ララの依頼 4
夕暮れの街は、赤みを帯びた光に包まれていた。
木と漆喰で作られた家々が並ぶ通りは静かで、夕餉の匂いと、人の生活の気配だけが漂っている。
その一角にある、ごく普通の平民の家。
ララは寝台の傍らに腰を下ろし、眠る姉の手を両手で包み込んでいた。
十五日ほど前に症状が現れてから、その異変は姉の体をあっという間に蝕んだ。
足先から石へ変化していき、今は腹ほどまで石に変わっている。
心臓まで達すれば死ぬだろうと言われた。
治療魔法は効かず、専用の薬が必要。
それも高額で、もし代金を用意できても取り寄せるためには何日もかかるとも。
店も、治療院も、どこへ行っても断られた。
ララは、姉の腕にそっと触れる。
人の温もりのはずのそこに、冷たい石の感触が混じるたび、胸の奥が締めつけられた。
「お姉ちゃん……」
気付けば、幼い頃の呼び名で呼んでいた。
数年前に親を亡くしてから、二人で支え合って生きてきた。
まだ幼かった自分を守るため、姉は才能のあった学問も諦めて働きに出た。
親を思い出し涙が出る夜は、二人で身を寄せ合って眠った。
悲しみも、姉と肩を寄せ合えば、いつの間にか息ができるようになった。
嬉しいことがあれば、まず姉の顔が浮かんだ。
春の花のように柔らかく笑っていたその姿を思い出し、
ララの視界は、滲むように揺れた。
見習いから働き始めた自分も、そろそろ見習いの肩書が外れ、給金も上がる。
そうしたら、今度は自分が支える番だと、本気で思っていた。
その矢先のことだった。
「まだ、何も返せてないのに……っ」
声が震え、膝の力が抜ける。
椅子から崩れ落ちるようにして、ララは姉の眠る寝台に額を押しつけた。
「……っ」
手に触れる石化した身体の感触に、最悪の想像がどうしても頭をよぎる。
心では拒絶しても、現実は容赦なく迫ってくる。
──それでも、諦めたくなかった。
その一心で訪ねた冒険者ギルドでは
親切にしてくれた冒険者もいたが、
哀れに思い、その場だけああ答えてくれたのではないだろうか。
あの後、素材に使われる魔獣はとても危険で、討伐には命の危険が伴うと聞いた。
見知らぬ他人のために、そんな魔獣を狩りに行き、高価な魔法薬を作って渡すなど──
親切や人助けの範疇をあまりに超えた、現実離れした話だ。
顔を上げ、姉の手を再び握る。
今は、残された時間を、一秒でも共に過ごそう。
そう思った。
玄関の方から、控えめなノックの音が響いた。
◆
夕暮れの光が、通りに並ぶ家々の壁を橙色に染めていた。
木と漆喰で作られた素朴な家の前に立ち、グレンは軽く拳で扉を叩く。
ほどなくして、木製の扉が静かに開いた。
肩のあたりまで伸びた薄茶色の髪は少し乱れ、泣き腫らした目の下には隠しきれない隈が残っている。
グレンの姿を認めた瞬間、ララは小さく息を呑む。
期待と、恐れと、諦めきれない願いが、ない交ぜになって揺れる表情だった。
これから告げられる言葉を待ち望んでいるようにも、その逆にも見える。
ローディから預かった箱を渡す。
中には魔法瓶と飲む回数等の簡単なメモ。
魔法薬は濁りなく澄んでおり、この街のどんな高級店にも売っていない程に高品質だ。
もしも金銭で買うならば平民の住宅よりも高い金額だろう。
「これで良くなるってよ。
飲ませ方は、その紙を読んでくれ。俺は詳しくねぇからな」
ぶっきらぼうな言い方だったが、それ以上は何も言わない。
ローディは、箱だけをグレンに託し本人は来ていない。
「訪ねるほどには興味ない」と言っていた。
ララは震える手で箱を受け取ると、胸に抱きしめた。
まるで壊れ物どころか、命そのものを抱えるように。
しばらく声が出なかったが、やがて、ぽろりと涙がこぼれ落ちる。
「ありがとう、ございます……っ。
あなたも、あの方も……一生忘れません……っ」
嗚咽を堪えながら紡がれた言葉には、はっきりとした希望が宿っていた。
グレンは視線を逸らし、短く息を吐く。
「忘れていい。
今回のは、ただの気まぐれだ。……あいつのこともな」
感謝されるようなことじゃない、と言外に告げる。
「……忘れません。
お金も、時間がかかっても、必ず……!」
「だから金はいらねぇから気にするな。
手伝ってくれた冒険者がいる。礼を言うなら、そっちにしとけ」
カイルとリデルの顔が脳裏に浮かぶ。
善意でついてきただけの若い二人のほうが、よほど感謝されるべきだ。
自分は、ただの気まぐれ。
ローディに至っては、気晴らしの散歩程度だろう。
そう思い、グレンは内心で小さくため息をついた。
何度も頭を下げ、言葉を重ねようとするララに、
「早く飲ませてやれ」とだけ告げて、踵を返す。
◆
──ララは久々に夕焼けが綺麗だと思えた。
姉に症状が現れてからは、陽が落ちるたびに時間が奪われていく気がしていた。
夜が来るのが怖くて、明日を迎えることが苦しかった。
今は、空を染める橙色を、ただ美しいと思える。
数分前まで、絶望の中にいたはずなのに。
胸の奥に、確かな明日が芽生えている。
ララは、魔法薬の入った箱を大切に抱きしめた。
それは薬であり、姉との未来そのものだった。
未来を授けてくれた冒険者の背を、涙で滲む視界で見送った。
◆
薬を飲み切ってから、数日が過ぎた。
夕暮れ時、ララは家の前に小さな椅子を二つ並べ、姉のアリアを連れ出した。
まだ長くは立っていられないが、それでも今日は、少しだけ外の空気を吸いたいと言ったのはアリアのほうだった。
「無理しないでね」
ララがそう言うと、アリアは杖に体重を預けながら、苦笑する。
「大丈夫。ちゃんと立ってるでしょ」
五日前まで、あの足は石だった。
冷たく、動かず、触れるたびに現実を突きつけてきた足だ。
今はまだ力が戻りきらず、歩みも遅い。それでも、確かに──人の足だった。
二人並んで座ると、通りの向こうから夕焼けが見えた。
木と漆喰の家々が、橙色の光に染まり、影がゆっくりと伸びていく。
「……ねえ、ララ」
アリアがぽつりと言う。
「夕焼けって、こんな色だったっけ」
ララは、はっと息を呑んだ。
同じ空。
同じ時間帯。
けれど、あの日とは違う。
「……うん。こんな色だよ」
少しだけ間を置いて、そう答えた。
陽が沈むたびに怖かった。
夜が来るたび、時間が奪われていく気がして、明日が近づくことが恐ろしかった。
でも今は、違う。
空はただ美しく、静かで、穏やかだった。
「きれいだね」
アリアが微笑む。
その横顔は、少し痩せたままだが、血の気が戻っている。
五年前、親を亡くしてから、二人で支え合って生きてきた日々が、ララの胸をよぎった。
まだ幼かった自分の手を引き、泣きながらも前を向いてくれた姉。
学ぶはずだった道を手放し、働きに出てくれた人。
失うかもしれないと知ったとき、ララは初めて、世界が壊れる音を聞いた気がした。
「……ねえ、アリア」
ララは小さく声をかける。
「なに?」
「明日さ。無理じゃなかったら……一緒に朝ごはん作ろ」
一瞬、アリアは目を丸くし、それから柔らかく笑った。
「うん。楽しみ」
その返事が、胸の奥にあたたかく染みていく。
ララは、空を見上げた。
同じ夕焼け。
けれど、もう──怖くない。
明日が来るのが、怖くない。
しばらく更新ゆっくりになります
年末だー( ˘ω˘)




