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カッスイ

作者: 壊れた靴

 喉が渇いた。外は真っ暗だというのに、異常な暑さと湿った空気が、寝起きの不快を増す。時計を見ると二時を少し回った頃だった。

 仕事からの帰り道、偶然会った友人と飲みに行ったのだが、週末ということもあり飲みすぎてしまったようだ。わずかな時間ではあるが、服装もそのままに眠ってしまったらしい。

 ひとまずは喉の渇きを癒すため、冷蔵庫を開く。冷蔵庫の灯りが暗い部屋を弱々しく照らした。

 庫内には缶が幾つか並んでいるが、どれも酒の類だった。何か飲み物があったと思っていたが、記憶違いだったようだ。

 冷蔵庫を閉じ、背後の蛇口をひねるが一滴の水も流れない。断水でもあったのだろうか。洗面所も確認してみたがこちらも変わらない。

 仕方なく、財布だけを持って部屋を後にした。

 外に出ても少しの風も感じられず、湿った暑さがべっとりと纏わりつく。不快さに気が滅入るが、とにかく近くにある自動販売機に向かう。

 暗闇の中ぼんやりと光を放つ自動販売機の前に立ったが、全てのボタンに「売切」と赤く表示されている。予想していなかった事態に対する驚きと苛立ちで、ボタンに拳を押し付けた。自動販売機がわずかに軋む。喉が焼け付くように感じた。

 他に近い自動販売機も知らない。やや距離はあるが、コンビニに行くしかない。

 喉が貼りついたように思える程の渇きに耐えながら、この暑さで生命が失われたのかと思える程に暗く静かな道を歩き続け、ようやく辿り着く。ガラス越しに周囲を照らす店内の照明に安心を覚えた。

 飲み物が手に入る安堵と共に入店する。店内には他の客の姿はなく、店員が一人カウンターで何か作業をしているだけだ。入店時に鳴った音に、店員はわずかに顔を上げてこちらを一瞥したが、何を言うこともなく作業に戻った。

 故障でもしているのか、冷房が効いているはずの店内は外と変わりなく蒸し暑い。店内放送もなく、入店時の音が鳴りやんだ今は、異様なほどの静寂に満ちている。強く白い照明だけが、普段の姿を保っていた。

 とにかく飲み物を、と店の奥にある冷蔵棚に向かったが、中には何もない。異常とも言える事態に半ば混乱しながら、周囲を見回す。軽食や弁当の類は揃っているのに、飲み物だけが全く見当たらない。

 脱水症状による立ち眩みだろうか、照明が一瞬明滅したように思えた。

 飲み物について聞くため、カウンターで作業を続ける店員の前に立つ。業務に関する作業かと思っていたが、店員は雑誌のクロスワードに向き合っていたらしい。

「すみません」

 私の出した声は掠れきってほとんど音にならなかった。店員は緩慢に顔を上げる。

「何か?」

 店員は無表情に気だるげな声を発した。中性的な見た目と声は、どこか能面を思い起こさせる。

「飲み物がないみたいなんですけど」

「今ある分は全部出したんで」

 それだけ言うと、店員は再び雑誌に向き合った。棚になければないということだろうか。不愛想にも程がある。

 雑誌を覗き込む。クロスワードで埋まっていないのは一箇所だけのようだ。せめてもの腹いせに、先に解答してしまおう。

「カッスイ」

 四文字で「水が不足すること」。嫌な偶然だ。

 店員は目だけを動かして私を見たが、すぐに視線を戻してクロスワードを埋めるとページをめくった。

 これ以上ここにいても仕方がない。店を出る私と入れ違いに、随分と酔っているらしいスーツの男性が店に入っていった。

 男性は店に入った瞬間、背後の私にも聞こえる舌打ちをした。暑さに不快を覚えたのだろうが、あの店員との相性は最悪かもしれない。

 それよりも、いい加減に飲み物を確保しないと倒れてしまいそうだ。周囲を見回すと、少し離れた場所に自動販売機がぼんやりと光っている。

 気力を振り絞り自動販売機に向かう。ここにもなかったら、と緊張すら覚える。

 自動販売機の前に立つ。今度は売り切れ表示はない。

 安堵と喜びを噛みしめながら、水のボタンを押す。

 ゴトリと音を立てて落ちたボトルを手に、キャップを開く。

 口を付けて一気にボトルを逆さまにする。

 ザラザラと硬く鋭い粒子が、口を、喉を、刺し、貼りつきながら流れ込んできた。


 誰かに肩を叩かれている。

「もしもし、大丈夫ですか?」

 目を開くと、屈みこんだ若い制服警官が私の肩から手を離した。

 朝の日差しが眩しい。どうやら自動販売機に寄りかかるように気を失っていたようだ。誰かに通報でもされてしまったのだろうか。

 喉の渇きはなくなっており、口に満ちたはずの砂か何かの存在も感じられない。あの不快な感触は忘れられそうにないが。

「すみません。大丈夫です」

 立ち上がった私に、警官も続いた。

「どうしてこんな所に倒れていたのか、記憶はありますか?」

 どうやら酔っぱらいだと思われているようだ。実際そうなのだろうが。

「三時より前、二時半頃だと思いますが、喉が渇いたので、ここで飲み物を買ったんです」

「飲み物。それですね」

 警官の目線の先には、私の手に握られた水のボトルがある。中身は半分以上なくなっているが、ただの水のように見える。

「えぇ、はい。それで寝てしまったみたいです。昨夜は随分飲んでしまったので」

 喉に流れ込む砂の感触は現実だったとしか思えないが、あれは夢だったのだろうか。

「では、あの店には行かれていないでしょうか?」

 小言の一つでも言われるかと思ったが、警官はコンビニを指さした。入口には黄色いテープが張られ、何人かの野次馬が遠巻きに様子を見ている。

「何かあったんですか?」

「まぁ、はい。ともかく、あの店には行かれていないでしょうか?」

 警官は苦々しい表情を見せた。何があったのだろう。

「いえ、ここで水を買う前に少し寄ったんですが、飲み物がなかったのですぐに出たんです」

「では、二時半頃? その時に何か変わったことはありませんでしたか?」

「飲み物が全くなかったこと以外だと、冷房が効いていなくて暑かったのは憶えています」

 不愛想で怠慢な、あの店員も変わっていると言えば変わっているが、わざわざ言うほどのこともないだろう。

「そうですか。後程詳しく聞かせてもらいたいのですが、実はあの店で、今朝、遺体が見つかったんです。スーツを着た男性のようなのですが、どうも異様でして」

 警官はまた苦々しい表情を見せると、後頭部を指で掻いた。

「亡くなってから何年も経ったように干からびていたんです」

 握ったボトルから、ザラザラと砂がこぼれ落ちた気がした。

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