カイルの敗北と、沈黙の剣
森の奥。
霧と湿気がまとわりつく獣道で、カイルは息を荒くしていた。
「……はぁ、はぁ……絶対に通すわけには……!」
背後で怯える護衛対象の商人。
目の前には、見たことのない魔物――二足歩行で、異様に長い腕。
動きはとにかく速い。
剣を振るたびに、刃が空を切る。
カイルは何度も斬りつけるが、
ガンッ!
腕で受けられる。
固い。重い。
そして――強い。
「くそ……!」
魔物の拳がカイルの腹を叩き、肺の空気が抜ける。
地面に転がりながらも、カイルは商人を庇った。
その判断だけは、最後まで崩れなかった。
辛うじて商人を守り通し、カイルは血を流しながら街へ撤退した。
ギルドの扉を押し開け、魔物出現の報告を終えた瞬間――
「……っ、後を……任せ……」
そのまま崩れ落ちた。
慌てて駆け寄る新人事務員。
治癒術師が呼ばれ、治療室へ運ばれる。
「カイルさん……! しっかり……!」
街は騒然とした。
◆
その騒ぎを、ギルドの片隅で聞いていた男がひとりいた。
グレン。
テーブルにはまだ手のつけていない酒が置かれたままだというのに、彼は無言で立ち上がった。
外套を羽織り、ギルドを出ていく。
事務員が呼び止めようとするが、
グレンは、一度も振り返らなかった。
(カイル、よく生きて戻ったな......だがあの怪我......)
声は出さない。
ただ歩く足音だけが、森へ吸い込まれていく。
森に入ると、グレンの気配は一瞬で消えた。
呼吸の音すら、風の中に溶けるように。
彼はもはや「冒険者」ではなく――
獣を狩る影そのもの。
倒れた木、散った血、荒れた地面。
カイルが戦った痕跡を淡々と追う。
(……あれだけの痕。相手は……賢いタイプか。)
魔物の巣を見つけると、グレンは音もなく侵入した。
見張りが二体──いや、三体。
しかし、どれも「気づく」前に首が落ちた。
剣が抜かれた音すらしない。
巣の奥へ進む。
通路の幅、天井の高さ、足場の傾斜。
全てを一瞬で読み、“一体ずつ殺せる”地点に誘導して狩る。
切られた魔物の死体が、静かに積み重なっていった。
◆
巣の最深部。
そこに“そいつ”はいた。
黒い皮膚、長い腕。
カイルが敗れた原因。
強い魔力に満ちた魔物――
ボス級。
魔物は低い声で唸り、グレンを見下ろす。
「……カイルを襲ったのは」
グレンは剣を抜き、表情も変えずに言った。
「……お前だな?」
その瞬間、巣の空気が凍りついた。
魔物が咆哮を上げ、黒く長い腕で天井を掴み飛び上がった。
洞窟の天井に身を隠し、高速で降りてくるその突進は、地面を砕くほどの威力。
普通の冒険者なら、目で追うのが精一杯だ。
だが──
グレンは、ただ横に“歩くように”避けた。
音がない。
息遣いも、足音も、衣擦れも。
魔物が何度も攻撃するが、
グレンの姿は“そこにいるのに当たらない”。
やがて魔物が一瞬体勢を崩す。
その隙間に──
“スッ”という風のような動き。
次の瞬間、魔物の首が落ちた。
剣を振った音すら聞こえなかった。
◆
翌日。
治療室でカイルは目を覚ました。
痛みはほとんどない。
治癒術師の魔法が優秀だったのだろう。
扉の前で新人事務員が心配そうにしている。
「カイルさん、本当によかった……! あ、そういえば……」
「はい?」
「カイルさんが倒れたって報告した時……
グレンさんが、すごく、すごく怖い顔をしてて……
目が、なんていうか……冷たくて。
あんな表情、初めて見ました。」
「……グレンさんが?」
事務員は青ざめて頷く。
「そのあとすぐ森へ行って……
次の日には魔物の巣が壊滅してて……“誰がやったか”なんて、もう……」
カイルは息を呑む。
(グレンさんが……俺のために……?)
そんな時──
「よう、起きたか。」
扉の向こうに立っていたのは、
いつも通りの気だるい雰囲気のグレンだった。
「……グレンさん。」
「お前、勝手にボロボロになってんじゃねぇよ。」
飄々とした声。
少しだけ呆れたような笑み。
昨日までの悪鬼のような気配は、影も形もない。
「……俺のために......魔物を倒しに、行ってくれたんですか?」
カイルが問うと、グレンは肩を竦めて笑った。
「たまたま森と同じ方向に用事があっただけだっつの。俺は雨より森の方が嫌いなんだよ。虫に刺される。」
嘘だ。
完全に嘘だ。
だが、カイルはその嘘を否定できない。
胸が熱く、言葉が詰まる。
「……ありがとうございます。」
頭を下げるカイルに、グレンは目を逸らし――
「……礼なんざ要らねぇよ。
お前が死んだら、ギルドが面倒なんだよ。
仕事押しつけられんだろうが。」
「グレンさん、本当にありがとうございます。」
もう一度、カイルが感謝の言葉を口にする。
「あんまり言うな。......慣れてねぇんだよ、そういうの」
感謝を受け取り慣れないような、気恥ずかしい顔で答えるグレン。
結局、照れ隠し。
でも、
カイルにはわかっていた。
この人は、本当に強い。
そして……誰よりも優しい。
そんなグレンの背中を見送るカイルの胸には、
新たな尊敬が深く刻まれていた。
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カイルは優秀さゆえに、幼い頃から周りに「1人で何でもできるでしょ」という扱いをされて来たので、そういう扱いをしないグレンに、無自覚で懐いてます。尊敬が深まりました。




