消えたクッキー事件
昼下がりの《深緑の古書店》は、静かで、どこか甘い香りが漂っていた。
リュカが朝から焼いていたクッキーの香りだ。
棚の隙間から差す柔らかな光に照らされ、
古書たちは眠たげにその香りを吸っているように見える。
ところが、そのクッキーが──消えた。
「……また無い」
少年の姿の店主、リュカは皿の前で眉を寄せた。
今日は三度目だ。
補充しても、いつの間にか数枚ずつ消えていく。
店に居合わせたグレンが、酒杯を片手に肩を竦める。
「犯人はよっぽど腹ぁ空かせてんだな。
……俺じゃねぇぞ?」
「言われなくてもわかってる。
……いや、わかりたかったけど」
「おいおい」
リュカは皿を細い指でこつん、と叩き、店内にいる一同をゆっくり見回した。
深緑の瞳がきらりと光る。
「今日から犯人が見つかるまで、店にいる全員、監視する。逃げるなら今のうちだよ」
その声音は柔らかいのに、妙に冷えた迫力があった。
「オジサン、食べたんじゃないのぉ?」
リリアンがわざとらしく目をぱちぱちさせた。
艶やかなロングヘアを揺らし、頬に手を当てる。
「俺じゃねぇよ。
甘いもの好きそうな見た目してんのは、お前の方だろ......」
リリアンはくすっと笑い、リュカの方に身体を寄せた。
「店主くん、ボクが犯人見つけてあげるよ~。ね?」
リリアンが腰に手を当て、艶やかかな髪を揺らす。
「犯人はおまえだぁ!......なぁんて♡」
指を刺された方向で、リデルが皿を見つめて震えていた。
「え、えっと……オレ……
クッキー好きだけど……っ、た、食べてません……」
「わかってる。リデルは嘘つくと耳が赤くなるけど、今は赤くない」
リュカが淡々と告げると、リデルは「ひっ」と一瞬息を呑んだ。
「……クッキーが本当に盗まれてるとするなら、
誰かが嘘を吐いている、という事ですか。」
カイルが呟くと、リリアンがにやっと笑った。
「じゃあさ、犯人探しごっこ、始めよっか♡」
こうして、食いしん坊の影を追う奇妙な事件が幕を開けた。
◆
「おいリュカ、俺が犯人って線は薄いだろ。
俺は菓子より酒だ」
「……酒のつまみに甘いものを合わせる人もいるよね?」
「お前、絶対わざと言ってんだろ」
グレンは頭を掻きながら、苦笑いを浮かべた。
疑惑の目を向けられても余裕を感じる佇まいは、長年の癖みたいに板についている。
「リュカさん、グレンさんは違います。俺が保証します」
カイルが真っ直ぐに言い切る。
リデルも、声は出さずともこくこくと頷き、同意を示している。
カイルの声色があまりにも誠実で、リュカは一瞬だけ目を細めた。
「……じゃあ、信じる」
グレンは眉をひそめた。
カイルとリデルの真っ直ぐすぎる擁護が、逆にこそばゆい。
「……お前らなぁ。疑われてる俺より真剣なのやめろ」
「オジサン、好かれてる〜♡
かばってもらえてよかったねぇ?」
「……リリアンは余計なこと言わなくていい」
リリアンがニヤニヤしながら茶化すと、グレンは「はぁ」とため息をつく。
そんな騒ぎの中、棚の影で──白い綿埃がふるりと揺れた。
◆
「……動いた?」
リデルが呟いた瞬間、小さな白い塊が飛び出した。
拳より少し大きい、ふわふわした綿の塊。
目も口も見えないのに、どこか楽しげに浮かんでいる。
その塊は皿の上に降り立つと、クッキーが一瞬で“もぎ取られたように”消えた。
「クッキーフラフか……!」
リュカが迷惑そうに眉をひそめる。
「なにそれ!? かわいい!! ボクあれ欲しい!」
「小型の魔法生物だよ。
甘い匂いに寄ってきて、菓子を好む……店に住み着くと、僕のクッキーが全部食べ尽くされる。」
「それ大問題じゃん!?」
リリアンが肩を抱える。
クッキーフラフは棚の間を飛び跳ねるように逃げていく。
「おいおい、逃がすかよ」
グレンがすっと動き、影のように棚の裏へ回り込む。
一歩で獲物の行く道を塞ぐ、その身のこなしは冒険者というより“元・闇に潜む刃”のそれだ。
「リデル、左! カイルは奥を!」
「は、はいっ!」
「了解です!」
リュカは魔力の糸のような光を張り巡らせ、逃げ道を狭める。
小さな店の中で、フワフワを巡る本気の追いかけっこが繰り広げられた。
「オジサン、もっとちゃんと捕まえててよぉ!」
「やってんだろ! こいつ風圧で飛んでくんだよ!」
棚の間を跳ね回る白いフワフワは、不思議と楽しそうにふるふる震えている。
リデルがタイミングよく飛びついた。
「つ、捕まえ……っ、たっ!」
フラフがもがくが、細身の青年は意外と力が強い。
カイルがすぐに補助し、魔法の袋へ押し込む。
「……よし、確保」
クッキー泥棒のフワフワが封印され、店の空気が落ち着きを取り戻した。
◆
夕暮れの店内。
リュカは封印したフラフを眺めて、小さく息をついた。
「……クッキー、盗んでただけなら罪は軽い。森に返してくる」
そう言ってから、ほんの少しだけ表情を緩める。
「……捕まえてくれたお礼。
焼き直したから、食べていって」
その柔らかな言葉に、店内の空気がほぐれた。
「やったぁ! 店主くん大好き!♡」
「うるさい」
リリアンの抱きつきをひらりと避けながら、
リュカはクッキー皿を皆の前に置く。
「……あ、ありがとうございます……リュカさん」
リデルは両手でそっとクッキーを受け取る。
グレンは半眼でクッキーを食べながら、リュカに言う。
「……なぁ。俺をちょっと疑ってたのは何だったんだよ。」
「え? まだ疑いは晴れてないよ?」
「は?」
小さな店主は平然と告げる。
「……昨日なくなった分は、フラフの仕業じゃなかったから」
グレンは言葉を失った。
「お、オジサン……やっぱり……?」
「いやしてねぇよ!? 俺を何だと思ってんだ!!」
リリアンがケラケラ笑い、リデルが「ち、ちがいますよね......!?」と一生懸命フォローし、カイルは困ったように眉を下げる。
リュカは、いつも通り淡々とした声で言った。
「……まあ、信用はしてるよ。たぶん」
「“たぶん”ってなんだ!」
小さな古書店には賑やかな声が響き、甘い香りがふわりと広がった。
──こうして、クッキーが消える奇妙な事件は、ほんわりと幕を閉じた。
クッキーフラフは、愛玩用に高額で取引されたりもします。
菓子を与え続けられる富裕層しか飼えません。
菓子がなくなるといなくなります。




