カイルの焦燥感と危険な料理 後編
「さて。条件がある」
リュカは、はっきりと言った。
少年の声なのに、そこには逆らわせない確固とした響きがある。
「僕とグレンが言う通りに動くこと。
自己判断は禁止。足さない、混ぜない、火を強くしない」
一つ一つ、区切るように告げられる。
その声音には、妙な重みがあった。
「はい!」
カイルは背筋を伸ばし、即答した。
真剣な眼差し、整った立ち姿。
外見だけ見れば、熟練の料理人のようですらある。
――外見だけなら。
グレンは壁に寄りかかって腕を組み、天井を仰いだ。
「……なんで剣の扱いより緊張してんだ、俺」
「……カイルはね」
リュカは淡々と返しながら、踏み台に乗って棚を開ける。
「剣を振るより、鍋を振るほうが危ないタイプだから」
棚の中から鍋を取り出すリュカ。
黒鉄色の、やけに厚みのある鍋。
縁には細かい魔術刻印が走っている。
「魔術実験用の魔力鍋だ。普段は料理に使わない」
「じゃあ、なんでそれを……」
「普通の鍋は、たぶん耐えられない」
リュカは真顔で頷いた。
どうやら、カイルのコーヒー体験が相当なトラウマらしい。
「よし。メニューはクリームシチューだよ」
「はい。煮込み料理ですね」
「そうだ。切る、炒める、煮る。工程が分かりやすい」
「役割分担を決めるよ」
リュカは指を折る。
「僕が全体の流れと分量を管理する。グレンは包丁と火加減」
「了解」
グレンは即座に頷いた。
戦闘前と同じ顔だ。
「カイルは……」
一拍、間が置かれる。
「言われたことだけを、言われた通りにやる」
「はい!」
曇りのない声が返る。
その素直さが、いちばん怖かった。
こうして、妙な緊張感に包まれた三人の料理が始まった。
「まず、根菜の皮を剥いて」
リュカがボウルを差し出す。
「はい!」
迷いなく、キャロットをまな板に置き――
ズダン!
と、削ぐように包丁が振り下ろされた。
このまま四方を削げば、立派な野菜スティックが完成する厚みだ。
「野菜って皮剥くのか」
その様子を見ながら、グレンが感心したように言う。
「俺、全部食ってたしなぁ」
「……君、まさか」
リュカはこめかみを押さえ、嫌な予感を隠さない。
「野営飯なら作れるぞ」
「……」
リュカの頭痛が、確実に一段階悪化した。
とはいえ、目の前で一つ見本を見せると、
グレンは見るだけで要領を掴み、次々と皮を剥いていく。
カイルもやる気は満々だったが、どうにかニ個ほど剥き終えた時点で、
グレンが残りすべての皮剥きを終わらせていた。
その後も、
「塩」
「はい!」
「それは砂糖」
「混ぜて」
「はい!」
「優しく。鍋が悲鳴を上げてる」
そんなやり取りが、何度も繰り返された。
リュカも次第に慣れ、一定のリズムで指示を出すようになったころ、
「あ、牛乳が足りない」
ふと気づいて言う。
「取ってくるから、鍋を見てて」
そう言って、厨房を離れた。
グレンはこれまでの惨状を思い出し、額を押さえた。
「お前……冒険者としては優秀なんだけどな……」
普段の仕事ぶりからは、想像もつかない不器用さだ。
「……っ! 努力します」
カイルは食い気味に答える。
その言葉に嘘はない。
ただし――
努力の方向が、今日は致命的にずれている。
そのとき、鍋が震えた。
刻まれた紋様が、薄く光を帯び始める。
使用している魔導鍋は、かつてリュカが魔術実験用に使っていた鍋だ。
その鍋は、過去の実験で魔力を溜め込んだままだった。
そして、今日という日を選んだ。
鍋から、紫の蒸気が勢いよく噴き上がる。
「「なっ!?」」
カイルは即座にグレンの肩を掴んで引き寄せ、鍋の蓋を構える。
鍋の蓋に蒸気がぶつかり、ぶわあと散った紫色が辺りに消えていく。
鍋が浮き上がる。
禍々しい色の蒸気をぶわり、と吐く動作はまるで生き物のようだ。
「なんで鍋が......っ!」
「どういう鍋だ!?とにかくぶっ叩くか」
グレンが厨房にあった木製のめん棒を構え、前に出る。
「……グレンさん」
その声は、意外なほど落ち着いていた。
「……下がってください」
理由は言わない。
言う前に、身体が前に出ていた。
「お前......っ!?」
「......グレンさんに怪我はさせません」
護身用の鍋蓋をグレンに手渡す。
カイルは厨房のフライパンを手に取り、《暴走魔力鍋》へ向き直る。
鍋へ踏み出す背中越しに光が刺す。
──漢の背中だった。
カイルの背中にグレンは引き止められず、言葉を贈る。
「......っ、無茶すんなよ」
カイルは肩越しに振り返り、頷く。
激闘だった。
突進する魔力鍋。
打ち返すフライパン。
紫の蒸気が吐き出されては霧散していく。
幾度の攻防が繰り返された。
◆
牛乳を手に厨房へ戻ると、まさに《暴走魔力鍋》誕生の瞬間だった。
鍋から紫の蒸気が噴き出し、鍋蓋で防いでいた。
二人に火傷がなくて良かったと少し安心する。
そして脳裏に前回の実験──何十年も前だが。
──あ。
そういえば、魔力を抜いていなかった気がする。
まあ、今さら言うことでもない。
とりあえず結界糸で拘束して、魔力を抜き鎮静化しようと手をかざし──
厨房が何やら盛り上がっていた。
映画のクライマックスで死地に向かうような気迫だ。
半眼で男達を眺めていると、止めるのも野暮な気さえして来た。
本棚や魔道具に損傷を防ぐ結界を貼り、座って見守る事にする。
◆
何度目かの突進を阻まれた《暴走魔力鍋》が、音を立てて震え出す。
まるで最期の咆哮のようだった。
その鬼気迫る鍋の気迫に、カイルとグレンは息を呑む。
この咆哮が終わる時、きっと最後の突進が来る。
──そのとき
「カイル!これ!」
牛乳を抱えて座っていたリュカが何かを投げ、カイルが受け取る。
「これは......!」
ミトンだ。
「......最後は己の体で仕留めろという事ですね!」
フライパンから手を離し、
ミトンを嵌めて覚悟を決めたように構える。
「いや。違う......」
リュカの言葉を遮るように
鍋は、けたたましい音を立て突進の姿勢を取る。
カイルへ狙いを定め、向かう。
鍋とは思えない速さ。
カイルは中腰の姿勢で足を踏み締め、瞬きもせず鍋を見据える。
そして──
鍋からしゅう、と空気の抜ける音がした。
そのまま手前で減速し、
落下する。
「おっと、と」
前へ踏み出して鍋をキャッチするカイル。
「…………」
固唾を飲んで見守っていたグレンの力が抜ける。
「……魔力を吐き切ったら自然に止まる」
近寄ってきたリュカが言った。
拍子抜けするほど、あっけなく。
こうして、
人類と鍋の戦いは、幕を下ろした。
鍋の音も、魔力のざわめきも消え、
厨房にはようやく静けさが戻っていた。
「まさか鍋が暴走するとはな……」
「……俺が、ちゃんと料理できていれば」
的外れなところで責任を背負い込み、肩を落とす。
「別にカイルのせいじゃないよ」
リュカは言う。本当にカイルのせいではない。
「さて、まだ食べる気はある?」
捕獲した鍋を開くと、作りかけのシチューの香りが漂った。
「途中で投げるのは、冒険者らしくねぇだろ」
グレンがそう言って、カイルの背中を軽く叩いた。
「……はい!」
二人の言葉に、はっと顔が明るくなるカイル。
そこからは、
リュカの指導のもとシチュー作りが再開される。
火加減、味見のタイミング。
カイルも話をよく聞き、真剣な顔で作業する。
その手は不器用だが雑ではない。
しばらくして。
皿に盛られたそれは
見た目以外は、完璧に“料理”だった。
温かい湯気とともに、濃厚で食欲をそそる香りが立ちのぼる。
しかし、各々の前に置かれたその皿が、異質な存在感を放っている。
──皿の上で、シチューが緑と紫にきらめいている。
角度を変えるたび、色がゆっくりと変わった。
それは、食べ物よりもオーロラに似ていた。
暴走魔力鍋の影響により、史上初の料理が生まれた瞬間だった。
「……なあ。」
グレンが何か言いたげにリュカを見る。
「あの鍋に毒はないよ。大丈夫」
リュカが淡々という。
食べずに済ませたい気持ちだが、先ほどまで懸命に料理をしていた姿が浮かぶ。
グレンは数秒、目を閉じた。
冒険者としての覚悟とは、また別の種類の決意だった。
それからスプーンを取る。
カイルは息を潜めて見守っている。
「……ん?」
グレンはもう一口、スプーンを口に運ぶ。
「……問題ねぇな」
一拍置いて、
「ちゃんと、うまい」
カイルの顔はぱっと明るくなった。
「ありがとうございます!」
「ほんとだ、美味しい」
リュカも一口食べてそう言う。
「ほら、カイルも食べろ。味は悪くねぇぞ」
「魔導鍋で魔力を循環、発散させると......料理が美味しくなるのかな......」
そんな取り留めのない話をしながら、
三人の少し遅くなった夕食は、思いのほか賑やかに過ぎていった。
◆
翌朝。
町外れの通りに、低い位置から差し込む朝日が伸びていた。
夜の冷えをまだ残した空気はひんやりとして、吸い込むと胸の奥が少しだけ澄む。
《深緑の古書店》の扉の前にも、朝の光が静かに落ちていた。
店内には、開け放たれた窓から柔らかな日差しが差し込み、
夜の名残を洗い流すように、穏やかな明るさが広がっている。
その空気を切るように、扉が控えめに開いた。
「リュカさん、おはようございます……っ!」
扉からリデルが顔を出して挨拶をした。
いつもの店内を進む。
ふとカウンター越しに見える鍋に視線が止まり、固まる。
黒く分厚い鍋。
刻まれた魔術刻印が、重々しい存在感を放っている。
だが──その外見よりも
「あ、新しい攻撃魔法ですか……?」
鍋の中のオーロラ色に揺れる液体から、視線が離れない。
「ああ。カイルが作ったクリームシチュー」
「シチュ……!?」
知っている料理の名前と、目の前の光景が結びつかない。
「食べる?おいしいよ」
「......遠慮しておきます」
即答だった。
その後、
「掃除はできるけど、料理は壊滅的なんだよね」
と、リュカがぽつりと零した言葉を聞き、
(……万能じゃないんだな)
リデルの胸の奥に、わずかな安堵が落ちた。
何でもできて、人望もあって、
正直いけ好かないと思っていた。
でも――
見えないところで、苦労して、
それでも投げ出さずにいるのかもしれない。
リデルの中で、少しだけ。
カイルという男が、遠い存在ではなくなった。
こうして、
オーロラ色のシチューを目にしたことで、
リデルの中の冷えた距離は、わずかに縮まったのだった。
前編は、カイルが初めてリデルの成長と変化に焦燥感を感じました。
リデルは対照的にカイルに少し歩み寄れるようになりました。




