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『婚約破棄された瞬間、全員の本音が吹き出した件』(連載版)  作者: くろめがね


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第一話 婚約を破棄された瞬間、世界が少しだけ静かになった

この物語は、

声を荒げなかった人の話です。


言い返さなかった。

泣き叫ばなかった。

正しさを振りかざさなかった。


それでも、

確かに心は揺れていて、

確かに世界は少しだけ変わっていました。


静かな場面から始まりますが、

人の感情は、思った以上に騒がしい。


よろしければ、

ゆっくり読んでいただけたら嬉しいです。


婚約破棄というものは、もっと騒がしいものだと思っていた。


泣き声が上がり、誰かが止め、誰かが怒鳴り、誰かが正義を振りかざす。

舞台装置として用意された大広間ならなおさら、感情は大きく鳴るはずだ。


けれど実際は――静かだった。


王子が言った。

「君との婚約を、ここで破棄する」


それだけで、空気が一度だけ揺れて、すぐに落ち着いた。

水面に投げた石が、波紋を一つ作って消えるように。

周囲は「次の台詞」を待っている顔をしていた。拍手か、同情か、ざわめきか。どれも、準備されている顔。


私は、黙って立っていた。


怒りがないわけではない。

悔しさがないわけでもない。

ただ――この場でそれを出すことが、すでに相手の思うつぼだと分かってしまった。


そして、分かってしまった理由は、ひとつ。


王子の頭の上に、ふわりと文字が浮かんだからだ。


(これで拍手が来るはず)

(父上も納得するよな)

(怖い女、やっと消える)


……あ、なるほど。

私はその瞬間、怒りより先に、理解してしまった。


ここは、劇場だ。

私は役者ではなく、台本を読めてしまった観客だ。


王子の声は続く。

「君は可愛げがない。常に正論を振りかざし、私を支えようとしなかった」


その上にも、文字が増える。


(正論言われるの無理)

(間違ってないって言ってほしかっただけ)

(俺のこと、肯定してほしかった)


私は、笑いそうになった。

笑えないのに。笑ったら負けなのに。


取り巻きたちにも、同じように文字が浮かび始める。


(拍手のタイミング、いつ?)

(空気読め、空気読め)

(早く終われ)

(今日の茶会、間に合う?)


新しく王子の隣に立つ令嬢の頭の上には、もっと露骨なものが出ていた。


(私、今ここで何してるんだろ)

(勝ったってこと?)

(でも怖い…)


可哀想だと思った。

同時に、少しだけ安心した。

「彼女は私を憎んでいる」という物語が、最初から成立していない。


――ここにいる誰も、私のことを本気で見ていない。

王子ですら、私の人格ではなく、私が“彼に与えた不快”しか見ていない。


私はその場で一礼した。

儀礼の形だけを残して、心の動きを全部隠した。


「……承知いたしました」


自分の声が、驚くほど落ち着いて聞こえた。

練習したことなどないのに、自然とそうなった。


王子の頭上。


(え、泣かないの?)

(怒らないの?)

(なんで…?)


焦りが文字になって揺れる。

私はそれを見て、逆に落ち着いた。


――これでいい。

私は、この場で勝ち負けを決めなくていい。


大広間を出るとき、背中に視線が刺さった。

振り返るべきか迷って、やめた。


振り返ったところで、また台本を見せられるだけだ。

台本を読める自分が、少しだけ嫌だった。


廊下に出ると、空気が変わった。

音が戻ってきた。足音、衣擦れ、遠くの笑い声。

世界は何事もなかったように続いている。


――私だけが、世界の裏側を見てしまった。


自室に戻るまでの短い距離が、やけに長い。

途中ですれ違う侍女たちが、普段より丁寧に頭を下げる。

その頭の上にも、文字が浮かぶ。


(可哀想…)

(でも関わると面倒そう)

(今は距離を…)


……そう。

この城の優しさは、いつだって「安全な距離」からしか飛んでこない。


部屋の扉が閉まった瞬間、私はようやく息を吐いた。

心臓が、遅れて痛みを主張し始める。

胸の奥が、軽く焼けるように熱い。


「……大丈夫」


誰もいないのに言った。

大丈夫かどうかは分からない。

でも言わなければ崩れそうだった。


机の上に置かれた紅茶は、冷めかけていた。

私はそれを飲む。渋みが舌に残る。

渋みの中に、微かな甘さがある。

私は、その微かな甘さにだけ集中しようとした。


――この先、どうなる?


噂が走る。

同情が走る。

“可哀想な婚約破棄された令嬢”という物語が走る。

そしてその物語は、誰かの都合のいいように書き換えられる。


私は、分かっている。

この世界は、正しい人が勝つのではなく、

「正しい顔が上手い人」が勝つ。


私は正しい顔が、あまり上手くない。

そのせいで「可愛げがない」と言われる。

可愛げとは、たぶん、“都合よく笑える能力”のことだ。


扉の外で控えめなノックがした。


「……失礼いたします」


侍女が一人、そっと入ってくる。

いつもなら明るく手際がよい子だ。

だが今日は、目が泳いでいる。


頭の上に、文字が浮かぶ。


(声をかけたい)

(でも、何を言えばいいの…)

(変に慰めたら怒られそう)


私は、その文字を見て、少しだけ苦しくなった。


「用事は?」


冷たい言い方になったかもしれない。

侍女は慌てて首を振った。


「いえ、その…お茶を…」


(お茶を出せば安全)

(言葉は危険)

(距離を間違えないように)


私は目を閉じかけて、やめた。

この能力は、私から勝手に世界を剥がしてくる。

それを見ないでいることは、今の私には難しい。


「ありがとう。そこに置いて」


侍女は紅茶を置き、すぐに下がろうとする。

そのとき、彼女の本音が一瞬だけ濃くなる。


(この方、本当は泣きたいんだろうな)


胸が、きゅっと縮んだ。

私は思わず口を開く。


「……あなた」


侍女がびくりとする。

「は、はい」


私は、言葉を探して、探して、見つけられなかった。

慰められる側の言葉も、慰める側の言葉も、私はいつも下手だ。


だから、代わりに、簡単なことだけ言った。


「……ありがとう」


侍女の頭の上。


(救われた…)

(よかった)

(でも怖い、また何か起きそう)


侍女は深く頭を下げて退出した。


扉が閉まる。

静けさが戻る。


私は一人で椅子に腰を下ろし、両手を膝の上に置いた。

指先が冷えている。

自分の体が、思ったよりも「普通に」反応していることが、少し可笑しい。


――泣かないの?

と王子の本音は言っていた。


泣くかどうかは、私が決める。

泣くことすら、相手の期待に合わせてはいけない。


けれど、泣かないと決めたところで、痛みは消えない。


私は紅茶をもう一口飲む。

喉を通る熱だけが、確かに私の味方だ。


ふと、さっきの大広間の光景がよぎった。

拍手を待つ顔。

空気を読む顔。

勝ったふりをする顔。

怖がる顔。


その全部の上に浮かぶ本音。


――この能力が、ずっと続くのなら。


私は、きっと、人を信じられなくなる。

優しい言葉も、謝罪も、称賛も、ぜんぶ裏側が見えてしまう。


でも。


私はふと気づく。

侍女の「救われた」という本音は、嘘ではなかった。

本音は汚いものばかりじゃない。

ただ、汚いものの方が目立つだけだ。


私は、ゆっくり息を吐く。


この先、私がすることは、たぶん――戦うことではない。

叫ぶことでもない。


「何もしない」という選択を、何度も選び直すこと。

距離を取ること。

そして、信じる必要のあるものだけを、少しずつ選ぶこと。


まだ、やり方は分からない。

でも、分かってしまった以上、戻れない。


私は机の端に置かれた小さな手鏡を見た。

そこに映る自分の顔は、意外と落ち着いている。


可愛げがない、と言われた顔。

正論ばかり、と言われた顔。

怖い女、と言われた顔。


――私は、本当に怖い女だったのだろうか。


答えは、まだ出ない。


ただ一つだけ、確かなことがある。


婚約を破棄された瞬間、

世界は少しだけ静かになった。


そしてその静けさは、

私を守る壁にも、

私を孤立させる檻にもなりうる。


どちらにするかは――

私のこれからの選び方次第だ。


(……まずは、明日を迎えよう)


そう思った矢先、扉の外が騒がしくなった。

遠くで誰かが笑い、誰かが早足で廊下を走る。


噂は、もう動き始めている。


私は紅茶のカップを置き、静かに立ち上がった。

戦争は終わったのではない。

形を変えて、始まっただけだ。


そして私は、

叫ばずに勝つ方法を、これから覚えなければならない。

ここまで読んでくださって、

ありがとうございます。


この主人公は、

強くありません。

賢くもありません。


ただ、

「分かってしまった」だけです。


分かってしまうと、

怒るより先に、

距離を取るしかない場面があります。


それは、

負けではないと思っています。


この先の物語では、

貴族社会のドロドロや、

恋愛のすれ違いを通して、

主人公が少しずつ

「どう生きるか」を選んでいきます。


※もしよければ、

主人公のこの態度を

「共感できるかどうか」だけでも、

感想で教えてもらえたら嬉しいです。


次話も、

静かに進んでいきます。


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