カイルの焦燥感と危険な料理 前編
前半ちょっとじめじめしてます
午後の木漏れ日が差し込む、街近郊の森。
冒険者ギルドの定期調査を終え、二人の男が並んで帰路についていた。
木の根が張り出した森道も、二人にとっては慣れた帰り道だった。
一人はグレン。
いつも冗談ばかりで、どこか飄々とした壮年の男だ。
もう一人は、カイル。
二十代半ばの若さで、街でも名の知れたギルド期待のエース。実直で人助けを厭わない好青年だ。
そんな彼が敬語を崩さず隣を歩く相手は、そう多くはない。
前を行くグレンの背は、いつもよりわずかに軽やかに見えた。
「……グレンさん、今日は少しご機嫌でしたね」
背後から声をかけると、グレンは足を止めず、肩越しにちらりと振り返った。
「そうか?」
「ええ。なんとなく。
昨日はどう過ごされたんですか」
なんとなくとは、自分でも曖昧な言い方だと思ったが、それ以上うまい言葉が見つからなかった。
先日の、どこか内に沈んだ重さが、確かに薄れている。
グレンは少しだけ歩調を緩め、木々の隙間を見上げた。
思い出すような間のあと、気楽な調子で答える。
「ああ。リデルと武器屋を何軒かまわったな」
「リデルと?」
思ったより、声が少し高くなった。
カイルはすぐに気づき、咳払いで誤魔化す
「依頼ですか?」
「いや。ただの買い物だよ。」
根の張り出した場所を器用に避けながら、グレンは続ける。
「飯食ったりな」
本当に大したことじゃない、という口ぶりだった。
「……楽しかったですか?」
問いは、考えるより先に口をついて出た。
自分でもなぜそんなことを聞いたのか、分からない。
「悪くはなかったんじゃねえか?
知らない武器屋も見れたしな。」
わずかに楽しげな響きが、声に混じった。
「そう、ですか。」
それだけでも十分だった。
だが、グレンは何気なく、言葉を重ねる。
「リデルの成長も見れたしな。
あいつ、まだ強くなるぞ」
胸の奥で、何かがきしんだ。
息が、一瞬だけ詰まる。
小骨が刺さったみたいに、違和感だけが残った。
「……そうですか。それは、良かったです」
口にした声は、思ったよりも穏やかだった。
胸の中だけが、どうにも落ち着かなかった。
理由を探しても、しっくりくるものは見つからない。
リデルは、グレンに評価されて当然の冒険者だ。
それは分かっている。
それでも――
なぜ、自分は、こんな感覚を覚えるのだろうか。
◆
《深緑の古書店》は、午後の静けさに包まれていた。
通りから一歩入っただけで、外のざわめきが嘘のように遠ざかる。
扉を開けると、古い木の匂いと、焙じた茶葉の落ち着いた香りが鼻先をくすぐった。
「いらっしゃい」
カウンターの奥で、リュカが顔を上げた。
相変わらず感情の読みにくい表情だが、視線は穏やかだった。
「今朝、リデルが魔法を習いに来てたんだ。」
リュカが魔導サイフォンの上部を木匙で軽くかき混ぜながら言う。
透明なガラスの中で、湯が静かに循環していた。
「若者は熱心だな。見習いてぇもんだ」
グレンは椅子に腰を下ろすなり、背もたれに体重を預けてだらける。
「うん、リデルは才能あるよ。飲み込みも早い」
一拍置いて、ちらりとグレンを見る。
「......君は姿勢を正す事から見習いなよ」
「へいへい」
グレンは肩をすくめ、わざとらしく背筋を伸ばした。
リュカがサイフォンのロートを外しながら小さく息を吐く。
手に持つロートには残った珈琲豆がふっくらと盛り上がり、表面にはふつふつと細かな泡があった。
ふんわりとコーヒーの香ばしい香りがカウンターに広がる。
カイルは黙って自分の手元へ視線を落としている。
ここでも、リデルの評価だ。
胸の奥に、ちくりと小さな痛みが走る。
居心地のいいはずの店内が、なぜか落ち着かない。
心だけが、居場所を見失っているような感覚だった。
「そうだ、グレン」
抽出したコーヒーをフラスコから注ぎ、
湯気の立つカップを二人の前に置いてから、リュカは思い出したように言う。
「これ。リデルから預かってた。」
一度カウンターの下に屈み、小さな包みを取り出す。
「買い物に付き合ってくれたお礼だってさ。
お酒入りのチョコだよ。僕と一緒にここで作った」
包みを差し出しながら、リュカは淡々と告げる。
「俺、何もしてねぇんだけどな。……まあ、折角だから貰うか」
グレンは包みを受け取り、困ったような笑顔を見せる。
カイルは何も言えずにその光景を見ていた。
胸の奥が、ひやりと冷える。
(……俺は)
気づけば、自分だけが立っていると思っていた場所に、
いつの間にか、もう一人立てるだけの余白ができていた気がした。
──冒険者としての実力でも、信頼でも。
そこに立てるのは、自分だけだと、いつの間にか思い込んでいた。
言葉にしようとすると、形にならない。
焦りのような感情が、胸の奥で渦を巻く。
よく分からない。
分からないまま考え続けるのは、きっと良くない。
だから──
胸の奥で燻るこの何かを、早くどこかへ追いやる必要があった。
「これ、案外イケるな」
先ほどの包みから取り出したウイスキーボンボンを一つ口に運び、グレンがそう言った。
ほんのわずか、気を許したような横顔だった。
それを見た瞬間、
カイルの胸の奥で、何かが静かに音を立てた。
──そうだ。
こういう顔を、自分がさせたい。
「……グレンさん」
声をかけると、グレンはゆるく顔を上げる。
「ん?」
カイルは背筋を伸ばし、迷いなく言った。
「俺にも、何かさせてください」
「……は?」
思わず間の抜けた声が出る。
「感謝を、形にしたいんです」
真っ直ぐな眼差しだった。
先ほどまで胸に溜まっていた重さは、いつの間にか前向きな決意へと姿を変えている。
「形……?」
グレンの頭に、「何の感謝だ」「何をする話だ」と疑問が次々浮かぶ。
カイルは一瞬だけ考え込み、
そして、何かを閃いたように顔を上げた。
「――料理ですね」
◆
一瞬の沈黙。
リュカは無言でカップを置いた。
グレンもリュカも瞬時に目配せし合う。
その表情は緊迫そのものだった。
二人の脳裏にはあの記憶が蘇っていたからだ。
──カイルが淹れた、泥水のコーヒー。
珈琲豆という素材から、なぜか暗黒を生み出す男。
カイルがどういう思考で、今こんな話をし出したのかはわからない。
だが一つだけ、はっきりしている。
(料理させてはいけない)
その結論だけは、完全に一致していた。
グレンがテーブルに手を置き、慎重に切り出す。
「いや......料理じゃなくていいんじゃねえか」
「うん」
リュカも即座に続ける。
「君の誠実な言葉は、それだけで十分伝わってるよ」
「形にして、受け取って欲しいんです」
カイルは一歩も引かない。
その瞳は、妙なほど晴れやかだった。
「料理以外の贈り物を考えたらいい」
リュカは助言する。
「そうだ」
グレンも便乗する。贈り物などしなくていいが、とにかく料理は阻止したい。
「俺は酒が好きだぞ。な?」
「心を込めて、自分で作って感謝を伝えたいんです」
姿勢を正し、まっすぐ答える。
堂々巡りの質問にグレンは頭を抱える。
それから、最終手段と言わんばかりに、おそるおそるカイルへ聞いた。
「カイル、お前、料理......下手なんじゃないのか?」
「え......っ、自炊もたまにします。人に作ったことはないですが」
自炊する、という言葉に、二人は一瞬だけ安堵した。
しかし、まだ足りない。
「それはちゃんと完成するのか?食えないもんを作り出すんじゃ......」
グレンが言いかけながら、カイルの様子に目が止まる。
「…………」
分かりやすいほど、しょんぼりしていた。
大柄な体を小さく縮め、俯く姿は、
叱られた大型犬そのものに見えた。
──グレンとリュカの良心が、同時に痛んだ。
「リデルが......」
普段より小さな声で話し出す。
「チョコでグレンさんへ感謝を伝えたので、俺も何か形にしたくて......」
「……料理以外で、自分が作れるものが思いつかなくて」
俯いたまま、ぽつりと呟く。
──良心がさらに痛んだ。
グレンは助けを求めるようにリュカを見るが、リュカはそっと視線を逸らした。
「......まあ」
グレンは咳払いをしてから、言葉を選ぶ。
「俺ならそうそう食えない物なんかねぇけどよ......」
諦めたように言うグレン。
「......カイルがしっかり片付けまでするなら、厨房を貸してあげない事もない」
リュカも、ため息混じりに折れる。
年長者というものは、
まっすぐすぎる若者に、だいたい弱い。
後編は明日、投稿予定です。




