表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

新・私のエッセイ:3号館(No.201~300)

新・私のエッセイ~ 第207弾 ~ インスタグラム『ワンダーランド』で紹介したネタを、こちらでもしつっこく❤️

 【しげちゃんの自己紹介:第2弾:栃木県立矢板東高等学校時代(1986~1988年)】

 1986年5月。高校1年でした。

 これは、新築前のぼくの自室です。背景・・・見えるかなぁ・・・モクレンが咲いてますね♪

 しっかし、このときのぼくちゃんって、一体全体、「何のポーズ」しとるんですかね?

 カラテ? それとも、中国拳法かえ??

 ほぁちょぉぉおおお!!


 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


 【しげちゃんの自己紹介:第2弾:栃木県立矢板東高等学校時代(1986~1988年)】

 1986年8月。高校1年でした。

 茨城県日立市、河原子かわらご海岸にて。ここは、毎年恒例で、家族全員で海水浴の御用達のお泊りコースでしたぜ。うししし♪

 画面、向かって左が、しげちゃま。

 太った時代に広がった肩幅と骨格・・・そして、太い腕・・・極めつけは、ぶっといカーフ(= ふくらはぎ)にご注目!

 このカーフは、いまでも、ぼくの一番、ご自慢の部位です。

 この部位はですね・・・前腕同様、生まれつきの「遺伝的素質」がからんでくる部分でして、もともとカーフが太い人は、まったく鍛えなくても、いつも太いんですヨ。

 ぼくの場合、歳を取っても、ずっと太いまんまでしたね。

 俗に、ボディビル界でいうところの、「ダイヤモンド・カーフ」ちゅーヤツでんがな。

 誰にでも備わってるモンじゃないのよん❤️


 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


 【しげちゃんの自己紹介:第2弾:栃木県立矢板東高等学校時代(1986~1988年)】

 1986年8月。高校1年でした。

 茨城県日立市、河原子かわらご海岸にて。ここは、毎年恒例の、家族全員で海水浴・御用達のお泊りコースでしたぜ。うししし♪

 俺の高校はクソッタレで、まったくの「灰色の青春」でしたけど(お食事中の方、めんご!)、こういう、プライベートなレジャーはルンルンでしたね。

 それにしましても・・・ぼくちゃんって、ホント、体格いいよね❤️

 まーだ、減量ともボディビルともサーフィンとも、ぼくとは無縁の時代だったから、許してちょんまげ♪♪


 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


 【しげちゃんの自己紹介:第2弾:栃木県立矢板東高等学校時代(1986~1988年)】

 1987年4月上旬。高校2年でした。

 家族と、千葉県浦安市の東京ディズニーランドへ行きました。

 けっこう、楽しかったですよ。スペースマウンテンは、3時間待ち(!)でした。実際にコースターに乗ってる時間は・・・その何分の一だったんかなぁ(泣)。

 マジ、やってらんねー(笑)。

 このときはですね、「ビッグ・サンダー・マウンテン」が、まだ建設中で乗れませんでした。あぼーーん。。。

 みんなは、乗ったかーい!?

 帰りの電車で、網棚あみだなに放置されたスポーツ新聞に、ボクシングのタイトルマッチの事前特集の記事がありました。

 世界ミドル級タイトルマッチ「マーベラス・マービン・ハグラーVSシュガー・レイ・レナード」。

 ハグラーいわく、「150億円の葬式出してやる!」ですって。

 すっげー、インパクトのある見出しですよね・・・!

 追伸: 園内ではですね、マイケル・ジャクソンの「キャプテンなんちゃらら」なんつー、ワケワカメの演目もあったよーな、なかったよーな。


 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


 【しげちゃんの自己紹介:第2弾:栃木県立矢板東高等学校時代(1986~1988年)】

 1988年冬。高校3年でした。画面、一番左が、ぼくです。

 いろいろな諸事情や担任との確執かくしつなどから、高校2年の夏以降、勉強を放り出したぼく。

 もう大学合格なんか完全にあきらめて、クラスでぼくだけ、ずっと「映画」「漫画」「読書」「アニメ」「TVでのボクシング観戦」で、毎日、遊びほうけてましたよ。

 他のクラスメートが、担任にほめられながら、最後の追いこみの勉強をしていくのを、横目で眺めながらね・・・。

 かといって、そんな「遊び」で気が晴れたわけじゃなかった。

 卒業までの、ただの「時間つぶし」と化してましたね。

 ・・・本当にむなしい日々でした。

 いまでも、この時代と学校生活には、「うらみつらみ」しか残ってません。

 (※)こういった数々の、学歴に関するコンプレックスや、ぬぐいきれぬ屈辱感が、のちの「東大受験」や、今現在も続く、桁外けたはずれな数の言語の「多言語学習」に、ぼくを向かわせ、そして駆り立てたのかもしれません❤️

 「ちきしょう・・・このまま、俺はお前らに、いつまでも負けっぱなしの状態でいられるか!!」

 「お前たち・・・絶対に何らかの形で見返してやるぜ!!」とね。

 だって・・・入学当初、ぼくは高校1年の前期は、校内1位の首席で、「末は東大か!?」と期待されてたんですからね・・・。

 結局、その東大への挑戦(= 卒業後の再受験)も失敗しちゃいましたケド(苦笑)。

 (※)けっこう、こういった「個人的な怨恨話えんこんばなし」も、面白いでしょ?


 ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


 【しげちゃんの自己紹介:第2弾:栃木県立矢板東高等学校時代(1986~1988年)】

 1988年冬。

 画面、一番左が、ぼくです。このように、高校時代は、険しい表情で常にいましたね。

 全然、楽しくなかったんですよ、この学校って。

 ぼくは、最後まで進学クラスにいたんですが・・・普通の大学に行けなくて、専門学校へ進学したのは・・・ぼく、たったひとりだけでした。


 ・・・以上です。


 なかなか、おもしろかったっしょ!?


 m(_ _)m

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ