音
夢──。
眠りの中で見るものと、希望の内に見るものが、同じ名前で呼ばれている。
それが気に食わない。
──おれは夢を見たけど、夢にも見たんだ。
どこにそんな日本語がある。それしか言えなかったおれは、本当のまぬけ。
実家の祖母の部屋で目を覚ました。いまの家ではなく、建て替える前の平屋である。祖父の形見ともいえるこの家は、五十七年目を迎えることはなかった。東西に長いその家の西半分を占める四つの和室は、南西側の奥から時計回りに、八畳、六畳、四畳半、六畳と、不公平な田の字に仕切られていて、その四つ目の六畳間で、かつて祖母は寝起きしていた。
自分は南枕にした布団のうえで薄目を開けている。状況を理解しようと努めている。左腕方向の八畳の座敷には、祖母が寝かされている気配がある。寝ているのではなく、安置されているのかもしれないと思う。無味無臭の、しかし黒くたなびく煤のようなものが、間仕切りの襖や欄間から漏れているような気がする。この煤は、この世とあの世の境から来た。甕棺の内側にへばりついていた禍々しいやつだ。
たしか祖母さめのは八十八歳で、いつ死んでもおかしくない年だ、でも世の中には九十三くらいまで平気で生きて、ちゃんと食ったものを消化して一日を過ごしている年寄りもいるのだから、あと五年くらいは大丈夫なんじゃないかと考えている。座敷の中の状況は気になるのだが、怖くて襖を開けられない。生きている人間と死んでいる人間の中間のものが横たわっているように思える。
目を覚ました理由がわかってきた。何か聞こえる。この音。金属音だ。目覚める前から続いていたのか。
家全体の北東に位置する台所からさらに東に降りたところの、家族で「ヒガシ」と呼んでいたトタン屋根を持つ物置から聞こえてくるようだ。直感があった。父だ。父が何かしている。
幅一間半、長さ三間半、十畳分ほどの細長いこのコンクリート地の物置には、いくらか板を敷いて、いろいろなものが並べられていた。それらは昭和六十二年に家を解体するさいに、本体もろとも汚いものを吹き上げながら破壊されていった。残す値打ちは微塵もなかった。父は、二十七年間に及ぶ母子家庭での思い出を憎んですらいたのだ。曇天のもと、うなりをあげて屋根に突っ込むユンボのアームを、父は腕組みしながら無表情で眺めていた。祖母が痴呆を見せはじめたのは、家を取り壊してからすぐのことだった。
不規則な楕円形の古いタイルを張り詰めた洗面設備があった。水道がないころには、水はお勝手の中にあった井戸からじかに汲み上げていた。地下水脈からの供給力は高かったが、そのぶん水道の整備は近所ではいちばん遅かった。
洗面所の少し離れた右手には、小学校の理科室にある薬品棚よりも重くて黒く煤けた戸棚。開けるたびに、埃に混じって雑食性の動物の糞のにおいが舞った。嫁いで三年半で夫を失った祖母のにおいだと同じだった。
北の端に目をやると、議長席のように「ヒガシ」全体を南に見通す向きに据えられたさらに古い箪笥。上半分の引き違い戸の奥には、入れ子のように別の戸棚が設えてあった。下半分の、全部鉄銹でできているのかと思われる蛾眉をかたどった抽斗の取っ手を引くと、揃って役に立たないものばかりが顔を出した。変色した紙にいじましく包まれた銘銘皿。むしろ割れているほうが似合っている。奥に古すぎていまや薬にも毒にもなりようがない薬嚢の粉。老廃した粉。
下段には何に使うつもりなのか想像もつかない金物や木製の小物がひしめいていた。子どもがボロボロの下駄や櫛を見つけておどけているのではない。本当に何のためにあるのかわからない代物なのだ。なぜに捨てないのか。もっとも、もうこの抽斗をわざわざ開けようとする人間がいないのだろう。
最下段の抽斗は、木製品に与えられた使命をとうに放棄したらしく、引くも押すもままならず、もはや背後の土壁と同化しつつある有様だった。中身についてはついぞ覚えがない。
二十八歳までの記憶である。そして父にとっても、これらは嫁を取る二十八までは意味のあるものだったのだろう。
金属と硬いものをこすり合わせるような音が続いている。夜中の二時か、それとも三時くらいか。台所の向こう側からわずかに漏れる光と音の加減が、早い朝ではなく遅い夜だと思わせる。早暁の寝ぼけ眼でではなく、疲れて熱を帯びた両眼で見る光景だという感覚がある。まさに尋常ではない。父はこんな時間に何をしているのか。
布団から這い出した自分は、寝ている六畳間と洋間とを仕切るガラス戸を音を立てずに開けると、頭を差し入れて耳を澄ませた。東側に接するこの洋間は、大阪万博のころに玄関から続く三和土を潰して応接間としてこしらえたものだ。この改造により、玄関を開けた訪問客は靴を脱ぐ暇もなく、三灯のシャンデリアがぶら下がり両脇からソファーが迫る狭い応接間を見通すことができるという不思議な間取りとなったのである。
自分はさっきから音の正体を確かめようと神経を集中させている。洋間と居間・台所を間仕切るドアは夜中でも開いているので、「ヒガシ」からの音は、より大きく具体的になった。
はじめのうちはあたりを憚るほどのものだったはずだが、しだいに大きくなり、いまや回転工具に負荷をかけているような不規則なリズムを伴っている。高速で回転する直径三十センチの回転ノコに、そうはさせまいと石か金属片を押し当てて抵抗しているような、チューンチュンチュンチュチュチュチューン……という気味の悪い響きである。
ふと気づいた。父は音が聞かれていることを知っている。それどころか意識している。事情を問われれば誤魔化すことはできないし、しないだろう。そうまでして、この夜中に父は何を為さなければならなかったのか。父の正気は疑っていない。ならばこそ、この行動が腑に落ちないのだ。狂気は多弁だ。あらゆる不条理をまくし立てる。説明がつく。だが、正気は、几帳面がとりえの初老の男の健気さは、いったい何を語るのだ。
俄然興味が湧いてきた。それを覗きたくて暴きたくて、これはもう起き出すに若くはないとばかりに支度を始めた。好奇心が恐ろしいほどの高まりを見せている。この音は異常だ。甲高い金属音。見ずにはいられない。
これほど日常を逸脱した、これほど珍妙な出来事にも、説明のつく解が現実に存在するのかと感心している。この音は。辻褄は合うのか。もちろん合う。腹に仕舞える答がちゃんと用意されている。何が起こっていても納得しなければならない。それが現実というものだ。現実なのだ。作りごとではない。それをこれから確かめると思うと胸が弾む。ドラマの筋書きのような、腰を抜かすような展開が待っているかもしれない。いまから明かされるのだ。
不意に父の顔が浮かんだ。無表情だ。息子が事業を始めることを母から聞いたのだ。ならば二千年のころのはず。時間が十五年も前後している。
──それで。やっていけるんか。
やっていけるかどうかじゃない。おれはサラリーマンや工員とは感覚が違うのだ。おれの両手がこなした労働ではなく、おれ自身を買ってくれる人間が現れるはずだ。おれは自分をそんな風になるように磨いてきた──。
そのような口ごたえをした。根拠は別段なかった。暖めていたのは、きちんとした仕事をしていれば信頼されてそれなりに仕事は入ってくる、という陳腐な感覚に過ぎなかった。自分を売り込む? 親父のいた世界が使わない言葉を披露したかったまでだ。芸人じゃあるまいし、おれ自身を評価する人間なんて、むしろ胡散臭いと思っていたくらいだ。
ただ自分は、親父がもっとも苦手だったであろう営業職、とくに固定給や製品や上司とは無縁の、企業保険の営業現場を踏んでいたことから、親父の知らない羅針盤を抱えているという気持ちにはなっていた。
西暦二千年。還暦をとうに過ぎ、パートと通算して三十年あまり勤務していた食品会社を退職していた母は、祝いだといって紅白の封筒を寄越した。十万入っていた。そればかりか、住宅ローンの残高を精算してくれた。金額は言えない。
──ともかく責任はあるからね。
この言葉を添えて、母は精一杯のことをしてくれた。わかってる、と答えた。そして自分は──。
船出の第一日目から海の冷たさに怯み、ことさら天候の不運を嘆き、はては沖合いを遊弋する船舶をも妬むまでに成り下がった。誰かが言った。悪い行いもまた習慣に属すると。誰かが言った。不運は、それを嘆きたい者に降りかかると。
……自分でわかっている。
そしてまた逃げようとしている。音だ音だ。この音が問題なんだと。
自分は起き上がろうとした。改めて身なりを見渡すと、白いTシャツにパンツ一枚の姿だった。それで脇につくねてあった服に着替えようとするのだが、どういうわけかTシャツがうまく脱げない。脱ごうとしてもぶざまに伸びるだけで、左腕がどうやってもシャツに引っかかって外れない。焦った。気持ちが高ぶっている。苛々しながらも、ああ、おれは半袖に肘を入れて抜こうとしていたからいけないんだと気づき、しかしもう、ここまで来たんだから後戻りはできない、後戻りはできない、何を抗うか、おのれ妖魔め、こうしてくれるわ、こうしてくれるわ。とばかりに右手も加勢してTシャツを無茶苦茶に引っ張った。見えざる敵を意識した。二の腕と背筋を駆使した動作には高揚感が伴った。
そうして醜く伸びきったTシャツが上半身から外れると同時に音は止んだ。
あの音は消えた。ことが終わったという雰囲気が漂っている。全身麻酔から目覚めた手術台の自分。右下がりに細っていくざわめきの音と、雑用だけしかしていない自分のまわりの人類。シューッという、噴出する蒸気のような音。
そこで目覚めた。
夢の中より暗い。なおも音は続いている。名状しがたい恐怖感がある。聞こえるのは、となりの布団で息子と寝ている家内の口唇音だと気づく。口呼吸をしているせいか、前歯で口笛を吹いているような音が数秒ごとに繰り返されている。
自分は冷静になって考えた。
音の正体はわかった。これが夢の材料となったのだ。わが耳が狼少年になる日も近い。がしかし自問は尽きない。では夢の中の父は、何をしていたのか。いや、おれに何を言おうとしていたのか、と問い直してみる。もっともあれは自分の中の父とは限らない。あの姿は、夢が勝手にサイコロを振って作り上げた因果律の世界に属し、畢竟父の姿をした他人なのかもしれないのだ。
あの音の意味は何だったのか。もう一度夢に立ち位置を戻して考えている。家人を起こして詰め寄られても憚らないような理由を父は何か持っていたのか。何を自分に見せたかったのだ。何か知らせる必要があるのか。体の不具合ではなかろう。父はいたって健康だ。じゃあなぜだ。おれを起したかっただけなのか。おれが眠ったままだということを、諭したかっただけなのか。そうなのか。
笑わせるではないか。哀れなり、おれの捏ち上げた父が、覚醒したおれに詰め寄られている。ふはは。回転工具は父の専属マシンだ。ほかに誰も使えない。こんなもので音を立てやがって。おれが眠ったままだと言いたかった? ふふん。そういうこと。ほっ。ほーっほっほっほ。安っぽい。安っぽいんだよ。おれの中の父よ。もしくは──他人よ。世間よ。世の中よ。父よ。……母よ。
もう夢など語らん。所詮この世は、眠りも希望もたいして違いはない。同じ言葉が使われる。おれは父母の二系統からともに長寿の遺伝子を受け継いでいる。さめのばあちゃんは、死んだ後でも心音を打ち続けていた。ステゴサウルスなみだ。焼け上がった棺には骨が残っていなかった。蓋を蹴り倒して釜から抜け出したに違いない。日の落ちた正月二日の山野を経帷子の裾を翻して疾駆するさめの婆あ。成仏だあ? とろいことを申すな。次は何に化けようか? ざまあみろ脚本家。ざまあみろ世間。これはおれたちの「卓袱台のシーン」なのだ。おれの人生、ようよう半ばに過ぎず。何をやってでも残り半分を生き抜いてやる。醜く醜く生き続けてやる。
午前四時に床から出た自分は、ルーズリーフとボールペンを持ってまた寝室に戻ってきた。夢の内容を書きつけておこうと思ったのだ。理由などない。適当な脚本家が適当に考えやがれ。本当は仕事部屋で書きかけたのだが、寒いので布団にもぐりながら、手元の明かりを頼りに書き上げた。二枚半ぐらいの分量だろうか。それでも半時間以上を費やした。
書き終わって、何気なく家内のほうに目をやると、薄明かりの中で半分目を開けているようだった。
──起こしちゃったか。
そう声をかけると家内はゆっくりと頭を回してこちらを見た。
──ううん、ずっと前から目が覚めていたみたい。夢で起されてから。
──夢を見ていたのか。
うん……と言ったきり家内は黙りこんだ。
──ねえ、どんな夢だったの?
家内がなかなか答えないので、時間をおいて同じことを聞いた。家内は、言ってもしょうがないけど、とつぶやいたあと、すぐに続けた。
──あんたが死ぬ夢だった。
家内の口元からあの音がこぼれていた。
(了)