『真実の愛』を手に入れ、全てが上手くいくはずだった
ばぁばシリーズ第三段。
こちらの作品は【『真実の愛』とやらで婚約破棄されたので、推しと契約結婚して幸せばぁばライフを満喫しますわ! 】のお花畑王子・フェルナンのお話となります。
柱の陰に隠れ、拳を強く握りしめる。
「……全く、困ったものだ」
「些か、王族としての自覚が足りて居られぬのではないか」
漏れ聞こえる諸侯たちの声に、俯き、握った手に力を籠めた。
呆れと侮蔑の混じった声音。
それに怒りを覚えると同時に……聞こえた声に咄嗟に身を隠した自分自身が恨めしかった。
自室へと戻るのを止め、方向転換してリリスの部屋へと向かう。
王妃教育に励んでいる彼女だが、この時間ならちょうど休憩時間のはずだ。彼女に会って、この心を落ち着けたかった。
だけど…………出迎えてくれたのは柔らかな笑顔ではなく、大粒の涙だった。
「どうしたんだ?!リリス、一体何がっ……」
「……フェルナン様」
慌てて駆け寄れば、顔を上げた瞳からまたポロポロと雫が零れる。
「何があった?誰かにいじめられたのか……?」
フルフルと首を振って手の甲で涙を拭ったリリスが「だけど……」と小さく口を開いた。
「教育係たちが……皆、比べるの。「エリアーヌ様は出来たのに」「エリアーヌ様は……」って……」
「…………」
マナーや語学の教師が嘆いているのは見たことがあった。
それはリリスを貶めようとするものですらなく、本気で嘆き頭を抱えているような呟きだった。だからこそ余計に…………。
フェルナン様、とリリスの指先が力なく私の腕を掴んだ。
「どうして……こんなことになっちゃったんでしょう?」
涙に濡れたその問いに、返せる言葉は出てこなかった。
何故なら、同じことを私もずっと思っているから。
こんな筈じゃなかった。
全てが、上手くいく筈だったのに______。
一目見た瞬間に心臓が鼓動を告げた。
彼女と……リリスと過ごす時間は楽しくて、なにより気が楽だった。
『真実の愛』だと、そう思ったんだ。
出会いはヴェリオスによる紹介だった。
淡い薄桃の柔らかそうな髪に大きな瞳、どこかはにかむように挨拶をする姿が可憐で……思わず瞳を奪われた。
思えば……あの瞬間に私はリリスに一目惚れをしていたのかも知れない。
それからも数度、ヴェリオスが集まりにリリスを連れてくるようになった。
二人っきりで会っていたわけではない。あくまで貴族同士の交流だ。
それでも……時間を重ねるごとにリリスへの想いが強まっていくのは感じていたし、同時にその想いを気のせいだと思い込もうともしていた。
私には幼い頃からの婚約者がいるのだから。
父上に政略によって決められた婚約者は…………美しく、完璧な淑女だった。
人形のように整った美貌に、洗練された所作、非の打ちどころのない優秀さ。
幼い頃からいつだってエリアーヌは完璧だった。
……いっそ、息苦しささえ覚えるほどに。
誰かが彼女を褒める度、自らと比べられている気がしていた。
「エリアーヌ様は素晴らしい王妃となられるでしょう」そう言われる度に、私が王となれるのは彼女の力なのだと言われている気がした。
そんな風に思うようになったのはいつからだろう?
小さい頃はただ、この美しい少女が自分の婚約者なのだと誇らしささえ感じていた筈なのに。
リリスが笑いかけてくれると、心が温かくなった。
もっとその笑顔が見たいと、彼女を喜ばせたいと心から思った。
だけどこれは抱いてはいけない想いだ。
私にはエリアーヌが居るのだから。
ままならない想いに、切なさに胸が引き裂かれそうになった。幸いなことに……いや、不幸なことにと言うべきなのか私たちの心は同じだった。
互いに想いを口に出すことはなかったけれど、瞳は言葉よりも雄弁だった。
何度ももう会うのは止めようとした。だけど同時に、ただの友人としてなら……とヴェリオスに誘われるままに時間を共にした。
あの頃の私の心の中は葛藤でいっぱいだった。
そんな時だった。
「…………リリス様への嫌がらせの件ですが、指示をしていたのはどうやらエリアーヌ様のようです」
沈痛な面持ちで、ヴェリオスがそう告げたのは。
王子である私との急接近を僻んでか、リリスは令嬢たちから嫌がらせを受けていた。
それを指示していたのがエリアーヌだと聞き…………あの時、私は喜んだ。
いまならはっきりとわかる。
完璧で淑女の鑑である彼女らしからぬ醜態。
エリアーヌがリリスに嫉妬するほど私を愛していたこと、そこに感じたのは……歪んだ優越感だった。
「今ならばフェルナン様はリリス様を選ばれることが出来るのではないですか?」
王妃に相応しくない振舞いを理由とすれば、エリアーヌとの婚約を解消しリリスと結ばれることが出来るかも知れない。
それは毒のように甘い誘惑だった。
しかもヴェリオスはエリアーヌを密かに想っていたというじゃないか。
それを聞いて私の中の罪悪感の天秤が大きく傾いた。
私との婚約が破棄されても、エリアーヌはヴェリオスと倖せになればいい。
そう思えば一気に心が軽くなった。
全てが上手くいく、結果的に誰もが倖せになれるのだと…………そう思った。
…………なのに。
「エリアーヌが結婚?!一体どういうことです!!」
嫌がり取り乱すどころか、あっさりと婚約破棄を了承してパーティー会場から去って数日。正式に婚約破棄の手続きが完了した報告と共に知らされたそれに、父上へと声を荒げた。
「どうもこうもない。いま言ったことが全てだ。そもそも勝手に婚約を破棄したのはお前だろう」
難しい表情をした父上は、端的な説明だけを告げその場を去り……取り残されたその場で呆然と言葉を失った。
「フェルナン様!正式に婚約破棄の手続きが終わったんですか?」
「この度は、おめでとうございます」
謁見の間から戻れば、弾んだ表情を隠せないリリスと笑顔で頭を下げてくれるヴェリオスに出迎えられた。「あ、ああ……」と力なく返せば、途端に二人の表情が訝し気に曇る。
「フェルナン様……?もしや、国王陛下から叱責が……?」
「……エリアーヌが………………結婚、した」
「え?」「は?」
二人もやはり事態を上手く呑み込めなかったようだ。
当然だ。婚約破棄してすぐの結婚も異例なら、エリアーヌの結婚相手はごく少数に限られるのだから。
さる大国の王族を血筋に持ち、その証ともなる紫の瞳を持つ彼女は下位の家柄には嫁げない。正確に言うなら、子を成せない。彼女の子供もまた紫電の瞳を持って生まれる可能性があるからだ。
曾祖母の故郷である大国の王侯貴族に嫁ぐか、あるいはこの国で嫁ぐなら王家の血を引く血筋のみ。
そしてその条件に合致する未婚の男児は私に異母弟、そしてヴェリオスだけ……。
「まさか……!第二王子殿下と……?」
「ちがう」
血相を変えたヴェリオスに弱々しく首を振った。
相手は……まだ12歳の異母弟よりもずっと衝撃的な相手だった。
「マスクウェル公爵だ……」
「マスクウェル……?ですが、エドガー様とコレット様は仲睦まじいご夫婦で有名な……」
「公爵だ……。エドガー様ではなく、公爵ご自身とだ」
混乱はさっきの比ではなかった。
ヴェリオスが名をあげた公爵家の息子でさえエリアーヌとは一回り近く離れているうえ、子までいる。なのにエリアーヌが結婚した相手はさらにその父、現マスクウェル公爵のレイモンド様だという。
マスクウェル公爵家は父上の叔父であり、夫人を若い頃に失くしている。
王家の血筋であり、現在は独身。その条件には合致しているとはいえ…………孫までいる相手に嫁ぐなど、到底考えられることではなかった。
そこからは、なにもかもが上手くいかなかった。
まず、エリアーヌの生家である公爵家が後ろ盾から外れた。
彼女が側近のヴェリオスと結ばれれば……そう思っていた思惑は見事に外れた。
次に、仕事がどんどん回らなくなった。
優秀なエリアーヌは自分の仕事どころか、私のフォローにまで回ってくれていた。そんな彼女の代わりを務めるにはリリスはあまりにも経験不足で、小さなミスが積み重なり……事態は悪化していくばかりだった。
「どうなっている?!ここの比率は15%だと言っていたはずだ」
苛立ちに任せ、書類を机へと叩きつけた。
手にしていたのは先程までの会談のための資料だ。
他領との鉱石による取引は無残なものに終わった。去り際の伯爵の侮蔑的な視線が頭を離れない。
「……お言葉ですが、私が進言したその案を蹴って他の者の意見を採用されたのは殿下です」
「……っ」
部下の一人の言葉に思わず黙った。
そう言われればそうだった気もする。冷静になった頭でそう思うも、感情的に声を荒げてしまったことに気まずい謝罪を漏らすよりも先に相手の口が開かれた。
「私では殿下のお役には立ちかねるようです」
慇懃な礼を残した部下はクルリと踵を返した。向かう先は扉の方だ。
「待ってくれ」その言葉が出ないまま、その背を見送る。
こうして人が離れていったのは何度目だろう?
回らない仕事に、募る不満に、かつて自分を取り巻いていた人々の輪が徐々に薄くなっていくのを感じていた。
ヴェリオスや他の側近たちが支えてくれているとはいえ、エリアーヌを失った穴は大きかった。
さらにはそのヴェリオスさえ、最近は苛立ちも露わだ。どことなく荒れた感じがするし、以前ほど的確な判断が出来ていない。
私を見る瞳にすら、苛立ちが籠っているように見えるのは気のせいだろうか?
積み重なる仕事に疲れ切って、なにより肉体よりも精神の疲労が重く圧し掛かっていた。午前分の仕事をなんとか終え、休憩は自室で取ることにした。人の出入りのある執務室では気が休まらない。
フェルナン様は……耳に入った自分の名に、思わず足を止めた。
咄嗟に隠れたのは……その声の響きがどことなく悪い類の話をするそれだったから。
「……全く、困ったものだ」
「些か、王族としての自覚が足りて居られぬのではないか」
エリアーヌと婚約破棄をしてから一年弱、破綻は思った以上に浸食を進めていた。
それからさらに半年。
あの夜会での一件で、それは決定的となった。
側近であるヴェリオスが起こした殺人未遂。
しかもその理由は……私たちにも関係がないとは言えないものだった。
婚約破棄の原因となったリリスのいじめ、あれをエリアーヌが指示していたというのはヴェリオスの全くの嘘で……彼は自分が彼女を手に入れたいがために全てを仕組んだ。
その挙句、真実の露呈を恐れ……彼女を口封じしようとしたというのだ。
およそ考えうる最悪の事態だった。
側近であるヴェリオスを失うことも痛手なら、暴挙とその理由が最悪すぎる。
事態をなんとか改善しようとエリアーヌに手紙を出した。
あの夜会までの間、私やヴェリオスが何度手紙を送ろうと応じてくれなかった彼女が今回は応じてくれた。
それに僅かな希望を抱いたのも束の間だった。
「ご用件は?」
簡単な挨拶を終え、席につくなりエリアーヌはそう問いかけた。
とっとと用件を済ませてくれ、とばかりのその反応に早くも希望が儚いものだと知った。それでも強張る笑顔を張り付けて彼女へと向き合う。
真摯に向き合えばわかってくれる、そう信じて。
「その……婚約破棄の件については、大変申し訳なかったと思っている。だけどエリアーヌ、どうか戻ってきてくれないか?君の力が必要なんだ!」
「…………」
「優秀だった君が居なくなった穴はあまりにも大きい。ヴェリオスもあんなことになって……正直、政務が回らない。力を貸して欲しいんだ……」
「私からも、お願いしますエリアーヌ様」
「…………」
リリスと二人、頭を下げるもエリアーヌからの反応はない。
沈黙だけが刺さるように降り注ぐ中、必死に言葉を尽くした。
「君が怒っているのは当然だ。きっとこの償いはするし、感謝は十二分に示そう。これはもはや私たちだけの問題では済まないんだ。リヒャルトを担ぎ上げようとする第二王子派が力を強めているのは君も知っているはずだ。王位争いが激化すれば様々な影響が出てくるのはわかるだろう?無益な争いは国にも、民の為にもならないっ」
「お願いですエリアーヌ様っ!私たちのことは許してくださらなくても構いません。ですが聡明なエリアーヌ様なら、王位争いによる損失も誰よりもおわかりになるはずです。どうか……どうか私たちの為ではなく、民の為にお力を…………!」
「お断り致します」
無慈悲なその言葉に、信じられない想いで顔をあげた。
きっと……怒りに燃えた瞳がそこにあると思っていた。あの美しい紫の瞳に怒りを宿し、私たちを睨みつけているのだと。
だけど……扇子を閉じたエリアーヌの表情は、どこか憐れむようなそれだった。
「お二人には、いくつか足りないものがあるようですね」
「足りない、もの……?」
溜息を吐いたエリアーヌは「想像力です」と静かに告げた。
想像力?
意味を掴めない私たちに、幼い子どもに説明でもするように瞳を細めた彼女は口を開く。
「きっと貴方方に悪意はないし、その性質は善良でさえあるのでしょう。けど貴方方には……圧倒的に想像力が足りませんわ。他者の気持ちを思う想像力がね」
「それは、君には本当に悪かったと……」
「謝罪が欲しいわけではありません」
上げた声は、静かなそれに遮られた。
「全部、自分のことばっかり」
「違う!」「違います!」
私とリリスの声がダブった。
確かに婚約者が居ながら他の者に心惹かれてしまった私が悪い。
今回の頼みだって、ただの虫のいい話に聞こえるかも知れない。だが国の衰退を招く王位争いを止めたいのは心からの本心だ。
「本当に?」
美しい紫の瞳に見据えられ、「ああ」と答えた声はどこか震えていた。
つい、と視線をそらしたエリアーヌがリリスへと顔を向ける。
「ねぇリリス様。リリス様が殿下に惹かれたのは、彼の立場に惹かれたのでしょうか?」
「そんなっ!違います!!」
あまりにも心外な問いに、垂れ目がちな瞳を尖らせてリリスがエリアーヌを睨んだ。だけどそれを全く気にする様子もなく、彼女は紅茶へと手を伸ばした。
一口味わい、ソーサーに戻しながら「なら」と口を開いた。
「殿下が王位を継がなくとも、問題はありませんね」
え……?と私たちの口から漏れたのはそんな空気のような音だけ。
「なにを……言って、いるんだ?」
数十秒の後、そう言葉を絞り出せば……あら?と彼女は優雅に首を傾げた。
「王位争いが国の不利益になるというのなら……わたくしの生家、そして婚家がリヒャルト殿下を推せばいい。両家でなく片方だけでも充分に政局は傾きますわ」
「なっ……」
「待ってくださいっ!フェルナン様はずっと王位を継ぐために頑張ってきたんですよっ?!小さい頃からずっと……!それを知ってるエリアーヌ様がそんなっ、酷すぎますっ!!」
言葉を失う私に代わり、リリスが立ち上がってエリアーヌへと詰め寄った。大きな瞳には涙がいっぱいに浮かんでいる。
それを無感動に眺める紫の瞳は冷え切っていた。
「そう、酷いことだってわかるのね」
冷えた瞳とは裏腹に、口元だけが笑みを作る。
いっそ優し気にすら見える笑みを。
「幼い頃から努力してきたのが、殿下だけだとお思い?わたくしがなんの努力もしなかったと?それを呆気なく無為なものにしたのが貴方方よ。ちゃんと酷いことだと思ってもらって嬉しいわ」
「……あ……あ」
「どうせ安心したのでしょう?わたくしに非があってよかった、って」
「ちがっ……」
「違う?少しでも想像力があれば、あんな“酷いこと”は出来ないんじゃなくて?第三者の言葉を真に受けて、本人には確認もとらずに人前で断罪……挙句にその相手を頼り続けよう?あの夜会の日、冤罪が発覚しても貴方達は謝罪なんてしなかった。それどころか、殺されかけたわたくしを案ずる言葉一つなかったわ」
身体中の血が、どんどんと下がっていくのを感じた。
ぱくぱくと開いた口から漏れる声は、我ながら無様で情けない声だった。
「……それは…………すまない。あの時は、その……混乱していて……」
「……ごめんなさい…………」
「結局、貴方方の優しさは限定的なものなのよ。大切なモノ、わかりやすく目に見えるモノ、自分に余裕があるときだけ相手に向けられる……そんな優しさ」
形のいい唇から疲れたような吐息が漏れた。
「ヴェリオス様のこと、ご存じですか?」
「ヴェリオス……?」
困惑を示す私たちに、エリアーヌの瞳はもはや隠すこともなく憐れみを刻んでいた。
だけどそれに反発をする余裕すらなく、ただ自分の身勝手を突きつけられたいまとなっては……彼女の唇が紡ぐ言葉が恐かった。
両手で耳を覆いたくなる気持ちを抑え、ただ待つことしかできない。
「わたくしに在らぬ罪を着せ、また王族を欺いた罪。そして殺人未遂の罪科により、身分剝奪の上、鉱山送りが決定しました。期間は50年、それを待つことなく一生を終えることになるとは思いますが」
「そんな」と力なく零す私の横では、リリスも両手で口を覆っていた。
50年の鉱山送り……それはエリアーヌの言葉通り終身刑と同意だった。
「今日こちらに呼ばれた時、もしかしたら彼のことを嘆願されるのかと……そう思いました。同時に、違うのだろうともね」
わざわざ呼び出しに応じたのは、どっちだろうか知りたかったからもある。答えは……予想通りと言えば予想通りだったわけだ。
「知らなかったんだ……そんな、そんな重い罰が下されたなんて……」
「ええ、気にもしておられなかったのですね。殿下なら陛下にお尋ねになることも、いえ、望めばヴェリオス様との面会さえ叶ったかもしれない。けれどお二人は、一度もそれをしようとはなさらなかった」
「エリアーヌ様っ!!」
叫んだリリスが絨毯の上に膝をついた。
そのまま髪もドレスも投げ出してエリアーヌに向け頭を下げる。
「どうか……どうか、ヴェリオス様の罪を少しでも、少しだけでも軽くしては差し上げられませんか?彼がしたことは許されることじゃありません。けどっ一生なんて……あまりに可哀想すぎます」
「いいですよ」
涙ながらの懇願に返ってきたのは予想外の返事だった。
優雅に腰を上げたエリアーヌは、リリスの元まで歩み寄ると腰を下ろす。まるでリリスを起こそうとするかのように伸ばされた指がポカンとした顔へと伸ばされた。
「その代わり、一つだけ条件があるわ。その場合は……ヴェリオス様を今まで通り殿下の側近として側に置くこと」
あまりにも私たちに都合のいい条件に、呆然としていると白い指がリリスの頬をなぞるように撫でた。
唇が艶めかしくも残酷な笑みを刻む。
「欲しいものを手にするため、公爵令嬢に罪を着せ、王族を謀ったヴェリオス様。保身の為にわたくしを殺そうとしたヴェリオス様。鉱山行きを免れようと、彼の立場が戻ることはないわ。後継者として育った彼にはきっと屈辱でしょうね」
謳うように紡がれる毒。
「ねぇ?真実の愛を手に入れ、倖せなリリス様たちを見て彼はどう思うかしら?助命を嘆願してくれたことに感謝して殿下に真摯に仕える?それとも…………身勝手に憎しみを募らせるかしら?わたくしにそうしたように」
穏やかに紡がれるその毒が……じわじわと身体を巡っていくのを感じる。
「ねぇリリス様?くれぐれも身の安全には気をつけてくださいませね?いつ階段やテラスから突き落とされるかわからないもの。ああ、毒にも要注意ですわね?貴女や殿下が、害されることがないことを祈ってますわ」
ヒュッ!と鋭い音を立ててリリスの喉が鳴った。
空気を漏らした喉が、全身が小さくカタカタと震えている。
彼は実際、一度はそれをしようとしたのだ……目の前のエリアーヌに。
私たちの為に動いていてくれたと思っていたヴェリオス、だが彼は……実際は全部自分の為に動いていただけだった。
ならば…………彼の狂気が、怒りが、自分たちに向かない保証なんてない。
「どうなさいます?」
その可能性を突きつけられ……問いかけにリリスがブンブンと首を振る。
揺れる柔らかな桃色の髪の下の表情は、恐怖に引き攣り涙に濡れていた。
自らの身に置き換えるまで……私たちはエリアーヌの受けた恐怖を想像もできなかった。だからこそ……私たちは彼女を案ずることもなく、さらにはこうして身勝手に彼女を頼ろうと出来たのだろう。
俯くリリスを見下ろしながらエリアーヌは一人静かに立ち上がった。
「言ったでしょう?貴方方には想像力が足りないって……」
席まで戻った彼女は、ソファに再び腰を下ろすことなく……立ち上がった際にテーブルに置いた扇子をただ手に取った。
「別にわたくし、貴方方の真実の愛を否定するつもりはなくってよ?あの夜言った通り、婚約破棄については感謝すらしてますわ。ただ……我儘を貫く気なら、それなりの覚悟はお持ちくださいな」
覚悟……。
それが彼女がさっき言っていた「私たちに足りないもの」のもう一つなのだろう。
「王位も、真実の愛も両方守りたいというのなら……それこそ死ぬ気で頑張ってくださいな。一度失った信用を取り戻すのは並大抵のことではありませんわよ?」
「エリアーヌ……?」
「すぐに動くつもりはございません。許すつもりはありませんが、陰ながらお二人の倖せは願ってますわ……手を貸す気は毛頭ありませんけど」
扉へと向かいつつ「あ」と釘を刺すように扇子を構えてエリアーヌが振り返る。
「王位争いが激化し、国の為にならないと思ったら収束に動く気はありますので……そうならない様、精々足掻いて結果を出してくださいな」
それだけ言い捨て、彼女はそのまま部屋を去った。
パタン、と虚しくしまった扉を呆然と見つめる。
床に座ったまま涙を流すリリスを見て、あの日の言葉が蘇った。
「どうして……こんなことになっちゃったんでしょう?」
それは_____私たちの、無知と愚かさの代償。
幼い頃からの婚約者、後ろ盾に優秀な側近や部下たち、信頼、人望、期待……。
無知と愚かさの代償に失ったものはあまりにも大きく、突きつけられた現実はあまりにも重い。
だけどそれでも…………まだ全てを失ったわけではない。
絨毯の上に座り込んだままのリリスの側に膝をつき、涙に震える細い肩を抱いた。あの日と同じ弱々しい瞳が私を見つめる。
だけど私たちは……被害者ではなく加害者だ。
ギュッと強く瞳を瞑り、ゆっくりと開いた。
「やり直そう、一緒に。もう一度最初から」
柱に凭れ掛かるようにして腕を組む姿に「見つかっちゃったわ」とエリアーヌは心の中で呟いた。
そんな彼女の心中を見抜いたように、レイモンドの眉間にはさらに一本縦ジワが追加された。その表情は不機嫌そうで、子どもが見たら泣き出しそうな迫力だったが……エリアーヌは唇を緩めて彼の元へと歩み寄る。
「君が出向く必要などないだろう」
表情同様、声も発言も不満も露わだった。
他でもない自分の為に憤ってくれるその事実に喜びながら「そうね」と返した。
散々無視した手紙や誘いと同じように、見て見ぬふりをすることもできた。
「けど……忠告ぐらいはしてあげようと思って」
「忠告?」
「ええ、元婚約者として」
不快そうに上がった眉にふふっと笑う。
同時に改めて思った。
フェルナン様が婚約破棄をしてくれて良かった、と。
そうでなければきっと自分は前世を思い出せなかったし、大切なモノを沢山失くしていた筈だ。
だからこれは……細やかなお礼にして、彼の側に居た者としての責務。
「大切なモノを守りたいなら、相応の覚悟がいる。もっと早く、誰かが彼らに教えてあげるべきだったのよ」
「自分で気づくべきだろう。そんな当たり前のことは」
「ふふっ、そうね。でも気づけない子は意外に多いんじゃないかしら?」
正直、エリアーヌとしてはフェルナンが王位を継ごうと継ぐまいとどうでもいい。
当時ブチ切れていたエリアーヌの父は彼を失脚させることも目論んでいたようだが……そうするほどの興味もなければ、第二王子を王位に就けるのが国の為になるとも限らないからだ。
第二王子派が活発化しているとはいえ、肝心のリヒャルト殿下に野心があるわけでもなければ、彼は跡継ぎとしての教育を受けているわけでもない。
それならばフェルナンが跡継ぎのままの方がマシということもある。
「とはいえ、あのまま王位にでも就かれたら大変でしょう?だから、忠告してあげたの」
あのお花畑のまま王位を継いで欲しくはない。
自らの野心の為に、悪意のままに動いたヴェリオスと違い、フェルナンやリリスは根は善良ではある。彼らに悪意はないが……だからといって彼らのしたことが許されるかと言えばまた別だ。
責任ある立場には、それに見合った言動が必要となるのだから。
「わたくしの忠告を活かすも殺すも彼ら次第ですわ」
その結果、彼らが何を選ぼうともはや興味はない。
何を得、何を失おうと、それは彼らが選んだ道。
フェルナンはもうエリアーヌの婚約者でもなければ、ましてや『真実の愛』でもないのだから____。
「誰かの為……そう言うのなら尚更に覚悟は必要なのにね。そうでなければ、守れるモノなど何もないのに」
ね?と笑いかければ、男の人らしい節のある手が頬を撫でた。
「君のように?」
「国を敵に回した貴方みたいに」
レイモンドの声には感嘆と称賛と……そして不満が宿っていた。
後者は当然、孫を救う為に寿命を半分差し出したエリアーヌに対してだ。
それに対しあえて揶揄うような口調でエリアーヌは答える。起こりえた未来を。
束の間見つめ合い……はぁとわざとらしくレイモンドは溜息を漏らした。
「闇落ち、と言ったか……?大切な家族の為ならそれくらい当然だ」
さらりと闇落ちを当然発言したレイモンドに「さすがはラスボス様」と内心で呟いた。引いてるどころかときめいてるあたりどうしようもない。
さらに乙女ゲームのラスボス様の発言はそこで終わらなかった。
「家族を守る為ならもちろん…………それこそ『真実の愛』の為なら国も世界も、いくらだって敵に回して見せよう。それくらいの覚悟は無論あるさ。君同様にね」
いつの間にか入れ替わっていた位置。
トンと柱に手を付きつつ瞳を細めて覗き込まれる。
「…………だからあまり、私を嫉妬させないで欲しい。あれだけ勝手なことをしておいて、ぬけぬけとフェルナンが君を呼び出し、あまつさえ君が応じたと知った時は……もういっそ廃嫡させてやろうかと思ったよ」
唇の端をフッと持ち上げ、素晴らしいまでの悪役スマイルを決めるレイモンドにエリアーヌは言葉が出ない。
なにせ……壁ドン、ならぬ柱トン。
真っ赤になって金魚のように口をパクパクさせるエリアーヌの足からは力が抜けた。「おっと」と軽く腰を支えられ、リンゴどころじゃない顔からはもはや蒸気がでそうだった。
「なっ、なななな~~…………!わ、わた、わたくしの寿命を……これ以上、縮めさせるおつもり?」
バクバクと煩い心臓を押さえ、涙目で抗議するエリアーヌにレイモンドは「まさか。一分、一秒でも長く共に在ることを願っているさ」と甘く微笑む始末。エリアーヌの心臓は過重労働中だ。
「わた……わたくしはっ、まだレイモンド様耐性が低いんですっっ……」
弱々しく放った声は、心からの叫びだった。
今世はミレーヌの時以上に彼への耐性が低いのだ。
その内、本当に不整脈とかでぽっくり逝ってしまうのではないか……それが最近のエリアーヌの密かな心配だったりする。
ニーナが不整脈に効くお薬を用意してくれたぐらいだ。救心的な。
「おや、それは困ったな。それなら……少しずつ慣れていってもらわなくては」
覗き込むように上にあった顔が徐々に近づいてくるのを感じ…………きゅっとエリアーヌは瞳を閉じた。
もっとガッツリ断罪を期待された方もいるかと思いますが……お花畑すぎるけど、フェルナンとリリスは性悪ではないので更生の余地は残してみました。
……とはいいつつ、書いてて「周り見えてなさすぎ、自己中、ないわー」とは思ってましたが。
元々は真面目で優しい性格ではあるので、ここで心機一転改めれれば王位を継ぐ可能性はありますが……甘ちゃん脱却できなければ弟に奪われる可能性もありです。
ヴェリオスは……あれは救いようないからダメです。




