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カイルの敗北と、沈黙の剣


森の奥。

霧と湿気がまとわりつく獣道で、カイルは息を荒くしていた。


「……はぁ、はぁ……絶対に通すわけには……!」


背後で怯える護衛対象の商人。

目の前には、見たことのない魔物――二足歩行で、異様に長い腕。

動きはとにかく速い。

剣を振るたびに、刃が空を切る。


カイルは何度も斬りつけるが、


ガンッ!


腕で受けられる。

固い。重い。

そして――強い。


「くそ……!」


魔物の拳がカイルの腹を叩き、肺の空気が抜ける。

地面に転がりながらも、カイルは商人を庇った。


その判断だけは、最後まで崩れなかった。


辛うじて商人を守り通し、カイルは血を流しながら街へ撤退した。

ギルドの扉を押し開け、魔物出現の報告を終えた瞬間――


「……っ、後を……任せ……」


そのまま崩れ落ちた。


慌てて駆け寄る新人事務員。

治癒術師が呼ばれ、治療室へ運ばれる。


「カイルさん……! しっかり……!」


街は騒然とした。



その騒ぎを、ギルドの片隅で聞いていた男がひとりいた。


グレン。


テーブルにはまだ手のつけていない酒が置かれたままだというのに、彼は無言で立ち上がった。


外套を羽織り、ギルドを出ていく。

事務員が呼び止めようとするが、


グレンは、一度も振り返らなかった。


(カイル、よく生きて戻ったな......だがあの怪我......)


声は出さない。

ただ歩く足音だけが、森へ吸い込まれていく。


森に入ると、グレンの気配は一瞬で消えた。

呼吸の音すら、風の中に溶けるように。


彼はもはや「冒険者」ではなく――

獣を狩る影そのもの。


倒れた木、散った血、荒れた地面。

カイルが戦った痕跡を淡々と追う。


(……あれだけの痕。相手は……賢いタイプか。)


魔物の巣を見つけると、グレンは音もなく侵入した。


見張りが二体──いや、三体。

しかし、どれも「気づく」前に首が落ちた。


剣が抜かれた音すらしない。


巣の奥へ進む。

通路の幅、天井の高さ、足場の傾斜。

全てを一瞬で読み、“一体ずつ殺せる”地点に誘導して狩る。


切られた魔物の死体が、静かに積み重なっていった。



巣の最深部。

そこに“そいつ”はいた。


黒い皮膚、長い腕。

カイルが敗れた原因。


強い魔力に満ちた魔物――

ボス級。


魔物は低い声で唸り、グレンを見下ろす。


「……カイルを襲ったのは」


グレンは剣を抜き、表情も変えずに言った。


「……お前だな?」


その瞬間、巣の空気が凍りついた。


魔物が咆哮を上げ、黒く長い腕で天井を掴み飛び上がった。

洞窟の天井に身を隠し、高速で降りてくるその突進は、地面を砕くほどの威力。


普通の冒険者なら、目で追うのが精一杯だ。


だが──


グレンは、ただ横に“歩くように”避けた。


音がない。

息遣いも、足音も、衣擦れも。


魔物が何度も攻撃するが、

グレンの姿は“そこにいるのに当たらない”。


やがて魔物が一瞬体勢を崩す。


その隙間に──

“スッ”という風のような動き。


次の瞬間、魔物の首が落ちた。


剣を振った音すら聞こえなかった。



翌日。


治療室でカイルは目を覚ました。

痛みはほとんどない。

治癒術師の魔法が優秀だったのだろう。


扉の前で新人事務員が心配そうにしている。


「カイルさん、本当によかった……! あ、そういえば……」


「はい?」


「カイルさんが倒れたって報告した時……

 グレンさんが、すごく、すごく怖い顔をしてて……

 目が、なんていうか……冷たくて。

 あんな表情、初めて見ました。」


「……グレンさんが?」


事務員は青ざめて頷く。


「そのあとすぐ森へ行って……

 次の日には魔物の巣が壊滅してて……“誰がやったか”なんて、もう……」


カイルは息を呑む。


(グレンさんが……俺のために……?)


そんな時──


「よう、起きたか。」


扉の向こうに立っていたのは、

いつも通りの気だるい雰囲気のグレンだった。


「……グレンさん。」


「お前、勝手にボロボロになってんじゃねぇよ。」


飄々とした声。

少しだけ呆れたような笑み。


昨日までの悪鬼のような気配は、影も形もない。


「……俺のために......魔物を倒しに、行ってくれたんですか?」


カイルが問うと、グレンは肩を竦めて笑った。


「たまたま森と同じ方向に用事があっただけだっつの。俺は雨より森の方が嫌いなんだよ。虫に刺される。」


嘘だ。

完全に嘘だ。


だが、カイルはその嘘を否定できない。

胸が熱く、言葉が詰まる。


「……ありがとうございます。」


頭を下げるカイルに、グレンは目を逸らし――


「……礼なんざ要らねぇよ。

 お前が死んだら、ギルドが面倒なんだよ。

 仕事押しつけられんだろうが。」


「グレンさん、本当にありがとうございます。」


もう一度、カイルが感謝の言葉を口にする。


「あんまり言うな。......慣れてねぇんだよ、そういうの」


感謝を受け取り慣れないような、気恥ずかしい顔で答えるグレン。

結局、照れ隠し。


でも、

カイルにはわかっていた。


この人は、本当に強い。

そして……誰よりも優しい。


そんなグレンの背中を見送るカイルの胸には、

新たな尊敬が深く刻まれていた。




________

カイルは優秀さゆえに、幼い頃から周りに「1人で何でもできるでしょ」という扱いをされて来たので、そういう扱いをしないグレンに、無自覚で懐いてます。尊敬が深まりました。

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