレンの言葉に答えなかったが、ヘレンには十分すぎる回答を与えていた。

 「ヘレン様、重たいのでは御座いませんか? 場所は悪いですが、あなたと話しておきたいことがあるんですよ。側近を担いでいては、話しにくくはありませんか?」

 「私をヘレンと呼ぶな……」

 ヘレンは側近を静かに床に寝かせ、初めて目に涙を溜めて側近の髪を撫でた。この側近には一本取られて以来会っていなかったが、ヘレンにとって忘れられない側近となった。臣下の咳ばらいが聞こえたところで、ヘレンは立ち上がった。

 「なぜ殺した」

 「おやおや、怖いじゃないですか……。少し落ち着いて、こちらの話を聞いては下さいませんか?」

 「黙れ。命令だ、なぜ殺したと聞いて……」

 「あの夜を覚えていますか?」

 ただでさえ処刑室は静かであるが、臣下の一言が全ての音を奪い去ったように感じた。ヘレンは怒りの表情を崩さなかったが、心臓だけは不規則に暴れ回っているようだった。

 「忘れるわけがない。しかし、お前の口から聞くとはな」

 「私があなた様を“王女”と呼ぶようになって初めてございます。王女さま、あのクーデターの真実、知りたくはありませんか?」

 「それは……父の政治に疑問を感じた時の軍団長が起こしたのだろう? これ以外の真実などあるわけない」

 「疑問を感じていたのが軍団長だけだと考えていますか?」

 「何が言いたい?」

 「クーデターの前、ある人物が時の国王の軍事政策に疑問を感じました。その人物はなんとかして軍備を強化しようと考えます。しかし、一人で絶対王政の意見を覆せるわけがない。同胞を募ることを考え、見つけたのが時の軍団長。彼らは慎重に準備を進め、ついにクーデターを決行します。国王は殺され、新たな王女が誕生した……」

 身振り手振りを交えた、まるで演劇の粗筋を舞台で読んでいるかのような態度に、ヘレンの嫌な予感が募ってきた。

 「ここで問題となるのが、国王が殺された時に近くにいた国王の娘。そして、現在のアフ国の王女。ある人物は何度も軍団長に言っていた。『殺すなら国王の娘もだ!』。しかし、軍団長は『娘に罪はない』と断固としていう事を聞いてくれなかった。恐怖心を与えるだけで十分だというのだ、その人物は早くも同胞の軍団長に疑いの念を持った……」

 聞いたことがない話ばかりが出てきて、ヘレンは焦っていた。特に軍団長の言葉。

 「そして決行当日の夜、その人物は上手く軍団長率いる兵団を城へ侵入させた。日頃の訓練が物を言い、瞬く間に軍団長は国王を討つことに成功」

 聞いてるだけで気分が悪くなるヘレンは耳を塞ぎたい気持ちでいっぱいだった。しかし、これが真実なら…………

 「兵団を侵入させたのは、この私。軍団長には困らされた思い出ばかりですよ。でも、王女さまが初の“公務”をなされた時には肝が冷えましたが軍団長には感謝しています。私が共犯であると言わなかったのですから」

 「それだ……なぜ軍団長は処刑の瞬間までお前の共犯を言わなかった?」

 「今となっては分かりかねますが、あなたを守るためだったんじゃないですか? あの場で私の罪を告白すれば私の立場が怪しくなりますが、同時に王女さまの身も危険に晒されます。最後の最後まで罪なき者には甘かったのです……」

 ヘレンは後悔した。仮に今のが本当ならば、自分自身を危険に晒し軍団長はヘレンを守ったことになる。ヘレンは足元がふらついていくように感じた。

 「それでも……十年前に私を殺せたはずだ。どうして私を殺さなかった? まさか軍団長の処刑を見て怖気づいたか?」

 「とんでもない! そもそも、私は国王の後釜を狙うつもりでクーデターを画策した。しかしね、私は考えました。このまま死刑宣告を王女さまに続けさせれば、早いうちに精神を病むのではないかと。当時のあなた様はまだ少女だ、募る自責の念に押しつぶされる日がきっと来る……とね。それがどうして、十年も持ちこたえてしまった」

 ヘレンは全てを理解した。臣下に城に呼ばれたあの日から、ヘレンは生かされていたのだ。臣下から死刑宣告の公務を伝えられたのも、国を良くするためではなく自分の欲求を満たすため。

 「そう、長かった……。しかしそれも今日まで。最近になって“副団長”と王女さまを惹きあわせた側近も死んだ! 副団長の助けもない! あなたに味方はもう居ないっ!!」

 臣下の心からの叫びだった。万事窮す、ヘレンは武器になるような物は持っていなし、臣下は長剣一本と言えど武装している。抵抗する手段は残されていなかった。さらに、処刑室の扉からぞろぞろと屈強な男たちが何人も入ってきた。それぞれが斧、剣、槍といった処刑道具を持ち、臣下のすぐ後ろに控えた。

 「ここまでやって、自らの手を汚さないのか!? どこまでお前の心は腐っている!?」

 「殺しの感覚なんてのはねぇ、ヘレン様。知らないに越したことはないんですよぉ~!! 十年間あなたを見てきたんだ、あなたがいつもどんな気持ちで死刑宣告をしていたか、目を見れば分かっちゃうんですよぉ~~!!」

 「ふざけるな!! 人間の屑めっ!!」

 「黙れ小娘っ!! 殺れお前たち、こいつを天国の国王の所に連れていってやれ!!」




 「……それでは、お言葉に甘えまして」




 臣下の頭が後ろから一本の矢によって射抜かれた。臣下は長剣を床に落とし、ふらふらした足取りで後ろを振り向こうとしたが、三歩動いたところで床へと倒れた。他の屈強な男たちはただただ臣下を見下ろし、ヘレンを攻撃するようなことはなかった。

 「え? …………誰、なの?」

 「ヘレン様!! ご無事ですか!!」

 「“副団長”!!」

 処刑室の扉から見えるのは、死刑を執行していた男たちと同じ服装の“副団長”であった。すでに二本目の矢を矢筒から取り出す格好をしながら、視線はヘレンを確かに捕らえていた。ポールは臣下が絶命したのを確認すると、ヘレンに近づいた。

 「助けに参りました、お怪我は?」

 「ありません。ですが……」

 ヘレンは側近を見た。ポールもヘレンの視線を追って側近を見た。

 「私のせいです…。あの夜を越えて、すぐに臣下の悪事に気付いていれば……こんな事には! 副団長、お話しましたよね? クーデターが再発しなかった理由を。臣下に唆されたと言えば聞こえはいいですが、少なからず私の意思がありました……。こんな事なら、あの夜に私は死んでいるべきだった!!」

 「ヘレン様、違います。今もそうですが、あなたは死ぬべきではい。ノーン様のことです、きっとヘレン様に“逃げろ”と言ったはず。城も地位も名も捨て、ヘレン様の命を最優先したはずです。あなた様が今を生きる理由は? きっと“お父様”のようになりかったのでは? 自分を顧みない不器用さはさて置き、大事な人を、国民を守ろうとする立派な姿勢を見てきたあなた様なら、答えは知っているはずです……」

 「っ……でも、たとえ罪を犯そうとしていた者でも、私は自ら死を与えたのです……。罪のない側近も私が生きていたから……。殺してください、副団長。今すぐ私を殺してくださ……」

 噛むのではいかと思わせる早口でポールに迫ったヘレンは、勢いでポールの腰に携えられた短剣を引き抜こうとした。

 「……ヘレンッ!!」

 「あ……」

 自殺を図ろうとしたヘレンの挙動に気付いたポールは、ヘレンに抱きついた。ヘレンの片手は短剣の柄に届いていたが、掴むまでには至らなかった。

 「何を……するのですか、副団長」

 「どうか生きてください……。あなたは沢山の人から守られている。決して悪いことではないんです。あなたの近くにも、それに天国からでも、ヘレンを見守っている人は沢山います……」

 「生きる価値なんて無いんです、私には。生きていることで人を殺してしまうなら、死んだ方がいいんです……」

 「そのような事は二度と言わないで下さい。悲しむ人が居ることをお忘れなく」

 少し、ヘレンは自身を抱くポールの腕に力が入った気がした。




 ――――時は流れ、世界各国のこれまでの歴史を記した本が多数出版されることになる。その中でも『あの国の歴史 ~知りたいのは数字じゃない!~』という本が各教育機関で採用されることとなった。この本は各国の人口や輸出入額などの代わりに、その国で実際に起きた事件、権力者の推移などが掲載されている他、王政が主な国では出版社が調べた範囲で国王の名前が載っている。

 もちろん、索引を使えばすぐに出てくるアフ国も例外ではない。この本でのアフ国には、こう書かれている。


国名:アフ国


政治体制:“王政”を経て“民主主義”へ


特産品:綿花、繊維製品


過去の王:

????~????(没) ノーン・レイス

????~????(没) ヘレン・レイス(女性)

????~????(没) アルム・レイス(象徴として)


アレが知りたいっ!:

 アフ国は世界で数えるほどしかない王政国家のひとつである。また、現段階では王政国家初の“王女”が生まれたことでも有名である。

 また、この国は一度、軍事クーデターによりノーン・レイスが暗殺されるという事件があった。王政国家のため、すぐにでも王位を持つ者が必要であったが、その時に即位したのが娘のヘレン・レイスであった。彼女は父が暗殺されるという暗い過去を持つことになった。

 初の王女ということもあり、国民の焦りと不安を招くと考えられたが、それ以来クーデターは一切発生しなかったという。一説によると、反逆者を刈り取るための政策があったらしいが、真実は分からない。

 さらに、この王女は大胆にも同国の軍団長と結婚することになる。これを機に、国の政策を王政から民主主義へと大幅に切り替えた。やがてアルム・レイスが生まれ、象徴としての国王となった。

 そして、特産品の綿花を栽培していた国内最大級の畑の前には、墓石が一つあったという説がある。この墓石には、毎年必ずその年の王が出向き、墓石の下に眠る人を思うという。その墓石には、ヘレン・レイスが心から信頼していた側近の名前が記されていたという。――――

 読破、お疲れさまでした。

 ここまで話が大きくなるなんて、自分でも驚いています。初めてのノンファンタジーのため、無駄な部分があったかもしれませんがこちらとしては楽しめました。

 幼少の頃の凄惨な記憶に付け込んだ臣下も、捕らえ方によっては国の未来を考えていたのかもしれませんね。

 なお、本作の裏話を活動報告にまとめました。興味がありましたら是非読んでみてください。


 それでは。

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