王国からの客人
昼下がりのギルドは、いつもよりざわついていた。
椅子を引く音、職員たちの小走り、依頼掲示板の前で囁かれる声。
扉をくぐった瞬間、グレンは眉をひとつ上げる。
「……おいおい?火でも出たか?」
飄々とした調子で言いつつも、周囲の空気を一息で読み取る。
緊張──それも、“偉い誰かが来ている時特有の、余計な背筋の伸び方”だった。
奥から血相を変えたギルド職員が走ってきた。
「グ、グレンさんっ!大変なことになってます!」
「......また誰か借金踏み倒して逃げたか?」
グレンは面倒事の予感を感じつつ、軽い調子で返す。
「そうじゃないですって!いま……王都から、白翼騎士団の団長が……!」
ギルド職員は言葉に詰まりながら伝える。
「……騎士団長が、何の用でわざわざこんな田舎へ?」
──内心、ついに来たか、と覚悟する。
あの夜の事だろう。
酒場で粗暴な白翼騎士達を追い払った件。
まさか騎士団長が出て来るとは、思ってもみなかったが。
王国騎士団の騎士を、一介の冒険者が叩きのめしたとなれば、ただでは済まない。
だから、カイルとリデルには手を出さないよう釘を刺したのだ。
白翼騎士団内の粗暴な連中は、まともに陳述を聞く気があるかすら不明だ。
グレンには"よくわかっている"。
溜息をつく。
「……はぁ。面倒くせぇ。」
飄々とした声音とは裏腹に、歩き出す足取りは静かだった。
向かう先は、ギルドの最奥──来客用の客間。
◆
客間のドアを開けた瞬間、空気が変わった。
ひやりと冷えたような静けさが、肌にまとわりつく。
人の気配は確かにあるのに、会話ひとつ聞こえない。
まるで部屋そのものが、余計な言葉を拒んでいるかのようだった。
窓は閉め切られ、昼の光は厚手のカーテン越しに淡く滲んでいる。
スプリングの効いた長椅子とテーブルは、ギルド職員によって几帳面すぎるほど整えられているが、
そこに“くつろぎ”のための客間であった痕跡はない。
部屋を満たしているのは、緊張と威圧──
白地に濃紺の差し色が映える騎士団の制服。
その中でもひときわ存在感を放つ男が、中央に腰掛けている。
金と白の糸で織られた肩章、胸元には白銀で翼を象った階級章。
姿勢ひとつで、この場の主が誰であるかを語っていた。
その傍らに立つのは、いかにも意地の悪そうな二人の騎士。
目つきは鋭く、態度は露骨なほど高圧的だ。
グレンを見るや否や、その一人が鼻を鳴らす。
「これが……例の冒険者か。随分、野放図な格好だな。」
「そのとおり。騎士団に喧嘩を売るとは、身の程を知らぬにも程がある。」
いかにも“冒険者を見下してます”といった声音。
カイルが一歩前に出た。
「失礼ですが、その物言いは──」
「カイル、落ち着け。」
グレンが軽く制すると、カイルは拳を握りしめつつ下がる。
その瞬間、言いがかり騎士は口角を上げた。
「倒された我が部下はこう証言している。“冒険者に絡まれ、無抵抗のところを襲われた”とな。」
リデルが咄嗟に声を上げる。
「ち、ちがう!むこうが、オレに殴りかかってきて……!
それで、グレンさんが庇って……!」
「ええ、グレンさんから手を出していません!」
カイルの声も強い。
だが騎士は鼻で笑った。
「証言などどうとでも言える。
お前らも暴行犯の仲間だろう?」
グレンを“暴行犯”と決めつける物言いに、カイルとリデルの顔が歪む。
グレンは黙ったまま状況を見ていた。
騎士らの見下すような視線、口調、距離、腰の剣。
昔の記憶が自然と戻ってくる。
もう二度と戻りたくはない過去。
その時。
沈黙を守っていた中央の男──白翼騎士団長が、静かに声を発した。
「……さっき、彼らは“グレン”と呼んだな。」
その瞳が、まっすぐグレンを射抜く。
「特徴を聞き、まさかとは思ったが……
来て確かめずにはいられなかった。」
団長は椅子から立ち上がる。
その動きは無駄がなく、静かで、威圧感ではない重みがあった。
「その髪の色、瞳、その佇まい……そして“グレン”。
──黒翼騎士団の元副団長、灰刃のグレン殿ですね?」
客間の空気が震えた。
「なっ……!?」
「冗談だろう……!?あの黒翼の猟犬が......!?」
意地の悪い騎士たちの顔が、青ざめる。
グレンは表情を動かさない。
ただ、視線がほんのわずか伏せられる。
「……俺のことを知ってんのか。」
落胆のような、悲しみのような、沈んだ声だった。
団長は真剣なまなざしで頷く。
グレンの周囲の空気が、一瞬張り詰める。
彷彿とするのは、戦場で刃を交える前の、あの無慈悲な気配。
だが、すぐに霧散する。
次に顔を上げた時には、いつもの苦い笑み。
「昔の呼び名だ。今は違う。」
側で見ていたカイルは、胸の奥がざわつくのを抑えられなかった。
その笑みの奥にあるのは、懐かしさでも誇りでもなく──
ただ、静かに滲む痛みだった。
そして団長は、ゆっくりと息を吐いた。
「酒場での暴行について──グレン殿に非はないでしょう。
行き違いがあったようですね。」
その言葉は、事実上“部下が嘘をついた”と認めるものだった。
「お待ちください、団長殿!!」
噛みつくように兵が叫ぶ。
「卑怯な手を使われねば、我が部下が冒険者ごときに負けるはずがありません!
そもそもこの者が“灰刃”などとは──」
瞬間。
騎士の反論が終わるより早く──
空気がひしゃげた。
次の瞬間には、団長の剣はすでに振り終わっていた。
剣が抜かれた気配も、風を裂いた音も、置き去りに。
ただ結果だけが部屋に残る。
その刃は、まっすぐ“グレンがいた場所”を通っていた。
そのグレンは──
避けた、というより“初めからそこに立っていなかった”ような自然さだった。
足を半歩だけ引き、気怠げに重心をずらしただけ。
それだけで、太刀筋から逃れてみせた。
彼だけを見ると、何も無かった、そう錯覚しそうになる程の佇まい。
「ひっ……!」
抗議した騎士は尻餅をつき、震えながらその様子を見上げていた。
◆
客間の静寂の中
尻餅をついた騎士の肩が小刻みに震えていた。
「……これで充分だろう。
彼が“灰刃”であるという証明は。」
言い放つと同時に、団長は剣を収めた。
その仕草は優雅で、同時に心底冷たい。
彼はグレンへ向き直る。
その表情には、先ほどまでの険しさが嘘のように消えていた。
「失礼しました、グレン殿。
強さ……衰えておりませんね。」
「いきなり切りつけられんのは遠慮してぇな。」
グレンは苦笑する。
だがその瞳の奥には、刹那だけ戦意の光が宿った。
「……やはり、あなたは、王国に必要なお方でした。」
唐突に告げられた言葉に、グレンの眉がわずかに動く。
「一度、王都へお戻りください。
あなたに会いたがっている者が、たくさんおります。」
「……はっ。いねぇだろうよ。そんなやつ。」
その声音には乾いたものが混じる。
団長は静かに首を振る。
「ローディ殿も、貴方のことを気にかけていましたよ。」
「……そうか。......俺は会いたかねぇよ」
しかし、その名を聞いてグレンの濃い灰色の瞳が微かに和らいだ。
「セシリア殿も。」
「あいつには、絶対に会いたくねぇ。」
グレンは肩をすくめ、嫌な記憶を振り払うようにわずかに身を震わせた。
団長はそれ以上は追及しなかった。
深々と頭を下げると、部下たちに退出を促す。
「行くぞ。」
意地の悪そうな騎士は、一瞬まだ何か言いたげに口を歪めたが、視線を下げ、黙って付き従う。
白翼騎士団の三人は部屋を後にした。
◆
廊下を歩き出したところで、背後から控えめな声がかかる。
「あ、あの……っ!」
振り向くと、カイルが足早に駆け寄ってきていた。
「ありがとうございました。
グレンさんのことを、信じてくださって。」
頭を下げるカイルの姿に、団長は目を細めた。
彼に向ける声音は、先ほどよりもいくぶん柔らかい。
「……規律を、何より重んじるグレン殿が、
自ら手を出すはずがないからな。」
「……へっ?」
カイルは間の抜けた声を漏らしてしまう。
団長は不思議そうに首を傾げる。
「グレン殿ほど規律に忠実な男は、そうはいない。
かつての黒翼であれ、
己のすべきことを違えたことは一度もない。」
“今は違います”とは言えず、目をそらす。
カイルは言葉を飲み込み、曖昧に笑った。
「そ、そうですよね……。」
もし今のグレンのだらしなさを見ていたら
団長の幻想が崩れ去るのは間違いなかった。
(……滞在して今のグレンさんを見る前にお帰りになってよかった。)
胸の中でそっと呟き、深く頭を下げる。
団長はそれに軽くうなずき返した。
◆
客間の扉が閉まると、あたりに静寂が戻った。
だが、すぐにリデルがグレンに勢いよく駆け寄る。
「ぐ、グレンさんっ!……ご飯、た、食べに行きましょう!」
いつになく積極的だ。
さっきの騎士団とのやりとりで落ち込んでいるのでは、と気にかけているのだろう。
彼なりの、不器用な励ましだった。
「……へぇ。珍しいじゃねぇかお前から誘うなんて。」
グレンが肩をすくめて笑うと、
リデルはあたふたして俯く。
「ぐ、グレンさんが嫌じゃなければ……っ」
「俺もご一緒します!」
遅れてカイルも走り込んでくる。
その声は明るく、どこか安堵を含んでいた。
二人の若者たちが、当然のようにグレンの両側に立つ。
頼りにしている先輩を囲むように。
どれだけ恐ろしい二つ名を持っていようと、
どれだけ血の匂いを背負っていようと。
彼らにとってのグレンは――
酒と女を好み、
だらしなくふらふらして、
けれど誰よりも頼りになって、
気づかれないところで他人を思って動いてくれる
そんな“今のグレン”だった。
そしてその瞳は、確かに彼らを映している。
「……行くか。」
グレンがぼそりと呟くと、
リデルはぱっと顔を輝かせ、
カイルも安堵の笑顔を見せた。
ギルドの扉を押し開けると、
午後の日差しの中、三人の影が長く伸びる。
過去の亡霊は確かにそこにいる。
だが、未来へ歩く足を止めるほどの重みではない。
少し前を歩いたカイルが振り返る。
「グレンさん、今日は俺が奢ります!」
「お、おオレも……っ!奢れます!」
「お前らなぁ……俺を老人扱いしてねぇか?」
そう言って笑ったグレンの横顔は、
どこか、ほんの少しだけ、救われたように見えた。
【読まなくていい設定】
団長がグレンに尋ねたシーンで、
騎士が驚きで口に出した「黒翼の"猟犬"」は、蔑みを含めた呼び名で、グレンを見下す騎士や、裏社会の人間など、主に仲間ではない者が使っていた蔑称です。
騎士団長が呼んだ"灰刃"は、蔑みを含まない二つ名です。




