緑の野菜
かなりの不安を抱き、俺は眠りについた。
いや、実際は全然寝てないのかもしれない。
未知への恐怖、それは俺の感覚を鈍らせるのに十分な脅威だったから。
眠りから覚めたときはどれほど夢オチという「ありきたり」を願ったことか。
結局その願いは叶わずに終わった。
「おっはよーございます!岸さん、よく寝れましたか?」
朝起きる時にこんな声を聞いてしまえば、何も確認することもなく願いは叶わなかったと意識せざるをえない。
「…………………………ハァ」
「なんで挨拶していきなりため息を浴びせさせられなきゃいけないんでしょうか………」
「気にするな。俺も叶わなかった事は気にしてない」
「はい?何か願ってたんですか?」
「ああ。瞬間移動ができますようにってな」
人間界にな。
「へー、岸さんも案外子どもなんですねー」
「僕は法律上子供だし、お前もまだ子供だろうが」
「へ?私は大人ですよ」
素でシープは答えた。
「は?何言ってんだお前は?」
「私たちの世界は十五歳から雌の人たちは一人暮らしを強要されます。まあつまり、一人暮らしが始まった=大人って感じですかね」
「へえー、羨ましいシステムだな。でもなんで一人暮らしをしなきゃいけないんだ?」
羨ましい。だけど何かと危険じゃないのか?
「環境づくりのためらしいらしいですよ」
「環境づくり?何の環境だよ」
「河童の男女比というのが三対七、圧倒的に雌の方が多いんですよね。だからこうやって雄を増やそうという魂胆です」
おい、それって………
「……………………」
「……………………」
沈黙が続く。
チラッとシープを見ると、彼女も上目遣いでこちらを窺っていた。
目と目が合い、シープの顔が真っ赤に染まる。
いかん。この状況を変えなければ。
「……はは、まあなんだ。参考になる話だな」
「そ、そうですね!アハハハー」
俺もシープも無理して笑う。
これでいい。状況は変わった。
「っていいわけないだろうがーーーー!!」
俺は叫んだ。叫ばずにはいられない。
「それじゃあアレじゃん!!俺とシープが、その、アレな関係って思われるじゃん!!」
既成事実なんか作らない!
「そ、そうですね!そうですよね!不健全ですもんね!」
「如何にも!俺たちは清らかな関係を築いていこうな!」
「イエッサーーーー!!」
共に拳を掲げる。アホか、俺は。
「はあ、朝っぱらから疲れたなあ」
俺のセリフに腹がぐうと返事する。
「あ、そういえば朝ご飯がまだでしたね。用意してますよ。ちゃっちゃと食べちゃいましょう」
「ん?ああそういえばまだ食べてないな…ってまさか………」
俺はあることを危惧した。
何を食べるのだろうか?
───まさかそれは
「はい!今日は豪華にしてみました!!」
───シープが机に皿に盛られたものを差し出す。
───それは、
きゅうり。
暴力なほど皿に盛られた野菜。それは美しくもあり悲しさをも感じる姿だった。
「やはり………」
俺は絶望した。これからの食生活が破綻したのだから。
「ぷっ」
急にシープが吹き出し、大きな笑い声をあげる。
「ひっかかったですねーー。冗談ですよー。いっつもきゅうりを食べてるわけないじゃないですかー」
もしかして……騙された?
「………オマエ………ダマシタナ?」
自分でも信じられない怨念のこもった低い声をあげてしまった。
食べ物の恨みは恐ろしい。ここまで威力があったなんて。
「ひっ?!」
怯えるシープ。
「た、確かにあそこまで絶望した顔を見ると、やりすぎたかーって思いましたけどこれは河童ジョークというものなので安心してください」
「一週間後俺は顔が緑色になると覚悟してたんだぞ……」
「まあまあ、気を取り直してください。ちゃんと作ってますから」
差し出されたのは魚のおさしみ、りんごなどの果物、そしてサラダ。
「ささ、食べてください」
向かい合って座っているシープが手を差し伸べる。
「じゃあ…いただきます」
む、これは……
「うんめえ!!!」
新鮮過ぎる!俺これほど水気の多い野菜食ったことないぞ!
「お口にあってよかったですー」
その後。食事が終わった俺は片付けている後姿のシープに問いかけた。
「なあ、なんでお前の頭って茶色いんだ?」
「河童だからですよ?」
「答えになってないぞ……。大体河童だったら頭は緑色って約束だろ?」
「じゃあ岸さん」
シープは振り返って俺を見る。
「人間さんは生まれたときから頭が緑色なんですか?」
「む、確かに違うが俺は河童ってものがもうちょっと恐ろしいものかと………」
「確かに相撲とかきゅうりは好きですけど別に人間さんをいじめているわけではないので安心してください」
そう言ってシープは片付けを再開した。と思ったらまた振り返り、
「そうだ!折角人間さんの岸さんがいることですし、どうです?片付けが終わったら一緒にお相撲しませんか?」
「相撲?確かに河童は相撲が好きって聞いたことがあるな。いいぜ。やってやるよ。俺、結構鍛えるから強いぜ?」
文化系の部活に所属している今でも筋トレは続けている。
「ふっふっふ。そう言っていられるのも今のうちですよ……」
そう言うとシープは楽しそうに片付けを再開した。