ある日の彼らと旧い知人
古い木の香りと、淹れたてのコーヒーの匂いが微かに混じり合う、静かな空間だ。
店内はいつもと変わらず落ち着いていて、カウンターにはカイルとリデルがひと席開けて並んで腰掛けていた。
カイルはコーヒーカップを手にしたまま、ふと思い立ったように店主へ視線を向ける。
「......リュカさんは、グレンさんの過去、ご存知だったんですか?」
グレン本人へ詮索しないようにしながらもカイルの胸の奥には引っかかりが残っていた。
騎士団が来訪した日に見たグレンの表情。
痛みを押し隠すような沈んだ目が、どうしても忘れられなかった。
「......知ってたよ。
詳しくは知らないけど、ね。」
リュカは本から目を離さず、淡々と答える。
少し間を置いて、リデルが遠慮がちに口を開いた。
「......そ、その"灰刃"って、何なんですか」
騎士たちが使っていた呼び名。
その言葉を耳にした瞬間、グレンの空気が変わったのを、二人とも見ていた。
「……本人がいないところで聞くのは……ちょっと、もやもやしますけど……」
踏み込むべきか迷いながらも、リデルは小さく続けた。
リデルもまた、あの時のいつもとは違うグレンの様子が、頭から離れなかったのだ。
リュカは視線を本に落としたまま、しばし考える。
──黒翼騎士団の"沈黙の灰刃"
かつて、そう呼ばれた男がいた。
王国の表に出ない仕事を担う騎士団。
その中でも、名だけで空気を冷やす存在だったらしい。
寡黙で、無駄な動きがなく、
気づいた時には、すべてが終わっている。
音もなく現れ、音もなく消える。
標的だけが“沈黙”を残す――
そんな噂話と一緒に、その二つ名は語られていた。
十五年前、男は姿を消した。
今となっては、その名を知る者の方が少ないだろう。
リュカが知っているのは、それだけだ。
リュカは、ページの端を指でなぞったまま、ほんの一瞬だけ動きを止めた。
それから、ぱたんと本を閉じる。
「......まぁ、ジジイしか知らない名前ってこと。」
生きた年数で言えば、人間の誰よりも"ジジイ"である少年が雑に言い切った。
「「......へ?」」
一言も聞き逃すまいとしていた二人は、拍子抜けした声を揃える。
「気になるなら、グレンに直接聞きなよ」
リュカはすでに次の本を開いていた。
それ以上語るつもりはないらしい。
──安酒を飲んだり、クッキーを齧ったり、時には後輩たちに振り回されながらもどこか楽しそうに過ごす男。
リュカは、そんな小さな日常を楽しむ“今”のグレンを思い浮かべた。
「……今は、やめておきます」
「オレも……」
二人はそれ以上踏み込まず、そっと話題を引いた。
グレンに、あの顔をさせたくはなかったから。
店内には再び、静かな時間が流れ始める。
◆
その頃の冒険者ギルドでは──
昼下がりの冒険者ギルドは、相変わらず騒がしかった。
依頼の掲示板の前では若い冒険者たちが言い争い、酒を飲むテーブルの方からは昼間だというのに遠慮のない笑い声が漏れてくる。
その喧騒の中で、場違いなほど軽やかな足取りの男が一人、扉をくぐった。
首元には使い込まれたゴーグル。
柔らかな茶褐色の髪に、どこか落ち着きのない視線。
旅装に近い服装だが、生地も仕立ても明らかに上等だった。
王宮付きの錬金術師──
そう言われれば、妙に納得のいく佇まいだ。
その男、ローディは、きょろきょろとギルド内を見回し──
やがて、一角に男の姿を見つけると、ぱっと表情を明るくした。
「……おっ」
グレイッシュの髪。
気怠そうに椅子に腰掛け、受付から渡された書類に目を通しながら、片手で酒杯を揺らしている壮年の男。
「見つけた!グレンじゃないか!」
考えるより先に、ローディは声を上げていた。
グレンはぴくりと肩を揺らし、ゆっくりと顔を上げる。
濃いグレーの瞳が、騒がしい空気を一枚隔てたような冷静さでローディを捉えた。
「……あ?」
数秒の沈黙。
そして、どこか面倒くさそうに目を細める。
「……誰だっけな」
「ええ!? ほら! 十五年ぶりの再会だ!
あの頃は仲良く語り合っただろ!」
ローディはずい、と距離を詰める。
馴れ馴れしさの塊のような動きだ。
もっとも、“語り合った”というのはローディ基準の話で、
実際は、たまに会う度に一方的に話しかけていて、グレンが反応を返すことはほぼなかった。
グレンは一瞬、身を引きかけてから、観念したように息を吐く。
「ああ、
王宮にいた変人錬金術師か。」
「思い出してくれたか!変人は余計だけど」
ローディは笑いながらも、誇らしげな様子だった。
覚えられていなかった不満より、“思い出された”事実の方が彼にとっては重要らしい。
「グレンがこの街にいるって聞いて、会いに来たんだ!
老けたなあ!随分変わった!」
デリカシーという言葉をどこかに置き忘れた調子で、嬉しそうに言う。
「......っ、何年経ったと思ってんだ。お互い様だろ」
グレンは頬杖を突き、不機嫌そうに顔を逸らす。
ローディはグレンよりはいくつか若いが、ほとんど変わらない年齢だ。
手入れの行き届いた肌や髪は三十代後半としては若々しい。しかし声や眼差しには相応の年輪が滲んでいた。
ローディは言いかけて、口を閉じた。
勢いが、一拍だけ止まる。
「......本当に、変わったよ。僕は今の君の方が好きだ。」
ローディは一瞬、過去を見ているような遠い目をした。
それから、グレンをしっかりと見据え、安心したように微笑む。
グレンは書類を机に置き、酒杯を手に取り酒を煽る。
さっさと話題を変えたい気配が仕草に滲んだ。
「それより......俺の居場所を聞いたって、誰にだ」
低い声で、先ほどから引っかかっていた疑問を口にする。
「......心配しなくても大丈夫だよ。
君を連れ戻せとは言われてない。
白翼の騎士団長が教えてくれたんだ。」
ローディは質問の裏にある警戒を察して答える。
「そうか......。
まあ、もし俺を処分しに来るなら、お前みたいな戦闘能力のないやつを寄越さねぇよな」
わずかに肩の力を抜き、冗談めかして言う。
「騎士団長も、グレンの情報は内々に留めるって言ってたしね。無理にどうこうする気は無さそうだったよ。
ま、上も随分入れ替わったし今さらおっさんになったグレンに興味も無いかもよ!」
あははと笑いながら、ローディは続ける。
"おっさん"という一言は先程の仕返しなのか、天性のデリカシーの無さゆえの言葉なのか判別しがたい。
「僕は休暇でこの街に来ただけだから、しばらく滞在するよ!
昔みたいに、いっぱい話そう」
楽しそうに言いながら、ローディはグレンの顔をじっと覗き込む。
その瞳には、懐かしさと、変わらぬ信頼が浮かんでいた。
("あの頃"の俺にしょっちゅう話しかけてくるやつなんて、こいつくらいだったよな......)
グレンは、ふとそう思う。
当時は気にも留めなかったが
今になって振り返ると、ローディはいいやつだったな、とほのかに温かな気持ちで思い返す。
──と同時に。
グレンが討伐で疲れ切っていても、構わず話しかけられ、延々と話が終わらない記憶や。
明るい調子で「俺以外に友達はいないのか」だの、「殺し方が人間と思えない無慈悲さですごい」だのとデリカシーの無い暴言を投げかけられた記憶の数々。
ローディが王宮の研究室で爆発事故を起こし、幻覚作用のある煙を廊下に充満させた"緊急事態"の後始末に駆り出された日のことまで──
次々と、鮮明に蘇ってくる。
「............いや。話したくない。帰ってくれ」
グレンは片手で顔を覆い、心底疲れた声で呟いた。
「えっ! ひどいじゃないか!? なぜだ!?」
予想外の反応にあからさまに狼狽するローディ。
ギルドの酒場は、変わらず賑やかだ。
ひとり余所者が増えたところで、その喧騒は何ひとつ変わらない。
こうして──
グレンの周囲に集まる人間が、またひとり増えた。
ローディは老けたと言ってますが、時を経た再会と、グレンの生存を喜んでいるだけで悪気はないです。
【読まなくてよい設定】
グレンも人に見せずに毎日鍛錬+身体強化してるので年齢より肉体が若いです。
酒場で背をまるめてるとそうは見えませんが。




