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Irregulars Object  作者: サード
序章
2/4

第1話 不運な日常の始まり

自転車のペダルを静かに踏み込みながら、黒月咲空こくげつ さくらは夏の朝の坂道を登っていた。

蝉の声が遠くでか細く続く。額ににじむ汗。制服の背中に貼りつくシャツ。


坂の途中、咲空は不意にハンドルを握る手を強張らせた。


前方――木々の影に、ひとりの少女が立っている。

薄暗い木漏れ日の中、古びた制服の襟元がかすかに揺れた。

咲空がペダルを緩める。


(……誰だ?)


目が合った。

少女はどこか儚げな瞳で咲空をじっと見つめた。

蝉の声がふっと遠ざかる。時間が止まったような錯覚。


「……貴方も、同じなのね?」


風の中に溶けそうな声。だが咲空にははっきりと聞こえた。


咲空は慌ててブレーキを握り、後ろを振り返る。

だがそこには、誰もいなかった。


「……気のせいか。熱中症の前兆か……」


自嘲気味に呟きながら、咲空は再びペダルに足をかけた。

うるさかった蝉の合唱はどこかへ消え、葉のざわめきだけが耳に残っていた。


「うちの姉や妹だったら、こういう幻覚で騒いで楽しんでるんだろうな……」


乾いた笑みを浮かべ、咲空はゆっくりとペダルを踏んだ。

自転車のタイヤがアスファルトを静かに転がり始める。


――そういえば、今朝も騒がしかったな。


咲空の脳裏に、今朝の光景が自然と浮かんだ。


「咲空、遅刻するよ!」


姉のやなぎの鋭い声が廊下に響き渡る。


まどろむ朝の光が障子越しに差し込み、咲空はぼんやりと目を開けた。夢の余韻がまだ脳裏に残る中、目をこすりながら時計に目をやると、針は無情にも10時を指していた。


「……マジかよ」


遅刻寸前どころか、すでに完全なアウトだった。咲空は慌てて眼鏡をかけ、ベッド脇の制服を手探りで掴むと、鞄を肩に引き寄せ、朝食を無視して引き出しから自転車の鍵を取り出した。


「ったく、朝からこれかよ……」


玄関へ向かう途中、キッチンの冷蔵庫に貼られたオカルト研究会と書かれた行事予定表をチラリと見ながら咲空はうんざり呟く。


彼の姉、柳は宇宙人研究で界隈に名を馳せるブロガーであり、人智青蘭高校に“オカルト研究会”を立ち上げた張本人だった。半ば強引にその会に所属させられた咲空にとって、それは憂鬱の種でしかない。


「今日もまたオカルト研究会かよ…」


正直なところ、魔術の研究に没頭している双子の妹・八手やつでの方が、よほど適任だと咲空は思っている。


八手は毎晩、呪文のような言葉を口にしながら不気味な香りの薬草を煮出しており、オカルト研究の才なら姉以上かもしれなかった。


靴を乱暴に履きながら、咲空は扉をくぐる。夏の蒸し暑い空気が、現実に引き戻すように肌を焼くのを感じながら、咲空は学校へ向かった。


長い坂道を上り切った咲空は、校門をくぐり北校舎の裏にある駐輪場へと自転車を止めた。


体育館からは運動部の声が響く。インターハイが近いからか気合の入った声だった。


「運動部ならまだ分かるんだが……俺のところは意味不明な活動だからな……非公式だし顧問いないし」


そんな愚痴を口にしながら昇降口へ向かっていたそのときだった。


「呪われ先輩!!」


後ろから突然、大声が飛んできた。反射的に振り返ると、

厚い占い本を数冊抱えた女子――福家月歌ふくや つきかが、期待に満ちた目でこちらを見ていた。


彼女は“占い同好会”という、これまた理解不能な同好会の部長である。なお、部員は1年生の彼女ひとりだ。


「ずばり!!今日、不思議なことが起こりましたね!?」


「……朝からこのテンションかよ……」


「ええ!ハイテンションですとも!だって、先輩が遅刻するって、今朝の占いにちゃんと出てたんです!」


「……バカバカしいと思うが……仮に、仮にだぞ?知ってたんなら止めろよ!!」


「言っても信じました?」


「…………信じねーな」


「じゃあ伝えるだけムダじゃないですか!!」と、月歌は胸を張った。


咲空は額に手を当て、深いため息をつく。


「で? その“今日の占い”とやらは、まだ続きがあるんだろ?」


「はい!“大きな変化が訪れる日”って出ました!もうこれは運命です!絶対に、何かが起こる日なんです!で?で?何か起きましたか!?」


「いや、特に何も無いけど?っていうか、“呪われ先輩”って何だよ、それ」


「呪われ先輩は、私が勝手に付けた先輩のあだ名です!」


月歌は得意げに胸を張りながらも、少しだけ頬を赤らめて照れたように言った。


「だって、咲空先輩のその真っ赤な瞳、絶対に普通じゃないですもん。絶対、呪われてますよ!!」


「はぁ……これは遺伝だよ。姉も妹も赤い目なんだ。たぶん家系的にメラニンが薄いだけだ」


月歌は小さく首をかしげると、ふっと意地悪そうな笑みを浮かべた。


「でも、それだけじゃ説明できないような不幸、いっぱい経験してますよね?」


「……呼び名、やめろ」


「いいじゃないですか〜。呼び名なんて、減るもんじゃないですし!」


咲空はその軽快な言葉に驚きながらも、心のどこかで微笑んでいた。月歌の無垢な言動には、不思議と緊張がほぐれるような優しさがあった。しかし、“呪われ先輩”という呼び方にはどうしても馴染めなかった。


「減るとかじゃなくて、そんな名前は要らない。俺はただ、普通の高校生活を送りたいだけなんだ。……部活に遅れてるから、じゃあな」


咲空は月歌の返事を聞くことなく、そのまま踵を返してオカルト研究会の部室へと向かった。だが、背後から、月歌の呟きがかすかに耳に届く。


「あのままじゃ、先輩……死んじゃうのにな……」


その言葉は、運動部の掛け声にかき消され、咲空の耳には届かなかった――。

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