怨憎・会苦③ ver1.00
あくる日、エリナはいつものようにバイクに乗って、帰路についていた。
すると、川沿いの土手に早苗が座っていた。
「あれ?早苗じゃねぇか」
エリナは早苗に近づき、声をかけた。
「こんなところでなにやってんだよ」
「えりちゃん……」
早苗の横に座るエリナ。
「この前、久しぶりにえりちゃんに会って、いろいろ思い出してさ……。それで、ここにきたんだ」
「ああ!そういえば、この場所でよく早苗と遊んでたもんな。お菓子食べたり、本読んだりして」
「懐かしいよね……」
二人の中で止まっていた何かがかすかに動きはじめた。
「それに、エリちゃんって、私がいじめられていると必ず助けにきてくれたよね」
「まあな、お前、激弱だからな」
苦笑いして下向く早苗。
「冗談だよ!まあ、早苗は、俺にとって、はじめて出来た友達だからな」
揺らぎのないハッキリとした声で答えるエリナ。
うつむきつつも、久しぶりに自分の存在を肯定してくれたエリナに、早苗はどこか安堵し、今にも涙が溢れそうだった。
「俺、母親亡くしたあと、先生に引き取られる前まで施設にいてさ。一人ぼっちだったし、遊んでくれたのが嬉しかったんだと思う」
川岸の向こうから住宅の明かりが灯りはじめる。
夕暮れと、草花の香りが感傷と思い出を連れてきてくれた。
「あと、覚えてないかもしれないけど、俺、お前に一度、助けられたことあんだぜ」
「え……?」
「一人でいるとき、大人数引き連れたガキ大将に絡まれてさ。もう、それはボコボコよ……。さすがにもう詰んだかなって思ってたら、早苗がいきなり、木材持ってきて、ガキ大将の頭なぐりつけんの。その場にいるやつみんな引いちゃってさ。あの時は、さすがに俺も引いたよ。普段おとなしいくせにキレたら何しでかすかわからないタイプ。そういうのいるわーって思ったわ。その後、早苗、顔面真っ白で倒れちゃってさ」
「うーん、あったっけ……、かな?」
早苗は本当にはじめて聞いたかのように、困惑した様子だった。
「そん時、俺は思ったよ。なんだよこいつ、すげぇ強えーじゃんって」
「いや、強くないよ!」
「……いいや、お前は強いよ!だれかのために戦える優しさって意味でな」
二人の間に風が横切った。
「……えりちゃんも強いよ」
「あったりめぇだろ!」
「ううん、誰かを助けようとする優しさって意味でね。甘々楽さんとこに引き取られる前からずーとだよ」
早苗の言葉は、効果が無くなりつつある能力に対するエリナの不安を払拭してくれた。
空は暗くなり、街灯の光が目立つようになった。
「さあ、そろそろ帰るか。送ってくよ!」
「いいよ。悪いし。それに乗ったことないし、怖いよ」
「大丈夫だよ。乗ってけって!」
早苗は、怯えながらバイクにまたがり、エリナの背中に抱きついた。
「よし、行くか!」
「……うん!」
無事、エリナに自宅まで送られた早苗。
夕食の時間となり、両親とともに早苗も食事の支度に取りかかった。
食事の準備をしながらも、両親はいつものように小言を言い合っていた。
夕食の準備を終え、食べ始めてまもなく小言から喧嘩がはじまった。
「なんであの女ばっかかばうの!」
「もうその話は終わったことだろ!」
「わたしのことなんて何ひとつ助けてくれないじゃない!」
「ただのアルバイトの子だぞ!」
突然、加奈子がいつものようにヒストリックにまかせて料理をひっくり返した。
「な、なにすんだ!」
俊光は、怒鳴りつけながらひっくり返った料理を加奈子に投げつけた。
最近の両親の喧嘩はまるで動物のようだった。
人間はこうまでして落ちるものかと早苗は思った。
毎晩、毎晩、味気のしない食事に嫌気が指していた。
いつもの早苗なら自分にやつあたりがこないように、静かに身を引いていたが、エリナとの久々の出会にどこか感情が高ぶっていた。
「もうやめて!どうしていつもこうなの……。私は普通にご飯が食べたいの!」
3人の中に沈黙が流れる。
「普通にご飯……?生意気言わないで、そもそもその普通のご飯のために誰が稼いでいると思っての!誰が犠牲になって仕事してると思ってるの!」
「犠牲?なに、じゃあ、この状況つくったのはわたしのせい?そんなに嫌なら離婚して、家から出ていけばいいでしょ!」
早苗の中で蓋をしていた何かが溢れはじめた。
「そうやって離婚する度胸もないくせに。被害者面して。年いったババアなんて誰も相手にしないからな!」
加奈子が早苗の頬に平手打ちをする。
「親にむかってその口の利き方はなんなの!」
数か月前から加奈子の目つきは正常ではなく、どんな言葉も届きそうではなかった。
「あんたもそうやって母さんを責めるのね。悪者はいっつもわたし。あんたのためにどれだけ、母さんが頑張ってるとおもってるの?」
「わたしのため?わたしが憎いだけだでしょ!」
加奈子の中で、愛情と憎悪と自己愛を区別できるほど、もはや心に余裕がなかった。
加奈子が早苗に乗りかかり、首元の襟で首を締めはじめた。
「だれのためだと。だれの……」
尋常ではない様子に父・俊光が止めに入った。
「おいやめろ!加奈子!」
早苗の視界がしだいに薄れていった。
自分の身が危ないと感じたのか、体が勝手に動いていた。
気づいたときには、テーブルの下に落ちていたフォークを加奈子の首元に刺していた。
「ああ!」
加奈子の首元から大量の血があふれる。
「おい、大丈夫か!加奈子!救急車だ!」
早苗は、加奈子の身を振りほどき、背後から思いっきり花瓶で俊光を殴りつけた。
「あんたもだよ。家族がぐちゃぐちゃになってるのわかってるくせに。見向きもしないで。自分が一番正しいみたいな面してさ、キモいんだよ!てめぇがはじめたこの状況、責任取らせてやるからな!」
血を流す加奈子に俊光が重なり合うように倒れ込む。
「はぁ、はぁ、はぁ。どいつもコイツもうるっさいんだよ!」
早苗の心音は高鳴り、耳鳴りが頭の中を反響していた。
夕方に会った眩しいばかりのエリナの姿に、自分の取り返しのつかない現実が混ざり合い、早苗の
心は限界をむかえた。
「えりちゃん……。ごめんね」
早苗の額が縦に割れはじめる。
「ああああああああ!」
目、耳、鼻、口、額の割れ目から黒い液体があふれ、一気に辺り一面を飲み込んだ。
同じ頃、エリナはいつものように美智子と愛子の3人で夕飯を食べていた。
「最後の唐揚げいただき!」
「あっ!」
「こら、エリナ!行儀が悪いぞ!」
いつものたわいもない食卓に、テレビから緊急のニュースが流れてきた。
「臨時ニュースです。今、第3新宿区で、大規模な火災が発生しています」
火の手にカメラが寄ると、巨大な黒い影が映り込んだ。
「あ、あれは、なんでしょうか!」
みたことある景色に戸惑うエリナ。
「あの場所は……」
二人の携帯にメッセージ〈第3新宿区、狂い人、出現〉の通知が鳴った。