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第一章 オットーと言の葉

「兄ちゃん、おなかすいた」

「にいに、ごはん!」

 朝から弟たちにまとわりつかれる。オットー自身も空腹だ。しかし、台所にある壺の中はからっぽで、小麦ひとつぶも残っていない。

なんとかしないといけないなあと、オットーはため息をついた。

「温かいスープを作るから、ちょっと待ってろ」

 オットーは上着を羽織り、外に出て畑に向かった。歩くとバリバリと音がする。霜柱が砕ける音だ。

 年が明け、冬の真っ只中。冷たい空気が顔と首にナイフのような鋭さで突き刺さる。オットーは思わず首をすくめ、感覚がなくなるほど冷えきった指にぐっと力を入れた。

 畑は真っ白な雪で覆われている。

「どこもかしこも雪に埋もれているな。何か実りがあるといいけど」

 オットーは畑を見渡した


『大地を住みかとし、大地を育てるものたちよ そなたらの恵みを分け与えよ』


 オットーが地面を見つめて、低くゆっくりと言葉を唱えた。

 しばらくすると、ポウっと畑の隅が光った。オットーは雪をかき分け、光った場所を掘り起こした。小さい芋が六つ出てきた。

 ふうっと小さく安堵のため息をついた。

「小さいけれどないよりはましだ。これで今日も命をつなぐことができる。大地の恵みに感謝する」

 オットーは深々と頭を下げた。


 オットーは芋を大切に持って帰り、ビアンカがそれでスープを作った。バターもミルクもない、ただ塩とコショウで味つけをしただけのスープだ。

 それでも弟妹たちは大喜びで食べている。スープには小さい芋を六つと、袋の底からかき集めた雑穀を少し入れたけれど、全員分には足りないだろう。

 オットーは空っぽの胃がキリキリと傷むのを感じたが、無理やり笑顔を作った。

「兄ちゃんの分はいいから、みんなしっかり食べるんだぞ」

 空腹をまぎらわせるために、オットーは学校に行く用意をした。

 小さくなったえんぴつ、もう書くところがないノート、ボロボロの教科書。それらをだまってカバンにつめる。

 オットーは弟妹たちに気づかれないよう、一人深いため息をついた。


『小枝よ たきぎよ なんじ燃えあがり 輝き照らせ』


 ブランカが暖炉の前でまじないを唱えた。すると、暖炉にくべられていたたきぎの火がいきおいよく燃えあがった。パチパチパチと枝が爆ぜる音が聞こえてくる。

 オットーの冷えきった体がじんわりと暖まってくる。

「ねえ、お兄ちゃん。あたし、言の葉が少し上手になったかな」

 ブランカが兄を見て笑う。

「そうだな、助かるよ、ブランカ。ありがとう」

 オットーは笑顔を作った。あまり暗い顔をしているとブランカが心配してしまう。

「あたしね、言の葉をもう少し知りたいの。お母さんみたいに」

 ブランカが明るい声でいった。


 言の葉は魔法ではない。

 言の葉は、自然に話しかけるための言葉であると言われている。自然に働きかけ、空気や光、植物、大地から少しだけ力をもらう。

 誰もが言の葉を使えるわけではないし、使える言の葉も人によってまちまちだ。そして言の葉を使う人は『言の葉使い』と呼ばれている。

 オットーの母、ヒルデガルド・ホフマンは言の葉使いで、朗らかで向日葵のように明るく眩しい人だった。

 父カール・ホフマンは言の葉使いではなかった。

 オットーの記憶にある父は、穏やかで優しい。末っ子のマーリンを抱き、赤ん坊を見つめるその目は慈愛にあふれていた。

 オットーは当時の様子を思い出す。父と母はお互いを思い合っているのが子どもの目からも分かるくらいだった。もし将来、自分がだれかと家庭を持つのなら、父さんと母さんのような夫婦になりたいとオットーも思う。


 父カール・ホフマンは末っ子のマーリンが生まれた後、病気で亡くなった。そして、半年前には母ヒルデガルド・ホフマンを失った。

 オットーはじっと手を見た。

 空腹だとか、学用品が足りないだとか、そんなことはいくらでも我慢できる。でも、父さんと母さんに会えないのはとても辛い。

 みんなもきっとそうだ。

 オットーは時々考える。

 言の葉術を唱えたら、もう一度二人に会えるだろうか。

 そんな言の葉術は存在するのだろうか。でも、それは本当に唱えてもいい言葉なのだろうか。

「お兄ちゃん」

 無言で考え込んでいたオットーはブランカの声にはっと顔を上げた。

 心配そうな顔をして、ブランカがオットーを見つめている。

「ああ、ブランカ。大丈夫だよ。今日は僕のお給金がでるからさ」

 弟たちの身支度の手伝いをしながら、オットーが答える。

「よかった、いつもありがとう、お兄ちゃん。でも無理しないでね」

「大丈夫だよ。さ、朝ごはんが終わったら、学校にいく用意をしよう」

 ハーイと元気に走り回る弟たちをみて、オットーはクスっと笑った。


      ※   ※   ※


 時をさかのぼり、半年前のこと。

 オットーたちの母、ヒルデガルド・ホフマンがいなくなってからしばらくして、ホフマン家に知らない男がやってきた。

「おまえがオットーか?ああ、そっちはブランカか。あとは知らんな」

 家の中をぐるっと見て、男は下品な声でいった。

「誰だ!」

 オットーがいうと、男はにやっと笑った。

「おれの名はゲオルグ。おまえらの母ちゃんの弟だよ。つまり、おまえらのおじさんだ」

「僕はおまえを知らないぞ」

「そりゃそうだ、最後に会ったのは十年も前だからな」

 男は家の中をぐるっと見わたした。

 酒に酔っているのか、吐く息が臭い。

 ゲオルグはヒルダとは似ておらず、粗野で乱暴な男だった。

「ヒルダが王宮で死んだだろう。それで俺がここに住むことになった」

「うそだ!」

 オットーは男の言葉に異をとなえた。母ヒルダはそんなに弱い言の葉使いではないし、そもそも母親の遺体も確認していない。きっとどこかで生きていると、オットー達はそう思っていた。

「ほんとうさあ。まあ、これからよろしくな、オットー。ヒッヒッヒッヒ」

「いやだ!出て行け!」

 オットーは男のせなかをグイっとおした。

「おやあ?いいのか?俺が出て行ったら、おまえらみんな教会や施設預かりだ。ま、俺はそれでもかまわないけどな」

 ゲオルグはホフマン家に来る前は、行商の仕事をしていた。ソンネ村の名産品である絹織物を、機織り職人から受け取って町に売りに行くという仕事だ。

 幼い子どもがいるホフマン家にとっては、そんな男でも大人が必要であった。

 ゲオルグがいなければ両親のいない子どもたちは、施設やほかの家庭に引き取られてバラバラになってしまう。オットーはもう誰とも別れる気はなかったから、弟妹達と一緒にいるためにはゲオルグを受け入れるほか、すべはなかった。 

 しかし、ゲオルグはホフマン家にとっては疫病神といっても過言ではない男だった。

「あれ、ここに入れておいたお金がない」

 チーズやパンを買おうと思い、とっておいたお金が消えている。

「あ、悪いな、俺が使っちまった」

 いすにどっかりと腰を下ろし、ゲオルグが赤い顔でいった。

「はあ?あれはお母さんが働いてためた大切なお金だぞ」

「ヒルダのものなら、俺のものだ。俺はヒルダの弟だからな。兄弟は助け合わないといかん。うん、そうだ、そうだ」

 ゲオルグはお酒のビンを持っている。ぜんぶお酒に使ってしまったのだろうか。

「なんて勝手な!おまえだって仕事をしているんだろう、返せよ」

 オットーは腹を立てたが、ゲオルグは気にする様子もない。

「ああん?仕事?あのくそみたいな行商か?やめたよ、そんなもの」

 ゲオルグが酒瓶から一口ごくっと飲んだ。

「俺にはもっと大切な仕事ができたからな」

 オットーやブランカの顔を見て、ゲオルグは下品な笑みを浮かべた。

「俺の仕事はな、おまえたちのお守りだ」

 グヘヘヘとゲオルグが笑う。口からはお酒の匂いがする。ゲオルグは朝から酒場に入りびたった。

「おまえが僕たちのお守り?いらないよ、そんなの」

「さ、もっと金を出せよ」

 ゲオルグがオットーに手を伸ばした。オットーは首を横にふった。

「もうない」

 プイっとオットーは顔を背けた。

「けっ、しけてるな。しかたない、これでも売るか」

 ゲオルグはたんすの中をごそごそとあさる。

「やめろよ!それは母さんの服だぞ」

 オットーはゲオルグの腕をつかんだが、ゲオルグは強い力でオットーを振り払う。

「金がねえんだ、しかたないだろう」

「やだああ」

 ブランカが泣いた。

 母が大切にしていたドレス、宝石など、次から次へとゲオルグは持ち出していく。

 ゲオルグはそれとひきかえに、町で金を調達した。借りたお金はすべて酒場で使った。そのうち、家も土地、にわとりやヤギ、オットーたちのものも持ち出した。おかげで家の中はさっぱりしたものだ。物がなくなるだけではなく、ゲオルグが借金をするようになり、ますますホフマン家の家計は圧迫されていった。

 オットーが働いてかせぐわずかなお金で、なんとかみんな生活をしていた。


      ※   ※   ※


「え、どういうことですか?」

 オットーは思わず声をあげた。

 ハーン家の使用人が首を横にふった。オットーは学校が終わってから夜までの間、ハーン家の掃除や畑仕事を手伝っている。

 今日はその手伝い分のお給金をもらう日だった。

「だから、ごめんなさいね、今日はあげられないの。奥様が、パーティーですべて使っちゃってね。来週まで待ってもらえる?」

 オットーはむっとした顔をした。こちらのギリギリの生活を全く理解していない。オットーの家族はみんなガリガリにやせているのに、この人はぽっちゃり太っている。一体どれだけ食べたらこんなにふくよかになれるんだろう。

「でも、今日お給金をもらえないと困るんです。僕たちずっと食べるものもなくて」

 オットーは使用人に、どうしても今日お金が必要なのだと訴えた。

「それはあなたのおじさんにおっしゃい。そう、ゲオルグにね。今日もうちに来て酒を分けてくれっていっていたわよ」

 オットーは顔が赤くなった。

「ヒルダがいなくなってからひどいものね。もう少しましな男かと思っていたけれど」

 オットーは悔しさと恥ずかしさに、くちびるをぎゅっと噛んだ。

 そして、くるっと後ろを向いて走り出した。ハーン家の門を出て、森の泉まで止まらずに走った。

凍てつく太陽、凍てついた大地。森の木々は葉を落とし、地面には雪が積もっている。実りはどこにもない。

今週のお給金は来週まで手に入らない。でももう、今晩食べるものはホフマン家にはない。


 オットーは泉に着くと荒い息を整えた。魚でもきのこでも木の実でも何でもいい、食べられるものをとにかく探すしかない。

 言の葉術で生き物を捉えるのは難しい。それは命を捉えるための言の葉だから、より難しい言の葉を使うし、唱えるだけでも術者の体力を大きく消耗する。間違えたら大怪我をすることもあるから、慎重に唱えなければならない。

「父さん、母さん、力を貸して」

 オットーは目を閉じて言の葉を唱えた。


『生と死のはざまで たゆたうものたち そなたらの命は 誰のものか。そなたらの命はいずくからでて いずくへと向かう。その命を我にささげ、汝ら新たなる命の糧となれ』


 オットーが言の葉を唱えると、言葉は大気に溶けて流れ、泉を覆っていった。ゆらゆらと泉からかげろうが立ち上がり、水面がさざめく。ざわっと水が動き出し、膨らみ、泉の中にいた魚がつぎつぎに飛び跳ねた。

 うまくいったのか?

 オットーはそっと目を開いた。

 その時、オットーは世界が回るのを感じた。そのまま オットーはどうっと音を立てて倒れた。息ができない。オットーはヒューヒュー音を立てる喉をかきむしり、苦しくて転げまわった。

「なにしてるのよ、このバカ!」

 女の子の声が聞こえた。

 この声は同い年のウルスラ・ハーンだ。ウルスラは急いでオットーの体をあお向けにすると、言の葉を唱えた。


『万物よ、あるべきところへ戻れ 空気と水と炎で 汝を治さん』


 ふっとオットーの息が楽になった。

「ウルスラ、ありがとう」

 ウルスラが癒しの言の葉を唱えてくれたようだ。オットーはほっと息をついた。

 起き上がろうとしたが、まだ体がふらついている。

 オットーはウルスラが差し出した手をぎゅっとにぎった。

「オットーってばなんて無理するの。捕獲の言の葉って上級もいいところよ。となえて無事だったなんて信じられない」

 ウルスラはプリプリと怒っているが、その手は震えている。

「ごめん、心配かけて」

 オットーはウルスラに支えられて、ゆっくりと起き上がった。

「心配なんてしてないってば、バカっ」

 ウルスラは腕組みをしてプイっと横を向いた。耳から頬にかけてほんのりと赤く色づいている。長い栗色の髪がふわりと揺れた。

 ウルスラは美しい栗色の髪を長く伸ばしている。一本のみつあみにされた栗色の毛は腰まで届く長さだ。

「それにしても、なんでこんなことをしたのよ」

 ウルスラがオットーに聞いた。

「今日食べるものが何もなかったからさ」

「何も?」

「そう、何も。君んちとちがって、僕んちは貧乏だから」

 オットーは肩をすくめた。ウルスラの目にとまどいの色が浮かんだ。

 泉のほとりで魚がピチピチとはねている。小さいけれど、魚が十匹くらいとれた。オットーは魚をふくろにほうりこんだ。ウルスラはだまってオットーを手伝った。


 帰り道、ウルスラは「こっちにきて、オットー」といい、森の道から少し外れたところにオットーを連れて行った。。

「今日はあなたにこれを渡そうと思っていたの」

 ウルスラは地面につもっている雪をかき分けた。木箱がそこにうまっていた。

「そしたら言の葉を唱える声が聞こえたから、見に行ったら大変なことになっているし。来てよかったわ。一人だったら危なかった」

 オットーはウルスラの隣にしゃがむと、木箱を雪から取り出した。ずっしりと重い。

「最近、オットーったら学校のお昼ごはんの時間にもふらっとどこかに行っちゃうし、顔色は悪いし、フラフラしているから、ちゃんと食べていないのかなって思っていたの」

 箱のふたを開けると、りんごやオレンジ、パン、ビスケット、チーズ、ハム、バター、ソーセージ、ナッツ、芋やにんじん、とうもろこしなど、食べ物がぎっしりとつまっていた。

 オットーはびっくりしてウルスラを見た。

「もっと食べろって家族がうるさいのよ。でも私はそんなに食べられないし、全部箱につめたわ」

 ふふふっとウルスラが笑う。

「ウルスラ、これ君の食事じゃないのか?」

 オットーは隣に座るウルスラの顔を見た。心なしか元気がないように思える。

「こんなに食べたら太っちゃうわ。お昼のお弁当だけで足りる」

 ウルスラは口をとがらせて下を向いた。

「さ、運んでしまいましょう。オットーがつかまえた魚もいっしょにね」

 オットーは箱を持ち上げた。

 ずっしりとした重みは、ウルスラの気持ちそのものだ。

「ありがとう、ウルスラ。これだけあれば来週まで過ごせるよ」

 オットーが木箱を、ウルスラは魚の入った袋を持って、二人でオットーの家に向かった。ザクッザクッと雪をふむ音が聞こえる。


 家につくと、ブランカやトールがわあっと二人を出迎えた。

「おねえちゃん、だぁれ?」

 末っ子のマーリンがウルスラを見上げて聞いた。

 細い腕、細い足。ガリガリにやせてしまった女の子を見て、ウルスラの胸がチクリといたんだ。

「私はウルスラ。お兄ちゃんのお友だちよ」

 ウルスラは首に巻いていたマフラーをはずして、マーリンの首にそっとまいた。首元がじんわりと暖かくなってマーリンがニコニコと笑った。

「そのマフラー、あなたにあげるわ。私には少し小さくなってきていたの」

 パタパタと奥から出てきたブランカが、マーリンを抱き上げた。

「ウルスラ、寒いのにわざわざ来てくれたの?それにマフラーまで」

 ブランカが申し訳なさそうな声でいう。

「いいのよ、私があげたの。この手ぶくろもあなたにあげるわ。もう小さいもの」

 ブランカに手ぶくろを押しつけるようにして渡すと、ウルスラは台所に向かった。オットーが木箱を台所に運び込んだ。

「お鍋を借りるわね。ブランカ、手伝って」

「うん。ウルスラ、ありがとう」

 木箱のふたを開けて、、ブランカは目を丸くする。こんなにたくさんの食材を見たのはいつぶりだろうか。じわっとブランカの目尻に涙が浮かんだ。

 ブランカとウルスラが台所に立った。

「大なべにスープをたっぷり作りましょう」

 ウルスラは野菜をどんどん切っていく。ブランカもベーコンやソーセージをカットしていった。

 オットーはつかまえた魚を流しの樽の中に流し込んだ。干物にするつもりだ。

「僕手伝うよ」

 二男のトールがそういって、魚のうろこをはぎ、塩をふる。オットーはトールがした処理した魚の口にひもを通して、軒下につるした。

 スープを煮込む間、ウルスラは家の中の掃除もしてくれた。

 オットーは薪を運び、暖炉に火をつけた。

 ウルスラは窓やたなのほこりを払い、床をモップでピカピカにふきあげた。そして、テーブルにできたてのスープとパン、ソーセージ、果物をならべた。

「にいに、すごいごちそうだねえ」

 マーリンがニコニコと笑う。マーリンは六歳。春からは学校へ通う。

「そういえば今日、おじさんは?」

 オットーがブランカにたずねると、ブランカはぷうっとほっぺたをふくらませた。

「いつもの通り、酒場。来週あたりに帰って来るんじゃない?」

「いや、もういっそのこと帰って来なくていいよ」

 ホントどうしようもないおじさんだと、オットーは肩をすくめた。

「じゃあ、みんなで食べような。ウルスラも食べていけよ。食事、まだなんだろう?」

 オットーが声をかけると、ウルスラが首を横にふった。

「わ、私はダイエット中だからいいの」

 そういうウルスラのおなかがグウ~となった。オットーはハハハと笑い、ウルスラの手を引いて隣に座らせた。

「いただきます!」

 温かくておいしくて、量もたっぷりあった。そんな食事をみんなが楽しんでいた。

 オットーはウルスラが作ったスープを一口ずつ味わって食べた。

「おかわり!」

「おかわり!」

トール、シュテファン、エルンストからお椀が差し出される。オットーは笑って受け取ると、たっぷりスープをよそった。

鍋にはまだたくさん残っている。明日の朝の分もあるだろう。

「おいしいねえ。ぼく幸せだ」

 二男のトールが笑った。トールはボール遊びが大好きで、暗くなるまで校庭や広場で友だちとボールをけっている。

 そばかすだらけの顔をくしゃくしゃにして笑っている。

「兄ちゃん、今日さ、ぼく外でうさぎを見たよ」

 シュテファンは十歳。

 生き物が大好きで、学校で飼っているヤギやにわとりの世話をしている。

 ホフマン家では蚕を育てて絹糸を作っている。農作物の収穫ができないときにそれを売って家計の足しにするのだ。

 蚕はシュテファンが一人で育てているようなものだ。学校帰りに森から桑の葉を摘み、蚕の幼虫にせっせと与えている。繭ができたら、泣きながら繭を茹でて絹糸を取る。ごめんね、ごめんね、と泣いている。

オットーの稼ぎがもっとよければ、シュテファンは蚕をそのまま育てて成虫にしていただろう。そうしたらシュテファンは泣かなくても済む。心の中でオットーはシュテファンにすまないと謝った。

「僕は今日、ハグバルドと遊んだよ」

 三男のエルンストは、友だちと遊ぶのが大好きだ。

「美味しい!」

 オットーの隣に座っているウルスラが、パンを口に入れてつぶやいた。

「あたりまえだろ。ウルスラんちの食材を使っているし、料理上手なウルスラが作ったんだ。美味しいに決まっている」

 オットーがそういうと、ウルスラは大きく首を横にふった。

「そうじゃなくて、ちゃんと味がする」

 オットーはけげんそうにウルスラを見た。

「うちで食べても味がしないの。いつもシーンとしていて、だれも話をしない。私の話も聞いてくれない。でも、オットーの家はみんなが色々なお話をして楽しいし、暖かい」

 ウルスラはオットーにいう。

「うちで食べるよりも、何倍も美味しい」

 ウルスラの家は村一番のお金持ちだ。食べるものにも着るものにも困らない。

 家は常に暖かく、清潔で、ベッドもふわふわなんだろう。お手伝いさんがたくさん働いているから、ウルスラは仕事も家事もする必要がない。

 そんなお屋敷に住むウルスラにどんな悩みがあるのだろう。

 もしかすると、自分が知らない面があるのかもしれない。いつも明るく元気なウルスラが、支えないと倒れてしまいそうなくらい弱弱しく見える。

オットーは明るい声でウルスラにいった。

「おじさんはどうしようもないし、僕たちも貧乏だ。でも、ウルスラが美味しくご飯が食べられるのなら、いつもでおいでよ。友だちだし」

 ウルスラはオットーをじっと見た。

「じゃあ、明日も来てもいい?」

「もちろん、いいよ」

ウルスラが嬉しそうに、にこっと笑った。

オットーの心臓がドクっとなった。その動悸をウルスラに悟られないように、オットーも笑顔を返す。

ウルスラのこんな笑顔をオットーは今まで見たことがなかった。いつもきりっとしていて、姿勢もよくて堂々としているウルスラが、笑うとこんなに可愛いということを知らずにいた。


夕食を終えると、あたりはすっかり暗くなっていた。凍えそうなほど冷たい風が、窓や扉の隙間から入りこんでくる。

「暗くなったから、送っていくよ、ウルスラ」

 オットーが声をかけると、ウルスラが残念そうな顔をして立ち上がった。

「もう帰る時間なの」

 ウルスラが小さいため息をつく。

「お片付けは、あたしがしておくね。ウルスラ、気をつけて帰ってね」

 ブランカがそういって立ち上がった。

「僕、お風呂をわかしてくる!」

 トールとシュテファンが風呂場へ向かった。

「みんなありがとな、ちょっと行ってくる」

 オットーは弟妹に声をかけて、古い上着を羽織った。

「おやすみなさい、ウルスラ。今日はいろいろとありがとう」

 台所からブランカがウルスラに声をかける。

「ううん、いいの。また明日来るわね。おやすみなさい、ブランカ」

「また明日」

 ウルスラもコートを羽織り、オットーと外に出た。


 オットーとウルスラは森の細い道を並んで歩いた。

 息が白い。食事と暖炉であたたまった体がどんどん冷えていく。手ぶくろをしていない指先が、寒さでしびれる。

 オットーの隣を歩くウルスラも両手を口の前にあてて、息で温めている。

 ウルスラは手ぶくろをブランカにくれたんだったなと思い、オットーはウルスラの小さな手を握った。

「こうしていた方が暖かい」

 おたがいの体温で温まりながら、二人は黙ってしばらく小道を歩いた。

 ふと、ウルスラがオットーにたずねた。

「ねえ、オットー。さっき泉のほとりで唱えていた言の葉、どこで覚えたの?この村には言の葉の先生はベルヒトルト先生しかいないじゃない。基本しか教えてくれないのに」

 ベルヒトルト先生は村唯一の言の葉術の教師だ。

 言の葉術は専門の養成校もあるくらい奥が深い。

 しかし国の辺境にある小さなソンネ村にはそういった養成校もない。村一番の物知りであるベルヒトルトが片手間に教えている程度だ。

「そうだね、確かにベルヒトルト先生の使う教材は基礎レベルのものが中心だ。でも丁寧に教えてくれるから、理解しやすくて忘れない。僕は、もっと高度な内容を母さんから習った」

「へえ、お母さんから習ったの、すごいのね」

 感心したようにウルスラがいった。

「あとね、なんでだかわからないけれど、父さんがそばにいると、僕はうまく言の葉が唱えられた。父さんがまだ生きていたころに、一緒に唱えたことがあったんだ。すごく滑らかに、すごく自然に唱えられた。今日は父さんがいなくて不安だったけど、なんとかなってよかったよ」


 オットーの母、ヒルデガルド・ホフマンは言の葉使いだった。しかもとても強大な力を持っていた。

「お母さんはね、王都でお仕事をしています。この国のみんなが困らないように、言の葉で助けているのよ」

 ほこらしげな顔で、よくそう話していた。

「お母さん、僕、どうしてうまくいかないんだろう?」

 まだ小さかったオットーとブランカは、母の隣で同じ言の葉を唱えた。それなのにヒルデガルドのようにうまく火が起こせない。

「ふふっ、言の葉はね、ただ唱えるだけじゃだめなのよ。どうして薪は燃えるの?火の力はどこからくるの?それを知った上で、唱えるのよ」

「ええ?よくわからない」

 とまどったようにオットーが首をかしげる。

「そうね、ちょっと今のあなたたちには理解するのは難しいわね。でもオットーとブランカは才能がありそうだから、私が少しずつ教えてあげる」

 そうして、母ヒルデガルドは休みの日には、二人に言の葉を教えるようになったた。

 父親のカール・ホフマンは言の葉使いではなかったが、自然と近しい気性を持っていたのか、よくヒルデガルドを補佐していた。特に水や氷と相性がよかったようで、オットーが水遊びをしていると、寄ってきてはこういった。

「ほら、唱えてごらん、オットー。言の葉を唱えるときは、そっとお願いするように唱えるといいよ」

 オットーが水を桶にくみあげるための言の葉を唱えると、カールは右手で水をいざなうような動作をした。川の水はキラキラと日の光を反射しながら、桶に吸い込まれていった。

「すごいな、オットー」

 父は笑顔でオットーの頭をくしゃくしゃとかき回した。オットーもまた父に褒められたのが嬉しくて飛び上った。

 父と母は夜に二人で本を読んでいることが多かった。言の葉術を本業としていただけあって、ヒルデガルドはたくさんの書物を持っていた。

 真剣な表情で語り合っていると思えば、ふっと穏やかな顔になって二人は幸せそうに笑っていた。


「母さんの書物はおじさんが売り払ってしまうといけないから、屋根裏部屋に隠してあるんだ。こんど一緒に見る?」

 オットーの誘いにウルスラがぱっと表情を輝かせた。

「いいの?」

「もちろん。だって今のソンネ村で言の葉術を使えるの、僕とブランカとウルスラの三人だけじゃないか。一緒に勉強しようよ」

「ありがとう!」

 ウルスラがオットーに抱きついた。オットーはしっかりとウルスラの体を抱きとめた。

 ウルスラはオットーを見上げてにこっと笑った。

「私、もっと言の葉を勉強して、言の葉使いになって働きたいの」

「いいじゃないか!ウルスラだったらきっと一流の言の葉使いになれるよ」

 オットーが賛成すると、ウルスラは首を横に振った。

「ここの学校を出たら、王都に出て大学に行きたかったのだけど、両親が許してくれなくて。女の子はお嫁に行けって。余計な知識をつけなくてもいいって、そう言われてる」

 ウルスラの体は抱きしめたら折れそうなくらい華奢なのに、とても柔らかかった。細く柔らかい体を抱きながら、オットーは空を見上げた。

 凍てつく空気は澄んでいて、空には無数の星が美しく瞬いている。

「だから、今、学んでおかないといけないなって思うの。ベルヒトルト先生のところにも毎日通っているのよ。さらに、オットーと一緒に勉強できるなんて!すごく嬉しい!」

 ウルスラが笑顔を浮かべた。

 オットーはその笑顔を眩しそうに見つめた。


 ウルスラは僕のことをどう思っているのだろう。

 同じ学校に通う同級生で、幼馴染。

 言の葉術はちょっと僕がリードしているかもしれない。それでもまだウルスラを支える力にはなっていない。

 ウルスラはずっと近くにいるのだと思っていた。お嫁に出されるだって?

 ウルスラが誰かのものになるなんて考えたこともない。

 もっと長い間、傍にいたいのに。

 ウルスラに釣り合うだけの力が欲しい。

 そして、いつか、いつの日か。


 オットーは自分勝手な考えを振り払うように頭を振った。

「じゃあ、ウルスラが誰かのところに行ってしまうまでの間、僕がウルスラの時間をもらうよ。一緒に頑張ろう、ウルスラ」

 ウルスラの家の明かりが見えてきた。

「送ってくれてありがとう。ここで大丈夫よ。また明日ね、オットー」

「うん、おやすみ」

 オットーはもと来た道を戻っていった。

 小さくなっていくオットーの背中を見送り、ウルスラは扉をノックした。

「ただいま帰りました」

 ギギギっと音がして扉がゆっくりと開いた。玄関ホールにいた執事がウルスラのコートを受け取った。ウルスラはそのまま部屋に行こうとしたが、ちょうどそこに父親がいた。

「あのっ」

 ウルスラは父親に話しかけた。

 父親は商売がいそがしく、あまりウルスラと顔を合わせることがない。

「今日のテスト、満点でした」

 ウルスラが伝えると、父親はふんと鼻をならした。

「ふん、あたりまえだ。どこの家に嫁にいっても恥ずかしくないようにしておけ」

 父の返事を聞いて、さっきまでの幸せだった気分が、あっという間にしぼんでしまった。ウルスラはだまって階段を上り、自分の部屋に入った。

 部屋には絨毯が敷いてあり、暖炉には薪がくべられている。窓には厚いカーテンがかけられ、冷気を防いでいる。テーブルには果物が入ったカゴがおいてある。

 オットーの家にはないものばかりだ。こんなに恵まれているのに、どうしてこんなに悲しいんだろう。

 ウルスラは自問自答する。


 何が不満なの、ウルスラ。

 誰よりも裕福な暮らしをしているくせに。

 あなたはまだ何か欲しいの、ウルスラ。

 誰よりも与えられているくせに。

 わたしの脳裏に浮かぶのは、いつもオットーの優しい笑顔。

 美味しいねと言ったら、美味しいねと返事をくれる人。

 いつでもおいでと言ってくれる人。

 一緒に頑張ろうって言ってくれる人。

 でも、それは、私が望んでも手に入らないもの。

 いいえ、ウルスラ。本当に手に入らない?

 あなたはそれをちゃんと望んだの?

 あなたはそれを手に入れるための努力をしたの?


 ウルスラは鏡を見た。

 今日、オットー達と食事をした。楽しかった。嬉しかった。だから大丈夫、私はもっと頑張れる。


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