1 はじまり
本音と建前の使い分けって難しい。
二十五歳にもなってそんなことを思っている私、相沢 千穂は今日、人生で二人目の彼氏と別れた。
『お前の言いたい放題なところに疲れた』と言われて。
小さいころから、”要らんこと言い”だった私。物心付く前には軽い吃音があったという。
亡くなったおばあちゃんは『千穂ちゃんは、年に合わない言葉を知っているからね。ぴったり来る言葉を捜すのに時間がかかったのだよ、きっと。』と言ってくれていた。
ママは『選ぶ言葉がぴったり来すぎで、きついのよね。人間関係で、苦労しそうな子だわ』とため息をついていた。
そりゃね、幼稚園入って二日目に口が元で取っ組み合いのけんかをすれば仕方ないかも。
”自分が言われて嫌なことを言わない”
”特に人の外見をストレートに言わない”
ママは私にそんな約束をさせた。外見について言わないのは言葉を捜すことで、何とか守れるようになったので、決定的な人間関係のこじれを学生時代に味わうことはなかったし、仕事もどうにかこなしている。
ただ、”言われて嫌なこと”と、”相手が言って欲しいこと”そして、”正直な私の気持ち”。このあたりの使い分けが私は苦手。
『千穂は、どう思う?』『どうしたい?』って聞かれたら、つい素直に自分の心のままを言ってしまう。それに、何事によらず”初めての経験”っていうのが苦手。
だから遠慮なく『嫌だ、やらない。したくない』って言っちゃう。それが”毒舌キャラ”って言われたり、”言いたい放題”って言われたり。
さらに、ずっーと学年一のチビなので学生のころには一部の男子に、”毒舌妹キャラ”と思われたらしい。
最初の彼氏が、そんな人だった。
大学では”歴史探訪同好会”なるものに入っていた。うちの大学には、お城の研究をライフワークにしている教授が居て、その先生が作ったような同好会。男女を問わず歴史、特に戦国とか武器とかが好きな子が入会していてそれなりに活動していた。
飲み会をしたり、”合宿”と称して泊りがけで史跡を見に行ったりして、仲間が私の物言いに慣れたころ、同好会のメンバーの紹介で智樹と知り合い、付き合って欲しいと言われた。
智樹は十人中六人くらいは好ましいと言いそうな顔立ちではあったけど、私は残りの四人のほうだった。
でも、いわゆる”お年頃”だったこともあり、私にしちゃ珍しく”未知の世界”であるお付き合いをすることにした。
この智樹が”妹キャラ”に振り回されたいヤツだった、というのは、当時の私は知らなかったわけで。
初めての彼氏に嫌われないように、一生懸命猫をかぶってた。『嫌だ、やりたくない』の言葉を封印して、代わりに『楽しかった、ありがとう』って。男女のいろいろも含めて、この時に初めて経験したことはいくつかあった。乗り気でない分、実際は楽しくなかったことのほうが多かった。
一年くらいお付き合いをして、智樹が友達に話しているのを聞いてしまった。
『千穂は期待はずれ。毒舌って聞いていたのに、全然。妹キャラでもないし。アレじゃただのチビ』って。
お望みどおり、ボキャブラリーの限りを尽くして罵ってやったわ。
『こんな千穂が萌える。この方がいい』
とかふざけたことを言われたけど、冗談じゃない。
それで、”さよなら”をした。
だけど、この時。私の中で、”言っていいこと”と”悪いこと”の線引きが揺らいだ。
そのまま、学生時代は彼氏もなく、のんびりと同好会の仲間と過ごした。同好会の仲間たちは『千穂はこんな子だから、しょうがない』と生暖かく受け入れてくれていた。
そして卒業後の就職先は、市立図書館。在学中に司書の資格を取っていたのが、役に立った。本好きな私には、天職。覚えることも多いけど、本に囲まれて暮らすのは子供のころからの憧れの生活だった。
数ヶ月前、同好会の顧問をしていた例の”お城の先生”が還暦を迎えたとかで、同好会の卒業生が集まってお祝いパーティーがあった。卒業以来、会うことのなかったメンバーも来てたので、同期だけで二次会になった。その席で、声をかけてきたのが聡史だった。
それがきっかけで付き合いだしたのだけど。
智樹の時の反省も踏まえて、今回は猫をかぶるのはやめた。同好会の時の付き合いがあるから、わかってくれていると思ってたし。
聡史は勝手に予定を立てて振り回しては、『どうだった? 楽しかった?』と感想を聞いてくる。
なのに、『あまり楽しめなかった』とか、『行きたくなかった』って言っても聞いた感想を次に繋げないから、何度かデートするうちに私の駄目だしが強烈になってきちゃって。
で、結局『言いたい放題で、疲れる』と、別れ話になってしまった。
また、一人になっちゃったけど、このまましばらくは気ままにいようかな。そうして、そのうち田舎のママが見合いでも持ってくるのかな。
そんな感じで職場と家を往復する暮らしに戻った。
それからしばらく、のんびり過ごしていたある日。幼馴染の井上 万葉 が電話をかけてきた。この万葉は入園翌日に例の大喧嘩をした相手だ。一度、徹底的にケンカをしたおかげか、すっかり言いたいことを言い合える親友になった。小学校は別になったけど、中学・高校と同じ学校で、高校では万葉の所属する女子バレー部のマネージャーもやった。
私たちの育った田舎から通える大学はなかったので、二人とも鵜宮市に出てきて進学、就職していた。
[もしもし。千穂? おひさー]
[あら、久しぶりー。元気してる?]
[元気よー。ねぇ、千穂って今、彼氏いる?]
[居なーい。別れたー]
[じゃあさ、再来週の土曜って一日あいてない?]
[また、いきなり。丁度休みだから良いけど、何?]
[あいてるなら、文句言わない。バレーの試合見て合コンってどう?]
[なんなの? その組み合わせ]
万葉のカレシが社会人のバレーサークルに所属しているらしくって、その練習試合? の応援をして合コンもしようという企画だという。
[ふーん。で、何人で?]
[四対四。女子は、あと葵とゆかりを誘ってる]
あとの二人も高校の同級生で、バレー部だった子だ。彼女たちもこっちに出てきていて、時々四人でご飯に行ったりしている。そのメンバーならOKかな。
当日の待ち合わせ場所と時間を打ち合わせて、私は電話を切った。
当日、万葉に連れて行かれたのは勤め先から一駅離れた、スポーツセンター。市民体育館ほど広くはないけど格安で貸してくれるらしい。
両チームとも、交代要員のない六人同士。
合コン、四対四って言ったけどあとの二人はいいのか? と思ったら、彼女らしい人がついて来ていた。それなら気にすることもないか。
和気藹々と試合が始まった。
万葉たち三人はさすがに元プレーヤーだけあって、なんだか私にはわからないレベルで盛り上がっていた。
そんな中、私が気になったのは、セッターの人。少し背が低めなことに親近感がわくのか、目が引かれる。
「千穂、誰を見てんの?」
油断していたら、万葉が絡んできた
「あの、セッターが気になる」
「あぁ、彼上手よね。トスがきれい。身長、私たちくらい?」
葵の疑問に万葉が答える
「そうねぇ。百七十センチはないんじゃない」
この三人。百六十五センチあるのよね。ぎりぎり百五十センチない私からしたら、あんたたちが高すぎ。
「小さくっても、大きな男たちを翻弄してるんだよ。牛若丸みたいで、かっこいいじゃない」
「はいはい、じゃ千穂は彼ね」
門前の小僧でも高校の三年間、万葉たちの試合を見てきたし、もともとバレーを見るのは好きだ。葵が言うようにトスがきれいで、周りの攻撃が生き生きしている感じがする。
このあとの合コンに彼も参加するらしいし。
お近づきになれるといいな。
合コンは、駅前の創作風居酒屋。ちょっと待て、幹事の万葉。
「創作料理系って、私食べられないことあるのに」
「まーったくムリな物だけじゃないでしょ。いつもみたいに食べられるのだけ食べなよ」
「それって、感じ悪くない?」
「気にしない。ってか、猫かぶらない。大学のときの失敗を繰り返すな、よ」
あー、智樹のときに散々愚痴を聞いてもらったからなぁ。聡史のときの反省も一応はあるんだけどな。
店の前で二人でこそこそ話していて、最後に入る。万葉は彼氏の向かいの席に座るでしょ。あいているのは……セッターの牛若丸くんの前。これ、喜んでいいの? 先に入っていた、ゆかりたちを見ると、Vサインを出していた。あぁ、あんたたちはそっち狙いね。OK。
牛若丸くんの名前は 桐生 貴文。医薬品卸の営業をしているらしい。同い年の二十五歳。近くで見ると切れ長の目が印象的な若武者っぽい顔立ち。やっぱり牛若丸だ、私好みかも。
「万葉ちゃんと仲いいんだ?」
店に入る前、万葉とコソコソ話していたのに気づいていたらしい。桐生くんが尋ねてきた。
万葉は今までも何度か彼氏の翼くんにくっついて練習に来ていて、顔なじみみたい。そういえば他の二人の彼女さんたちとも話してたし。
「万葉とは幼稚園以来の付き合いだから、ほとんど腐れ縁みたいなものかな」
「そんなに一緒に居て、ケンカしたりとかはないの?」
「やったよ。特大のを出会いがしらに」
「出会いがしらって?」
「入園式の次の日に『お返事の練習をします』って、出席簿順に名前を呼ばれてね。”あいざわ ちほ”の次が”いのうえ まよ”だったのね」
「うん、うん」
「自分の順番が済んで緊張が緩んでて、名前を聞くなり『わぁ、マヨネーズちゃんだ』って叫んで」
わ、桐生くん。吹いた。横で聞いていたらしい翼くんも肩を震わせている。万葉は……お互いすっかりネタだから涼しい顔でサラダを食べていた。
「で、どうなった?」
「怒った万葉にひっぱたかれて、掴み合いの大喧嘩」
「どっちの親も『うちの子ならやりかねない』『いえいえ、うちの子が悪いんです』って、どうよって感じよね」
万葉がいつものオチをつけた。
おぉ、爆笑だ。ここまで笑ってくれると気持ちいいわ。よし、つかみはOK。
「桐生くんて、普段どんな曲聴くの?」
リサーチ、リサーチ。
「貴文でいいから。そうだな、よく聴くのは織音籠かな」
「あぁー。うーん私はあまり聴かないバンドだ」
「そうなんだ」
「お腹の中を撫でられるみたいな声が苦手」
「あぁ、判る気がする。俺は背骨を撫でられた」
「でしょ。昔の”Hushーaーbye”のアルバムは好きだったのにね。ヴォーカルが代わって売れるようになったみたいだけど、私は前のほうが良かったから聴かなくなっちゃった」
あれ? 貴文くんが顔をゆがめた?
「貴文くん、どうかした?」
「ん? あぁ、口の中噛んだだけ」
よかった。まずい事言った訳じゃなかったみたい。
「”Hush~”って、俺たちが小学生のころに出たベスト版だよな」
「そうそう。中学生のころに深夜枠のアニメのエンディングに織音籠の曲が使われてて興味を持ったから、どうせ聞くなら、って、ベスト版を聞いたのよ」
「アニメって異世界トリップ物? あれ、観てたんだ」
「貴文くんも、観た?」
「観たし、読んだ」
私たちが生まれたころに始まって、今でも数年に一冊続編が出る異世界ファンタジー。貴文くんも読んでるんだ。
そこから始まって、二人で今までに読んだ本の話で盛り上がっていた。貴文くんの読んでいる本のチョイスって、少し女性向けが多い?
「謀略物とか、時代小説だって読むけど。叔母が本持ちで、借りて読むことが多かったからかもな」
「時代小説は私も読むけど、料理がおいしそうなのとか多いよね」
「あるある。伝説の火盗改めの話とか特に」
「あれは、有名よね」
そんな話をしてると、恐れていたことがおきた。
なんだかよく判らないものが出てきた。
店員さんは山芋がどうとか言っていたけど……こんなの見たことない。どうしよう。食べられそうにない。
「ねぇ、ゆかり。これ何?」
「山芋がどうとか言ってたじゃない」
「答えになってない、それ。山芋がどうなっているのか知りたいのに」
丁度話が途切れているらしい隣のゆかりと、コソコソボソボソ。
「千穂ちゃんさ、料理人が隠密同心している話って読んだ?」
貴文くんが、話を戻してきた。
んー、この正体不明はゆかりに押し付ける?
平気な顔して食べてるし、そうしよう。
とりあえず、”山芋の何とか”のお皿は自分の前に置いたままで貴文くんに返事をする。
「えっと、落語に合わせて料理したりする話?」
「そうそう。それに出てきたよ、これ」
ほほー、そうか。あの話もおいしそうだったのよね。
現金といわれようと、それだけで正体がわかった気がして、食べてみる気になった。
「あ、おいしい」
横で、万葉が見ている。
「なによ」
「千穂が、珍しい物を食べてる」
「悪かったわね」
「千穂ちゃん、好き嫌い多いの?」
ゆかりの対面に座っていた、えーと、洋輔くんが話に加わってきた。
「好き嫌いじゃないんだけど、初めて見る物は苦手かも」
「貴文と逆だな」
「はいはい、俺はどうせ”いっちょかみ”です」
貴文くんが膨れる。そんな顔をしていると、なんだか幼く見える。
「いっちょかみ、って何?」
一番奥から、葵も話によってくる。
「”とりあえず、一枚噛んどく”みたいな感じ?」
これは、葵の向かいの浩一くん。
「そ、とりあえず出された食べ物は食べてみる」
「作りがいがあるわよね。そうやって食べてもらうと」
「母さんが、『文句あるなら、食うな』って人で、その上チャレンジャーだから」
なんだか、いつの間にか全員でワイワイ話していた。
貴文くんって話題の回し方もスマート。上手に話を振るから、いつの間にかみんなが引き込まれていた。その上、さりげなく空いたお皿を寄せたり。やるな、営業職。
お腹一杯食べて、飲んで、笑って。
ラストのデザートが出た。
食べ終わって、ふと顔を上げると貴文くんが手を合わせて口の中で『ご馳走様』を言うのが見えた。
「貴文くんって『ご馳走様』言う人なんだ」
ポロっと言うと無意識だったのか、きょとんとした顔をした。あ、なんだか可愛い。
それに『ご馳走様』を言う、その事実にぐっと来た。
店を出て、二次会って話になった。
「千穂は、どうする?」
「私はパス。明日仕事だし、疲れたから帰る」
あっさりパスした私に、男の子たちが軽く引いたのがわかった。
しまった、やっちゃったかも。
「俺も、パス。千穂ちゃん送っていくよ」
そんな中でクスクス笑いながら、貴文くんがパスを言い出した。
「いいよ、気にしないで行ってよ」
「気にしてない、気にしてない。俺も明日早いから」
『じゃあね』とか言いながらカラオケに行く二次会組を見送って、二人で駅に向かった。
「やっぱり、さっきの引いた?」
「さっきって?」
「『疲れたから帰る』発言」
「いやー、正直だなー、ってちょっと感動」
また、クスクス笑われた。
んー、感動するところか? それ。それに笑い上戸か、貴文くん。
「千穂ちゃんってタイプかも」
「酔ってる?」
「酔ってない、酔ってない」
私も、貴文くんって”いいなー”と思う。
人は食べるときに本性が現れると何かで読んだ。貴文くんの食事姿は見ていて気持ちよかったし、なんと言ってもあの『ご馳走様』にやられた感じ。
「じゃぁ、付き合ってみる?」
言葉がポロッと出た。私のほうこそ酔っているのかな?
「いいね」
「本気で?」
「本気」
貴文くんは少し屈んで、私の目をじっと覗き込んだ。
「ただね」
「自分を隠さないで。正直な千穂ちゃんをずっと見せて」
「それだけが条件というか、お願い」
貴文くんはそう言うと、にっこりと笑った。