◆ある青年騎士の話
ある騎士の話をしよう。
スラム街あがりの、非道な任務も忠実にこなす騎士がいた。
彼は黒翼騎士団──王国騎士団の暗部に所属し、諜報、誘拐、暗殺、人々が目を背ける汚れ仕事を、正確かつ迅速にこなした。
「従えば生きられる。逆らえば死ぬ。守れば尊厳を奪われない」。
育った環境で身についたその教訓は、彼の感情を削ぎ落とし、必要な反応だけを残した。
寡黙で、人間味が薄く、だが暗部の任務にはこの上なく向いていた。
◆
彼は夜だけ、王都の片隅にある小さな酒場へ通うようになった。
理由はつまらない。
騎士団の食堂は朝と昼だけで、夜は自分でどうにかしろと言われていたから。
料理ができるはずもなく、偶然入ったその店に通い続けている。ただそれだけだ。
店主は酒好きで、気のいい男だった。
客が入るたびに冗談を飛ばし、忙しく鍋をかき混ぜ、楽しそうに働く。
ある晩、店主の男がふと声をかけてきた。
「いつもありがとうな。あんたらがいるおかげで、この街は安心して暮らせるよ」
青年は、ほんのわずかに眉を動かした。
へぇ、騎士って感謝されるのか。
その程度だった。
彼自身は誰かを守ったことなど一度もない。
ただ命令に従い、命を奪ってきただけだ。
実際のところ、店主の言う「騎士」は白翼騎士団――街の治安維持を担う、表舞台の騎士たちのことだったのだろう。
店主は毎夜、酒を注ぎながら他愛もない話をした。
青年は返す言葉を多く持たず、ただ淡々と酒を飲んだ。
◆
数年が経った頃
ある地方で反乱が起こり、黒翼騎士団も動員された。
青年はいつも通り、“仕事”をこなした。
反乱兵だけでなく、巻き込まれた住人も多く死んだ。
その中に、反乱の集会場所として使われていた食堂があった。
そこにも店主がいた。
王都の酒場の店主と同じように、ただ日常を生きていたはずの男だった。
青年の刃は、その男の命も終わらせた。
命令だったからだ。
その瞬間、初めて、彼の中でふたつの世界が重なった。
王都の穏やかな“生活している人々”と、これまで“処理対象”としか見てこなかった人々が、同じ色を帯び始めた。
――あの人たちにも、暮らしがあったのか。
その理解は、小さなひびのように胸に残った。
たが、そのひびは思ったよりも深かった。
◆
反乱を鎮圧した後も付近の領地で滞在命令があり数日間、青年は落ち着かない心のまま過ごした。
また、あの店主にありがとうと言われる事が怖い。
──俺のしてきた仕事は、本当に“ありがとう”と言われるようなものなのか?
街中で人々が笑っていても、どこか遠い世界の出来事のように聞こえた。
その「平和な日常」は、自分が壊したものと同じ形をしている。
◆
帰還命令により王都に戻ってきたものの
青年騎士は酒場へ向かう足をどうしても前へ出せずにいた。
自分の手は血に沈んだまま。
歩いているだけで、手についた血の匂いがついてくる気がした。
そんな折、耳に入った噂話。
「数日前、あの酒場が強盗に襲われてな……店主が殺されたらしい」
「あそこ、前は騎士が通ってたから狙われなかったんだろ? 離れた隙を突かれたんだな」
青年騎士の呼吸が、そこで止まった。
──俺が行っていたから、襲われなかった?
自分は誰も守ったことがない。
命令されれば殺す。
影に潜り、誰かの生活を奪うことばかりしてきた。
“殺す”ことしか教わらなかった。
守る任務など与えられたことは一度もなかった。
自分の仕事は、白翼騎士団のような治安維持でもなければ、
市民を安心させる清廉な活動でもない。
だが。
通い続けた日々が結果として
店を強盗から遠ざけていたという事実は、
彼の胸に新たな重みを落とした。
殺すだけの自分でも、
ただ店で飯を食っていただけで、
“守る側に立っていた瞬間があった”。
だが任務で反乱地域へ出向き、
何も告げず店に足を運ばなかった数日間――
その“空白”が、店主の死を呼んだ。
殺すために遠征している間に、
自分が守れていたはずの店主が死んだ。
「……俺は、命令とあれば躊躇せず命を奪ってきた。」
──生まれた時から奪うか奪われるかの人生だった。
「守ることなんて、一度も選んだことがなかったのに。
……それでも、守れた相手が、いたのか」
その気づきは救いではなく、
“手を伸ばせていれば助けられた命を失った”という絶望だった。
その絶望は、青年騎士の心を深く裂き──
青年騎士の中で、
静かに張りつめていた何かが――ぷつり、と音もなく切れた。
◆
翌朝、彼は静かな足取りで退団届を提出し、王都から姿を消した。
守れなかった店主の姿が、背中にずっと残っていた。
酒好きで、おしゃべりで、気の良い男。
騎士団の世界とは別の、柔らかい温度を持った人間。
彼の「ありがとう」は、
青年騎士がこれまで人生で一度も受け取ったことのない種類の言葉だった。
人間らしい温度を持つ、あの店主のように。
いつか、そんな生き方へ辿り着けると信じたわけではない。
ただ――
あの男の在り方が、
自分の“なりたい姿"のどこかに刻まれてしまっただけだった。
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書きたかった話です。
この話が9、10話に来る予定でしたが先に差し込みました。




