4 隠れていたもの
招きいれられた家のダイニングキッチンには、貴文のお母さんを十歳ほど若くしたような人が居た。
「こんにちは。いらっしゃい」
「千穂、母さんの妹のミサ姉。この前お前が見たのは、この人だよ」
「ミサ姉? 『みさえ』じゃなくって?」
「それは聞き間違い。俺が生まれたとき、まだ十代だったから”叔母さん”はかわいそうだろ?」
年の近い叔母さんなんだ。並んだところは従姉弟で通りそうなくらい。
「で、ミサ姉。婚約者の千穂だよ」
「初めまして。相沢 千穂といいます」
「こちらこそ、初めまして。貴文の叔母の美紗です」
美紗さんは、お母さんと同じ丸い眼をしていたけど、包み込むような視線の人だった。
「この前は誤解させたみたいでごめんなさい。主人が仕事で連休中いなかったから、息子を遊戯施設で遊ばせようと思ってね。丁度、実家に行っていた貴文と落ち合って息子の相手をしてもらったの」
「じゃあ、あの子は」
「従弟の翔。こっちは俺が就職したころに生まれた」
そうか、従弟より叔母さんとの方が歳が近いんだ。
そして、貴文に肩を抱かれるように回れ右をすると、鬼さんたちが居た。
うわー。横にあるファミリー向けの冷蔵庫といい勝負の身長だわ。
腰の辺りで、ちょんちょんと服を引っ張られる感じがした。
見ると、翔くんがワンピースのスカート部分を引っ張っていた。
「おねぇちゃん、たぁちゃんのおともだち?」
図書館に来る子供たちに応対するときの要領で、膝を突いて翔くんの視線にあわせる。
「そう、ちほ、って言う名前なのよ。よろしくね」
「ぼくね、りすぐみの”いまだ かける”」
「おい、翔。千穂はな、お友達じゃなくて俺のお嫁さんになるんだよ」
同じようにかがんだ貴文が付け加える。それを聞いて、ほー、っとため息をつく翔くん。美紗さんとよく似たくりくりの目がかわいい。
「で、千穂」
貴文に促されて立ち上がった。
鬼さんたちの雰囲気が変わっていた。
酒呑童子は軽く足を開いて、腕組みをしたいわゆる仁王立ち。左に立っていた茨木童子は、外したメタルフレームの眼鏡を右手に持って軽く目を細め、左手を酒呑童子の肩にかけるようにしてもたれている。
かつて見たCDジャケットの再現のような画。ここには居ない、ほかの3人のシルエットも脳裏に浮かんだ。
「年をとった織音籠だぁ」
どこか妖しげだった二人の雰囲気が一気に吹き飛んだ。
茨城童子は笑い過ぎてヒーヒー言いながら、酒呑童子にすがりついているし、酒呑童子は咽喉の奥で声を立てずに笑っている。
あぁ、またやったかも。
ため息を一つついて、気を取り直したらしい貴文が説明してくれた。
「背の高いほうがジンさん。ミサ姉のダンナで、織音籠のヴォーカルをデビューから”今も”しているJINだよ」
織音籠のヴォーカルが叔父さん!? それも、デビューから今も?
歌声が変わって聞かなくなった、織音籠。
ヴォーカルが変わったんだと思っていた。それくらい違う声だった。
変わったのはヴォーカルじゃなくて、声自体だった?
ちょっと待って。
合コンの時、私は貴文に”何”を言った?
『ヴォーカルが代わって売れるようになったみたいだけど、私は前のほうが良かった』
顔をゆがめた貴文。
口の中を噛んだ訳じゃなかったんだ。
私が、私の言葉が、彼の心を刺した。
「ごめん。貴文。ごめん」
「それは、また後でな」
ポンポンと私の頭を軽く叩いて貴文は話を戻した。
「で、大笑いしているのが亮さん。織音籠のキーボードのRYOだ」
「あの日、電車で逢った”鬼さんたち”は、織音籠のフルメンバーだよ。あの時は、騒ぎになったらどうしようって本当にひやひやした」
さっき私が翔くんにしたように、JINさんは腰を屈めて低い身長の私に視線を合わせた。
「初めまして。千穂ちゃん。今田 仁ーJINーです。よろしく」
「山岸 亮ーRYOーです」
RYOさんも覗き込んできた。
「初めまして。相沢 千穂です。先日は失礼なことを言って、すみませんでした」
「いやいや。鬼は新鮮だった」
と言って、再びRYOさんが笑い出す。JINさんもまた声を立てずに笑っている。この人の笑い方は独特だわ。
「GW.の件は、本当に済まない。先週までツアーで留守にしていたもので。俺の仕事柄、タカにはよく翔の相手をしてもらうんだ」
笑いを収めて、JINさんは美紗さんの話を補足するようにそう言った。
「お茶にしましょうか?」
美紗さんが話の切れ目に声をかけてきた。
「千穂ちゃんは、コーヒーと紅茶どっちにする?」
「あ、じゃあコーヒーで」
「亮さんとタカは?」
それぞれに希望を聞くの? すごい美紗さん。ママだったらきっとコーヒーに統一するわ。
貴文もRYOさんも慣れたもので、好き勝手なことを言っている。
すっとJINさんが立ち上がって、紅茶を淹れだした。それと並行して美紗さんがコーヒーを淹れる。
「ジンさんはコーヒーを飲まないから、自分でお茶を淹れるんだ。普段、ジンさんのいるときは有無を言わさずに紅茶だよ。この家は」
貴文がこそっと教えてくれる。
「コーヒーって言ったの、まずかった?」
「いや、ミサ姉はどっちかと言えばコーヒー党だから。ミサ姉は大歓迎だと思う」
淹れられた飲み物は、コーヒー3杯と、紅茶が2杯。それに翔くんに牛乳。
好みが異なった私とJINさんがそれぞれ孤立しないように、他の3人が選択したのかもしれない。貴文の行動の割り切りは、こんなところに手本があったんだ
「お持たせでごめんね」
そう言って美紗さんが出してくれたお茶菓子は、私たちが買ってきたロールケーキ。よかった。ショートケーキだったら数が足りないところだった。
お茶を飲み始めたところで貴文が言い出した。
「で、今日はどうして、亮さんがいるわけ?」
「お前らの結婚式の余興の打ち合わせ?」
あー。歌の上手な叔父さんって。織音籠に歌わせるつもりなの、貴文ってば。
「せっかく来てくれるのだから、千穂ちゃんの許容できる歌を把握しようと思ってな」
JINさんがしれっと言うけど。苦手って言ったのも本人にバレてるんだ。穴があったら入りたい。自分の口を恨むわ。
頭を抱えていると、美紗さんが隣から頭をなでてくれた。
「翔に子守唄を歌って泣かれたこともあるから、大丈夫。気にしないで」
「あぁ、『お腹が気持ち悪い』ってな」
「ジンさん、ムダに色気がある歌い方するから」
貴文がまぜっかえす。色気に当てられたのか私は。翔くんレベルで。
JINさんに言わせると『日本一俺の歌を聞いてる』らしい美紗さんが、比較的聞きやすそうと選んでくれていたCDをとっかえひっかえステレオで聞かせてもらった。翔くんは美紗さんと違う部屋で遊んでいるので、遠慮なく。
その中で、聞いてて大丈夫なものをより分けていく。
あの、声が変わったときの嫌悪感は何だったのかと思うほど聞けるCDは一杯あった。
「ふんふん、ボーダーはこのラインか」
「これだったら……」
JINさんとRYOさんは、仕事モードに入ったらしい。貴文に促されるまま、邪魔をしないようにそっと部屋から出る。
「お昼、食べていく?」
そんな美紗さんのお誘いを
「いや、ジンさんたち、スイッチ入ったみたいだから帰るわ」
と貴文が断って、そのままお暇することにした。
「ちほちゃん、またきてねー」
かわいい翔くんの言葉に送られて。
そのまま貴文の部屋に向かい、途中で買ってきたサンドウィッチで少し遅めの昼ごはんにした。
「ミサ姉と母さん、似てただろ?」
「確かに似てた。でも視線が違うね。入り込まずに包み込む感じ」
「うん、そうだな」
「雰囲気自体がスライムみたい? おもちゃの方の」
「ああ、なるほど。うまい事言うな」
話をしながらも、どんどんサンドウィッチは片付いていく。相変わらずよく食べるわ。
「美紗さんとJINさんて、身長もだけど、年も離れてる?」
「んーと。父さんの二年後輩がJINさんて聞いたから……。6歳? 7歳差だったかな?」
「お父さんの後輩なんだ。じゃぁ、お父さんつながりで出会ったとか?」
「いや、そこは関係ない」
おお。断言するか。ま、いいや。
「しっかし、織音籠が身内だったとはね」
「黙ってて、ごめんな。改めて間近で見た感想はある?」
「感想というかさ。もうJINさんは私には酒呑童子にしか見えてない」
そう言うと、貴文が吹き出した。
クスクスと笑いながら、
「いい加減、大江山から離れような。じゃ、亮さんは?」
「茨木童子」
もう、そんなに笑わなくって良いじゃない。いつの間にか、食べ終わっているから良いけど。
「いや、俺も最初に織音籠を知ったのが、小学生のころに見たポスターでさ。その時のイメージで亮さんは織音籠のNo.2だと思ったから、同じだと思って。実は、リーダーが亮さんなんだけどな」
貴文は、笑いながらゴミを片付けだした。私も残りを口に入れて、コーヒーを飲み干した。
二人で、昼ごはんの後片付けとも言えない片づけをしたあと。
「千穂のいう、ミサ姉がスライムみたいって言うのは正しいと思うんだ。知ってるか? スライムって、乾くと衝撃に弱くなるんだ」
ベッドに腰掛けた貴文が、どこか硬い表情で始めたのは”美紗さん=スライム”説の補足? そんなに堅苦しい話なの?これ。
「俺が中学の頃にな、ジンさんの声が出なくなってさ。そのときに一度ミサ姉は壊れた事があったんだ。他には誰も居なくって、俺だけが壊れたミサ姉を見ていた。あの日のミサ姉は、なんだか水分の少ない感じがして萎れていたんだ。衝撃に弱い状態のスライムだったのかもしれない」
うわ、いきなりシリアスな話になった。
「もともと、ミサ姉は表情が変わらない人だったんだ。何があってもニコニコ受け流す感じで。俺も子供だったから、それがミサ姉だと思っていた。なのに、あの日いきなり表情が割れて、泣き出したんだ。”身も世もない”っていう言葉は、あれの事なんだって実感したよ。俺が何度呼んでも聞こえていなくって、一人だけで俺には手の届かない違う空間に居るようだった」
貴文が何もない中空を、じっと見るように話す。まるでそこに、隔離された空間で泣いている美紗さんが見えているかのように。
「怖かったよ。今まで俺が見ていたミサ姉の顔は仮面だったんだって思えて。しばらくはミサ姉に合うのも、ミサ姉のことを考えるのも怖かった。そしてその間に、ジンさんの声が変わってしまった。それから二年近く、あの声の変わったアルバムが出るまでジンさんと会う事もなかったんだ」
私は向かい合うようにラグに腰を下ろして話を聞いていたけど、堪らなくなってベッドに上がって貴文を背中から抱えるように抱きしめた。
子供のように体を縮めた貴文が、震えているように見えた。
「そして大人になってから気が付いた。いつ、相手の仮面が割れるかと思うと怖くって、人と深く付き合えないんだ。特に言いたいことを隠して、ニコニコしているような女性が怖い。だから、自分に正直な千穂と居ると安心した。コイツなら大丈夫。俺に感情を隠して壊れる事はないって。千穂に『そのままでいて欲しい』ってわがままを言っていたのは、そのせいなんだ」
織音籠の声が変わった裏で、家族はそんな事を抱えていたんだ。これって一種のトラウマになるのかもしれない。
「美紗さんと会ったり、翔くんの相手をするのはもう大丈夫なの?」
「ミサ姉が変わったから。ジンさんや翔の前では、怒ったり笑ったりして表情があるんだ。情けない話だけど、翔さえ居れば大丈夫。それに今日、千穂の頭を撫でてたろ? ああやって人に触れるような人じゃなかったんだって、最近だけどジンさんが言っていたし」
そうか。一度壊れた仮面は、戻らなかったんだ。
そんな事情を抱えた貴文は、あの合コンの日どんな思いで私の言葉を聴いたのだろう。
「貴文、知らなかったとはいえJINさんの声のこと、本当にごめんなさい」
「好き嫌いは、仕方ないし。熱狂的なファン、って言うのも、ミサ姉達の生活もあるから逆に問題だしな。だから誰にも言ってないし、千穂にも言えなかった。こっちこそごめんな」
こっちに向き直った貴文はどこかすっきりした顔をしていた。JINさんの事と、トラウマとすべてひっくるめて貴文のトップシークレットだったのね。
「でも、身内を嫌われたら、嫌じゃなかった?」
「千穂は”嫌い”まで言っていなかったし。あの人たちは音楽だけが全てじゃないから」
もぞもぞ動いて、貴文が逆に抱き返してきた。
「何かあるの?」
「父さんと一緒に、中学生だった俺にバレーを教えてくれた人たちだよ。あの二人は」
うわー。あの二人が跳ぶってすごい、見たい。
「残念ながら大きな怪我をしたらしくって、ジンさんが跳ぶところは俺も見たことないけどな」
私の顔を覗き込むようにしながらクスクス笑う貴文。顔に出ていたのかしら。
でも、少し元気になったようでよかった。
夏が過ぎて、十月の秋晴れの気持ちのいい日に、私たちは式を挙げた。
『チャペル式に憧れる?』
『ううん。それより貴文の羽織袴姿が見たい』
そんな会話を準備段階でしていた私たちは、神前で式を挙げた。
実は欲を言えば”牛若丸”には水干を着て欲しいところだったけど、『あれは、鎌倉時代じゃ子供服だろうが』と言われるとね。ごり押しできないわ。
そんな、相変わらず言いたい放題な私の意見をいつものようにコントロールしながらも、できる範囲で受け入れてくれた貴文。きっと、こうやって夫婦生活をしていくんだろうな。なんて、ね。
そして、披露宴。
仲人は立てなかったので高砂席は二人だけだったけど、いろいろな人が歓談の時間にやってきてくれて寂しくはない。
万葉も翼くんとやってきた。あの合コンメンバーは”お友達”というくくりで同じテーブルになっている。葵と浩一くんはあれからジレジレと一進一退しているらしいし、万葉も年が明けたら結婚する。ゆかりと、洋輔くんは”良いお友達”らしくってお互いの友達を誘って違うグループでも遊んでいるらしい。
「千穂、おめでとう」
「万葉、ありがとうね」
「で、訊きたいんだけど、あの貴文くんの親族席、何?なんかすごい人が居るけど」
「うん。親族」
横で聞いている、貴文はいつものようにくすくす笑っている。
お互いの上司のスピーチとか、友人の余興とか。大きなトラブルもなく、宴は進行していく。
〈それではここで、新郎の叔父様と、お友達よりお祝いの歌です〉
司会のアナウンスが流れる。
来た。余興の締めを飾る歌だ。
親族席から、JINさんとRYOさんが立ち上がって、スタッフに案内されてくる。今日も”まつろわぬ民”の雰囲気をまとっているのに、こんなに正装が似合うなんて。この人たち、反則じゃない?
二人は、この日のために新しく曲を作ってくれたらしい。
契約の関係で、カラオケにはできなかったのでRYOさんにも披露宴に出てもらって、二人で演奏という形になった。
ウェディングケーキの後ろにセッティングしてあった、白いピアノにRYOさんが座る。
JINさんがマイクの前に立つ。
客席が、ざわめく。
〈 タカ、千穂ちゃん。おめでとう 〉
JINさんが挨拶を始めた。
マイク慣れっていうのかしら。上司のスピーチと違って、言葉が聞きやすくって心地良いのよね。
〈 俺たちから見ると、この二人は似たものカップルだと思います 〉
RYOさんが、ピアノの前で噴き出した。ホントこの人はよく笑っている。貴文の方を見ると、苦笑い?
〈 確か中学生だったタカは俺たちを『大魔神』と呼びました。そして去年の千穂ちゃんは『大江山の鬼』と。二人にとっては、どうやら俺たちは人間ではないらしいです 〉
うわー。なんてことを暴露してくれんのよ。会場大爆笑じゃない。って、貴文の言い草も大概よね。
笑い声が落ち着くのを待って、JINさんが言葉を続ける。
〈 大魔神で鬼なオジサン達からの、はなむけの曲です 〉
ピアノのイントロが流れ出す。彼らの体格からは考えられないような柔らかなメロディー。そして、重なるようにJINさんのハスキーだけど、どこか温かい低音で詩が綴られる。
その歌詞に
鳥肌が立った。
普通に聞けば、女から男へ、男から女への相聞歌。
なのに、貴文のトラウマとか、私の食わず嫌いや口の悪さとか。そんな裏事情を絡ませたら、途端に両親やJINさんといった、私たちを取り巻く大人達からの温かいまなざし交じりの応援歌に聞こえるなんて。
言葉ってすごいね。
おばあちゃんの言っていた”ぴったり来る言葉”って、本当はこういう言葉を言うんだね。
貴文のお母さんがハンカチを眼に当てている。
そうだよね。あのお母さんの視線が貴文のトラウマに気づかないわけないんだ。
余韻を残して、歌が終わる。
「この曲は、形を変えて発表するから。このヴァージョンは、お前たちへのプレゼントな」
席に戻る前に高砂席まで来た二人は、そう言って小さなパッケージをくれた。
CD?
「織音籠の、”鬼さん”たちからのお祝いだよ」
RYOさんは、穏やかな笑顔を添えてそう言った。
「じゃ、お幸せに」
貰ったCDには、披露宴で聞かせてもらったのと同じ、伴奏がピアノだけのものと、ギターやドラムも入った織音籠ヴァージョンの二つが入っていた。
そして、それからしばらくして出た織音籠のミニアルバムには元気が出るようなアップテンポと、眠りを誘うスローテンポの二つのヴァージョンになったこの曲が収められていた。歌詞もまるっきり変えて。
本当にあの曲は、私たち限定だったんだ。
近いうちに私も母親になる日が来る。
『初めてだからやらない、したくない』そんな言葉で逃げられなくなる日が来る。
『これが私だから』って、言いたい放題ではすまない日も来るだろう。
新しい自分に。新しい一歩を。
大人たちに見守られていることを忘れずに、見守る側へ回る。
鬼さんたちからの、プレゼントをお守りに。
貴文と支えあいながら。
END
本編は、これで終了です。
このあと番外編として、千穂が見ていなかった裏話をお届けします。