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光差す庭

作者: 百瀬華音

「ねぇ、これ、何て読むの?」

 表札の上を、小さな指が滑る。

「サキムラだよ。おじいちゃんの名前」

「違うよ、おばあちゃんの名前だもん」

「違わない。女の人は結婚すると名前変わっちゃうんだよ。だから、おじいちゃんの名前なの」

 違う、違わない、と言い争いが始まった。

「ほら、どっちがチャイム鳴らすの?」

 争いがピタと止まる。少し間をおいて、元気な声が返ってきた。

「僕が!」

「美羽が!」

 示し合わせたように声がそろっていたものだから、思わず笑ってしまった。笑う私をよそに、再び言い争いを始める。どっちが先に言っただの、どっちが真似しただの。

「お母さんが押しちゃうよ」

 いたずらっぽく言ってみた。二人は、これまた声をそろえて、叫ぶのだ。

 結局、美羽がインターホンを押すことになった。拓哉は少し不服そうな顔をし、大きく開いた五本の指を見つめていた。


 今日は母の誕生日のお祝いにやってきたのだ。こういうことがなければ、こんな田舎になんて、ほとんど帰省することはない。そうだからこそ、母は子供たちと会うのを楽しみにしている。拓哉と美羽を迎えたときの顔といったら本当に幸せそうで、チクリと胸が痛んだ。

「そういえば、夏海は来てないの」

「お姉ちゃんは友達と遊びに行くんだって来なかったの。今度また、そうね、夏休みくらいに連れてくるから」

 子供というのは分からない。つい最近まで、家族で出かける時には絶対と言ってもいいほどついてきていたのに、いつの間にか友達が優先になってしまうのだから。私はどうだったか、と言われれば、祖母の家にはよく遊びに行っていたと思う。まぁ、自宅よりも祖母の家の方が都会的だったからというのが大きな理由だけれど。

「そうだ、母さん。これ、どうぞ。イチゴだよ」

 白い紙袋ごと手渡す。ちょっとした服のブランドの名前が金色で書いてあるが、中身は全く違う。よく言えば最近流行りのリサイクルなのだ。

「ありがとうね」

 母は特に中身を確認することもなく、階段のニ段目においた。

「あぁ、りんごでも食べるかね? ちょうどいいのがあるから」

「りんご?」

 美羽が食いついた。拓哉も目を輝かせる。

「そうだよ。蜜の入った美味しいのがあるんだよ。食べる?」

 表情がパッと明るくなる。

「食べる食べる!」

「そうかい。じゃあ、手を洗っておいで」

 拓哉と美羽は、我先にと洗面所へ走りこんだ。

 私も、三人分の靴をそろえてから、白い紙袋を携えてリビングへと向かった。


「はい、どうぞ」

 机に置くのが早いか、拓哉の手が伸びた。美羽も慌ててそれに習う。

 確かに蜜入りのりんごだ。心地よい甘さが体中に染み渡る。子供たちもそれが気に入ったようで、もうニ切れ目に手をつけている。

「母さん、何か、変わったことない?」

「特にないよ。……何かあったの?」

 われながら変なことを聞いてしまった。りんごを少し齧る。カケラをころころと口の中で転がしていたものだから、ベタッとした嫌な甘さが残った。

「別に。ほら、最近いろいろあったでしょう? オレオレ詐欺とか」

「仕送りなら頼まれたけどね。ヒサから」

「まだ定職ついていないの?」

「バイトしているだけでもマシだろうね。ちょっと前までは働きもせず、家でゴロゴロしてたんだよ。あれ、ニートとか言うらしいんだけど」

 ヒサというのは、一つ上の兄、久司のことだ。昔からなんとかなるさ、という楽天的な思考で動いている。なんとも羨ましい限りの性格の持ち主で、今はなんとかなるさとフリーター。妹としては、心配を通り越してあきれてしまう。

「おばあちゃん、これ、お母さんとおじちゃんの写真だよね」

 美羽が持ってきたのは古い写真だった。幼い私と兄が両手を広げてくねくねとダンスをしているような、妙なポーズをとっている。二人とも満面の笑みを浮かべていた。どうだろうか、二十年は昔のものだ。

「おじちゃんとお兄ちゃん、似てるね」

 拓哉のほうがぽっちゃりしているが、頬の肉をそぎ落とせばこんな具合だろう。口を大きく横に広げて、白い歯を見せる笑顔なんか、そっくりだ。

 拓哉が最後の一切れを口に入れると、母は早くも皿を片付け始めた。ふと立ち止まると、紙袋に目をつけた。

「あぁ、そうだ。タクちゃん、ミィちゃん、イチゴも食べる? さっきね、お母さんからもらったの」

「うん! 食べる!」

「母さん……」

 私が苦笑いすると、どうせ一人じゃ食いきれないとかなんだとか、訳の分からないことを言いながら、イチゴの入った紙袋を下げ、台所へ入っていってしまった。

「じゃあ、イチゴ食べる準備しよっか」

「何するの、お母さん」

「美羽は丸い器を用意して、拓哉はミルクとお砂糖。ホラ、よーいどん」

 パンと手を打ち鳴らすとパッと準備に取り掛かる。競争となればがんばるのだ。

 二人が足の引っ張り合いをしながら準備をしている間、母娘そろって台所に立ち、イチゴのヘタ取りにいそしむ。途中、食器棚の皿が数枚落下するという事件もあったが、幸い、人にも皿にも怪我は無かった。

 イチゴのヘタが取れたら器に分けて、スプーンの丸い方で押しつぶす。イチゴの汁が多少飛ぶが、気にはしない。イチゴを全部つぶしたら、砂糖を適当にかけて、さらに牛乳をかける。あとは砂糖が溶けるよう、軽くかき混ぜ出来上がり。祖母直伝イチゴ牛乳果肉入り、の出来上がりだ。

「そういえば、今日はお泊りだっけ?」

「うん、そのつもり。着替えもばっちり持ってきた」

 口は動かしても手は休めない。白い液に沈んだイチゴを探りつつ、会話を進める。

「今夜はにぎやかになるねぇ。何か美味しいもの作ってあげなくちゃ」

「え? 他にもおやつあるの?」

 早くも平らげた拓哉が尋ねる。白いヒゲを生やしていた。

「コラ、それ以上食べるの? 夜ごはんの話をしてるの」

「美味しいのって、何? カレー? ハンバーグ?」

 美羽もすでに完食していた。器から直接牛乳を飲んだらしく、唇の周りが白い。

「あぁ、美羽まで。二人ともヒゲが生えてるよ。早く取ってきなさい」


 夕食の手伝いをしようと、台所へ入ったものの、下手にいじられたくないからと追い出されてしまった。仕方が無く、ボ〜ッと子供たちのやりとりを眺めている。親孝行は、嫁入りする前にしておくべきだったかなとふと思った。

 実家には庭がある。花壇もあるにはあるが、花が植えてあるとかいった洒落たものではなく、雑草が好き放題生えているミニジャングルだ。ネギやニラといった家庭菜園らしき跡もあるところが、いかにも母らしい。

「拓哉、美羽。こっちにおいで」

 子供たちは興味深々と言った様子で駆け寄ってきた。

「なになに?」

「ほら、これ見てごらん」

 そう言って目の前の植物の小さな葉に触れる。すると、ゆっくり葉が閉じて垂れた。オジギソウだ。

「触っていいの?」

「いいよ。しばらくするとまた開いてくるから、何度でもね」

 言うが早いか、早速つつきはじめた。葉が閉じるたびに、わぁと歓声をあげ、次々に葉を触っていく。

 こういった植物と触れ合う機会はどうしても少ない。道端で生えている草にも限度がある。近くに天然の遊び場があった私とは違い、コンクリートジャングルで育った子供達には珍しいものだろう。桜の蜜を吸い、オジギソウで時間を忘れ、シロツメ草で冠を作る。そんな体験も何も。その代わりに、砂糖たっぷりの炭酸ジュースを飲み、ショッピングモールの玩具売り場で時間を潰している。充実しているような不憫な子供時代を過ごさせてしまっているのではないだろうか。

「タクちゃん、ミィちゃん、ご飯だよ」

 母が庭へと出てきた。子供達が彼らの祖母のもとへと駆け寄る。献立を聞くと、どたばたと先を争い、家の中へと転がり込んだ。

「母さん、私のご飯は?」

「那美ちゃんも早く食べましょうねー」

 小さな子をあやすように、そう言った。

「ふふっ。今日は何を作ったの? カレー?」

「ぴんぽん、大当たり」


 翌朝、いつもより遅くに目が覚めた。毎週楽しみにしている朝の番組が終わっていた。

「よく寝てたね。二人ともご飯食べたから。外で遊んでいるよ」

 子供はたくましい。


 玄関の扉を開けると、タイミングを合わせるように黒い物体が目の前を斜めに横切った。

「お母さん!」

 黒い物体の次は子供達だ。

「見て見て、鳥さんの巣」

 美羽がツバメの巣を指す。ちょうど親鳥が巣に帰って来た。か細い小さな鳴き声が二重三重にもれた。

「寝坊だ、寝坊!」

 同じ指すでも、私を指差したのは拓哉だ。

「こら、拓哉。指ささないの。で、何してたの」

「こっち来て」

 拓哉と美羽に両手を引かれ、着いた先ではたんぽぽがゆれていた。 


 たんぽぽは、私の大好きな花だ。小学生の時に初めて作った詩の題材もそれだ。

 我が家のたんぽぽは、私が幼いときからあった。この庭の、父手作りの砂場のそばで、ギザギザの葉が広がっていたのを覚えている。

 黄色い花びらが真っ白な綿毛に変わったころ、ひとつ、またひとつと風に乗って旅立っていく。時には私が手折って、息を吹きかけ飛ばしたりもしていた。

 翌年、たんぽぽが無かった場所にたんぽぽが生えていると、とても嬉しかったものだ。庭でなくとも、たんぽぽを見つけては兄と協力して家まで持ち帰っていた。

 季節が巡るたび飽きることなく綿毛を飛ばす。たんぽぽの花畑を想像して楽しみに、今度はあっちにたんぽぽを増やそう、などと気長な遊びをしていたのは、いつまでだっただろうか。

 私たちが増やしたたんぽぽは、今もなお、力強く地に根を下ろしていた。一面のたんぽぽ畑とはいかないが、子供たちが飽きるくらいの量はある。

「お母さん、一緒に飛ばそう」

「そうだね」

 せーの、という掛け声のあとに、夢の詰まった春の贈り物が大空へと舞った。ふわりゆらりと風に吹かれて、どこか頼りなく。それでも、新たな大地に胸を躍らせて。

 そうだ来年もここに来よう。この季節、この場所で、この光景を見に。たんぽぽ畑を作りに。

 その時確かに、幼い日の私は子供達と並んで空一面を埋め尽くした白い天使たちを、眺めていたのだ。

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