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桜の山へむかう人
桜が散る夜だった。
花びらが風に舞って、
街の光に溶けていく。
深山さんは静かだった。
いつもより言葉が少なかった。
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「山に行きませんか」
突然、そう言った。
理由は聞かなかった。
もう、分かっていた。
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夜の貴船は、人がいない。
川の音だけが聞こえる。
春の終わりの水の音。
深山さんは、振り返らずに歩いていた。
迷いがなかった。
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「私、分かるんです」
小さな声だった。
「ずっと待ってくれてる人がいるんです」
足が止まった。
それでも、引き止めなかった。
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桜が散っていた。
風が吹くたび、
花びらが闇に消えていく。
深山さんが立ち止まった。
振り返った。
少し泣きそうな顔で笑った。
「ありがとう」
それだけだった。
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その時、声がした。
僕の知らない声だった。
静かで、低い声。
「かえで」
初めて聞く名前だった。
深山さんが、微笑んだ。
その顔を見て分かった。
ああ、これが本当の名前なのだと。




