men's talk
番外編です。
千穂が知らないところで、男たちがどんな会話をしていたのでしょうか。
織音籠は、今年も恒例のクリスマスコンサートを地元で行う予定になっていた。地元といっても、住んでいるところの西隣、鵜川市のホールなので、打ち合わせなどに移動を伴う。
その日の打ち合わせを終えたメンバーは夕食をとった後、帰宅をするため駅に向かった。
ホームに滑り込んできた快速電車に乗った瞬間、乗客が一瞬声にならないざわめきをあげる。
いつものこと、と受け流したJINの耳にその声が流れ込んできた。
「大江山だわ。鬼だ」
声のした方、自分たちが乗ってきたのとは逆のドアを見やった。
小柄な男性が、さらに小さい女性の口を押さえている。その女性が恐る恐るといった感じでこちらを見た。その動きに合わせるように男性もこちらを向いた。
── なんだ、タカじゃないか。彼女連れか
JINは口角が上がるのを感じながら、周りの客に気づかれないように指先で男性を呼びつける。妻の甥 ー貴文ー はため息をつくと、彼女に何事か言い聞かせてからこちらにやってきた。
「よう、久しぶり」
そう声をかけたJINは、そのまま捕まえるように貴文の肩に手を置くと、電車の騒音に負けないように隣のRYOの耳元で話す。
「覚えているか、タカだ。桐生さんの息子の」
RYOはそれを聞くなり噴き出した。
「そうか。”大魔神”の彼女は、”鬼”か」
「妙な言い方をしないでください」
子供のころの失言を引き合いに出された上に、RYOに子供のように頭を撫でられて貴文が膨れた。そんな貴文にはかまわずRYOが他のメンバーと引き合わせる。
「美紗ちゃんの甥のタカ。JINの結婚式に居ただろ?」
「JINとRYOの先輩の息子、っつってたやつか」
「あの高校生が、もうスーツ着とるんやな」
「なんだか、年をとった気がするな」
「気がする、じゃねぇって。年をとったんだよ。アラフィフだぜ?」
数年ぶりに逢った少年の成長に、時間の流れを感じている連中を横目に、叔父と甥の会話は続く。
二十センチ近く背の高いJINが、貴文の耳元で話すような姿勢で。
「一体、なんだって電車なんか乗っているんですか?」
「ただの移動だよ」
「人騒がせな」
「騒ぎになったことないし。お前の彼女みたいに反応するほうが珍しいな」
「素直なんです」
そんな他愛のない会話をしているうちに、快速電車は貴文たちが降りる駅に近づく。
「俺たち、次で降りるんで」
「あぁ。そうか。近いうちに一度ゆっくり話を聞かせてくれ、な」
「そうですね。父さんも呼んで飲みにでも」
「それも良いな。じゃあ、楽しみにしている」
ああ、そうそう、とJINが改めて二言三言ささやくと、貴文は慌てて耳をふさいだ。
人の悪い笑顔で見ているJINを恨めしげに睨んだ貴文は、電車が止まる直前にペコリと頭を下げ彼らから離れていった。
貴文が彼女を促して電車を降りる。降りる直前に彼女がこちらを見たのに気づいたJINは、小さく手を振ってやった。
二人が降りてから、RYOが尋ねる。
「何を言ったんだ、最後に」
「かわいい甥にちょっとしたプレゼント」
「その”声”で何を言ったのだか」
やれやれ、とため息をつく高校以来の友人に、JINは話を変えた。
「桐生さん親子と飲み会したら、来るか?」
「ああ、それなら俺も混ざろうかな」
── RYOは高校のころから、桐生さんに懐いていたよな。でっかいワンコみたいに
懐かしく思い出すJINをよそにRYOが嬉しそう話す。
「前にお前と一緒に飲みに行ってから三年ぐらい? 桐生さんとは会ってねぇし」
「そりゃな。俺も、桐生さん以外は先輩とも後輩とも逢わないな」
「高校を卒業して三十年近いから、お互い疎遠にもなるな」
桐生氏の後輩二人は、貴文の彼女に”酒呑童子”と”茨木童子”と名付けられたことも知らず和やかに家路をたどった。
コンサートの準備も大詰めに差し掛かった、十二月。
一時間の昼休憩に入った、織音籠のメンバーは低く響いた口笛に振り返った。
JINが、スマートフォンを片手に、うれしそうな顔をしていた。
「何かあったか」
「タカの結婚が決まった」
尋ねるギターのMASAの声に、JINが答えた。それを少し離れて見ていたRYOは、JINの表情にこみ上げる笑いをこらえた。
── おやおや、うれしそうな顔しちゃって。この前タカに見せた悪い顔と、本当に同一人物かよ。
そして 親戚のおっちゃんか友達か、という勢いで勝手に盛り上がる外野たち。
「え、何。この前の彼女?」
「そりゃ、タイミング的にはそうだろうな」
「違うかったら、驚きやん」
── 最近本人を見たから親近感が沸くのかねぇ?
彼らを眺めてJINは苦笑した。そして、一人笑いをこらえているRYOを手招きした。
「お前、何笑ってる」
「いやいや、笑ってないって」
「目が笑ってるだろうが」
「そんなことないって。で? タカが、自分から報告してきたのか?」
「いや、桐生さんからメール。『タカを肴に飲まないか』って」
「桐生さんも、ひでぇな。息子を肴にするなよ」
「って言いながら、乗る気だろ?」
「もちろん」
「じゃ、”RYOも、ついていきます”っと」
JINがメールを返信する。
こうして貴文の知らないところで、飲み会のメンバーが増えていた。
新年会シーズンも一段落した、とある金曜日。
貴文はその日の仕事を終えて、楠姫城市へ向かった。
── 社交辞令じゃなくって、本当に飲み会が決まっているし。
父親の桐生 達也が”現地集合”として指定してきた店は、冬の定番、鍋料理の店だった。
父親と叔父に遊ばれる覚悟を決めて貴文が、店の入り口をくぐる。
「いらっしゃいませ!」
威勢のいい声と暖かい室温に迎えられ、軽く肩の力が抜けた。
「予約している桐生です」
「お連れさんは、もう来られていますよ。どうぞこちらへ」
そう言った店員に連れて行かれたのは、奥まった個室だった。全席が個室になっている造りは、あの目立つ叔父が来ても大丈夫な店を選んだ結果だろう。
引き戸を開けて、案内された部屋に入る。
途端に、貴文はその場にへたり込んだ。叔父と同じくらい目立つ人がもう一人。
「な、ん、で、亮さんも居るんですか」
「よう、挨拶だな。俺も桐生さんの後輩だし? タカとも知らない仲じゃなし」
「どんな仲ですか」
「俺の本名を呼ぶ仲?」
「なんすか、それは」
文句を言いつつ達也の隣に座り、貴文はコートとスーツの上着を脱いだ。
改めて、と達也が音頭をとって乾杯する。
「おめでとうな、タカ」
「どうも」
JINの言葉に軽く頭を下げた貴文を、RYOがしみじみと眺める。
「お前が結婚する年になったんだよなぁ」
「あっという間だぞ? お前らも」
達也が笑いながら、お猪口を口に運ぶ。
「式がいつだって?」
「秋ごろを思っているけど。ジンさんのスケジュール、今からだったら大丈夫?」
「んー、今のところツアーとかは入れてないよな?」
「そうだな。詳しい日取りが決まったら早めに連絡してくれたら、空けれるだろう」
RYOにスケジュールの確認をしつつ、突き出しの小鉢ををつまんでいたJINの顔がふっと意地悪く変化する。
「それはそうと、この間の彼女」
「わー。ごめんって言ってたから許してやって」
「なんだ? ジンは千穂ちゃんと、もう会ったのか?」
達也の疑問に、RYOが笑いながら先日の邂逅の顛末を教える。
一対二では口のふさぎようもない貴文は、あきらめてビールを口にする。
「お前ら、電車乗って大丈夫なのか?」
話を聞いて、ひとしきり笑った達也は大筋とは関係のない質問をした。
『そうだ、そうだ。電車なんか乗るな。人騒がせな』と、貴文も尻馬に乗る。
「意外とね大丈夫なんです。特に複数で乗っていると、この身長で皆ビビるらしくって。試合帰りのバスケとかバレー部の高校生がガンつけてくるくらいで」
俺たちも若いころはやったし、と、身に覚えのあるRYOが笑う。
その横で、こっちの話が途中なんだが、と貴文の意識を向けさせたJINが言葉を繋ぐ。
「電車で逢った日。あのあとどうなった?」
大人三人が、あっけにとられたほど貴文が真っ赤になった。
まさに、茹ったかのごとく。
「ジンさん、何を考えて、あんなこと」
「ん? 誕生日が近かったから、プレゼント?」
「おかげさまで! 千穂を抱き潰しましたよ! 翌日が二人とも休みで助かりました!」
父親とRYOの爆笑に貴文は失言を悟った。張本人は、いつものようにクツクツ笑っている。
咽喉を守るためとわかっていても、その笑い方が貴文の癇に障る。
「ジンさんの声ってムダに色気があって、セーブが効かなくなるからデートの前に織音籠は聞かないようにしているのに。わざわざ、人の耳元でエロい事言ってくれて」
ブツブツと、文句をたれている自覚もないらしい貴文に、大人たちの笑いが止まらない。
「まあまあ、落ち着いて」
JINが、琥珀色の飲み物を渡す。貴文は一気にあおってから、文句を言った。
「これ、烏龍茶じゃないっすか!」
「一気に飲みそうなやつに酒を渡すか。頭、冷えただろ。もう一杯いるか?」
「もういいです!」
貴文はむくれながら改めて、自分のビールを飲む。
自分の分の烏龍茶を飲ませたJINは、相変わらず咽喉の奥でクツクツ笑いながらテーブルの上の呼び出しボタンを押していた。
「義兄さんは、そろそろお酒の追加頼みますか?」
「ああ、よろしく」
その返事を受けて、JINは店員に烏龍茶と日本酒の追加を頼んだ。
── 相変わらず、ストイックというか真面目というか
その姿を見ながら、達也は思った。数年前に相婿となったかつての後輩は、商売道具を守るために、コーヒーもアルコールも口にしない。
── そして、こっちも相変わらずか。
食べ終えた各々の小鉢を卓の端に寄せている息子を眺めながら、お猪口を空けた。
「桐生さん?」
RYOの声に視線を正面に戻すと、眼鏡をかけた方の後輩が銚子を差し出していた。そして視線で『どうしたんです?』と、問いかけられた気がした。
── コイツは変に聡いし
「ん、サンキュ」
注いでもらった銚子を取り上げて、注ぎ返す。視線で『なんでもない』と返してみる。
聡い後輩はどこか納得していないような笑顔を返してきた。